氷冷
- 2007/05/30(Wed) -
遠くに聞こえる雷鳴が、夏はもうすぐ近くまで来ていることを告げています。鱧(はも)落としが美味しい季節です。

鱧落とし(あるいは鱧の湯引き)は、今でこそスーパーで完成品が売られ、全国どこででも食べることが出来ますが、昔はそうではなかったらしいです。海辺から離れた内陸の街京都では、江戸時代から第2次世界大戦前まで、乾物はともかくも新鮮な魚介類を食すことは大変難しかったそうです。わずかに調達可能な採れたての海産物と言えば、琵琶湖の北西山間部を縫うように走る通称「鯖街道」をそれこそ徹夜で走って運び込まれた若狭湾の鯖と、瀬戸内海で採れた季節限定の鱧などに限られていました。その名残を受けて、今では鱧の湯引きは湯葉と並んで京都の名物料理のように思われています。

その鱧の湯引きの調理法。下側にした皮を切らぬように包丁で身に細かく切り込みを入れます。いわゆる「骨切り」です。これを熱湯を沸かせた鍋にサッとくぐらせ、身が牡丹の花のように開いたところで手早くキンキンに冷えた氷水に浸し、十分冷えたところで水気をよく切ってお皿に盛るだけという、至って簡単と言えば簡単なお料理。もっとも美しく花開かせる「骨きり」は、練達の職人のみが出来る技で、普通のご家庭の主婦が見よう見まねでやってみても身がボロボロに崩れるだけです。(←経験者) お皿に盛った湯引き鱧は、梅肉か辛子酢味噌をつけて食します。サッパリとした白身魚のお味は実に口あたり良く、ご飯の箸が進みます。

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この鱧の湯引きでは、「手早く氷水につけること」が肝心です。そうすることで旨味が中にしっかりと閉じ込められるのだそうです。余談ですが、お料理には分ったような分らないようなコツというものが沢山ありますね。しかし、それらのコツ、ほとんどの場合科学的にちゃんとした理由があるそうです。上の場合なら、蛋白質立体構造の変性過程における不可逆的反応という、何とも聞いただけでは全く意味不明の味気ない説明が可能なんだそうです。家政学部に入れば、そんなことを教えて下さるのでしょうか。


明治時代、アメリカからのお雇い外国人アーネスト・フェノロサが「凍れる音楽」と評したのは、完璧なまでに美しい薬師寺東塔の建築フォルムを指した言葉でした。まるで極寒の氷に永遠の美が閉じ込められたような音楽作品があります。それは、シベリウスの交響詩「タピオラ」。

シベリウス(Jean Sibelius, 1865-1957)は、1924年から26年にかけて交響曲第7番と「タピオラ」を相次いで作曲しました。両曲ともティンパニの一打から開始し、透明感の極めて高い管弦楽は聴く者を容易に近づけさせない厳粛さがあり、また全曲の演奏時間もほぼ20分内外という共通性も見られる、双子のような関係にある作品です。

両者の大きな違いは、あくまで私個人の感想ですが、交響曲が最後の和音により(おそらくは作曲者自身の生涯を暗示して)強烈な人間性肯定の音楽として終結するのに対し、「タピオラ」のそれはまるで人の気配を感じさせない、それこそ極北の純白な氷世界に向かってフェードアウトするところです。この両曲で比類の無い孤高の世界を描き切ったシベリウスが、その後30年余りほとんど作品らしい作品を残さなかったのは、あながち老齢による創作力の低下だけが理由ではなかったように思います。

[注:演奏者にあまり拘らない管理人は、交響曲第7番も「タピオラ」もこれが理想の演奏という盤を挙げることが出来ません。ここに例示したカラヤンの演奏は、ジャケ買いと言いますか、精妙な曲の構成を分らせてくれたという意味で挙げさせて頂きましたが、シベリウスが真に描こうした世界とは違うような気がします。「タピオラ」や第7番の理想の演奏とは、空想の中でしか鳴り得ないのかも知れません。]

Tapiola1


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環状列石
- 2007/05/29(Tue) -
古代の巨石文化ほど私たちのロマンと想像力をかき立てるものはありません。

ヨーロッパ各地には、紀元前数千年前に作られたと推定される巨石の遺構が多数存在しています。その中の一つ、イギリス南部エセックス州に見られる「ストーン・ヘンジ」と呼ばれる環状列石(ストーン・サークル)の遺跡は、保存状態も良く、最もよく知られたものでしょう。(下の写真参照)

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このストーン・ヘンジは、紀元前1900年頃から1500年頃にかけて組み立てられたものと推定されていますが、一体誰が何のためにこのようなものを作成したかについては、未だに明らかではありません。かつてはケルト人が信仰したドルイド教の祭祀場として使われていたのではないか、あるいは王の墳墓説ではないかなどと諸説論じられて来ましたが、現在では石の配置の詳細な解析から、太陽信仰と関連した祭祀場ではなかろうかという説が最も有力です。

これらの巨石は数十キロ以上も離れた場所から運ばれたことが分っています。当然大型の運搬機械など無かった時代に、一体どのようにして50トンもある石を運ぶことが出来たのか、また石の上にさらに重い石を積み上げることができたのかは全くの謎です。

ビートルズのメンバーであったポール・マッカートニーがクラシック音楽も作曲することを皆さんはご存知でしょうか。名前から分かりますように、彼はスコットランド系です。自身のルーツを遠い先祖ケルト民族に求めて作曲した交響詩「スタンディング・ストーン」は、全曲70分余りの大作で、なかなかの聴きものです(この作品については、別な機会にもう一度詳しく取り上げてみたいと思っています)。


ストーン・サークルは何もヨーロッパに限ったものではありません。石のサイズはかなり小さくなりますが、我が国日本にも、秋田県鹿角市の大湯環状列石や北海道小樽市の忍路(おしょろ)環状列石と名付けられたストーン・サークルが存在しています。洋の東西を問わず、こうした巨石遺構が、同時に音楽的インスピレーションの源となり得ることは何ら不思議はありません。

つい先日の5月25日に発売されたばかりのニューアルバム「ザ・リング・オブ・ブロッガー The Ring of Brodgar」は、神長一康、阿部勇一、清水大輔氏ら、吹奏楽の分野で現在最も油が乗っている7人の日本人作曲家の意欲作を収めた極めて熱いCDです。中でも表題の作品を書いた八木澤教司氏は、CDタイトルにもなっている同名の曲―副題「太古の聖なる祭壇」(2006年作)―でスケールの極めて大きな音楽を聴かせてくれます。

八木澤氏は、近年「世界遺産・古代遺跡」シリーズの作品を続々と発表しており、「『ナスカ』―地上に描かれた遥かなる銀河」、「空中都市『マチュピチュ』―隠された太陽神殿の謎」などが聴きもので、私が最も注目している邦人作曲家の一人です。
 
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アイリッシュ・ラプソディー
- 2007/05/26(Sat) -
1845年をピークとする前後の数年間、アイルランドは主食のジャガイモが大不作となりました。

原因はジャガイモ胴枯れ病の蔓延による食料の欠乏。夥しい数の貧しい農民たちが毎日餓えのために死んでいくという危機的な状況の中、アイルランド人たちは同島全域を支配していたイギリス議会に対し、食料となる食肉のイングランド本国への輸出を止めるよう嘆願しました。しかし議会は、イングランド系プロテスタントの地主たちの意向を受けて、それを完全に無視。その結果当時約850万人はいたであろうと推計される島民の内、約100万人が餓死するという未曾有の大飢饉を招いてしまったのです。

ただでも農耕に不向きなやせた土地に辛うじてしがみ付いて生きながらえて来た農民たちは、1801年のイギリスによるアイルランド併合に続き、本国で発展拡大の一途を辿る毛織物産業のために、小作人を追い出し代わりに羊をより多く飼おうとするイングランド系地主らによる囲い込み政策により益々生活基盤を失って行きました。19世紀に入ると島で暮らすことを諦め、新天地を求めてイギリス本国へ、さらには遠く新大陸やオーストラリア・ニュージーランドへと渡り始める人々が続出していたのです。大飢饉はそれに拍車をかけました。彼らは、それこそ着のみ着のまま大西洋を渡る船に乗り込みました。生きて目的地に到着すれば未だ幸せな方。多くは難破の憂き目に遭ってしまいました。このアメリカ等へ渡るアイルランド人をぎゅうぎゅうに詰めたボロ船は、『浮かぶ棺桶』とさえ呼ばれたのです。大飢饉前後の半世紀の間に、アイルランド島の住人は約500万人にまで激減したと言われていますから、人類史上例を見ない如何に凄まじい人口流出・大移動であったかが伺われます。

この出来事は単に島にとって一大事件であったばかりではありません。音楽史的にも全世界に多大な影響を与えることとなったのです。ここでは詳述を避けますが、簡単に言えばアメリカのカントリー・ミュージックを始め現代ポピュラー・ミュージックの源流の多くがこのアイルランドを故郷とする人々の望郷の念に端を発するからです。

アイリッシュの歌は、時にケルト・ミュージックとしてヒーリング音楽の代表格のように認識されることがありますが、必ずしも故郷を懐かしむ音楽ばかりというわけではありません。もちろん美しいメロディーにうっとりさせられる曲が多いことは間違いありません。しかし、決して懐古趣味に走り故郷にやがて戻りたいというジメジメしたものばかりではなく、むしろ「故郷は遠きにありて想うもの」として過ぎ去った昔に決然と別れを告げ、新しい大地で生きる誇りと勇気を持つためにこそ故郷の旋律を歌っているような気が致します。


1883年から72歳で亡くなる前年の1923年まで、実に40年間もの長きに渡って王立音楽大学の作曲科教授を務め、20世紀初頭イギリス音楽大興盛の陰の功労者となったスタンフォード(Sir Charles Villiers Stanford, 1852-1924)の名を知る人は、クラシック音楽ファンの中に一体どれ位いらっしゃるでしょうか。どれだけ彼の功績が大きかったかは、お弟子さんにヴォーン=ウィリアムズ、ホルスト、ブリッジ、ハウエルズ、G.バターワース、モーラン、ブリスなどがいると言えば、それだけで十分でしょう。

そのスタンフォード、実はアイルランドのダブリン出身です。彼が1902年から1922年までの約20年間に渡りポツリポツリと作曲した連作管弦楽曲「アイルランド狂詩曲 Irish Rhapsodies」は、1番から6番まで全部で6曲あり、上品でかつ力強さも兼ね備えたアイリッシュ風味満点の素晴らしい作品集です。

第1番には、今や世界中で知らぬ者はいない「ダニー・ボーイ」の名旋律(ロンドンデリーの歌)が使われています。全6曲の各々はいずれも十数分程度の短い曲ですが、曲によってチェロやハープ、ヴァイオリンなどを主たる楽器として採用しており、アイルランド各地の民謡や民話を題材にした見事な音楽物語です。第2番には「オシアンの息子の嘆き」、第4番には「ネイ湖の漁夫と彼が見たもの」といった副題がついており、その物語をもっともっと詳しく聞いてみたいと思わず膝を乗り出してしまいます。

週末の夜のしじまの中で、こんな音楽で歴史のロマンを振り返るひと時を過ごすのは如何でしょうか。

[管理人注:イギリスの法律家で作詞家のフレデリック・ウェザリ(1848-1929)は、1910年に母子の別れを歌ったものとされる「ダニー・ボーイ」を作詞。これにつける適当なメロディがないまま寝かせておいたところ、2年後にアメリカに住んでいた義妹が「ロンドンデリーの歌(エアー)」の楽譜を送ってきました。それを見たウェザリは、その曲が自作の詩にぴったり合うことに気がつき、元の詞を若干手直しして、このメロディに当てはめました。こうして出来た「ダニー・ボーイ」は1913年にニューヨークで発行され、まもなく世界に広まったのです。スタンフォードの作曲は、それに先立つこと10年以上も早いことに注目して下さい。なおこの旋律は北アイルランドのデリーの町(イギリスが支配してからロンドンデリーと呼ばれるようになった)に古くから伝わる民謡を元にしています。]


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季節は巡る
- 2007/05/25(Fri) -
風薫る五月も残すところ後一週間。新緑の季節というよりは、夏はもうすぐそこまでやって来ていることを感じさせる今日この頃です。

春から夏への季節の変化で思いつく音楽と言えば、先ずは定番ヴィヴァルディの「四季」。ハイドンのオラトリオ「四季」なんていうのもありました。

ちょっと新しいところでは、チャイコフスキーの「四季」。原曲はピアノのための作品ですが、スヴェトラーノフが師匠ガウクの編曲した同曲管弦楽版の演奏は、ロシア音楽の至宝の一つとも言えるでしょう。そう言えばグラズーノフも「四季」を書いていますね。

今頃の季節限定なら、何と言ってもイギリスの作曲家フランク・ブリッジの交響詩「Enter Spring」と同「Summer」が聴きものです。季節の「橋」わたしならまかせとけって感じでしょうか。(^o^)

他にもいろいろとありそうですが、では交響曲ではどうでしょうか。どれか一つの季節だけということなら意外とたくさんありますよ。皆さんは幾つくらい挙げられるでしょうかね。

さてここで問題です。「春、夏、秋、冬」それぞれセットにして表題にした交響曲を4曲書いた人はだれでしょう? (どなたもお答えにならなかったら、暫く後にこちらで解答を追記致します。)



今夜は先に音楽の話題から入りましたが、2004年10月に日本で公開された韓国映画「春夏秋冬そして春」(キム・ギドク監督)は、同国の名だたる賞を総なめにした傑作です。

山奥にある湖の上に浮かぶ小さなお寺を舞台に、登場人物が老僧と青年、それに訳有りの若い女性と少年だけという極めて不思議な映画です。ストーリーを明かしてはネタバレと言いますか興ざめになってしまいますので省きますが、それはそれは美しい映像の中に、正に輪廻転生を季節の移り変わりになぞらえて、生きることの「業」とも呼ぶべき重たさが見事に描かれています。

春夏秋冬3


実在する国立公園内の湖に特別の許可を得てロケ撮影を敢行したそうですが、唖然とするほど見事な舞台回し。巡り行く季節の透徹した描き方に感動します。そして何よりも劇中、冬の章で、静謐な映像美とともに国民的民謡歌手キム・ヨンイムが歌うアリランの源流「旌善(チョンソン)アリラン」の歌声が深く深く聴き手の胸をえぐります。韓国民謡パンソリの真髄と言っても良いでしょう。もし未だという方は、現在映画が公開されていませんので、是非ともDVDかビデオでご覧になることをお勧め致します。

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ヘ短調のピアノ協奏曲
- 2007/05/23(Wed) -
以前知人の中にf-mollのピアノ協奏曲がお好きと仰った方がいらっしゃいました。

一体どの曲のことを意味していたのか、その時特に確かめはしませんでしたが、おそらくはショパンの第2番作品21を指していらしたのでしょう。

そのショパンが2曲のピアノ協奏曲を書いたのが1830年。その後同ジャンルの作品はヨーロッパ各地でポツポツと発表されていますが、幾つかを除いて不思議と約40年間ほとんど空白に近い感があります。それが19世紀も余すところ四半世紀となってから20世紀初頭にかけての約40年間、まるで雨後の筍のように次々とピアノ協奏曲の名作が産み出されたのです。この期間は、後期ロマン派の爛熟した管弦楽の表現力と名技を奮ったピアニストたちのヴィルトゥオジティが最高に結びついたピアノ協奏曲の黄金時代と呼ばれています。

それこそ世界各地で多くの作曲家たちが、腕によりをかけて自信作を引っさげて、ほとんどの場合自らが舞台に立ちました。これらの内相当な数の作品が、「ロマンティック・ピアノ協奏曲シリーズ」と題してHyperionとVoxBoxでCD化され発売されていることは、Pコンのファンとしては有り難いことです。

ざっと調べてみると、ヘ短調のピアノ協奏曲として主だったものは、先のショパン第2番の他に、アレンスキー、グラズノフの第1番、ヘルツ(Henri Herz, 1803-1888)の第5番などが挙げられます。いずれも美しい旋律と大地の香りがムンムンと立ち上がる名作揃いですね。[あ、ちなみにこのブログでは、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトといった有名作曲家の作品については、まず取り上げられないと思っておいて下さい。そうした有名作品については、既に多くの方々が述べられていますので。管理人より]

ショパンと同じくポーランドを祖国とするピアノニストにして作曲家シャルヴェンカ(Franz Xaver Scharwenka, 1850-1924)は、4曲のPコンを残しています。その第4番(1908年作)は、同年ベルリンで初演され、その後米国ニューヨークにおいてマーラー指揮、作曲家自身の演奏により紹介され、一時は大変な人気を博しました。

全曲4楽章の演奏時間が約40分程度かかるスケールの大きな作品は、シャルヴェンカ最高の力作で、ラフマニノフの第3番に匹敵するかも知れません。最近ではこの曲を取り上げるピアニストが少なく、ほとんど忘れられかけていますが、黄金時代を髣髴とさせる豪快なヴィルトゥオジティと繊細なピアニズムのアラベスク。ピアノ協奏曲好きの方にはたまらないと思います。

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ピータールー
- 2007/05/23(Wed) -
19世紀初めのイギリスは、その前の世紀に同国中部の都市を中心に始まっていた産業革命が益々進行した結果、農民とは異なった新しい階層、いわゆる労働者階級の人々の数が激増し、彼らの生活環境が一段と劣悪化した時期になります。

一方、工業化によって社会的発言権を得始めた新興中産階級、いわゆるブルジョワ階級は、それまで一部の特権階級のみに限られていた参政権を要求して選挙法の改正を主張するようになりました。自分たちの権利を同じように主張しながらも、都市の貧しい労働者層と富裕層のギャップは甚だ大きく、イギリス各地では両者間に軋轢が蓄積するようになったのです。

時あたかも1819年8月16日の昼前、多数の労働者らが富裕層だけでなく自分たちにも参政権をと選挙法改正を求めて、マンチェスターのセント・ピーターズ公園で大集会を開きました。ある推計によると約5万人もの群衆になったそうです。この時、この集会を監視していた騎馬義勇兵隊の一隊が高まる緊張感の中、集まっていた労働者らに突撃を敢行、数百人が死亡するという大惨事が起こってしまいました。この事件は広場の名前にちなんで、今日「ピータールーの虐殺 Peterloo Massacre」と呼ばれています。

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イギリスの作曲家は、通常の管弦楽のための作品と同時に吹奏楽のための作品も書く人が多いです。ブラスバンドの盛んな国ですから需要も高いのでしょう。本来18世紀まで、ブラスバンドは軍楽隊としての役割が本務でした。それが19世紀以降この国で大いに発展した一番の理由は、炭鉱や工場で働く労働者らの数少ない楽しみとして、むしろ経営者らが積極的に奨励援助した結果であることは案外知られていません。不満の矛先が自分らに向けられることを恐れた懐柔策の一つという意味もあったのでしょう。

クラシック音楽および吹奏楽の両方で有名な作曲家の代表格は、何と言ってもアーノルド(Malcolm Arnold, 1921-2006)が挙げられます。「第6の幸福の宿」が最もよく知られている作品ではないでしょうか。

そのアーノルドが「ピータールー」という管弦楽オリジナルの作品を残しています。この曲は、上記ピータールー事件を描いたものです。平和で静かな朝を美しいメロディーで表現した冒頭にうっとりさせられる内に、遠くから小太鼓の不穏なリズムが聞こえて来ます。それは次第に音量を増し、平和な旋律を飲み込んでしまいます。そしてついには騎馬隊の突入を表す激しい中間部、それから惨劇後の静けさを経てラストのチャイムによる安息の昇天まで、わずか10分余りの小品ですが見事なストーリーが音楽として昇華しています。この曲も吹奏楽ヴァージョンでよく演奏されますが、上のストーリーをしっかりと理解しているかどうかで、演奏の仕上がりも違って来そうに思えます。

Peterloo


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マイルを貯めると
- 2007/05/21(Mon) -
本ブログの管理人は、仕事柄長距離国際線の飛行機によく乗ります。狭いエコノミーの席では長時間のフライトが大変辛いことは、経験者なら誰でも頷くところ。何たってヨーロッパなら12時間以上も機内にいますからね。同じ長時間でもビジネスクラスで行けるなら相当違いますが、航空券代が何倍も高いです。

誰か旅費を出してくれるなら、もちろんビジネスクラスで行きたい。ところがバブルの頃ならいざ知らず、昨今の経済状況では出張といえどもなかなか上のクラスでは海外に行けなくなりました。

というわけで私がよく利用する航空会社のマイレージを調べてみたら、何とヨーロッパまでビジネスクラスで行くことも可能ではないか。これは絶対休暇を取って優雅な旅行を計画せねば・・・。

マイルを貯めて航空券をゲットする人はご存知だと思いますが、このマイレージシステムを利用してエコノミーからビジネスへ、さらにはファーストクラスへとアップグレードが可能です。しかも支払うべき航空券代金とは比例せずに、意外と少しの上乗せで上級のシートに変更が出来るのです。つまり現在貯まっているマイルを使わずに、もうちょっと我慢すればヨーロッパまでファーストクラスで往復することも不可能ではないってこと・・・。久し振りの大名旅行も悪くないなぁ。

大陸のハブ空港をベースにケルト文化の故郷アイルランドまで行こうか、あるいは南欧の陽射しを浴びにスペインまで行ってみようか。ビジネスで妥協しとこうかな、それともファーストで行けるまで我慢してみようかなどなどと、夢だけはどんどん広がります。


と、ここでハタと重要なことに気がつきました。マイルには有効期限があって一定時間が経過すると消えてしまうってことを。げっ、これは大変。調べ直してみると、どうも今年中に使わないとかなりのマイルが消えてしまうようなんです。う〜〜ん、困ったぞ。ただでもくそ忙しくって休暇を取る暇なんか全く無いよう〜〜〜(泣)。えーい、いっそのこと仕事を辞めて遊びまくったろうか・・・などと本末転倒なことまで考え出す始末。

マイルを貯めるとストレスも溜まるんですね。
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絶海の孤島
- 2007/05/20(Sun) -
1996年に製作された香港映画「世界の涯(は)てに」は、図らずも不治の病いを患うことになった若き女性(ケリー・チャン主演)が、香港でふとしたことから知り合ったスコットランド出身の船員を探して、はるばる彼の故郷まで旅をするというストーリーです。映画ではその船員は、船乗りの仕事をやめてから故郷それも地の果てのある島に帰り、小さなホテルを継いでいるという設定になっています。

その故郷として選ばれた島、それがブリテン島の遥か北方、外ヘブリディーズ諸島よりさらに大西洋の沖合いに浮かぶ絶海の孤島、セント・キルダ島。映画には、スコットランドの音楽をバックにハイランドの美しい風景が随所に挿入され、とりわけラストではこの島の断崖から海を遠く眺める、おそらくはこの島を故郷とする人々、あるいはその子孫たちが登場します。

この島に人が住み着いたのは約2000年以上前。太古の時代ケルトの住民が祖先であったかも知れません。その後度重なるバイキングの襲来などを経ながら、自給自足の生活を続けて最も多い時では200人近くも暮らしていました。しかし平地のほとんど無い小さな島には耕す土地もなく、強い海流のため小舟で出来る漁などはたかが知れています。食料と言えば、島の断崖に生息するフルマカモメを手攫みで捕らえて得た肉と、ほとんど垂直な高い崖の上に産み付けられた卵のみ。いよいよ食料に窮した島民は、最後の手段として救いを求める手紙を瓶につめ、ひたすら最寄の外ヘブリディーズの島々や本土に流れ着くことを祈って海に流しました。そうして運良く流れ着いた先で瓶を見た人々より届けられたわずかな援助品を頼りに島民は命を繋いで来たのです。

しかし、そうして耐えに耐えた生活の不便さも、18世紀以降じわじわと続いた人口減少を前にさすがに限界を超え、最後の島民36名はついに島を離れ本土に移住することを決意したのです。1930年のことでした。セント・キルダ島の歴史については、井形慶子著「英国セント・キルダ島の何も持たない生き方―自分を幸せだと思う哲学 」(講談社)に詳しく記録されています。

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絶海に面した岩肌に荒々しく打ちつける荒波をイメージした音楽と言えば、スウェーデンの作曲家アルヴェーン(Hugo Alfven, 1872-1960)の交響詩「岩礁の伝説 Legend of the Skerries, Op.47」でしょうか。

暗くどんよりと曇った空の下、絶え間なく押し寄せる荒波。アルヴェーンは、この荒涼とした風景を見事に18分余りの管弦楽作品として仕立て上げています。北欧、スコットランド、アイルランドの音楽には絶対に欠かすことのできないハープが、飛び散る波のしぶきと孤独なロマンを描くに最適な楽器として使われています。この曲を耳にして瞼を閉じれば、そこには絶海に浮かぶ孤島が必ずや目に浮かぶことでしょう。アルヴェーン、「今日のお料理」の音楽ばかりではありませんよ。(^o^)

Alfven1

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神々の調べ―アテネから
- 2007/05/20(Sun) -
突然ですが時節外れのオリンピックの話題から。(^-^;

オリンピックと言えば、ギリシャ。ギリシャと言えば地中海の青い海とアクロポリスの丘に聳え立つパルテノン神殿。この神殿はアテネの守護神アテナを祀ったものですが、ギリシャは中世から現代に至るまで西洋文化に深く根ざしているギリシャ神話伝承の地としての確固たる地位があります。そして神話に登場する神々と音楽との間には深い関係があります。たとえば太陽神アポロンは竪琴の名手。同じく竪琴の名手で芸術の守護神ミューズはアポロンに従う女神たちの一人というように。

他にもあります。古代ギリシャにおいて重視された学問は、「代数学」「幾何学」「論理学」そして「音楽」でした。この考え方は、現代でも彼の国の教育において根幹を成すものだそうです。そう言えば完全5度の関係は振動数比が3/2なんていうのは、ピタゴラスの発見でしたね。

オリンピックはその競技もさることながら、見所は開会式や閉会式でしょう。視覚的にも音楽的にも楽しさが満載で、演出者となるのは極めて名誉、オペラで言えば総合監督といった感じでしょうか。忙しくてなかなか個別の競技を見る時間が取れない私も、この両セレモニーだけは見て来たように思います。

2004年開催されたアテネ・オリンピック。この開会式でご当地出身の作曲家テオドラキス(Mikis Theodarakis, 1925-)の「その男ゾルバ」のメロディーが流れたことを記憶されている人はどの位いらっしゃるでしょうか。

そもそもギリシャに著名なクラシック音楽家なんて誰がいましたっけ?って訝しがるのも不思議はありません。オペラ好きでしたら不世出の大ソプラノ、マリア・カラスがギリシャ出身であることは有名ですね。でも他には?

ギリシャのクラシック音楽界は意外と盲点で、実は大変注目すべき人がいます。現代音楽の旗手クセナキス(1922-2001)が代表格でしょうけれど、他にも上記「その男ゾルバ」で有名なテオドラキスや、ギリシャ舞曲集などが知られているスカルコッタス(1904-1949)などなど。いずれもスペインやイタリアの南国ラテン系とは一味違った、情熱的なリズムで強い生命感溢れる音楽を生み出すギリシャの作曲家を知らないで済ますには余りにも惜しい。

そんなギリシャの作曲家をもう一人ご紹介しましょう。Manolis Kalomiris (1883-1962)

カロミリスは現在のトルコ領Smyrnaの生まれで、ギリシャのアテネで死にました。20世紀前半のギリシャ音楽界重鎮の一人です。代表作は3つの交響曲と5つのオペラ。私が初めて聴いたのは交響曲第1番でしたが、最近Naxosから第3番を含む管弦楽曲集が発売されることになり、まだ部分に過ぎないとは言え、この知られざる作曲家の作品が広く親しまれるようになったことは嬉しいことです(Naxosのページで試聴することができます)。

交響曲第1番は、4楽章から成り全曲の演奏時間は約46分。1920年の作品です。力強い冒頭から聴き手の心を掴んで離しません。前へ前へと突き進む推進力は、第1次世界大戦後多くの大陸や周辺諸国の音楽家たちがその影響を色濃く残したのに対し、まるで反動のようにポジティブ・シンキングです。最終楽章には、そのままオリンピック賛歌としても使えるのではないかと思われる力強い合唱が登場し、明日に向かって明るく生きよと鼓舞されます。勇壮な音楽な中に垣間見える天上的な旋律、これがまたとんでもなく美しい。森の中で神々を実感した1曲です。

Kalomiris




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奇遇の音楽
- 2007/05/20(Sun) -
先日、仕事の関係でとある集まりに参加し、そそくさと帰ろうとしたら「○○さん、お久し振り!」と声を掛けられました。振り向くと見覚えのあるAさんの笑顔がそこに。でも予想だにしなかった場所で突然の再会です。

私「いやあ、お懐かしい!で、でも、どうしてここに?」
Aさん「あら、私こちらに移り住んでもう○年になりますのよ。」
私「え、そうだったんですか。しかし、よく私のことが分かりましたね。」
Aさん「だって、あの頃と少しも変わりありませんもの。」
私「・・・・・」

Aさんとの出会いは何と10年以上も前のこと。志を同じくして、とある事業に参加した同期の間柄。しかし当時は出身の府県も違い、派遣された先も異なっていましたので、顔と名前を微かに記憶するだけでした。それがお互いに紆余曲折を経て、全く新しい土地で再会するとは奇遇も奇遇。当時独身でいらしたAさんは、その後結婚されてご主人の転勤と共に今の町に移り住み、現在は高等学校で教壇に立ってられるとのこと。直接お話することなどほとんど無かったにも拘わらず、当時の記憶が鮮明なことに感心しましたが、何よりも品の良いお姿や愛くるしい笑顔があの頃と少しも変わりがないことが驚きでした。帰り路も同方向。久し振りに昔話に花が咲いた一時でした。


さて奇遇と言えば、これ以上の奇遇は無いと思える音楽作品があります。スコットランドの医師にして軍人、また作曲家でもあるWilliam Wallace (1860-1940)が1905年に書いた交響詩第5番「Sir William Wallace」。これ、何も自分のことを作曲したのではありません。13世紀末に当時スコットランドを支配しようと攻撃を絶えず繰り返していたイングランド軍を相手に果敢に戦った同地の伝説的英雄William Wallaceを描いた作品なのです。

英雄William Wallaceって誰?ってお思いの方、20世紀フォックスの映画「ブレイブハート」(1995年)でメル・ギブソンが主演した人物と言えばお分かりになるのではないでしょうか。この映画、すべてのロケ撮影がスコットランドおよびアイルランドで行なわれました。時代が全く異なっているとはいえ、英国北方領土の土地風景がどんなものであるかがよく分ります。また当時の戦争スタイルがどのようであったかもよく分かる資料的にも優れた映画です。

映画では、圧制、謀略、反乱、勝利、愛と信頼、そして裏切りに至るまでの人間ドラマが、音楽担当James Hornerの重厚かつ悲壮感あふれる音楽を背景に見事に綴られます。映像に音楽が加わると何と説得力が増すのでしょう。CGに頼らない大戦争スペクタクルは圧巻です。もしまだご覧になっていない方は、ぜひビデオかDVDで。

音楽作品に戻ると、1905年8月23日は英雄William Wallaceの死後600周年に当たり、その記念すべき日に向けて同姓同名の作曲家William Wallaceが曲を作ったというわけ。20分余りの間に英雄の生い立ちから戦いの勝利、そして最終的にはイングランド側に捕らえられ処刑されるまでの悲劇の生涯を描いた叙事詩は、その副題
Scottish hero, freedom-fighter; beheaded and dismembered by the English
にすべてが表わされています。作曲家Wallace自身もイングランドに抗してスコットランド独立機運の高まる中で、この曲を発表したがために英国音楽界の中で生涯無視され続けられるという不遇を体験しています。後期ロマン派音楽の傑作の一つと言えるでしょう。作曲家名と作品名が一致するという、これほど奇遇な組み合わせも大変珍しい。

ちなみにWilliam Wallaceという名前の作曲家は、他にアイルランド出身とアメリカにもいます。混同されませんように。

Wallace2

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ブログ開設のご挨拶
- 2007/05/20(Sun) -
音楽が好き。端っこを歩くのが好き。辺境の文化と音楽の森の中を訪ね歩く内に、その余りの広大さと奥深さに圧倒されています。

未だに出口は見えないけれど、時々に出会った神々と美の妖精たちについて語ってみましょう。どうぞよろしくお願いします。
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