鏡の中の鏡
- 2007/06/29(Fri) -
Salt3


歩く。ひたすら歩く。

半乾燥地帯を軽いトレッキングのつもりで歩きだした若者2人。途中で道に迷ったことに気が付きますが、もはや手遅れ。戻る方向すら分かりません。

米国のDeath Valleyなどでロケされたというアメリカの実験映画「ジェリー」(2002年製作、2003年公開、ガス・ヴァン・サント監督・脚本)。

ジェリー(Gerry)とは、ある時は劇中の登場人物2人(マット・デイモンとケイシー・アフレック)が互いを呼び合う名前であり、ある時は動詞として使われますが意味は全く不明。そもそもセリフがほとんどありません。

水も草木も無い岩山を彷徨いながら、最後に2人は広大な塩の湖にたどり着きます。

塩の上を2人は歩く。ひたすら歩く。

しかし引きずる足を前に出そうとしても、もはや一歩も歩けず立ち止まるのみ。


そして誰も予想し得無かったであろう悲劇の結末。


Gerry2



この映画に使われた音楽は、エストニアの作曲家アルヴォ・ペルト(Arvo Part, 1935-; [Partのaはウムラウト付き])の作品「鏡の中の鏡 Spiegel im Spiegel」(1978年)と「アリーナのために Fur Alina」(1976年)。

静謐な時空間の中でピアノとヴァイオリン(あるいはチェロ)が静かに時を刻みます。


Part2


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抹茶マカロン
- 2007/06/27(Wed) -
Macaron2


密かに続いておりますマイ・ブーム(笑)、マカロンのケーキで〜〜〜す。

わざわざ電車に乗って買いに行きました。これで少しはブログらしくなったかしら。(^-^)

下地は小豆のアンコとチョコレートで、その上に抹茶のムース。太鼓のようにちょこんと乗ったマカロンは、もちろん抹茶味。純和風に仕上げています。フランスのお菓子もこんな風に変わるんですねぇ。

マカロンのしっとりした甘さは、入れたての珈琲にとてもよく合って、疲れた身体を癒します。



西洋音楽を純和風に仕上げてみたら、とっても新鮮な作品が出来上がりました。伊福部昭の事実上のデヴュー作「日本狂詩曲」(1935年)。パリで審査されたチェレプニン賞第1位に輝く傑作です。太鼓と鐘の音が日本の夏祭りを描いて最高なんだな。ノスタルジックでエネルギッシュ。伊福部先生だ〜い好き!!


Ifukube2

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歴史の闇が照らされる時
- 2007/06/25(Mon) -
Daiku4


上の写真、よく見ると板東俘虜収容所跡という文字の他にベートーヴェン第9日本初演の地と書いてあります。

ベートーヴェンの第9交響曲全曲が我が国において初演されたのは何時かということが時々話題になります。この件に関する定説は、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)のオーケストラメンバーによる1924年11月29日奏楽堂における演奏ということになっています。ところが、それより遡ること6年前、1918年6月1日に徳島県大麻町板東(現鳴門市)に当時あった板東俘虜収容所内において、俘虜として収容されていたドイツ兵ら約80名によって楽聖の第9交響曲が演奏されていたという事実があります。

このことは、古くは同地を訪れた徳川頼貞が1941年に著した「貞薈庭楽」に明らかにされましたが、誰も注目する者はおらず、次に中村彰彦著の小説「二つの山河」(直木賞受賞)に述べられましたが、これまたあまり一般に知られること無く、永らく忘れられてしまいました。それが、2006年製作の東映映画「バルトの楽園」が公開されて、初めて一般に広く知られるようになったように思います。なかなか面白いストーリーですから、第9演奏に参加された方は無論のこと、同曲にご関心のある方は是非ご覧になってみて下さい。[管理人注:ただし、この映画は上記の史実を学ぶ上で大変価値があるものの、映画作品としては脚本・演出共に大変不味く、折角個性的な役者さんらを集めておきながら演技がみな中に浮いてしまっています(一言で言えば演出が「ドロ臭過ぎ」)。また音楽映画としても、カラヤンの演奏シーンと国内で行われた第9の演奏シーンを継ぎはぎしていて、感動をそぐばかり。芸術的にもお勧め出来かねます。あくまで個人的意見ですが・・・]

その演奏をした捕虜たちとは、第1次世界大戦中、日本軍による中国青島(チンタオ)攻略によって降服を余儀なくされたドイツ人将校ならびに歩兵たちでした。捕虜の総数は約4700名、内約1000名がこの板東収容所に集められていたとのことです。驚くべきことは、この収容所内には図書館や印刷所、さらには製パン所や簡単なレストランなどまでが全て俘虜たちによって運営され、しかもドイツ兵らが持つ高度な技術や製法を地元の人たちに伝授する活動すら行われていたということです。

またこの収容所内には、小規模ながら楽団も結成され、多い時では最大5つまであったそうです。こうした楽団は、楽器の調達に苦労しながらも約3年の間に30回ほど演奏会を開き、ベートーヴェン、ハイドン、シューベルトの交響曲などを演奏したというのですから、驚きの他ありません。

こうした破格な自由が俘虜に許されていたのは、ひとえに会津藩士の父の下に生まれ、明治新政府が同藩出身者に対して過酷な施策を次々と打ち出したことに対して、耐えに耐え抜いた幼少時代の体験を持つ収容所所長松江豊寿中佐の、敗者に対する限りない敬愛と配慮があったからでした。件の第9演奏会は、ドイツの正式な敗戦受諾を受けて、収容所から晴れて自由解放となるドイツ人たちの喜びと所長に対する感謝の念を表すべく、混声合唱を男声合唱に編曲するなど幾多の工夫を加えて行われたものです。この20年後、鬼畜米英と叫びながら、欧米敵視を益々先鋭化させた日本の状況を考えれば、奇跡とも呼ぶべき出来事であったことでしょう。

松江所長という類稀なる人物の存在の他、もう一つこのような奇跡が行われた要因を加えるならば、この板東の地が四国霊場八十八ヶ所巡りの第一番札所霊山寺がこの板東収容所のすぐ近くにあり、地元の人たちにとっては古くから余所者あるいは旅の者に対して、厚くもてなしをするのが当たり前という特殊な歴史的地理的理由があったからであろうと考えられています。いずれにせよ、異国との文化交流がそんな時代に、しかも四国という都を遠く離れた土地で実際に行われていたという事実が喜ばしいことに変わりはありません。当時の写真も以下に載せて置きましょう。

Daiku2


Daiku1



さて1918年というのは、このように我が国の音楽史で貴重な1ページを飾るのみならず、ヨーロッパ大陸では極めて大きなメルクマールとなる年になっています。もちろん第1次世界大戦が終結した年であり、一方強烈なインフルエンザであったスペイン風邪が猛威を奮った年でもあり、全世界で約1800万人がこの病気で亡くなったと推定されています。大戦に動員された各国の総兵力が約6000万人、内戦死者総数が約1000万人ですから、これと併せて世界中の経済が大変動を迎えた時であったと言えましょう。

従って、当然音楽界も多大な影響を受けました。音楽史的にはホルストの組曲「惑星」が初演された年であり、またラフマニノフ、メトネルやプロコフィエフらが革命の混乱から逃れるようにロシアを抜け出し、イギリスやアメリカに亡命した年でもありました。大戦を契機として、作風を変えた作曲家も少なからずいます。

ところでブラームス亡き後の20世紀初頭、大陸の中心部ドイツ・オーストリアでは一体どのような音楽が作られていたのでしょうか。すでにシェーンベルグ(1874-1951)、ベルク(1885-1935)らによる12音技法は生まれており、ウィーンを中心として無調の作品が続々と発表されています。参考情報として挙げて置きますと、交響曲の大家ブルックナー第9交響曲(未完)は19世紀末の1896年に作曲。マーラー第9交響曲の完成は1910年で、初演は彼の死後1年経った1912年でした。またヒンデミット(1895-1963)の交響曲「画家マチス」の作曲が1934年です。もう少し後に下ると、ハルトマン(1905-1963)やヘンツェ(1926-)らが登場して来ます。つまり、普通の音楽史を眺める限り、またCDショップを少々覗く程度では、マーラー以後のドイツ・オーストリアの音楽は全く空白に近く思えてしまうのです。一人気を吐いていたのはRichard Strauss (1864-1949)で、「薔薇の騎士」の完成が1910年。もっとも、その前後にオペラの大作を次々と発表しましたが、成功したのは同作だけ。他の作品は必ずしも一般に受け入れられたとは言い難い状態でした。

今日は、そんな空白期を埋める作曲家と曲を一つご紹介して置きましょう。
Richard Wetz (1875-1935)の交響曲第1番ハ短調Op.40。4楽章から成り、全曲演奏60分以上を要する大作です。ヴェッツはドイツの田舎にひっそりと暮らしながら、敬愛するブルックナーの作品を研究し、それに追いつき追い越そうと努力しました。その彼が満を持して発表した第1番は、1917年に作られています。前人を凌駕していないと酷評する人もおり、確かにブルックナーを髣髴とさせる瞬間が多々あることは確かですが、その全編に流れる美しいロマンティシズム一杯の調べは何物にも換え難く、この曲を聴いて歴史の闇に見事に新しい1ページが書き加えられた感が致します。そう、それはまるで第9本邦初演の歴史に驚くべき光が照らされた如くに。

ちなみにヴェッツは生涯で計3曲の交響曲を書き上げ、それらすべてを今日cpoのレーベルで聴くことが出来ます。


Daiku5

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タータンチェック
- 2007/06/21(Thu) -
Kilt2


ブティックへ行ってもファッション雑誌を見ても、どこかで必ず目にするタータンチェック柄。

このタータン(格子縞)は、今ではバーバリーのマフラーや写真のように女性のキルトスカートなどの柄にもなっていますが、元はと言えばスコットランドのハイランド(高地)地方で中世以来使用されていた極めて地域特色性の高いデザインなのです。18世紀中頃には柄によって所属する氏族(クラン)が分かる程に発達しました。

ところが1746年カローデンの戦いでスコットランド軍がイングランド軍に大敗してから、国家としてのスコットランドは消滅し、一時このタータン柄のキルト(男性が身に付ける巻きスカートのような服装)を着ることは禁じられてしまいました。現代ではバグパイプを演奏する楽団員が着用していることでご存知の方も多いでしょう。これ、日本の紋付袴のように彼の地ではれっきとした礼装になります。

Kilt6


ちなみにキルト(kilt)というのは英語で、スコットランド等に残る現地語のゲール語ではフェーリア(Feileadh)と呼ばれます。ハイランド地方を旅すると、人々がロンドン辺りの英語とは全く違う発音の言葉を話していることに戸惑います。観光的にはエジンバラが有名ですが、経済文化活動の中心地はグラスゴー。この街に暫く滞在したことがありますが、買い物に大変苦労しました。

言葉や風俗が異なることから分かりますように、ハイランドのイングランドに対する対抗心と言いますか、負けじ魂は凄いものがあります。スコットランドには青地に白のクロス十字をあしらった国旗がありますし、イギリス議会の中で議席を持つスコットランド民族党はイングランドからの独立分離を標榜しているくらいです。ブレア政権が掲げた地方分権改革に基づき住民投票で設置が決定されたスコットランド議会は、併合後約250年振りの1999年に第1回の議会選挙が行われました。スコットランド民族党は労働党に次いで第2党の地位を占めており、状況如何によっては再び「ブレイブハート」(管理人注:ブログ開設後の最初の記事「奇遇の音楽」を参照のこと)のようなことが起こらぬとも限りません。


スコットランドの音楽に欠くことのならないもの。バグパイプやティンホイッスルなど伝統音楽に使われる楽器の他、ハープとフィドル(ヴァイオリン)が挙げられます。従ってケルトの血というのでしょうか、この地方出身の作曲家の作品では、これらの楽器に必ず重要な役割を与えています。

スコットランドを代表するクラシック畑の作曲家、さて誰がいるでしょうか。一番の大家はまた別な日に取り上げるとして、今日はマッケンジー(Sir Alexander Campbell Mackenzie, 1847-1935)をご紹介しましょう。彼の父親はエジンバラでヴァイオリニストをしていましたが、息子に音楽の道を進ませるために遠くドイツやイタリアにまで留学させています。

そのマッケンジー、ヴァイオリンのための素晴らしい作品を残しています。一つはヴァイオリン協奏曲作品32であり、もう一つは
ヴァイオリンと管弦楽のための組曲「ピブロック」(‘Pibroch’Suite for violin and orchestra, Op.42)。
Pibrochとはバグパイプなどを使用する当地に伝わる伝統音楽のことを意味します。しかし実際に聴かれるとわかりますが、ここではバグパイプの調べを模倣しようとしたのではなく、その内面的精神を表したものと解釈した方がよいでしょう。曲自体は、実に優美な旋律が全編を流れる事実上これもヴァイオリン協奏曲です。

スコットランドをテーマしたこのジャンルでは、ブルッフの「スコットランド幻想曲」が有名ですが、これらの曲はそれに少しも負けていません。今、市販のCDで入手可能なものは、独奏がMalcolm Stewartで、Royal Scottich National Orchestra (Hyperion CDA66975)のものがありますが、演奏者らの名前で分かりますようにスコットランド出身者らによって固められています。内に秘めた反骨精神という核を甘い旋律でそっとくるんだ極上お菓子のペア。こんな名品をぜひ召し上がれ。


Mackenzie1

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猫に○○○
- 2007/06/21(Thu) -
1231Cat




わははははははは。

ビックリしたぁ? たまにはこうして遊んでみたくなったの!

それにしても、こんな画像も載せられるのね。自分でも驚きました。。。
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Les Uns et Les Autres
- 2007/06/20(Wed) -
さてフランス語初級講座の時間です。本日のタイトルはフランス語で書かれており、「一方は・・・、他方は・・・」という意味になります。英語で言ったら‘one … the other …’でしょうか。

「ああ、あれね」とピンと来られた方は相当の映画通。これ実は、1981年に公開されたクロード・ルルーシュ監督映画の原題なのです。邦題は「愛と哀しみのボレロ」。1930年代末からその数十年後まで、フランス、ロシア、ドイツ、アメリカを舞台にとある4家族の親子2代に渡る人間模様を描いた作品で、市販のDVDでは185分、しかし本来の完全上映版では263分にもなる超大作です。

ハッキリ言って登場人物が多く、物語が複雑で、ずーっと鑑賞を続けるには相当な忍耐を要求される問題作。一体何が言いたいのか、最後まで観てもよく分からない映画です。途中、明らかにカラヤンをモデルとした指揮者が登場したり、グレン・ミラーを想定したと思われる人物が描かれたり、音楽が重要な横糸であることは明らかに分かりますが、登場人物の人間関係がチンプンカンプンになることだけは必定です。では縦糸になるものは?

それがこの映画の踊りで遍く名が知られることになる名ダンサー、ジョルジュ・ドンが踊るラベルの「ボレロ」。あのいつ果てるとも無く、繰り返し、繰り返し続くボレロのリズムに乗ってドンの引き締まった肉体が躍動します。ルルーシュにとっては物語を観客に完全に把握してもらう何ていう意識はまるで無かったのではないでしょうか。ひとえに欲しかったのは、あのウンザリするほどに長大な時間とその蔭に脈々と流れる時のリズム「ボレロ」。この両者があって初めて、この映画の言わんとするところが見えてくるように思えます。

Bolero1



ポスト・シベリウスのフィン国音楽界を担った作曲家の一人ウーノ・クラミ(Uuno Klami, 1900-1961)をご存知な方はどの位いらっしゃるでしょうか。孤独を愛し、孤独の内に亡くなったクラミの人生と音楽は、まるで国際社会における彼の国の存在意義のようにユニークで、好かれる者にはとことん好かれる一方、それを理解し難い者にとっては全くもって近寄り難い、深い森の中に人知れず横たわる湖のような存在です。

1931-32年にかけて作曲された「Sea Pictures」は、全曲演奏時間約24分のオーケストラ作品。文字通り霧の朝の情景を描いた第1曲A Foggy Morningから静かに始まり、時にシベリウスの後期作品もかくやと思われるほど峻厳な管弦楽の調べは一種独特です。そして、この曲を聴いていると、途中からあの何処かで聞いたことのある不思議な調べが聞こえて来るのです。

クラミは新聞の音楽批評を担当する他は、作曲だけを唯一の収入源とする孤高の音楽人生を歩みます。そんな彼が音楽以外に趣味としたこと、それはフィン国の森の中に果てしなく広がる湖で、一人舵を操るヨットに乗ることでした。Sea Picturesの第6曲(終曲)はForce 3 (Bf 3)とあります。これはヨットの帆が順風の風を受けて快走している様を表そうとしたのだそうです。この終曲で、途中で聞こえたあの曲の正体が明らかになります。そう、それは他ならぬラベルの「ボレロ」。

クラミがその曲を聴いたのは、ラベルが同曲を作曲して間もない1929年頃のウィーンであったと思われます。クラミは24-25歳の頃パリに学び、そこでラベルやストラヴィンスキーらの衝撃的な作品に出会い、その後20台の最後をウィーンで作曲の勉強をしながら過ごしていました。上記の曲を作ったのはその直後、はたして敬愛するラベルへのオマージュであったのか、はたまた盗作であったのか、現代であれば大きな問題となっていたかも知れません。そのクラミはやがて母国に戻り、音楽家としての栄光と忘却の浮き沈み人生を歩むことになります。そして61歳を過ぎたある日のこと、いつものように湖にボートを漕ぎ出し、そこで静かに息を引き取ったのだそうです。

まだヒットラー率いるナチスによるドイツが台頭する直前におけるヨーロッパ。華の都パリ、ウィーンと辺境の街ヘルシンキを繋ぐ一本の見えない糸で結ばれた物語。ボレロの哀しくて、それでいて力強い生命の脈動のような旋律とリズムは、国境を超えバルト海を超え、さらには遠く時の壁を超えてシベリア東端の島国にまで響き渡ります。


Klami13


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孔雀変奏曲
- 2007/06/19(Tue) -
何かとても静かで、大きな鳥が、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくるように感じました。私は自分の村の近くの侯爵家で、少女時代に働いていたことがありますから、その鳥が何である、すぐにわかりました。孔雀です。長いマントをまとった一羽のきれいな孔雀が、優雅なしぐさで、私に挨拶をしたのです。そしてその人は、自分がコダーイという名前の音楽の教師だと、自己紹介をしたあと、歌うのをしぶっている私の説得にとりかかったのです。
[中沢新一・山本容子著「音楽のつつましい願い」(筑摩書房)より]

上の情景は、コダーイとバルトークがハンガリー各地に残る民謡を採集するために、蝋管式蓄音機を持ってトランシルヴァニア平原のセーケイという名の貧しい村に来た様子を叙したところです。

歌って欲しいと懇願されたのは、当時結婚したばかりの若い農民の女性ローリンツ・マールタさん。村で一番歌が上手との評判を聞きつけて、村長のヤーノシュさんが、彼女に大学から来た有名な先生の前で歌うように依頼していたのですが、彼女はその気にならず断り続けていたのです。そこでコダーイ自らが蓄音機を持って彼女の家までやって来たという訳です。

Edison1


今日、SP、LPレコードの時代を経て、CD、さらには映像を含めたDVD、そしてさらに高音質のSACDと、音楽を録音する技術の進歩は凄まじいばかりです。が、その第一歩は、1877年エジソンが発明した蝋管式蓄音機だったのです。上に上げましたのは、1903年製作の蓄音機の写真です。コダーイが民謡採集のために人里離れた村々を回り始めたのが1905年ですから、おそらくこのような蓄音機を持って全国各地を回ったのでしょう。

コダーイは、マールタさんに向かって、彼女が知っている民謡が如何に価値があるかを熱心に説きました。その話を聞く内に、彼女は心を動かされます。そしてお母さんとおばあさんから教えてもらった歌の数々を歌うことを承知したのです。

この時に歌った民謡を基に、後年コダーイ(Zoltan Kodaly, 1882-1967)が管弦楽作品に仕上げた曲。それがハンガリー民謡に基づく変奏曲「孔雀」です(1938-39年作)。主題提示の後、第16変奏を経てフィナーレまで、全曲約25分くらいの曲。コダーイやバルトークって、現代作曲家の代表のように思われて、バーバリズムの権化のような音楽を想像されるかも知れませんが、今からもう70年近くも前の作品となります。5音階旋律の、とても東洋的で繊細な美しい音楽であることに、意外な印象を受けられる方も多いのではないでしょうか。特に第13変奏辺りから終曲にかけては感動的です。

なお曲名の「孔雀」は、元歌の歌詞の中で自由と平和の象徴として孔雀が登場していたことから取ったもので、コダーイは第2次世界大戦勃発直前のきな臭い雰囲気を察知して、平和希求の願いを託しながらこの曲を作ったものと思われます。

コダーイの前で歌を披露してから数十年後の1952年、その頃には野菜を売る小さな店を営んでつましく暮らしていたマールタさんは、今度は科学アカデミーの名刺を持ったとても偉い先生から秘密の依頼を受けます。ブタペストで行われるハンガリー民族学会の特別イベントとして、コダーイ先生70歳のお誕生日を祝う会の特別ゲストとして、歌を歌って欲しいというものでした。マールタさんは、何を歌ったらよいか考えに考えました。そして40数年前、コダーイの前でどうしても思い出せなかったおばあさんから教えてもらったある大切な歌を突然思い出し、それを歌うことにしたのです。


1956年に起こるハンガリー動乱とその後に続くソ連による圧政の前、ほんの一時見られた平和な時間を彩る微笑ましいエピソードであったように思われます。


Kodaly2

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子の七光り
- 2007/06/18(Mon) -
F. シュトラウスの「ホルン協奏曲作品8」という曲を、生コンサートで初めて聴きました。FはRの間違いじゃないのかって?いいえ、これで正しいのです。

R. シュトラウス(Richard Strauss, 1864-1949)が、ミュンヘン宮廷歌劇場管弦楽団のホルン奏者であった父親フランツ・シュトラウス(Franz Strauss, 1822-1905)の60歳の誕生日のために作った曲は、ホルン協奏曲第1番。成人後の絢爛豪華たる管弦楽法を予感させる若きシュトラウスの才気が溢れ出る傑作です。

作曲家R. シュトラウスがあまりにも有名になったお陰で、その父親の音楽家としての一面がクローズアップされました。上の曲は父親フランツが作った、演奏時間15分位の小協奏曲。スタイルも保守的で、モーツァルトのHr協奏曲ほど軽快でも無く、特にどうという新規性も見られ無い普通の曲。そのくせ音の跳躍や早いパッセージがあちこちに見られ、ソリストさんはさぞ大変だったのではなかったかしら。ホルン奏者の方、お疲れ様でした。


「親の七光り」っていう言葉がありますが、「子の七光り」っていうのはないのかな。上の曲なんぞ、正にそのように取り上げられた代表のような気がします。代々音楽一家であったようなバッハ一族などは別格として、大体親があまりに有名になると、その子供はその名前に負けて悲劇です。でもその逆に、子が有名になったお陰で歴史の闇から引き上げられる果報者もいます。この場合は、親としては鼻高々、悪い気はしないのでしょうね。

「オペラ座の怪人」「キャッツ」「スターライト・エキスプレス」などのヒット・ミュージカルで一世を風靡している感のAndrew Llyod Webber (1948-)の父親William Lloyd Webberは、オルガニスト兼作曲家でした。幼い頃のWilliamは、貧しい配管工であった父親が仕事を求めてまるで放浪するかのように、イギリス各地を旅するのに同行させられるという苦労を味わっています。ところがこの父親の唯一の趣味が、各地にある教会のオルガンを聞くことだったのです。それで耳の肥えた幼いWilliamが、大きくなったら何としてでもオルガンを弾きたいという夢を持ったことは何ら不思議ではありません。しかしWilliamの作品は、ごく最近まで本国ですら何ら顧みられることなく、知る人ぞ知るマイナーイギリス作曲家の一人として埋もれるところでした。

そのWilliam Llyoid Webberの作品ばかりを集めたCDがあります(CHAN 9595)。Serenade for Strings、Invocation、Aurora-tone poem for orchestraなど、とろけるような甘い旋律の曲の数々。それでいて劇的な所は十分な迫力も兼ね備えています。もしかしたら、これは子のAndrewよりも上なんじゃないかしらと思うことも。否、素晴らしい音楽家としての血がうまく受け継がれたと言うべきでありましょう。世界的チェリストJulian Lloyd Webber (Andrewの末弟)が演奏に加わっていることも、ちょっとしたポイントです。このようなCDが作られるなんて、よい意味で「子の七光り」以外の何ものでもないような気がします。


そう言えば、昨日は「父の日」だったんですねぇ。たった今、気が付きましたわ。


Webber2


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幻の滝
- 2007/06/16(Sat) -
前回イグアスの滝の記事で、不用意にも「世界4大瀑布」と書いてしまいました。これ普通「世界3大瀑布」と言います。
皆さん、ではその他の2つ、何処と何処か分りますか?

一つは、言わずと知れたカナダとアメリカ合衆国国境にあるナイアガラの滝。もう一つは、アフリカのジンバブエとザンビア国境にあるビクトリアの滝。これにイグアスの滝を加えて3大瀑布。皆国境にあるのが共通点です。美味しい観光資源は皆で分かち合いましょうっていう感じですね。

では、「4大」と言ったら何が加わるのか。お見せしちゃいましょう。

じゃじゃーん!

Angel1


この滝は、落差が979メートル。世界最長の落差を誇っています。流れ落ちる水は、あまりの落差のために地表に届く前に霧となってしまい、滝壺の無い、文字通り世界七不思議に数えられてもおかしくない驚異の滝なんです。地元原住民らに神様が住むと信じられている南米ベネズエラのギアナ高地にあり、エンジェルの滝と呼ばれています。ギアナ高地と言えば「ザ・ロスト・ワールド」の舞台ともなっています。確かにそんな雰囲気がムンムンと漂っていますね。

で、神様の山だから天使のエンジェルの名が付いたかって?いえいえ、そうではありません。この滝の発見は(西洋人にとってという意味、地元ではもちろん古くから知られていました)、何と20世紀に入ってから。1935年、パナマで職にあぶれて途方に暮れていたアメリカ人パイロット、ジェームズ・エンジェル(James C. Angel)のところに、突然金鉱山を捜し求めるメキシコ人エンジニアらが現れて、500ドル出すからギアナ高地までセスナを飛ばして欲しいと依頼されたことに始まります。

この仕事に飛びついたエンジェルは、一行と共にギアナ高地のテーブルマウンテンの上に着陸。そこで金の採取に成功します。この時の記憶が覚めやらぬエンジェルは、その2年後の1937年、今度は妻と地質学者ら2人を乗せて再度現地に向かいますが、その場所が分りません。この飛行中偶然発見したのが、この滝。それで、以来、エンジェルの滝と呼ばれるようになりました。

エンジェルらは、結局、高地の平坦な場所を何とか見つけ着陸したものの、足場が悪く再び離陸は出来なくなってしまいました。そのセスナ機を諦め、一行は11日間をかけて何とか徒歩で下山。1970年には、残されていたその飛行機が回収されたとのことです。そんないわく因縁のあるエンジェルの滝。凄いでしょう。



・・・・・



で、今日の音楽はどうしたかって?

あまりの高さに雲散霧消して何処かに消えてしまいました・・・とさ。

[管理人談:たまにはこんな「落ち」も...(^O^) ]

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イグアスの滝
- 2007/06/15(Fri) -
先ずは壮大な滝の風景から。

Iguas3


南米アルゼンチンとブラジルの国境にある世界4大瀑布の一つ、イグアスの滝です。


1986年カンヌ映画祭グランプリの栄冠に輝いたイギリス映画「ミッション」。18世紀中頃、スペイン統治下の南米パラナ川上流域では、布教のため本国から送り込まれた多くのイエズス会宣教師たちが、先住民族の激しい抵抗に会って次々と命を落としていました。こうした中、現地に送り込まれたガブリエル神父は、「音楽」を共通の言葉として次第に先住民らの心をつかんで行きます。

布教は難航しながらも徐々に成果を上げますが、農場での収益を平等に分配し、先住民奴隷らに支持される布教区は、植民地社会の有力者にとっては疎ましい存在となってしまいます。そんな折、スペインとポルトガル両国は南米の領土に関して国境の線引きを行い、その結果イエズス会の布教地区はポルトガル領に編入され、先住民や宣教師たちは退去が命じられてしまいます。宣教師たちの取った究極の選択、それはこの命令に背き、先住民らと共に支配者と戦うことでした。


布教の最初期、先住民らに受け入れられず、捕らえられた宣教師が十字架に括り付けられ滝に落とされてしまうシーンが、背景に流れるドラムのビート音と共に強烈に印象に残ります。

この映画の音楽担当は、イタリア人作曲家の巨匠エンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone, 1928-)。この人が音楽担当をした傑作映画は枚挙に事欠きません。このミッションで使われた2曲、「ガブリエルのオーボエ」と「滝」をオープニングにしたヨーヨー・マのアルバムは、それら傑作映画から名曲中の名曲を選び抜いた絶品のアンソロジーです。なお映画「ミッション」のオリジナル・サウンドトラック盤もあります。

この音楽を聴きながら、あなたも滝から落ちてみま・・・

Mission3


Mission4

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もったいない
- 2007/06/13(Wed) -
一気に暑い日々が続きます。日本全国で職場やご家庭のクーラーがフル稼働なのではないでしょうか。でもちょっと待って。お部屋の温度、冷え過ぎてはいないでしょうね。

「MOTTAINAI」運動は、ケニアの環境副大臣ワンガリ・マータイさん(ノーベル平和賞受賞)が日本のモノを大事にする精神を見習って提唱したキャンペーンです。もっとも近頃ポイ捨て当たり前の日本の現状をマータイさんはご存知なのでしょうか。更には命を粗末にする事件のニュースが後を絶ちません。過大評価されている本家としては、面はゆいばかりです。

ところで、もったいないことって、命やモノやエネルギーだけではありません。

あまり有名な作品があると、折角その芸術家には他にも素晴らしい作品があるのに顧みられることなく終わってしまうことがあります。「惑星」1発で広く知られるホルストは、その意味でとても可哀想です。彼には他に沢山傑作があるのに、実に「もったいない」。

Rodrigo2


3歳で罹ったジフテリアが原因で失明したスペインの作曲家ロドリーゴ(Joaquin Rogrigo, 1901-1998)は、自分を音楽の道に進ませたのはその障害の故であったと後に述懐しています。盲目の子供たちが集まるバレンシア音楽院に入学し、1927年にはパリに留学しました。そこで、後に生涯の伴侶となるビクトリア・カミに出会い、彼女から語り聞いたマドリード南部にあるアランフェス宮殿と町の美しい情景を音の絵に描いた作品「アランフェス協奏曲」が、帰国後のロドリーゴを一躍有名にします。

スペインと言えば闘牛、そして情熱的なギターのイメージが余りに強く、彼がピアノやヴァイオリンの名手であったことは殆ど知られていません。彼が残した膨大な管弦楽曲は、どれも明るく美しく、「アランフェス」1曲ですべて代表され、彼の他の曲を知らないでいるのは、余りにもったいない。Naxosから管弦楽作品がシリーズとして発売されていますが、意外にお薦めなのはBrilliantレーベルから出ている4枚組のボックス。

1枚目の第1曲がハープ協奏曲Concierto Serenata。もう軽快なリズムに乗って現れるハープの調べ、一遍聴いただけで虜になってしまいました。実はこの曲、ある方から教えて頂きました。そうでなかったら、おそらく一生知らないでいたかも知れません。本当に感謝感激です。軽やかで美しいハープの音色にホァ〜ンとしたかと思えば、時々わざと外したようにおどけるブラスの一吹きが笑いを誘います。日頃の暑さ・憂さを吹き飛ばすには格好の音楽。同梱の他の曲もとても素敵です。居ながらにして地中海の陽光を浴び、スペインの風に身をまかす。環境にもお財布にも優しいエコな贅沢、如何でしょうか。♪(*^_^*)v
 
Rodrigo3

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故郷回想―アッテルベリ交響曲第2番
- 2007/06/13(Wed) -
思い出が色褪せるどころか、益々その色合いと輝きを増すことがあります。


1941年製作、ジョン・フォード監督のアメリカ映画「わが谷は緑なりき」。古典中の古典です。

この映画の舞台は、19世紀末頃と思われる真っ黒なボタに埋め尽くされたウェールズのとある炭鉱町。一時は栄えに栄えた炭鉱で、古くからその仕事に就いていた町の人々が、より安い賃金で働く大都会から流れて来た労働者らに取って代わられ、やむなく新天地を求めて故郷を離れざるを得なくなった時代を、主人公がほろ苦くも懐かしく回想するシーンで始まります。

「母のショールに荷物を包み、私は谷を離れようとしている。二度と戻ることはあるまい。50年間の思い出が眠る谷。・・・・・目を閉じると現在は消え去り、懐かしい谷が見える。緑に染まった谷は、ウエールズで一番美しかった・・・。」

MyValley2


白黒映画なのに、本当にその谷は緑で覆われていたかのように錯覚するのが不思議でなりませんでした。ストーリーをかいつまんでお話すると・・・

主人公が未だ学校にも行かない少年であった頃、見るもの聞くものすべてが新鮮で、父や兄たちの鉱夫の仕事は憧れに他ありません。そんな幸せの只中に徐々に忍び寄る不況の影。自分たちの生活を守るため組合を作ろうと古くからの労働者らが一致団結しますが、生真面目でそういうものに馴染めない主人公の父親は、頑なに組合活動参加を拒否します。

町の人々から浴びせられる白い眼。母は必死に父と家族を守ろうとしますが、ある冬のストライキの夜、母子は氷が張った極寒の川に落ちてしまいます。・・・そんな悲喜こもごもの毎日の中、少年は兄に嫁いで来た花嫁に恋心を抱き、また大学を出てその町の教会に赴任したばかりの牧師に実姉が恋するのを目撃する・・・。

どんなに足掻こうと時代の波には逆らえず、やがて兄たちは、遠くアメリカへ、カナダへ、ニュージーランドへと仕事を求めて旅立って行かざるを得なくなります。故郷に留まった少年も、おそらくは幾多の艱難辛苦の人生を経て、ついには故郷を離れる時がやってきました。そこで冒頭の古き良き昔を回想するシーンとなるのです。



全編親しみやすい旋律に溢れ、まるで幼い頃に過ごした故郷を思い出すような懐かしさに満ちた音楽があります。スウェーデンの作曲家アッテルベリ(Kurt Atterberg, 1887-1974)の交響曲第2番ヘ長調(1911-12年作)。

前世紀のスタイルから抜け出ていないなどという批判も何のその。そのとりわけ美しい第1楽章や第2楽章の旋律美は、とても口では言い表せません。東雲(しののめ)の空にさえずる鳥の鳴き声が聴こえるような出だしから、時に激しい嵐が来ようとも、すべては美しい緑の谷と映る、そんなノスタルジックでセンチメンタルな名曲です。


故郷を離れて長い年月が過ぎました。もう私はそこに二度と戻ることはありません。

How green was My valley...


Atterberg1

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エルガーの「マタイ」―ゲロンティアスの夢
- 2007/06/11(Mon) -
再び遠藤周作さんの「沈黙」から。日本に潜入したパードレ(司祭)セバスチャン・ロドリゴが捕らえられ、幾多の試練と精神的拷問の末、それまで自分の生涯の中でも最も美しいと思ったもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む場面です。


踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。
こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。


Christ4

[15世紀のイタリア人画家Antdrea Mantegna作「キリスト受難」]


敬虔なクリスチャンであったエルガー(Edward Elgar, 1857-1934)は、パーセル以来音楽不毛の地と言われたイギリス音楽界に復興の栄誉を授けられた大作曲家です。本当は彼の出現まで、決して不毛であったわけではなく、結果的に約200年間、いわゆる大陸で活躍したバッハ、ベートーヴェンやブラームス級の大作曲家が現れなかっただけなのです・・・(この間の事情については別な機会にもう少し詳しく述べてみましょう)。

エルガーは素晴らしい管弦楽曲の数々のみならず、声楽分野においても宗教曲の大作を幾つか、そして数多くの教会合唱曲を作っています。そのどれもが美しいハーモニーと神への愛に溢れ、大作曲家の名に恥じない傑作群です。もしもその中で1曲だけを選べと言われたら、多くの人は「ゲロンティアスの夢 The Dream of Gerontius」(1900年作)を選ぶのではないでしょうか。

この作品、Gerontiusという信心深い人物(キリストの分身と考えられます)が死の床にあって、いよいよ神の裁きを受けるというCardinal Newmanの詩をテキストに用いています。バッハの「マタイ受難曲」と同じく、キリスト受難の最後を描いた、謂わばエルガーの「マタイ」と言っても良い作品でしょう。最後の審判の主題に始まり、恐れと祈りのテーマを交互に登場させ、Gerontiusが司祭と苦悶の問答の後、神と対峙する過程が劇的に綴られます。

そして、いよいよラストのクライマックス。Gerontius(テナー)が残った最後のエネルギーを搾り出すように悲痛な声で神に助けを求めます。

Jesus...Jesus...

しかし、神は何もお答えにはなりませんでした。※

Gerontiusの絶叫が天空に響き渡ります。

Take me away, take me away...

もう此処は何度聴いても涙がどっと溢れるシーンです。

[※管理者注:此処の解釈はキリスト教の根幹に関わる問題で、私は何もなさなかったのではなく一緒に苦しんだのだと理解しています]

やがてありとあらゆる苦悩を慰めるように、総ての穢れたものを清めるように、やさしい天使の歌声(メゾソプラノ)が天国から聴こえて来ます。涙で頬を濡らしながら、ただもう頭を垂れて祈りを捧げるしかありません。


Elgar1

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大都会の夜
- 2007/06/10(Sun) -
Daugherty2


いきなりどアップの顔写真ですいません。m(__)m
いかにもアメリカンなこの人物が誰であるかは、最後に紹介致します。

それくらいの衝撃でしたね。私のアメリカ初上陸は。(以下のお話は、9.11 World Trade Center崩壊前の体験です。)


世界に君臨する合衆国というものを、一度くらいはこの眼で見てみたいと行きました。そして、どうせ行くならと選んだ先はビッグアップル・ニューヨーク。到着の空港はJ.F.ケネディ国際空港。もう本丸へ一気呵成の突撃でした。空港からダウンタウンまではシャトルバスで。見上げればそこは正に摩天楼。いやあ、ついに来ましたアメリカ!

ホテルは、いつもなら行き当たりばったりで決めるのですが、さすがに初めての大都会。おとなしく旅行代理店の言う通り、最初の夜だけはと予約しておきました。本場のミュージカルを生で見たいと思っていましたから、場所はブロードウェイ街、名にし負う42nd Street沿いのとあるホテルを。

早速チェックインとReceptionに向かったは良いけれど、いきなりNYなまりの英語は早口で何を言っているのかサッパリ。(@_@;)
何度も何度も聞き返して、すったもんだの挙句やっと部屋に入れました。その日は飛行機の疲れもあり、バタンキュー。

市内では格安のホテルを選んだつもりでしたが、それでも1泊100ドル近いホテル代はこれからの旅の費用を考えると痛いです。それで翌朝からさらに安宿を探すため街の中をうろうろ。探せばあるものです。60ドル、50ドル、40ドル・・・と。午後になって、ついに見つけました戸口に1泊20ドルの張り紙を。

喜び勇んで戸を押す私。

‘May I have a room tonight?’
‘Sure. Where're you from?’
‘From Japan’
[以下略・・・手抜きですみません(^_^;]

部屋を見せてもらっていると、何やら隣室の人たちがゾロゾロと一体どんなnew faceが来たのかと顔を出してくる。ほとんど黒人の若者であったり、おばちゃんたちばかり。今考えたらホテルというより、その街で働く労働者たちの常宿だったのですね。さすがにその時も、これはマズイかなと一瞬思ったけれど、安さの魅力に負けました。結局その夜はそこに泊ることに。

部屋の鍵はボロイながら掛かりました。ところが寝る時になって、窓の留め金が無いことに気が付きました。ベランダこそ無いけれど、その気になれば隣の部屋から簡単に侵入できそうです。そんな遅い時間に部屋を変えてもらうのはどう見ても無理、仮に他の部屋に移っても似たり寄ったりでしょう。

窓のことが気になり、おちおち眠りにつけません。しかも安宿ですから防音もクソもありません。ニューヨークは不夜城の街。絶えず車のクラクションやパトカーのサイレンが聞こえます。極めつけは時折聞こえるパーンというエンストだか、銃声音だか分らない怪しい物音。結局ほとんど一睡も出来ないまま朝を迎えてしまいました。う〜ん、眠いよぉ。こんな時はお金をケチるものではありませんね。っていうか、皆さん、こんな危ないマネを絶対にしてはいけませんからね。

と言う訳で、今日の音楽はMichael Daugherty (1954-)のMetropolis Symphony (1988-1893年作)。いきなりのホイッスル音から始まり、打楽器群大活躍のエネルギッシュで爽快な音のページェント。それでいてアッと驚く美しい瞬間もあり、正に24時間眠ることのないニューヨークの街を体験出来ます。

ところで冒頭の写真はDaughertyのプロフィールでした。ドラマーを父親にテキサス生まれのタフガイ。なかなかナイスなお顔でしょ。DaughertyのHPはこちらです。↓ 他の作品も試聴できますよ。ビバ、アメリカ!

http://www.michaeldaugherty.net/


Daugherty1



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不定冠詞
- 2007/06/09(Sat) -
無名名曲の英訳は、‘unknown masterpiece’となるのでしょう。

もし、ある1曲が知られざる名曲であれば、‘an unknown masterpiece’。不定冠詞‘an’であるところに意味があります。話相手の誰かさんとその曲を特定して指せば、‘the unknown masterpiece’。しかし、この呼び方はそぐわない気がします。誰もが知っている無名名曲。

・・・・・

何か変です。(^_^;


ユダヤ系ロシア人シュニトケ(Alfred Schnittke, 1934-1998)は、ユニークな作品を沢山残しています。コラージュ手法の大好きな彼の交響曲は、結構お茶目な作曲家であったことを伺わせます。

彼はロシア同時代の作曲家のご他聞にもれず、非常に多くの映画音楽も書いています。今手にしているとある映画作品のタイトルは、‘The story of an unknown actor’。このCDのブックレットはロシア語で書かれており、唯一英語となっているタイトルの不定冠詞‘an’と形容詞‘unknown’が、反ってどんな物語なのか想像を掻き立てます。

曲は主題とそれに基づく12の変奏曲。いつまでも不定冠詞を付けて呼ぶのはもったいない名曲です。

Schnittke4

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最後の一句
- 2007/06/09(Sat) -
「お上のすることに間違いはございますまいから」

これは森鴎外の小説『最後の一句』の中で、船荷横領の罪で死罪に処せられる父親桂屋太郎兵衛の助命のために奉行所に願い出た長女いちの、役人に対して最後に付け加えた言葉です。

いちはその時まだ少し顔にあどけなさの残る16才。太郎兵衛には6人の子がありましたが、当年6才になる末っ子は実子ではなく、いちは末弟を除く自分他妹弟5人の命を代わりに差し出したいと奉行所に嘆願したのです。

私が高校の1年生であった国語の時間の思い出です。先生にこの作品を朗読するように当てられた生徒が、小さいながら、しかし実にしっかりした声で読み上げるのを、クラスの皆はじっと耳を傾けたのです。彼女の声は、まるでいちのそれと重なるようでした。最後のいちのせりふの段にかかる時、突然彼女の声は止まり、沈黙が訪れました。彼女の眼にはいっぱいの涙をたたえ、暫くのちに嗚咽の声が聞こえて来たのです。

鴎外はいちの最後の言葉で、それまでの総てを塗り替える一瞬を作り上げることに成功しています。鴎外が歴史小説という領域に踏み出した代表作の一つですから、ご存知の方も多いことでしょう。もし未読という方は、お時間がありましたら以下のサイトで全編の朗読を聴くことができます。

http://www.voiceblog.jp/ted606/102164.html


最後の瞬間で言いたいことが総て分るという音楽作品はあるものです。今日はそのような、ラストの瞬間にそれまでの総てが一変する作品をご紹介することに致しましょう。

クラシックは勿論、映画音楽、ライト・ミュージックや吹奏楽まで幅広い活動をしたアーノルド(Sir Malcolm Arnold, 1921-2006)作品の特徴は、同時代に活躍した他の作曲家にしばしば見られる近寄り難い難解さがほとんどなく、聴いてすぐにメロディーラインをなぞることが出来ることです。そのため曲を知らなくても、彼のCDを選ぶなら失敗が少ないとよく言われます。

アーノルドの交響曲は、作曲時期が第1番1949年から始まり、1986年の第9番まで、彼の充実した作曲人生全体に渡っています。ちょっと明るめのショスタコーヴィッチ風っていう感じでしょうか。どの曲もめりはりが効いていて、だれることがありません。どの作品も捨て難いのですが、お勧めの作品を敢えて一つ選ぶなら第5番でしょうか。第2楽章が極めて崇高かつ美しく、一方第3楽章は他に類を見ないほど刺激性があり、また第4楽章は急にふっと消えるように終わるなど、印象的な場面が多いからです。

そんな聴き易かったはずのアーノルドにしては、異常な作品が交響曲第9番です。9曲の交響曲のジンクスについては、皆さんよくご存知かと思います。ベートーヴェン、ドヴォルザークなどなど。イギリスでは、RVWが9番で終わっています。アーノルドご本人がどうお考えになっていたか、知る由もありません。しかし彼は第9番の作曲に当たり、相当苦悩されたことは確かなようです。その原因は、作曲当時年令が主たる理由と思われる創作意欲の極端な低下に悩んでいたからでした。事実第9番は、本来期待されていた締め切り期日には間に合わず、1年遅れの1986年に完成しています。

こうした経緯が影響していたのかどうか、最終第4楽章レントは、全曲50分の約半分近くを費やし、苦悩の痕跡をありありと残しています。それを初めて聴いた印象は、まるでチャイコフスキー「悲愴」の最終楽章でした。そんな作品が、最終的にたった18日間で書き上げられたことは驚異としか言いようがありません。

音楽は、ゆっくりと時間をかけて歩み続けます。しかし、ベクトルは確実に下方に向かっており、しかも息も絶え絶えになって行く・・・
アーノルドが何を思ってこのような終楽章にしたのかは謎です。しかし、あの進行はチャイコフスキーを意識していなかったはずはないと思われました。聴いていてあまりに心苦しく、痛々しく、窒息しそうになります。そんな苦渋に満ちた作品ですが、最後の最後で突然それまでの悲痛さとは打って変わった静かな安息のニ長調の和音で締めくくられます。それは暗黒の雲に覆われた空にまるで一条の光が差したよう。ああ、これで救われる〜〜。

NaxosのCDには、演奏に当たった指揮者Andrew Pennyと作曲者とのインタビューが同梱されています。「あの最後の和音が無かったなら、(人生への)絶望的なまでの完全な屈服(complete surrender to despair)ですね」と踏み込んだ質問に対して、作曲者は口ごもりながらもそれを認めています。

終わり良ければすべて良し。

Arnold9

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- 2007/06/07(Thu) -
『袖触れ合うも他生の縁』 『縁は異なもの味なもの』

人間、予想もしないところで、これまた普通なら考えられない人との縁が生まれたりします。先週私の職場に、中学・高校と音楽を専門に勉強され、やがては指揮者になるべく教育を受けられていた才媛の方が訪ねて来られました。

用件は全く別だったのですが、ひょんなことから趣味の話になり、ついつい音楽談義に花が咲き、件の履歴が分った次第です。今はいろいろな事情から指揮者になる夢は断念されたとのこと。しかし、その方の実力は相当なものとお見受けしました。そんな方が、もしかすると私の職場に来られることになるかも知れません。はたしてどんな縁が生まれるものでしょうか・・・。


話は変わって、2002年に公開された中国映画「北京ヴァイオリン」(チェン・カイコー監督)は素晴らしい音楽映画です。将来中央の音楽界でヴァイオリニストとして活躍することを夢見て、田舎から大都会北京に出て来た少年とその父親の物語です。現代中国における弱肉強食の音楽教育界の実情とコンクール裏話を知ることも出来、加えて親子の秘話がそっと交えてあり、観客の心と興味をぐいぐいと惹きつけて止みません。ラストシーンにおけるチャイコフスキーのVn協奏曲第3楽章の白熱した演奏、これは本当に鳥肌ものです。涙無くしては観ること語ることができない第一級の音楽映画。ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。

Pekin1


この映画の中で、少年が最初に師事したピアノの先生が、もう自分にはこれ以上教えることは無いと少年に別れを告げるシーンがあります。普段であればみすぼらしいなりの先生が、その日ばかりは特別に身綺麗にして弾くピアノの調べ。これが、とても美しい曲でした。

長い間その曲が何であるか、気になって仕方が無かったにも拘わらず分らず終いであった私に、その曲名を教えて頂いたのは、ネットで知り合ったこれから音楽の道に本格的に進まれようとされているとある方でした。リストのコンソレーション第3番。何年も経って氷解する疑問ってあるんですね。これも不思議な縁です。


19世紀ロシアの作曲家と言えば、チャイコフスキーを筆頭に大地を滔々と流れる大河のように息の長い旋律や宮廷舞踏会の華やかなワルツの優雅さを思い浮かべます。そんないかにも民族楽派らしい音楽の源流は、シベリアの大地に歌い継がれて来た民謡と共に、やはり西方から入ってくるクラシック音楽の調べでした。グリンカ、ムソルグスキーらと並んでロシア国民楽派台頭の礎を担ったバラキレフは、ショパンやリストのピアノ作品から多くを学んでいます。

そしてここにもう一人、ショパンを敬愛してやまないウクライナ生まれの作曲家リャープノフ(Sergei Ryapunov, 1859-1924)を忘れてはなりません。綺麗な民謡を奏でる木管楽器のすぐ後にズーンとお腹に響くピアノに驚かされる冒頭から、煌くピアニズムの中間部、そして一気にドンちゃん騒ぎの終結部になだれ込む快作「ウクライナの主題に基づくピアノと管弦楽のための狂詩曲」(通称ウクライナ音頭とも呼ばれる(笑))や、ロマンティックPコンシリーズを飾るにふさわしい2つのPコンなどが知られています。

リャープノフがショパンの生誕地ポーランドの町Zelazowa Wolaを訪ねたのは、偶然この町が翌年にショパン生誕100周年を祝おうとしていた1909年のことでした。今は博物館となっている生家の静かな雰囲気とショパンの精霊に触発されたリャープノフは、ポーランド民謡をふんだんに取り入れた交響詩「Zelazowa Wola」を作曲しました。ウクライナ人作曲家らしからぬ木目細かく優しいメロディーに魅了されながら、縁あった人の来し方行く末に深く想いを巡らして午後のひと時を過ごしています。

SymPoemRussia1

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ケルティック・ハープ
- 2007/06/03(Sun) -
管理人はアイルランドの聖人の名前を冠した某幼稚園で初めての教育を受けました。裾が地面に触れんばかりの黒衣のシスターたちが先生で、毎週始めには訳も分らずに大きな礼拝堂で行われていたミサにも参加していたように記憶しています。まさかそんな小さい頃に縁を持った国と音楽に成人して惹かれるとは、その時は想像も出来ませんでしたけれど・・・。

先日も書きましたが、アイリッシュ・ミュージックは何と心に響くのでしょう。チーフテンズやクラナドのようにアイルランド伝統音楽を長年演奏しているミュージックグループ。その土の香りのしたトラッドも良いけれど、ケルト音楽のエッセンスをより洗練されたアイリッシュ・ハープの調べとして聴かせてくれるアメリカのハーピストAryeh Frankfurterの演奏は、どの曲を聴いても必ずや夢の世界に連れて行ってくれる私の大のお気に入りです。ARC Music Int.からCDが出ています。

盲目の作曲家O'Carolanの曲ばかりを集めた1枚のCDは、旅行の際には必ずや携えると言ってよいくらい私の宝物となっています。そして下にご紹介するもう1枚のCD。その中の1曲「The Morning Dew」では、飛び散る水玉のように光輝く金属弦ハープの美しい音色をバウロン(ボーロンとも呼ばれる片面張りの太鼓)の響きが力強く支え、アイルランド音楽の持つ不思議なエネルギーを実感させてくれます。他にも「Samhradh, Samhradh (Farewell to Ireland)」などなど、聴きどころは満載。この音楽を聴いて明日への活力を漲らせてみたいです。

CelticHarp1



[この数日間、多少無理を押して記事をまとめてアップしました。このところ続く仕事での多忙その他により、ただ今体調を大幅に崩しております。そのため暫く更新を休ませて頂くことをお断り致します。身体が回復しましたら、また続けたいと思います。管理人より]

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デュカの交響曲
- 2007/06/03(Sun) -
一発芸、受ければこれ程印象に残るものはないけれど、外れればこれ程悲惨なものはありません。

どんな職場でも新らしい人が入って来ると、新人歓迎会なるものがあったりして自己紹介などをやらされるものです。最近そんなものが管理人の所でもありました。名前だけを述べて、後は「よろしくお願いします」と簡単に済ませる者あり。中には漫才を始める豪の者ありと、とても賑やかでした。

中には「誰々のモノマネ」と称して、ほんの一言を発する一発芸を披露する者がいまして、冒頭の感想を持った次第です。


ヨーロッパの街を歩いていると、至る所で長い歴史と文化の伝統を感じさせてくれます。たとえば角を曲がれば突然に教会が現れて、どんなに早朝の外れた時間であっても誰かしら祈りを捧げる姿が1人2人居て、その街の人々がキリスト教と不即不離の関係にあることを実感するのです。パリのセーヌ川のほとり、サン・ジェルマン・ロクセロワ教会の静かな、とても静かな堂内の薄暗い灯りの下で、ただひたすらに頭を垂れ祈っている人影を見て深い感慨を覚えずにはいられません。振り返って見上げれば、其処には壮大なパイプオルガンが。耳には聞こえないけれど、堂々の調べを鳴らしている錯覚に陥ります。

Paris2


Paris1


19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランス人作曲家の作品は、他のどの国よりもキリスト教との関係を意識せざるを得ないような気がします。もちろん印象派の作品群は、そうした束縛から離れた夢世界のお花畑のようなものかも知れません。しかし、それ以外の多くの作品は何処かに教会の持つ強力な影響を色濃く滲ませるものであり、場合によってはそれからの完全開放を目指したように思います。

ディズニーの映画「ファンタジア」の中でミッキーマウス演ずる「魔法使いの弟子」。一発芸と言ってもよい程に、この1曲のみで誰もが知っているデュカ(Paul Dukas, 1865-1935)は、作曲家兼音楽評論家であり、そして後にはパリ音楽院の作曲科教授として長らくパリの地で活躍しました。

デュカは大変自己批判の強い音楽家でした。彼の音楽批評の鋭い目は、ベルリオーズ亡き後フランス音楽界の沈滞を突き破るように現れたサンサーンス、フランク、ドビュッシー、ラベル、そしてセンセーショナルなパリデビューを飾ったロシアのストラヴィンスキーなどの輝かしい才能を前にして、自作のほとんどを破棄する程だったのです。

1895年、30歳の時作曲したデュカの交響曲ハ長調。サンサーンスの交響曲の持つ開放的な神への賛歌や、フランクの交響曲に見られる禁欲的な、しかし止め処ない神への愛。それらとは全く違った美の結晶をこの曲に聴くことができます。他人に厳しい以上に自らに厳しく。わずかに残された作品から、彼の神に対する深い祈りと孤独な精神を感じ取るのは私だけでしょうか。

Dukas1

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沈黙
- 2007/06/02(Sat) -
「モキチは強か。俺(おい)らが植える強か苗のごと強か。だが、弱か苗はどげん肥しばやっても育ちも悪う実も結ばん。俺のごと生まれつき根性の弱か者は、パードレ[注.司祭]、この苗のごたるです」

上のセリフは遠藤周作さんの小説「沈黙」の中で、17世紀初め切支丹禁制の長崎に艱難辛苦の上はるばるポルトガルからやって来た司祭を手助けするフリをしながらも裏切り、役人にこの異国人の存在を密告した貧しい農民キチジローが、司祭が捕吏される直前のシーンでつぶやいたものです。

人間には生まれながらに2種類があります。「強い者」と「弱い者」と。「聖者」と「平凡な人間」と。強者はたとえ過酷な迫害にあっても信仰のためなら耐えることができます。しかし、虐げられ疲れ果てた弱者は目の前に差し出された食べ物や金銭の誘惑に抗する力無く、ただもだえ苦しみ足掻くのです。

切支丹一掃のために日本人があみ出した絵踏みの陰湿さ、弾圧の残忍非道さは、当時より遠くヨーロッパにも広く知られていました。しかし、人間にはなす術も無く、神はかほどに苦しむ民や殉教の聖職者たちをじっと眺めるのみで、かたくなに沈黙を守り通したのです。

Nagasaki2



スコットランド生まれの作曲家James MacMillan (1959-)は遠藤周作さんの訃報を知り、氏の冥福を祈って交響曲第3番「沈黙」を2002年に作りました。敬虔なカトリック信者として、また徳川家康から家光の時代、長崎における激しい切支丹弾圧を淡々とした筆致で描いた同作を永遠に記憶するものとして、マクミランはこの作品の冒頭から東洋的な音階を用い、現代音楽らしからぬ平易さをもって聴衆の心に訴え掛けて来ます。全曲演奏時間約38分の管弦楽のための作品です。

ラシ〜ラ・ラシ〜ドミ〜ドシ〜

フルートとシロフォンの奏でるメロディーは人間の持つ哀しさ、激情、怒り、諦め、絶望・・・(喜び・楽しみを除く)ありとあらゆる感情を鋭く表現しています。クライマックスにおける一瞬の全休止。恐ろしいまでの「沈黙」です。

Macmillan

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砂漠に咲く薔薇の花
- 2007/06/02(Sat) -
3年近く暮らした米国をいよいよ離れる時、知人が小さな「砂漠の薔薇」をプレゼントしてくれました。

「砂漠の薔薇」ってご存知ですか? 砂漠地帯の湖などが干上がる時に、溶け込んでいた透石膏や重晶石などが砂の中に析出し、まるで薔薇の花が咲いたように見える石なんです。

DesertRose


DesertRose3


私が頂いたものはこれらの写真のように姿形が美しく整ったものではありませんでしたが、それでも微かに薔薇の形を留めたものではありました。この石に何か願い事をすると、神様はその願いを叶えてくれるのだそうで、そんな貴重なものならばと机の引き出しの奥の方に大事にしまって置いたのです。

その後そのことをすっかり忘れていた私は、ある日アメリカの作曲家Robert Moran (1937-)のオペラ「薔薇の砂漠」から5曲だけ抜粋された盤(POCL-4092)を聴いている内に、はたと思い出しました。加えて偶然その頃、その石に願いをかけるにふさわしい状況があったのです。それで私は迷うことなくお願いをしてみました。

はたしてその効果であったのか、あるいは無かったのか。その答えは神のみぞ知ることです。ひょっとしたら石の形が崩れていた分だけ、効力が弱くどこか肝心なことが抜けているのかも知れません。しかし、様々な苦難はあれど、ともかくも無事に切り抜けているように思えます。願わくば、その幸運がいつまでも続きますように。


Moranの「薔薇の砂漠」。ミニマル風の音楽の中に、ソプラノの美しい歌声が、第2曲目では既にこの世にいない父に向かって、第4曲目では悩める恋人に向かって、やさしくやさしく語りかけます。第5曲の終曲では、天国へ誘う美しいメロディーにただもう涙しかありません。


I can go? I can go to my father?
And I'll keep this ring on
I'll promise I'll come back・・・

See yourself in me and forgive me
Let me love you
Let me take your place
Let me free you・・・


1992年作の現代音楽の中に限りない愛と優しさを見つけました。

この世の中はお互いに助け助けられです。

Moran6

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忙中カンあり
- 2007/06/01(Fri) -
このところ毎日がとても忙しい。自分を見失ってしまいそうなくらい忙しい。セカセカワサワサ。。。。

こんな時は音楽をゆっくり聴いている暇がありません。毒をもって毒を制す。いっそガチャガチャの騒音で耳を麻痺させてしまいましょうか。

チャップリンの「モダン・タイムス」という映画をご存知でしょうか。1936年製作の白黒映画です。既にトーキー映画が作られ始めているこの時代にあって、依然としてサイレント映画に拘っていたチャップリンでしたが、この映画では本人による自作の歌が入っており、後の「ライムライト」で存分に発揮される彼の非凡な音楽的才能が垣間見えます。

「モダン・タイムス」は、毎日毎日工場で単調なネジ留めの作業をする工員が、あまりの忙しさのために発狂してしまう姿を喜劇として描きながら、現代の機械化社会到来を見事に予言し、その問題点を鋭く風刺した作品です。

この映画に遡ること約20年前の1917年、ロシアは人民革命により完全に共産主義化、労働者による労働者のための国家となりました。しかしながら、工場で働く労働者らの生活環境が革命前に比べて良くなったかと言えば、必ずしも改善したとは言い難く、むしろ革命指導者らによる新たな強制弾圧の下、ある意味でより人間性を喪失した社会になってしまったとも言えます。

「モダン・タイムス」が機械優先社会の非人間性を際立たせたのと同じように、それを音楽で表現した作品があります。モソロフ(Alexandr Mosolov, 1900-1973)の「鉄工場 The Iron Foundry」がそれ。この曲は、正にカンカンとした機械音が全編に鳴り響く描写音楽です(1928年作)。と言いますより、工場の実況中継そのものと呼んでもよいかも知れません。たった3分間の小品ですが、元々はバレエ音楽「鋼鉄」の中の1曲として作曲され、それが未完に終わったためにこの1曲だけが残ったらしいです。

ロシア音楽にはシベリアの大地に根ざした骨太の旋律一杯の素晴らしい作品がゴマンとあるのに、よりによってそんな変てこな曲を選ばなくても・・・という声が聞こえそうです。しかし、へそ曲がりが狂った結果に選んだ曲だと思えば、何ということはありません。ある意味でとってもロシアらしい曲でもあります。

これで忙しさなんか蹴散らせてしまえ!
☆★※▲▽*● (ノ≧∇≦)ノ ミ ┸┸オリャァァァァァ!!!

Mosolov1

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