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寒い夏の夜
- 2009/08/24(Mon) -
KLM1


前回「梅雨明け」という記事を書いた後に、しばらく遠く離れた所へ出かけておりましたのと、近頃とても仕事が忙しくて少々間が空いての更新です。

お休みしている間に、日本では皆既日食やら芸能人の薬物使用騒ぎ等々、最近では世界陸上の話題など、連日賑わしいニュースのネタに困らなかったよう。そして、いつのまにやら衆院解散して総選挙に突入ですか。あまり国内政治の話題には深入りしないようにと留意している管理人ですが、各党のマニフェストが明らかにされ初めて知ったので一言だけ。自民党によるあのバラマキにも相当呆れたものでしたが、今度は民主党がそれ以上のバラマキ案をぶち上げています。まったく何というお寒い発想なのでしょうか。自民党に組するつもりは毛頭ありませんけれど、あの案では財政的に早晩立ち行かなくなることは明白です。全く今の日本政界に少しは骨のある政策立案者がいないのかと、帰国してから心底嘆いております。

政治の話はさて置き、お寒い話と言えば今年の夏はとても変です。梅雨明け宣言がハッキリとされぬまま(関西の場合)、彼方此方で豪雨の被害が続き、立秋が過ぎて初めて夏らしい天気となりました。そうこうする内に、夜がふけると外気もうすら寒く、秋の気配が濃厚に感じられるこの頃。一体この異常さは何なのでしょう。



KLM3


ところで狂騒の日本を後に何処に向かったかと申しますと、シベリアの大地を越えて再びKLMの本拠地であるあの街まで飛びました。作年初夏に訪欧した時は、上空からロシアの大地や北極海に流れこむ河がかなり氷に覆われているのが見えました。今回は時期が若干ずれていたとは言え、雪や氷をほとんど目にしませんでした。地球温暖化の影響で、北極海の氷が激減とのこと。その温暖化の結果を目の当たりにして、改めてこの問題の深刻さを実感してしまいました。海面に浮かぶ氷が少なくなった結果、餌となるアザラシなどが集まる場所も少なくなって、北極グマの餓死が増えているそうです。


KLM2


KLMの機内食です。近年どこの航空会社も大赤字で大変らしいのですが、これはちょっとお寒いメニューなのでは・・・。以前乗った時に比べ、サービスの低下をひしひしと感じさせられました。


KLM4


到着した空港でバゲージクレームに向う途中のスナップ。夕暮れ時とは言え、この極端に人っ気の少ない様子に唖然。これが、かつてヨーロッパの玄関口として世界に名をとどろかせたあのスキポール空港なのでしょうか。一昨年秋に来た時は、もっと活気に満ちていたのですが・・・。今回の季節は夏。既に長い休みに入っていた学校や会社もあったろうに、これも昨年秋以来の世界不況の影響なのでしょうか。しかも空港の外に出るとあいにくの小雨模様。気温も摂氏10数度と肌寒く、文字通りお寒いオランダ再訪問でした。




という訳で、本日は夏のオランダの、ちょっと寒気がする音楽としてアルフォンス・ディーペンブロック (Alphons Diepenbrock, 1862-1921)を取り上げましょう。ディーペンブロックはオランダの作曲家。アムステルダム大学で古典文学を学んだけれど、音楽に関しては全くの独学という異色の経歴の持ち主。時折、「遅れてきたロマン派」とあまり芳しくない称号を頂くこともありますが、どうしてどうしてその音楽の質は同時代の他の作曲家に比べても見劣りは致しません。

CDのジャケット・デザインが見事に表していますように、彼の代表的管弦楽作品の多くが夜を題材としています。たとえば「夜への賛歌」や「大いなる沈黙のうちに」などなど。いずれも1890年代から20世紀初頭にかけての作品ばかりで、幾分か不気味な雰囲気を漂わせながら、知らず知らずの内にロマンチシズムの夜のとばりに聴く者を閉じ込めてしまう、妖しい怪しい音楽です。きっと彼の文学的素養が、この夜の底知れぬ神秘に興味を立ち向わせるのでしょう。どんな作風かと問われれば、ワーグナー風半音進行の和声にフランス印象派の色彩感を交えたとでも評したらよいのでしょうか。いずれにしましても、R・シュトラウスともマーラーとも異なる新感覚のオーケストラ美が夜のしじまによく似合います。

実は今夜ご紹介するCD(2枚組)は、Chandosが1980年代末に発売していた音源をBrilliantレーベルが新たに版権を買い取って発売したものです。この御蔭で、価格にして約1/4以下の安価でこの名品を手に入れることが出来るようになりました。お寒い話題ばかりの本日の記事。唯一懐中が暖まる話ではありませんか。おっと、熱くなる話はこの時期禁物でしたね。

さてさて、妙に人寂しいアムステルダムの短い滞在はあくまで乗り継ぎのため。此処から先に一体何処へ飛んだかは、次回の記事を是非お楽しみに。あまり普通の人が行くことがない所です。


Diepenbrock1






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梅雨明け
- 2009/07/18(Sat) -
紫陽花


鬱陶しかった梅雨も各地で明けつつあります。いよいよ夏本番の開幕。うだるような暑さが続く中、清涼の写真をお見せすることに致しましょう。


津和野1


全国に小京都を呼ばれる町がたくさんありますが、その一つ津和野です。


津和野2


写真は少し前に撮りました。あやめが咲く路地横の水路には鯉がたくさん泳いでいます。


津和野3


皆まるまると太っています。この写真の鯉たちは小さい方ですが、中には1mあまりの横綱級も。


津和野4


へっ?こんなところにレトロなお役所?


津和野5


時の流れを暫し忘れさせてくれる津和野の町。夕暮れ前の静かなひとときでした。




本日の音楽、ただ今まことに多忙のため記事を用意する時間がなかなか取れません。期待されていた方には申し訳がございません。その代わりと言っては何ですが、さだまさしさんの歌「償い」をお届け致します。幸い管理人は、まだこの歌に唄われたような事件には遭遇しておりませんが、何時誰にでも起こり得ることです。それから梅雨が明けたと言っても、これからまだまだ雨の多い季節。運転をなさる方はくれぐれも安全にご注意下さいませ。


http://www.youtube.com/watch?v=9PkcpbEp4pI


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ウィンブルドン
- 2009/07/06(Mon) -
Wimbledon1


このところ仕事が忙しくて、記事の更新が滞っています。もしも期待されていらっしゃる方がいましたら、ゴメンなさい。m(_ _)m

そんな訳で、昨夜も遅くに帰宅。珍しくテレビをつけたら、やっていましたウィンブルドン。いやあ、それにしても素晴らしい試合でしたねぇ〜、男子シングルス決勝戦。
ロジャー・フェデラー vs アンディー・ロディック


毎年6月下旬から、この7月上旬のこの時期、ウィンブルドンの試合中継をテレビ観戦するのが恒例です。海外に居ました時は特にそうでした。今年の注目は、かつて、あるいは昨年までNo.1として君臨していながら王座を奪われた者同士の戦い振りです。互いに雪辱を期すべく、研鑽に継ぐ研鑽を積んだ末の熱戦が実に見事でした。決勝戦は両者互いに譲らず、全ゲーム数はなんと77。第5セットは30ゲームまで続き、16-14でようやく勝敗が決しました。(明日も仕事があるのだから早く寝ればよいのに思いながら、あの試合進行ではとても途中でスウィッチを切ることなぞ出来ません・・・。)


Wimbledon2


惜しくも準優勝となったロディックですが、試合に勝って勝負に負けた感がありましたね(実際勝ったゲーム数的にはフェデラーを上回っていましたから)。しかし勝敗もさることながら、途中で何度も崩れかけそうなピンチに襲われながら、両者共にそれを跳ね返す強さを示したことが印象的でした。もちろんフェデラーがほんの僅かだけ相手より粘り強かったのが勝因なのですが、この試合は優勝者が2人いたと言っても過言ではない、見るものに勇気を与えてくれるそんな試合だったような気が致します。そしてもう一点。試合終了後に準優勝の表彰を受けた直後のインタビューで、おそらくは悔しさ胸一杯で返答するどころでは無かったであろうに、涙をぬぐいながらも勝者を賞賛するコメントを口にしたロディックの紳士的な態度に心から感動してしまいました。


晴れの表彰式。主役はもちろん勝った選手なのですが、何気に置かれた台に被せられたユニオン・ジャックの旗が妙に映えておりました。ふだん国粋主義には全く同調出来ない管理人ですが、こうした国際的イベントで示される国旗の威力に抗することが難しいのも偽らざる事実です。ご存知の人も多いでしょうけれど、改めて英国国旗が現行のように定められたいきさつを図で示しましょう。


Flags1


1707年にイングランドがスコットランドを併合したことを期に、イングランドのSt.George旗(白地に赤十字)にスコットランドのSt.Andrew旗(青地に白の斜十字)が組み合わされ、さらに1801年のアイルランド併合後、当時アイルランドを代表する旗として白地に赤色の斜十字のSt.Patrick旗が組み合わさって、今日の旗が出来上っています。(ウェールズは早くからイングランドに併合されていたため、同国の国旗である白緑2色のストライプに赤いドラゴンを配した旗は、このデザインの中には取り入れられませんでした。これについては2007年12月2日の記事をご参照下さい。)

しかしながら、連合王国は決して一枚岩であった訳ではなく、1921年、北部アイルランドの6県を除いた南部アイルランド諸州がアイルランド自由国を宣言。1938年、イギリスがその独立を承認、イギリス連邦内の共和国となるも、北部6県はイギリスに留まり、いわゆる北アイルランド問題として、つい先頃まで陰惨なテロ活動まで引き起こした火種となりました。1998年、同年の聖金曜日に当たる4月10日、イギリスとアイルランド両国はベルファスト合意と呼ばれる協定を交わし、アイルランドは北部6県の領有権を放棄。これが国民投票の信任を受けて、ついに長年に渡る両国間の紛争がまがりなりにも終結を見たことになります。

こうしてアイルランドは、緑、白、オレンジの三色旗を国旗とした独立国家となったわけですが、上のユニオン・ジャック旗では北部アイルランドを表わすものとしてSt.Patrick旗が使われています。これは、当時アイルランドは聖パトリックが開いた島と考えられており、それを表わすために有力な諸侯の内の一つの家紋をもってその代表としたと言われています。もっとも、現在ではその旗の由来や正当性自体に疑義が呈されていると聞きますが、敢えて変更する予定は無さそうです。



さて本日の音楽、イギリスの作曲家ジョン・アイアランド(John Irelannd, 1879-1962)です。Irelandと書くけれど、日本語表記ではアイルランドではなくアイアランド。イギリスのManchester近くの町Bowdonで生まれています。名前からアイルランド人と勘違いされることがありますが、実際にはスコットランド系の家系で、一般にはイギリス人の作曲家とされていますから、実にややこしい。(笑) 要はユニオン・ジャック旗みたいなものと考えればよろしいかと。

アイアランドは主にピアノ曲や歌曲など、編成の小さい楽曲をたくさん作曲しており、むしろそれらが比較的有名です。しかし、少ないながら管弦楽曲も残しており、本日はそれら歌付きオーケストラ曲を集めた1枚(Chandos CHAN X10110)を特にお薦めに。これから9月にかけてプロムスのシーズンとなりますが、本CDに収録された名曲の数々、例えば「Vexilla Regis」、「These Things Shall Be」、「Greater Love Hath No Man」、「A London Overture」などは、パリーの「エルサレム」、エルガーの「威風堂々」、トーマス・アーンの「ルール・ブリタニア」と肩を並べたとしても、全く引けを取らない大英帝国賛歌です。とりわけ、このCDの6曲目「Epic March 叙事詩的行進曲」は、1940年、当時情報省のBBC音楽監督の職にあったAdrian Boultにより委嘱された作品であり(翌1941年完成)、イギリスの第2次世界大戦勝利に少なからず寄与したであろうと思われる程に、勇壮かつ感動的な管弦楽曲となっています。この曲を聴きながらなら、お国のために死ねる・・・一歩間違えたらアブナイ、アブナイ、そんな音楽ですから、皆さん、血気にまかせて独り走りしないよう心して聴きましょう。(^_^)V


Ireland2

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禁断の手
- 2009/06/19(Fri) -
Dices1


禁断の実・・・ではなくて禁断の手が本日のテーマです。


とある国の大統領(または首相)と側近の会話。

大統領: どうして我が国の民は不満そうな顔をしているのじゃ?
側近:   それは生活が苦しいからでございましょう。
大統領: それは合点がいかぬ。こんなにもワシは頑張っておるというのに。
       この頃は市中に出ても、このワシに対する尊敬の念どころか
       冷たい視線が浴びせかけられてるような気さえする。
       何か良い手はないものじゃろうか?
側近:   ・・・・・
大統領:  おおそうじゃ、お金を貧しい民百姓にばらまくというのはどうじゃ。
       これなら皆も好きな物が買えて喜ぶであろう。何々ほんの小額でいいのじゃ。
側近:   恐れながら申し上げます。たとえ小額といえども国民全体となると馬鹿になりません。
      何よりこのご時勢、国庫はもう空っぽでございます。
      このままでは他国へ返済するお金も残っておりません。
大統領: なに、もう金が無いとな? うーむ・・・。
      おおそうじゃ、お金が無いというのなら作れば良いではないか。どうせ誰も気がつくまい。
      これは名案じゃ。たとえ誰かが気がついたとしても、今だけ乗り切ればよいのじゃ。
      後のことは後の者にまかせればよいではないか。うわっはっはっは。


こういう会話が本当にあったかどうかは存知ませんが、現実にそのような政策を取った国を少なくとも何カ国か管理人は知っています。結果は、当然のことながら猛烈なインフレーション。お金の価値が日々刻々と変わり(下落し)、諸外国からの信用はガタ落ち、食糧・衣類・ガソリンなど生活必需品の流通が止まりますから、人々の生活は益々苦しくなります。公定レートと闇のそれが、10倍どころか百倍、いやそれ以上になったところも。最近、とある国で超インフレに対応するためと称して「1000億ドル札」という、とてつもない桁数の新札を発行したことがニュースになっていましたね。



某国の首相がやっていることも、実は本質的に同じことだということに何故側近の人たち、いや国民の人たちは声に出さないのでしょうか。いや、たとえその声が聞こえていても、この政策こそが正しいと信じて疑っていませんから、手におえません。きっと「今に見ておれ、やがて景気が回復すれば、私の判断は正しかったんだ、さすがに立派な政治家だ」と賞賛されるに違いないと思っていらっしゃるのでしょう。


さて次の2つの図をご覧になってみて下さい。上図をいくつかのパーツに分けて再配置したものが下図です。 あれっ、不思議ですねぇ! 同じパーツで出来ているはずなのに、いつのまにか面積が増えているみたい、一体何で?


Illusion1


世の中には、やってはいけない手というものがあるように思います。それは、その誤ちを償い補うのがその世代ではなく、後世の人々が何代にも渡って膨大な労苦を背負ってしまうからなんです。無から有を生じたように見せかけるのは簡単です。でも、やはり無いものは無い。あまりに変なことばかりを続けていると、正しいものすら正しいとは思われず、本当は違っているのに一見正しそうに見えてしまう、そのような世の中になってしまうことがとても怖いです。




アメリカのウィスコンシンに生まれ、現在はドイツで活躍している女流作曲家グロリア・コーツ(Gloria Coates, 1938-)。エリック・コーツではなく、グロリア・コーツですからお間違えなく。彼女は現代人気音楽作曲家の1人ですが、とうとう禁断の手を使って恐ろしい曲を作ってしまいました。交響曲第14番「微分音の交響曲 Symphony in Microtones」(2001-2年作)です。

なお微分音とは、ご承知かと思いますが、通常の古典的音楽が全音または半音ずつ上昇する音階を元に書かれているのに対し、半音をさらに半分にした四分音、さらにはそれを半分にした八分音等を指します。これら微分音を使用し、従来の調性音楽からの制約を受けない音楽スタイルが微分音楽です。いかにも現代音楽らしいと思われるかも知れませんが、実は微分音という概念自体は、平均律が確立する以前の16世紀から17世紀頃に既に認識されていました。ただし、この時代は、倍音をベースにした音程と平均律に基づく音程との微妙な違いを調整するものとして、半音より小さな音の違いを記載する(聞き分ける)必要があったためで、それが音楽的に利用されるということはありませんでした。作曲技法として微分音が重要視されるようになったのは、やはり調性音楽から脱却した20世紀以降ということになるでしょう。

さて件の交響曲第14番。3つの楽章から成る全曲20数分間は、弦楽オーケストラとティンパニが微分音階をベースにグリッサンドを多用して、まるで位相のずれた正弦カーブが幾重にも押し寄せるかのように鳴らされます。それはエスカレーターが上ったり下がったりしているよう。映画で言うと、「インディージョーンズ」の中で無数の毒虫が地表を這い回るシーンや「エイリアン」が登場するシーンで流されるあの何とも言えない不気味な音楽です。こうしたグリッサンド手法・演奏法自体は、コーツが交響曲の作曲を始めた1970年代始めに採用しており、彼女のトレードマークと言ってもよい特徴でしょう。でも、ここではそれにもう一つ仕掛けを加えています。

14番の3つの楽章は、それぞれ

I. Lamentation: Homage to Supply Belcher (1750-1836)
II. Jargon: Homage to William Billings (1746-1800)
III. The Lonesome Ones: Omage to Otto Luening (1900-1996)

と題されています。名前が挙がっている前2者は、18世紀の米国作曲家。3人目は現代作曲家で、この人はグロリア・コーツの師匠にあたります。各楽章は、先に述べましたようにめくるめくように上げ下げのあるグリッサンド音楽の後に、急に先人が作曲したコラール旋律が流れて来ます。それまでほぼ無調の音楽が進行して来ましたから、聞き手は一見(一聴)調性的な美しい旋律が流れたように錯覚させられます。しかし、実際に聴かれてみると一番よく分かるのですが、どうにも落ち着かない、どうにも居心地の悪い、不安定な旋律なのです。特に何かの機械で振動数を測定した訳ではないのですが、管理人の耳にはどうもわざと音程を微妙にずらしているように聞こえて仕方が無いのです。本当は調性感のある音程から外れている旋律なのに、錯覚してまともそうなメロディーのように聞こえさせること。どうやらここに作曲者の意図がありそうです。後で解説を読んだら、コラールの音程は四分の五音だけ高く演奏されるように譜面に指定されていたとのことが書いてありました。

それにしても、このような音楽がありだとすると、これからの聴き手は従来の音楽的美的感覚の限界を越えた相当高いハードルを課されることになります。禁断の手になる新音楽、はたして前代未聞の美味であるのか、はたまた酔って吐き気を催すのか、新し物好きには格好の珍品です。同じ誤魔化されるなら、政治の方は願い下げ、こちらのイルージョンだけに願いたいものです。CDはNaxosですから、試聴も容易でしょう(Naxos 8.559289)。


Coates2


      
      
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林檎の芯
- 2009/06/08(Mon) -
Apple1



前記事のコメント欄でインド林檎の話に少しばかり触れましたが、本日はリンゴの品種改良つながりで音楽の話をしたいと思います。



リンゴの原産地について調べてみたら、コーカサス山脈、あるいは中国の天山山脈辺りにまでルーツが遡れるそうです。これが紀元前には既に、東方は中国まで、西方はヨーロッパ西端にまで伝わり、各地で広く栽培されるようになりましたそうで。そう言えば、中東のアダムとイヴの話にもリンゴが出て来ましたっけ。

で、西方で最もリンゴ品種の改良に熱心だったのは、ルネッサンス以降から近世紀にかけてのイギリスだったそうな。そんな訳で、17世紀になるとイギリス・アイルランドから新大陸へ向けて大移動した開拓移民らと共に、リンゴ栽培がアメリカに伝わりました。日本へ本格的に導入されたのは、19世紀末の明治時代になってから。そのアメリカから約70種類以上ものリンゴが運び込まれ、主に青森や長野などといった寒冷な土地で栽培されるようになりました。それにしても、人と共に農作物も地球を股にかけて大移動するのですね。




リンゴの歴史はそのくらいにして置きまして、本題の音楽の話です。出世のためにロンドンという大都会に埋もれてストレスに満ちた生活をするよりも、田園の中で静かに暮らすことを選択した音楽家が居ました。その音楽家とは、愛妻と共にイギリス中部の田舎に移り住み、希少種となりつつあった品種を保存するために丹精込めてリンゴ栽培を続けながら、自身が納得できる音楽だけをマイペースで書くという、現代ならさしずめスローライフの典型と呼ぶべき人生を歩んだジェラルド・フィンジ (Gerald Finzi, 1901-1956)、その人であります。


ここに1枚のCD (Lyrita SRCD.239) があります。収録曲はいずれもフィンジの作品ばかり。


セヴァーン狂詩曲

夜想曲(新年の音楽)

「恋の骨折り損」組曲から3つの独り言

弦楽オーケストラのためのロマンス

弦楽オーケストラのための前奏曲

落ち葉

小オーケストラと独奏ヴァイオリンのための入祭唱

ピアノと弦楽オーケストラのためのエクローグ*

ピアノとオーケストラのための大トッカータとフーガ*

  Sir Adrian Boult指揮、London Philharmonic Orchestra
  Vernon Handley指揮、New Philharmonia Orchestra*


フィンジは、自己に大変厳しい作曲家でした。たとえばヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲を完成させようと何度も取り組みながら、納得の行くレベルに達していないと判断するや否や、一旦は校了した作品であれ、ためらうこと無く破棄し、両ジャンルに関しては結局1曲も完成品を世に残すことはありませんでした。おそらく、その一部として書いたはずの楽章の完成度があまりに高く、それに見合うだけの他楽章を書くことが出来なかった結果なのでしょう。幸いなことに、破棄されなかった楽章は、その後それぞれ独立した作品として残されることになりました。このCDに同梱された最後の3曲がそれらに当たります。否、その3曲だけが特別ではありません。このCDに含まれる全ての音楽が、厳しい彼自身の批評眼に晒されながら生き残った、いわば神域に到達している音楽と言ってよいでしょう。

[最晩年に書かれたクラリネット協奏曲やチェロ協奏曲は、今日一応の完成品として一般に認められていますが、もしもフィンジがリンパ腫に侵されて病床に倒れることさえ無かったなら、その後きっと両曲共その一部を書き直していたか、場合によっては破棄することすら厭わなかったに違いないと、管理人は思っています。]


イギリスの弦楽オーケストラ作品なんて、ちょっと聞く分には耳当たりが良いけれど、所詮はヒーリング音楽、精神性の浅い音楽でしょ。特にフィンジなんて、繊細でひ弱そうだし、大作曲家たちと肩を並べるほどの作曲家ではないんじゃないの、と思われている方が少なくないかも知れません。けれども、このCDを聴いて下されば分かります。心に響く本当の優しさとは、表面的な柔和さでは無く、強靭な精神を内に秘めた者にだけ、自然と備わるものだということを。


リンゴの芯は硬いから、大抵の人間はよけて食べようとしません。しかし甘い果実も、芯がしっかりしていればこそ、その周りに栄養をたっぷりと蓄えることが出来るということをお気付きでしょうか。それと同じように、このCDに凝縮されている音楽は、芯の存在を意識した時に初めて、その真の味わいを賞味することが出来ます。Lyritaレーベルが誇る数ある名品の中、作品・演奏・録音、そのいずれの観点から評しても断トツに優れたCDです。敢えて一つだけ難点を挙げるならば、その超ダサいジャケット・デザインだと言わせて頂きましょうか。 (ボールト先生、すみません!)


Finzi5



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異国情緒
- 2009/06/03(Wed) -
TajMahal1


管理人が子供時代に一番喜んだ夕食のメニューは、何と言ってもカレーでした。きっと今でもそういうご家庭が多いことでしょう。ハンバーグも嬉しかったけれど、やっぱりカレー。もちろん小さな子供ですから、大人向きの辛口のではなくて、あの甘口カレー!(笑)

そしてカレーを一口食すると、決まってエキゾチズムの世界に耽ったものです。テレビやラジオで流れていたコマーシャルソングが、カレー特有の匂いと相俟って、五感の刺激となってその性向を助長しました。♪


実は管理人が最初に足を降ろした外国は、インドなんです。空港の建物を出るや否や、たちまち多数の子供たちが群がって来ました。荷物を運んであげるから・・・、タクシーを捕まえてあげるから・・・、ホテルは何処なの・・・。みんな少しでも小遣いを稼ぎたくて必死です。ようやくホテルに着くと、既に飛行機内からあの独特なカレー混じりの匂いが立ち込めていましたが(この時利用した航空会社はインド航空でした)、その強い南国の香りは、廊下と言わず、部屋の中と言わず、至るところに漂っていました。

街に出れば、タクシーの運転手はゴチャマンと道路にひしめく車の洪水の中を、まるでF1レーサーのようにスイスイと抜いて行きます。街角では、例の笛吹きも実際に居ました!ヒュルル〜という笛の音に合わせてコブラが篭の中から鎌首をもたげてニューッと。ひぇ〜〜。。。 

とにかく見るもの聞くもの、すべてが新鮮!これが異国なんだ、これが外国の文化なんだと、興奮しまくって、その夜はろくろく寝れなかったことを、澄み切った青空の色の深さと共によく覚えています。


インドと言えば、1982年制作、同年アカデミー賞の作品賞他、多数の映画賞に輝いたリチャード・アッテンボロー監督、ベン・キングズレー主演の映画「ガンジー」が強烈に印象に残っています。ただし封切り時ではなく、それから大分経ってから、管理人がとある英語圏の国に滞在していた時です。この映画が丁度廻って来て、大きな劇場で上映されることを知ったので、これ幸いと観ました。途中休憩が入って、確か3時間半くらいの大作でした。でもその時の感動は、一生忘れないことでしょう。もう今では、この映画がリバイバル上映されることもないと思われますので、未だご覧になられていない方はDVDで鑑賞するしかありません。が、これは本当にお薦めの名画です。大減量して撮影に望み、ガンジーに成り切ったキングズレーの役者魂も快哉の一言です。

圧巻のシーンは、ラスト国葬の大行列。よくもあれだけのエキストラを集めたものだと、感心を通り越して畏敬の念が。あまりに感動したので、実は同じ日に続けてもう1回観ました。何と8時間近くも映画館に居たことになります。(←アホですね) 
と言いますのは、実は暗殺犯となる人物が、映画のかなり前半からチラチラとスクリーンの隅の方に登場していることに気がついたからなんです。で、どういう意図でそうしたのかを確認したくて・・・(爆)


Gandhi1


Gandhi2


Gandhi3





イギリスの作曲家バントック (Sir Granville Bantock, 1868-1946)が、異国風味満点の曲を作ることにかけて天才的な手腕を示したことは既に紹介しました。(2009年4月13日の記事

彼は比較的若い頃より、ギリシャは当然のこと、エジプトやアラビアのイスラム文化、そしてペルシャから、果てはインドに到るオリエント文化まで広い興味を示し、それらの文化的背景を色濃く映した作品をそれぞれ残しています。北方のケルト文化・芸術に惹かれるのは、むしろ後年です。ロマン派風の音楽がお好きなら、彼の作品のCDのどれを取っても外れはありませんと自信を持ってお薦め出来ます。(日本では演奏される機会が少な過ぎます。と言うかほとんど無い!怒)

本日は、バントック管弦楽の魅力を堪能出来るCD をもう1枚ご紹介しましょう。「Thalaba the Destroyer」と題するCD (Hyperion CDA67250) で、「The Song of Songs前奏曲」や砂漠を舞台にしたオペラ「Omar Khayyam前奏曲」など、各曲の良いところを抜き出して演奏したオムニバス形式のような1枚ですから、本来なら全曲が欲しいところです。

どの曲も素晴らしいけれど、特にその中の第5曲「Processional」という曲が分かり易くて見事です(1894年作、1912年改訂。演奏時間は15分弱程度)。この曲は、昔々インドのとある高官が亡くなった時に行なわれた葬式行列の様子を描写すべく作曲したらしいです。前半は、まるで大名行列が粛々とこちらに向って歩いて来る感じそのまま。それが一段落すると、音楽は一転して優美な曲想となります。この急激な変化は、主人の遺体が運ばれた行列の後に、生きながらにして一緒に火葬される身近に仕えた女人たちの姿を描いたのだとか。バントックはハープやシンバルを実に効果的に使います。そして全曲を通して常に安定して刻まれるリズムが、その行列が普通の人々の力では押し止めようのない歴史的大イベントとして、今、眼前に繰り広げられているのだという錯覚さえ催させます。この比類ない描写能力が、バントックの真髄と言えるでしょう。


Bantock4

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新世界より(8)−自画像
- 2009/05/22(Fri) -
Modigliani1
Amedeo Clemente Modigliani (1884-1920) 「自画像」


関東でもそうだと思いますが、関西では電車の乗客の大半がマスクをしています。少々異様なくらいです。たまたま喉が少しえがらっぽくなってコホンとでも咳しようものなら、皆の視線をジロっと浴びてえらいことに・・・。花粉症のピークが去って、ようやく手放すことが出来たと思ったのど飴とマスクが再び必携品となりました。




冒頭の絵はモディリアーニの「自画像」です。生涯に彼が画いた肖像画は実に350枚にも上るとのこと。古くはレンブラント、近代に入ってはゴッホやピカソなど幾人もの画家が、自らを折々に描くことで自分の存在意義を絶えず冷静に見つめ直そうとしたのに対し、モディリアーニは専ら友人や知人らをモデルにし、その人物と向き合いながら、その肖像画を画くことで相手との精神的繋がりを確保することに執着しました。非常に寂しがり屋だったのだと思います。そのモディリアーニ、生まれはイタリアのトスカーナ地方で、地元のアカデミーを出てから22才の時、画家を目指してパリの町にやって来ます。当時のパリには、同じように野心と希望に燃えた無名の芸術家の卵たちが溢れており、毎晩のように酒をあおり、麻薬におぼれながら鬱屈の日々を過ごしていました。モディリアーニもその中の一人です。

そんな不遇と貧困に喘ぐ彼を見出したのは、レオポルド・ズブロフスキーという名の若き画商。展覧会の片隅にあった彼の絵を一目見て、これはピカソ以上の存在になると睨んだズブロフスキーは、自宅をアトリエとして提供し、家財を売り払ってまで絵の具を買い、モディリアーニに絵を画くことを勧めました。こうした手厚い庇護を受けて、モディリアーニはやがて初めての個展を開くことに。ところがそこで出品した1枚の作品、キャンバス一杯に描いた褐色の肌をしてふくよかな肉体の裸婦像が、警察から風紀を乱すものとして撤去を命じられるという大騒ぎになってしまいます。結局、個展は1枚も売れることなく終わってしまい、モディリアーニには以後2度と個展を開くチャンスが訪れませんでした。

失意の中、彼の健康は益々悪化を辿る一方。彼がすがれるものは大量の酒と麻薬のみ。わずかな光明は、モデルであった画学生ジャンヌ(後に妻となる)の献身的な愛。ほどなくジャンヌとの間には一人の娘が生まれました。家族と暮らした南仏での長い療養生活の後、やがてパリへ復帰。モディリアーニは焦燥にかられながら、まるで何かに取り憑かれたかのように凄まじいスピードで肖像画を画き続けました。彼の絵がようやく評判を得るようになったのは、1919年ロンドンの画廊に出品された彼の絵に思いの外の高値がついた時でした。しかし、この時既にモディリアーニの身体は酒と麻薬のためにボロボロになっていました。肺結核と腎臓炎が回復不能なほどに進行していたのです。

残された時間が少ないことを悟ったモディリアーニは、静かに絵筆を取って1枚の自画像を書き上げます。それが冒頭の「最後の自画像」です。お気に入りの赤いジャケットと青いスカーフに身をまとい、死を目前に控えたものとは思えないほどに、否だからこそか、実に穏やかな表情をしています。この絵を書き上げてまもなく、モディリアーニは結核性脳膜炎で世を去りました。享年35才。

悲劇はそれだけで終わりませんでした。モディリアーニの死の2日後、妻ジャンヌが1才2ヶ月になる娘(この子の名前もジャンヌといいました)を残して、アトリエの窓から投身自殺してしまったのです。この時ジャンヌは、9ヶ月になる2人目の赤ちゃんを身ごもっていたのだとか。

「最後の自画像」は、まるでボヘミアンであった画家モディリアーニの人生を髣髴させるように遠い新大陸ブラジルにまで渡り、現在サンパウロ美術館にひっそりと飾られています。



「新世界より」シリーズ、本日の音楽はラテン・アメリカ出身の作曲家と言えばこの人の名を外すことは出来ない大家ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos, 1887-1959)の「ブラジル風バッハ Bachianas Brasileiras」としましょう。エイトールがまだ幼かった頃、彼の叔母が「平均律クラヴィーア曲集」を好んで弾いていたのを聴いて、バッハが大好きになったと言い伝えられています。この曲、ヴィラ=ロボスによるオリジナルですから明らかにラテン・ミュージックなのですが、聴いているとまるでバッハの管弦楽曲のように壮大な音楽として響きます。ヴィラ=ロボスはブラジル、リオ・デ・ジャネイロの生まれ。政府の奨学金を得て、1923年から30年までパリで暮らしました。彼もまた地球を大きく動いたボヘミアンの一人と言えましょう。1〜9番から成る「ブラジル風バッハ」が作曲されたのは、1930年から1945年の間。どの曲も強烈な個性を放つ素晴らしい楽曲です。最初から最後までを通しで聴くと、まるでバッハの「管弦楽組曲」、いやむしろ「フーガの技法」を重厚なオーケストラ・サウンドで聴いているかのように錯覚して来ます。ヴィラ=ロボスは、12曲の交響曲、14曲の「ショーロス Choros」など名曲に事欠きませんが、感動的に聴けるのはやはりこの「ブラジル風バッハ」です。EMIに残る自作自演の演奏(6枚組のCD)。録音が1950年代後半と大変古いモノラルだけれども、その熱気と迫力に満ちた演奏は他の追随を許しません。ヴィラ=ロボスの原点が垣間見える文字通りの自画像と言えるでしょう。


Villa-Lobos1




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新世界より(7)−ブエノスアイレスの情熱
- 2009/05/17(Sun) -
Dance1


とあるアトラクション会場で、陽気なラテン音楽とダンスを堪能する機会を得ることが出来ました。こうしたミュージックを耳にする機会はよくありますが、真近かな距離から見ることは初めて。とにかくそのエネルギッシュな踊りと激しいリズムに目と耳が釘付けとなりました。


Dance2


スペインのフラメンコとも何か違う、やはりラテン・アメリカンなミュージックとダンスです。ダンサーの皆さん、グラシャス・アミーゴス!






先ほどのネットニュースによると、新型インフルエンザの国内発生が神戸市内だけで8人確認とのこと。その他大阪府茨木市の高校でも何人かそれと確認された患者が出た模様。しかもインフルエンザらしき症状により休校している生徒の数が、この数日間の間に数十人にまで上っているそうです。明らかに感染集団が各地に拡散、その規模が拡大しています。1918年から翌年にかけて、世界中にパンデミックを起こしたいわゆる「スペイン風邪」は、当初米国で発生した初期には病原性がさほど強く無かったのに、世界中に感染拡大する内に致死性の高いものに変化したと言われています。これからどうなるのか、これも全く目を離せません。



スペイン語で「良い空気」を意味するブエノスアイレス(Buenos Aires)。ここらで新鮮な空気を呼び込むことで、インフルエンザの不安など一気に吹き飛ばしたいものです。そんな訳で、本日の音楽紹介は南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレス生まれの作曲家アルベルト・ヒナステラ (Alberto Ginastera, 1916-1983)です。

ところでGinasteraの名前、日本語表記では(最初のGiの音をスペイン語読みにしたら「ヒ」に近いので)ヒナステラとしていますが、当のご本人は実はカタローニャ地方(父親の出身地)での読みの発音に近い「ジ」ナステラと呼ばれることを望んでいたそうです。人名の表記にはいつも悩まされます。

名前の件はさて置きまして、ヒナステラの音楽、一口に言えば「ぶっ飛び音楽」です。とにかく格好いい。たとえばピアノ協奏曲第1番第4楽章の場合は、こんな感じ。↓


http://www.youtube.com/watch?v=i-jzZQQYfmc&feature=related


どう?スゴイでしょ!ピアノが打楽器であることを痛感させられます。管理人は、音楽がロマン派調で行くなら徹底的にメロメロの甘々に、もしも硬派路線なら徹底的にガンガン行くのが好きなんですね。ヒナステラの3大傑作、Pコン(1961年作)とHpコン(1956年作)とバレエ組曲「エスタンシア」(1943年作)の3曲が1枚に集められたCD (ASV CD DCA 654)、それを本日のお薦めと致しましょう。何せPコンが上のような調子ですから、Hpコンだって負けてはいません。ハープという楽器に通常期待されるヒーリング効果なんぞ何処吹く風。常識を覆した激しい奏法と情熱溢れる音楽に、演奏者も聴く方も汗ジットリとなるのは必定です。おっと、あんまりお熱を上げるとインフルエンザと間違えられるかも。。。


Ginastera1

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