一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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休憩
neko1


超過密スケジュールが続いたため、ただ今少々ダウンしております。回復まで、しばらくこちらをお休みさせて頂きます。[管理人より]
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サザン・クロス―「光の天使」
今日は七夕。笹飾りでお祝いをして、多くの人が夜空を見上げていることでしょう。

中には今日がお誕生日という人も。その人にとっては二重にお祝いしてもらっている感じなのかな。私からも言っておきましょう。
「お誕生日おめでとうございます。」

でもこの日は例年梅雨の真っ最中。だから、星を見たくてもほとんど見えたことがないんですよね。牽牛と織女の伝説を、よくも考えついたものです。って言いますか、中国ではふぅーんという程度なのに、日本だと1年に1度すら会いたくても会えない織姫と彦星のロマンティック・ストーリーになり、流石に古来から日本に受け継がれたこの梅雨の季節にぴったりのお話になっています。

管理人のいる街の今日の天候は珍しく晴れ。あ、でも雲が多いから、やっぱり今夜も見えないかな・・・。

白鳥座辺りの夜空は日本でもお馴染みなので、今日は国内にいてはほとんど見えない南十字星のお話を。


管理人が地球上で最も南の方角へ行きましたのは、豪州のメルボルンです。さすがに夜空の見え方が全然違いました。たとえそこまで行かなくても、赤道付近まで旅行しますと、見える星座もかなり変わり、地球が丸いことを実感出来ます。

先ずは日本では見ることが出来ない珍しい南半球の夜空をご覧下さい。


SC8



左上から右下にかけて天の川が流れています。その丁度真ん中近く黒く沁みのように見える部分(石炭袋と呼ばれる)のすぐ右側に、右に30°位傾いた小さな南十字星(サザン・クロス)が見えます。画面では2cmにも満たない、天空で一番小さな星座です。わかりますでしょうか?

ずぅーっと下の方には、大マゼラン星雲が見えます。マゼラン海峡もそうですが、世界一周の航海を成し遂げた大冒険者の名前はそういうところにも付けられているのですね。



夜空を見上げていると、「銀河」というロマンティックな言葉がピッタリと来ます。そして私たちを夢の世界へと連れて行ってくれます。

イギリスのロンドンからスコットランドのエジンバラ方面へ向かう列車が出発する駅は、キングス・クロス駅。他にロンドンにはチェアリング・クロス駅なんていう駅もありました。では南十字星に向かう列車は、一体どの駅から出るのでしょうか?

答え:サザン・クロス駅。

なーんてウソですよ。



さてさてプラットホームで既に待っている列車に乗ってみましょう。

出発してまもなく車掌が検札に来ました。
切符を見せると

「おや?これは大したもんですね。こいつをお持ちになりゃ実際どこまでも行けますよ。」

銀河鉄道に乗ったジョバンニはちょっと得意な気持ちになりました。これから向かう行き先に、一体何が待ち受けているのでしょうか。窓の外に流れるように現れる美しい景色に見とれながら、ジョバンニは夢をふくらませました。



宇宙の彼方に旅立つような音楽があります。ラウタヴァーラ (Einojuhani Rautavaara, 1928-)の交響曲第7番「光の天使 Angel of Light」。もう有名ですから、説明は要りませんね。

Rautavaara2




2005年7月7日の現地時間朝8時50分、ロンドンの地下鉄駅3ヶ所でほぼ同時に、その1時間後には、すぐ近くを走るバスが爆破され、56人の一般市民が死亡しました。いわゆるロンドン同時多発テロ事件です。事件の発生地点が丁度十字を切るような関係にあったため、犯行グループが何らかの特別な意味を持たせたのではないかと注目されました。

地球上で家族との幸せな時間を過ごし平和に暮らせる人々がいる一方、このように陰惨な事件が跡を絶ちません。世界に平和と幸せを。

砂漠の湖
Turkana3



写真はケニア北辺の広大な砂漠地帯にあって、まるで海であるかのように湖面が遥か遠くまで続くトゥルカナ湖です。この湖に到達するためには、チャーター飛行機に乗って1日で着くことも不可能ではありませんが、普通は首都ナイロビからバスで途中の町キタレまで丸1日。そこからバスか物資輸送のトラックに乗り換えてロドワールの町まで、また丸1日。翌日運良く湖まで行く車があれば、それに便乗して3日目にして初めて湖岸に到着することが出来るという辺境の地にあります。


この湖の名前が思いもかけぬ映画から出てきました。2005年(日本公開は2006年)のイギリス映画「ナイロビの蜂」(フェルナンド・メイレレス監督)で主人公の英国一等書記官(レイフ・ファインズ主演)の妻が、トゥルカナ湖畔で何者かに殺されたという冒頭のシーンから始まります。

ジョン・ル・カレ原作のサスペンス小説の映画化。物語はレイチェル・ワイズ演ずる美人妻が何故にそんな場所で殺されなければならなかったのか、それを突き止めようとしている内に、アフリカを舞台に渦巻く巨大な陰謀の真相に迫る一外交官の美しくも悲しい短い一生を描いています。

アフリカのスラム街で深刻な問題になっているエイズ患者に対して、善意だけではない様々な思惑がうごめいています。欧米の製薬会社、各国の利益を確保しようとする外交団、そして個人の欲望・・・。

ネタバレしてしまうストーリーの詳しい紹介の代わりに、美しいカットシーンを何枚かお見せ致しましょう。なお映画の公式サイトはこちらです。↓

http://www.nairobi.jp/

Nairobi1


Nairobi2


Nairobi3


映画の途中にアフリカン・ミュージックと踊りが無理なく挿入されており、謎解きの緊張感に変化を与えます。この物語が全くのフィクションの世界のお話であるのか、あるいは事実を基にしているのか、論評をするだけの資料を持ち合わせていません。しかし、さもありなんという実感だけはしっかりと印象として残ります。とりわけ主人公が至ったラストシーンでの心境の描き方。現実と理想の中で、一つの安住の世界に到達するように終わる姿に、悲劇ではありながら観る人に心地よい感動を与えます。


この映画と直接の関係はありませんが、強烈に悲劇的な人生を歩みながら不思議と聴く者にほのかな温かみを感じさせてくれる作曲家がいます。スウェーデンのアラン・ペッタション(Allan Pettersson, 1911-1980)。

ストックホルムのスラム街でアル中かつDVの父親の下に生まれたペッタションは、貧困と父親の虐待にも拘わらず音楽への情熱を失わず、ストックホルム王立音楽院への入学を果たします。ヴァイオリニストとして糊口をすすぐ生活の中、運命は過酷にもペッタションに多発性関節炎を患わせることになり、彼はその後生涯その痛みと戦い続けなければなりませんでした。

ペッタションは全部で16曲の交響曲を作曲しました(内第1番は破棄)。彼の作風がはっきりとして来るのは第5番から。ほとんど40分以上の、長い場合では70分間もの単一楽章として一つの曲を描き上げます。曲は全体にゆっくりと休み無く、苦渋と苦痛に満ちた音楽を奏で続け、聴いていてとても辛くなります。気の短い人なら途中で停止ボタンを押してしまうことでしょう。しかし、ラストに近づくにつれ、不思議なことに薄紙をはぐように彼岸に至る救いの音楽に変化していきます。件の映画の主人公の最後の心境も、さぞこのようなものであったに違いありません。そんなペッタションの不思議な世界を知るには、交響曲第7番(1966-67年作)、あるいは第8番(1968-69年作)がお勧めです。ただし絶対に鬱な時に聴いてはいけません。もしも聴かれるなら、必ず最後まで聴き終えるようにお願い致します。


Pettersson2





祖国
Pavlova6



旧ソビエト連邦の国々で癌の疫学を調べておられる先生のお話を伺う機会がありました。

ロシアからのお客さんとは、それまでにもいろいろと縁がありましたから、興味深く拝聴致しました。旧ソ連の地には未だ足を踏み入れたことはありませんが、一度は訪れてみたいと思っている場所の一つです。もっとも今ではソ連も崩壊し、たくさんの国に分かれてしまいましたから、幾つもの国に行かなければ旧ソ連がどういう国であったのかを語ることができなくなってしまいましたけれど・・・。

ソ連と発癌という関連では、やはり1986年に起こったチェルノブイリ原発事故のことが思い出され、その後の様子が大変気がかかりです。事故を起こした4号炉は当然として、その前に建設運転されていた1号炉から3号炉までが、事故にも拘わらず2000年まで稼動していたことを知って唖然としました。

マスコミは一時は大騒ぎしますが、暫くして人々の関心が薄くなると、まるでそんな問題は存在しなかったかのように話題に取り上げなくなってしまいます。現在の残存放射能や人々の健康状態は一体どうなのか、きちんと報道してもらいたいものです。そのチェルノブイリ、ベラルーシ共和国(白ロシア)との国境に近いウクライナ共和国北辺にあります。


ウクライナ出身の女性作曲家パヴロワ(Alla Pavlova, 1952-)は、1961年に家族と共にモスクワに移り住み、Gnessin State Music Collegeで音楽を学びます。卒業後1983年から3年ほどブルガリアで作曲活動を行いながら過ごしますが、1986年モスクワに戻り、ソ連邦解体を直前に控えた1990年、モスクワを離れて米国に移住。以来ニューヨークで活動しています。

Pavlovaは、1994年に初の交響曲‘Farewell, Russia’を作曲。祖国決別のメッセージを公にして、その後今日まで5つの交響曲を発表しています。彼女をどこの国の作曲家と位置付けたらよいのか、ウクライナ、ロシア、それともアメリカ?とても答え難いです。最新作第5番は2005-2006年に作曲。彼女はソ連時代はかなり前衛的な作品を書きましたが、その作風を残していたのは第1番まで。その後急速に作風を変化させ、伝統的な書法に回帰、調性感をはっきりと示す音楽を書くようになりました。

その第5番。最近聴いた現代作品の中でも、とりわけ美しく、また感動を覚えるものでした。伝統的とは言いながら、決して過去にあったどの作品とも異なる明らかに新しい作品です。曲は5楽章から成り、演奏時間は約48分。全体に緩徐楽章が主体で、オーケストラも金管はホルンのみ採用、打楽器の使用も極力控え、弦楽オーケストラ主体に時折木管が彩りを添えるという地味と言えば地味。しかし、とても心のひだに迫る音楽です。時に現れるVivaceが、前後がAdagioあるいはLargoなだけに実際のテンポ以上に活力を感じさせます。生命の躍動と言っても良いでしょう。

彼女が自作について語っている言葉がライナーノートに書いてあります。それによれば、各楽章はいわゆるソナタ形式の主題提示、第2主題提示、展開ならびに精神的な再現部に相当し、最後の2楽章は主体的および客観的な2つのフィナーレを表したものだそうです。それは即ち神を前にして語る人の生命だとも表現しています。現代音楽に対する聴かず嫌いという偏見を吹き飛ばすくらい分かり易く、また感動的な音楽。祖国を離れ十数年、彼女の脳裏を今よぎっている想いは何なのか。この人間の生命に対する限りない優しさは一体何処から来るのか。もしかすると、彼女の拠り所、それはもはやとある具体的な国ではなく、心の中にある別な国あるいは地域であるようにも思えます。こうした作曲家を積極的に取り上げ、光を当てるNaxosに心底感服感謝致します。どこかの国のマスコミに爪の垢でも煎じて飲ませたい。


Pavlova1


百日紅
Finzi6



病室から見える窓の外には

梅雨のさなかにもかかわらず

まるで嘘のように空が晴れ渡っている


あなたのその眼が見つめているものは一体 何・・・

わたしのこと見えている?


開きかけたその口から

もれ出づる言葉を拾おうとそっと耳を近づける


けれども それまで見えていた映像が

まるでフェードアウトするかのように

消えてゆく


本当に見えていたのだろうか

あなたのことを


静かな時が流れている

まるで何事もなかったかのように


あなたが そしてわたしが

いま見つめているものは一体 何・・・


Finzi8



もう早いもので7月1日。今年の半分が過ぎてしまいました。まだ鬱陶しい梅雨の最中ですが、本格的夏の到来です。

夏の花と言えば、百日紅(さるすべり)。近くで見るよりも遠目で眺める花だと思っています。普通は淡いピンク色ですが、中には赤みが鮮やかにハッとする程に美しさを見せるものもあります。

最初の写真のように白い百日紅もあるんですね。さだまさしの原作・映画に「解夏」という作品(2004年公開)があります。その映画の中で白い百日紅が見事に題材として、また映像として描かれています。この聞き慣れない表題は「げげ」と読み、仏教用語だそうです。「安居」と呼ばれるお坊さんが夏に行う修業の、その始まりの日を「結夏」、終わりの日を「解夏」と呼ぶのだそうな。百日紅は丁度その修業の期間に咲く花です。

「解夏」。それは暗闇にさ迷える苦悩に一条の光が差すさまを表した言葉とも言えるでしょう。人間誕生の日から、悩みは尽きません。安居とは何と皮肉な名を付けたものかと思わないではありません。


平日のサナトリウムは来客も少なく、まるで世界から隔絶されたかのようにひっそりとしています。が、さすがに週末ともなるとちらほらと見舞い客の姿が見えます。訪れる人がいない患者さんにも、スタッフは普段と変わりなく声をかけますから、特に寂しそうにしているわけではありません。でも本当はどうなのでしょうか。

窓の外には、ほら、あんなに広い空が拡がっていますよ。もうすぐ百日紅の花が咲き乱れますね。と、自然とこみ上げて来る涙をさとられないように、思わず視線を外に向けてしまいました。


こんな時、頭の中を流れて来る音楽はフィンジ (Gerald Finzi, 1901-1956)の「Dies Natalis」(誕生の日)。
ハイボイスと弦楽オーケストラのための作品とあって、テナーかソプラノによって歌われる5つの曲。何故かテナーによって歌われることの方が多いようです。特に第5曲が白眉中の白眉。テナーの声に寄り添うように奏でられるヴァイオリンが美しく、フィンジのオーケストレーションの妙味が遺憾なく発揮されます。本来はキリスト誕生を静かに祝う季節はずれの歌ですが、その慰めに満ちた音楽は、生きとし生けるもの全てを救ってくれるように思います。「エクローグ」やその他、皆さんが絶賛される曲を数多く残したフィンジに心から感謝致します。


Finzi9


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