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猫に○○○
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- 2007/06/21(Thu) -
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大都会の夜
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- 2007/06/10(Sun) -
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![]() いきなりどアップの顔写真ですいません。m(__)m いかにもアメリカンなこの人物が誰であるかは、最後に紹介致します。 それくらいの衝撃でしたね。私のアメリカ初上陸は。(以下のお話は、9.11 World Trade Center崩壊前の体験です。) 世界に君臨する合衆国というものを、一度くらいはこの眼で見てみたいと行きました。そして、どうせ行くならと選んだ先はビッグアップル・ニューヨーク。到着の空港はJ.F.ケネディ国際空港。もう本丸へ一気呵成の突撃でした。空港からダウンタウンまではシャトルバスで。見上げればそこは正に摩天楼。いやあ、ついに来ましたアメリカ! ホテルは、いつもなら行き当たりばったりで決めるのですが、さすがに初めての大都会。おとなしく旅行代理店の言う通り、最初の夜だけはと予約しておきました。本場のミュージカルを生で見たいと思っていましたから、場所はブロードウェイ街、名にし負う42nd Street沿いのとあるホテルを。 早速チェックインとReceptionに向かったは良いけれど、いきなりNYなまりの英語は早口で何を言っているのかサッパリ。(@_@;) 何度も何度も聞き返して、すったもんだの挙句やっと部屋に入れました。その日は飛行機の疲れもあり、バタンキュー。 市内では格安のホテルを選んだつもりでしたが、それでも1泊100ドル近いホテル代はこれからの旅の費用を考えると痛いです。それで翌朝からさらに安宿を探すため街の中をうろうろ。探せばあるものです。60ドル、50ドル、40ドル・・・と。午後になって、ついに見つけました戸口に1泊20ドルの張り紙を。 喜び勇んで戸を押す私。 ‘May I have a room tonight?’ ‘Sure. Where're you from?’ ‘From Japan’ [以下略・・・手抜きですみません(^_^;] 部屋を見せてもらっていると、何やら隣室の人たちがゾロゾロと一体どんなnew faceが来たのかと顔を出してくる。ほとんど黒人の若者であったり、おばちゃんたちばかり。今考えたらホテルというより、その街で働く労働者たちの常宿だったのですね。さすがにその時も、これはマズイかなと一瞬思ったけれど、安さの魅力に負けました。結局その夜はそこに泊ることに。 部屋の鍵はボロイながら掛かりました。ところが寝る時になって、窓の留め金が無いことに気が付きました。ベランダこそ無いけれど、その気になれば隣の部屋から簡単に侵入できそうです。そんな遅い時間に部屋を変えてもらうのはどう見ても無理、仮に他の部屋に移っても似たり寄ったりでしょう。 窓のことが気になり、おちおち眠りにつけません。しかも安宿ですから防音もクソもありません。ニューヨークは不夜城の街。絶えず車のクラクションやパトカーのサイレンが聞こえます。極めつけは時折聞こえるパーンというエンストだか、銃声音だか分らない怪しい物音。結局ほとんど一睡も出来ないまま朝を迎えてしまいました。う〜ん、眠いよぉ。こんな時はお金をケチるものではありませんね。っていうか、皆さん、こんな危ないマネを絶対にしてはいけませんからね。 と言う訳で、今日の音楽はMichael Daugherty (1954-)のMetropolis Symphony (1988-1893年作)。いきなりのホイッスル音から始まり、打楽器群大活躍のエネルギッシュで爽快な音のページェント。それでいてアッと驚く美しい瞬間もあり、正に24時間眠ることのないニューヨークの街を体験出来ます。 ところで冒頭の写真はDaughertyのプロフィールでした。ドラマーを父親にテキサス生まれのタフガイ。なかなかナイスなお顔でしょ。DaughertyのHPはこちらです。↓ 他の作品も試聴できますよ。ビバ、アメリカ! http://www.michaeldaugherty.net/ ![]() |
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最後の一句
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- 2007/06/09(Sat) -
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「お上のすることに間違いはございますまいから」
これは森鴎外の小説『最後の一句』の中で、船荷横領の罪で死罪に処せられる父親桂屋太郎兵衛の助命のために奉行所に願い出た長女いちの、役人に対して最後に付け加えた言葉です。 いちはその時まだ少し顔にあどけなさの残る16才。太郎兵衛には6人の子がありましたが、当年6才になる末っ子は実子ではなく、いちは末弟を除く自分他妹弟5人の命を代わりに差し出したいと奉行所に嘆願したのです。 私が高校の1年生であった国語の時間の思い出です。先生にこの作品を朗読するように当てられた生徒が、小さいながら、しかし実にしっかりした声で読み上げるのを、クラスの皆はじっと耳を傾けたのです。彼女の声は、まるでいちのそれと重なるようでした。最後のいちのせりふの段にかかる時、突然彼女の声は止まり、沈黙が訪れました。彼女の眼にはいっぱいの涙をたたえ、暫くのちに嗚咽の声が聞こえて来たのです。 鴎外はいちの最後の言葉で、それまでの総てを塗り替える一瞬を作り上げることに成功しています。鴎外が歴史小説という領域に踏み出した代表作の一つですから、ご存知の方も多いことでしょう。もし未読という方は、お時間がありましたら以下のサイトで全編の朗読を聴くことができます。 http://www.voiceblog.jp/ted606/102164.html 最後の瞬間で言いたいことが総て分るという音楽作品はあるものです。今日はそのような、ラストの瞬間にそれまでの総てが一変する作品をご紹介することに致しましょう。 クラシックは勿論、映画音楽、ライト・ミュージックや吹奏楽まで幅広い活動をしたアーノルド(Sir Malcolm Arnold, 1921-2006)作品の特徴は、同時代に活躍した他の作曲家にしばしば見られる近寄り難い難解さがほとんどなく、聴いてすぐにメロディーラインをなぞることが出来ることです。そのため曲を知らなくても、彼のCDを選ぶなら失敗が少ないとよく言われます。 アーノルドの交響曲は、作曲時期が第1番1949年から始まり、1986年の第9番まで、彼の充実した作曲人生全体に渡っています。ちょっと明るめのショスタコーヴィッチ風っていう感じでしょうか。どの曲もめりはりが効いていて、だれることがありません。どの作品も捨て難いのですが、お勧めの作品を敢えて一つ選ぶなら第5番でしょうか。第2楽章が極めて崇高かつ美しく、一方第3楽章は他に類を見ないほど刺激性があり、また第4楽章は急にふっと消えるように終わるなど、印象的な場面が多いからです。 そんな聴き易かったはずのアーノルドにしては、異常な作品が交響曲第9番です。9曲の交響曲のジンクスについては、皆さんよくご存知かと思います。ベートーヴェン、ドヴォルザークなどなど。イギリスでは、RVWが9番で終わっています。アーノルドご本人がどうお考えになっていたか、知る由もありません。しかし彼は第9番の作曲に当たり、相当苦悩されたことは確かなようです。その原因は、作曲当時年令が主たる理由と思われる創作意欲の極端な低下に悩んでいたからでした。事実第9番は、本来期待されていた締め切り期日には間に合わず、1年遅れの1986年に完成しています。 こうした経緯が影響していたのかどうか、最終第4楽章レントは、全曲50分の約半分近くを費やし、苦悩の痕跡をありありと残しています。それを初めて聴いた印象は、まるでチャイコフスキー「悲愴」の最終楽章でした。そんな作品が、最終的にたった18日間で書き上げられたことは驚異としか言いようがありません。 音楽は、ゆっくりと時間をかけて歩み続けます。しかし、ベクトルは確実に下方に向かっており、しかも息も絶え絶えになって行く・・・ アーノルドが何を思ってこのような終楽章にしたのかは謎です。しかし、あの進行はチャイコフスキーを意識していなかったはずはないと思われました。聴いていてあまりに心苦しく、痛々しく、窒息しそうになります。そんな苦渋に満ちた作品ですが、最後の最後で突然それまでの悲痛さとは打って変わった静かな安息のニ長調の和音で締めくくられます。それは暗黒の雲に覆われた空にまるで一条の光が差したよう。ああ、これで救われる〜〜。 NaxosのCDには、演奏に当たった指揮者Andrew Pennyと作曲者とのインタビューが同梱されています。「あの最後の和音が無かったなら、(人生への)絶望的なまでの完全な屈服(complete surrender to despair)ですね」と踏み込んだ質問に対して、作曲者は口ごもりながらもそれを認めています。 終わり良ければすべて良し。 ![]() |
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