音楽の秋始動
- 2007/09/30(Sun) -
Barber3



急に涼しくなりましたね。しかも今朝は雨模様で肌寒くすらあります。

時差ボケ、旅の疲れ等々が重なったところに、風邪まで引いてしまい喉はガラガラ。昨日はとうとう1日仕事を休んでしまいました。と言っても土曜日でしたが・・・。皆様、この急な気温の変動でお身体の具合、大丈夫でしょうか。

これだけ長く続いた暑さがようやく終わりを告げますと、いよいよ音楽を心から楽しめる芸術の秋のシーズンがやって来ます。ひたすら身体を休めている時には、やはり美しく優しい音楽が恋しくなりました。

オランダでギル・シャハムさんのVnにすっかり魅了されましたので、彼の演奏するもので何か無いかなと探したらありました。バーバー(Samuel Barber, 1910-1981)のヴァイオリン協奏曲Op.14 (1939年作、1948年改訂)。しかもアンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団です(DG 439 886-2)。

本曲は冒頭からいきなりVnの甘いメロディーが綿々と続きます。第1楽章アレグロとありますが、全体にゆったりしたテンポ。第2楽章もアンダンテで、これまた美旋律のオンパレード。まるでフルーツ・パフェの後に黒蜜あんみつを食しているような感じです。もうお腹が一杯のところ、さてこれで締めのメニューは一体何が出てくるのかしらと思ったら、これが一転超辛口ヴィルトゥオジティのかたまりのような終楽章。しかも4分にも満たないプレストです。最後にピリッと舌に来る辛子ところてんを出されたようなものでしょうか。いやあ、バーバーさん、やるじゃないですか。アダージョの一発芸だけの作曲家ではないことをアピールしましたね。特に第2楽章の美しさは絶品です。さてエネルギーをもらったことだし、頑張って仕事に行って来ま〜す。

ところでシャハムさん、1971年の生まれで、名前からお分かりのようにユダヤ系米国人。生後まもなく両親と共にイスラエルに移住、10歳の頃には主要オーケストラと舞台に出ていますから神童と言えるでしょう。このCDに同梱のコルンゴールドのVnコンも同様に、甘さと辛さを兼ね備えた演奏で、先日聴いた生演奏の素晴らしさも極めて納得です。


Barber1

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風車の国から(3)
- 2007/09/28(Fri) -
Church3



オランダの宗教に関して一つ特質を挙げるとするならば、それはカトリックとプロテスタントの共存にあります。

ヨーロッパの他の国々では、それぞれ歴史的な経緯があって、大概どちらか一方、もしくはイングランドのようにイギリス国教会という全く別な系統の宗派が主勢力を保っており、他の勢力は極めて隅っこに追いやられている状況にあるのが普通です。

ところが、ここオランダでは、街の中に両派の教会が隣同志にあってもあまり問題になっていません。これは、それまでベルギーと共にスペイン統治下にあったこの地域(ネーデルランド)が、16世紀頃より商業的独立都市の性格を深め、その中核を担う裕福な一般市民が徐々に力を持ち始めた時に、カトリックが支配するスペインと対抗する関係で、プロテスタントを標榜しつつも、周辺にはカトリック信者の多い農村地域を抱えていたため、必ずしも排他的行動は取らなかったという事情に起因するものです。従ってアムステルダムの市内には、カトリック系教会もあればプロテスタント系教会もあり、両方の建築様式の違いやミサなど宗教的行事を比較観察する上で、好適な場所になっています。

丁度市内中心部にある、街の名前の由来となったダム広場に、プロテスタント系の新教会というのがあって、「HELD」と書いてある大きな幕が垂れ下がっていました。一体何が「行われている」のだろうかと気になり、入ってみました。するとこれは、英語の「HELD」ではなくドイツ語あるいはオランダ語の「HELD」の意味だったのです。Richard Straussの交響詩「英雄の生涯」の独語タイトルをご存知でしょうか。そう、「Ein Heldenleben」というのですね。つまりHELDとは英語のHEROのこと、即ち「英雄」の意味なのです。

プロテスタントでは、過度の偶像崇拝を良しとせず、中世の時代、山と積み上げられたキリストやマリア像、その他関連の彫像や絵画を宗教改革の際に徹底的に排除しようとしました。これにより無数の芸術作品が破壊遺棄されたのです。この新教会では、このような歴史を踏まえて、かつて崇められた英雄的存在が、如何に社会の変動に鼓して没落し忘却されていったかということをテーマにした特別展覧会を催していたという訳です。教会の礼拝堂をそのまま展覧会場にしてしまうなど、なかなか思い切った発想です。


Church1



さて思い返して見ますと、今回の「風車の国から」シリーズ、音楽上ではR.シュトラウスが共通項として常に登場して来ました。となれば、今日の音楽はやはりこれ、彼の最晩年の傑作「メタモルフォーゼン Metamorphosen (Study for 23 solo strings)」しかありません。

この曲は第2次大戦ドイツ降伏の直前に書かれ、祖国ドイツ帝国の崩壊を嘆いたものだという解釈がなされることもありますが、もっと純粋に、かつて繁栄の極みを見せた一つの偉大なる文化が終焉する際に限りない惜別の念を音楽化したものと捉えることも出来ます。真相は作曲家のみが知ることですが、この30分足らずの弦楽オーケストラ作品に見られる芸術的価値は、測り知れないものがあると管理人は思っています。

曲は静かに始まり、変奏曲の形式で次々と走馬灯のように情景が変化して行きます。何が究極の終着点であるのか、なかなか全貌が見えて来ません。しだいに曲が進むにつれ、益々盛り上がりを示し、いよいよの最後になって真の主題ベートーヴェンの第3交響曲「英雄」の第2楽章「葬送」のテーマが姿を現わします。普通は主題が提示された後に、それを変奏していくのですが、この曲では一枚ずつ薄皮をはぐように変奏が続きますが、最後にオリジナルが出るという特別な構成になっています。従って実は冒頭のメロディーから、この最終主題が相当姿を変えてではありますが既に登場していることに、何度も聴くことによって初めて気がつくことでしょう。作曲家80歳にして、この意表をつく作曲術です。さすがR.シュトラウス、大した人物です。

という訳で、「Ein Heldenleben」と「Metamorphosen」がカップリングされたCDは、単に演奏時間の都合が良いからという以上の組合わせの意味があるのです。名曲ですから、演奏家に拘る必要はないでしょう。


Church5



かくして、英雄を偲ぶ音楽を聴きながら、かつての経済大国オランダに別れを告げることになりました。夕暮れの風車の後ろ姿に、思わず「さようなら、そしてお疲れ様でした」と声をかけたくなりました。


church2


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風車の国から(2)
- 2007/09/24(Mon) -
Holland6



見ると聞くでは大違いということはあるものです。


こちらに来るまで、風車というのは粉をひくためにあるものだと思い込んでいました。もちろん水を高いところに流す役割があることは知っていましたが、オランダの風車も、のどかな田園に見られるような可愛いやつに少しばかり毛の生えた程度だろうと思っていたのです。ところがどっこい、大きい大きい。


先日のコンセルトへボウにおけるコンサートのメイン・プログラムは、Richard Straussの「アルプス交響曲」でした。コンセルトへボウと言えば、古くは往年の名指揮者メンゲルベルクが50年間も常任指揮者として君臨したことはあまりにも有名です。彼が得意だったR.シュトラウス、その長い歴史と伝統がありますから、直前のBruchでメロメロにされた管理人は、はたしてどんな演奏を聴かせてくれるのか、ドキドキでした。

出来は期待に違わぬ素晴らしいものでした。オーケストラが唸る唸る。ホールが良いせいもあるのかも知れませんが、こんなに音が大きく鳴り響くものなのかと、本場の演奏の迫力に度肝を抜かれました。正に見ると聴くとは大違い。弱音の美しさも桁はずれです。

「アルプス交響曲」では、嵐の場面に風音機が使われます。この楽器?は交響詩「ドン・キホーテ」でも使われていますね。ドン・キホーテが巨人「風車」を相手に戦おうとする話はあまりにも有名です。でも、これ、風車が実際にはあんなにも大きいものであることを目の当たりにして、初めてその話がどういうことを意味するのか分かりました。

それと同時に、オランダではこの風車が海面より低い土地の灌漑施設として必須のものであり、あれだけの大規模である必要があったことを、こちらに来て初めて理解したわけです。その風車、最盛期は約1万基あったそうですが、現在その数は約1/10にまで減少。外海と淡水の内湖を分け隔てる長大な人工堤防の完成により、今ではその本来の用途は完全に失われました。観光資源であることを除けば、無用の長物となってしまったわけです。

もう一つのオランダ名物と言えば、木靴です。これも、なんであんな硬くて履きにくいものが使われていたのかと不思議でなりませんでしたが、水との格闘で足元が常に濡れる日常生活において、長靴代わりに使える履物として、水に強く、しかも身近かに得られる材料であったからという説明を受けて納得です。いやあ、一杯勉強になりました。

Amsterdam6



ところで一度は世界経済の頂点に立ったオランダ。芸術分野ではどのような著名人が輩出されているでしょうか。先ず絵画芸術の分野では、巨匠レンブラントがいます。他に有名なところではフェルメール、ゴッホなどなど、意外とたくさんの名前を挙げることが出来ます。

では音楽芸術の分野ではどうでしょうか。誰か作曲家の名前をすぐに挙げることが出来ますでしょうか。

これが意外と難しいのです。オランダの音楽情報をまとめたサイトを下に貼っておきますが、約500人近い作曲家リストを見回しても、ほとんど知っている名前がありません。多少知られている作曲家としては、室内楽作品やハープ作品を残しているLex van Deldenと管弦楽作品を残したHolぐらいではないでしょうか。

http://www.donemus.nl/


と言うわけで、今日のお薦め音楽。極めて限られたチョイスの中からですが、R. Straussと同じ名前を持つRichard Hol (1825-1904)ということにします。幸い4曲の交響曲が2枚のCDに収められて、Chandosから販売されています。ベートーヴェンの死後、国民楽派が台頭するまでしばらくの間、大陸中央部の交響曲のジャンルではメンデルスゾーン、シューマンくらいしかめぼしい作品が無かったその時代に頑張っていた作曲家がいたんですね。伝統的な枠に留まった作品ではありますが、なかなか新鮮な味わいを持っている佳作群です。


Hol2

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風車の国から(1)
- 2007/09/23(Sun) -
Amsterdam7



17世紀後半のことですが、ある球根[*]を作り上げたものに家一軒分より高い懸賞金がかけられたり、東南アジアから運び込まれた香辛料が金よりも高値を呼んだりと、バブル貿易で巨財を成した、かつての海洋王国オランダの首都アムステルダムを訪れています。

やがて制海権はイギリスに取って換わられ、その黄金期は百年と続くことがありませんでしたが、カトリックとプロテスタント宗派間の抗争の狭間を縫うように、この町や周辺の諸都市は驚異的な政治的経済的発展を遂げました。

デルフト・ブルーの美しい磁器は、遥か彼方伊万里の鮮やかな青を髣髴とさせます。思えば、この国が当時世界最強を謳っていたスペイン艦隊を撃破しなかったら、またオランダ東インド会社と呼ばれる謂わば史上初の株式会社による世界貿易の野望が遠く東洋の島国にまで届かなかったら、我が国の近代化もずいぶん違ったものになっていたことでしょう。

医学や自然科学といった当時最先端の知識・考え方が、たとえ部分的とは言え、我が国に持ち込まれた意義は極めて大きく、その背景には当時のこの国の膨大な財力があって初めて可能であった訳ですからね。

[*管理人注:1670年頃、人々の生活はそれまでと比べものにならない程豊かになり、裕福な市民は身の回りをさらに美しく飾ることに異様なまでに情熱を注ぐようになりました。そして貿易から得られた巨利に端を発して、投機熱が益々高まった結果、当時どうしても出来なかった『黒いチューリップ』を開発した者には10万フローリンの懸賞金を支払うと、ハーレムの園芸協会が発表しました。いわゆるチューリップ・バブルです。今日では、多数の品種が既に市場に出回っています。ちなみに『青い薔薇』が出来たのは、昨年の遺伝子工学の結果でした。もっともどちらの色もいまいちのような気がしますのは、私だけなのでしょうか・・・。]

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タキシードに身を包んだ2人の紳士が、異様なまでに見つめ合い、時には愛を語らうように、また時にはつかみ合いの喧嘩でも始めんばかりの激しい感情を顔と全身に表わにしている。そこからわずか数メートルの距離にいた私は、その有り様をハラハラと眺めながら、何度間に割って入ろうかと思ったほど・・・。

恍惚の調べを奏でる時には、これ以上の喜びと幸せはないと言わんばかりの笑みを満面に浮かべ、カデンツァやクライマックスの終結部では、ステージから聴衆に向かって飛び出さんばかりに踊り出す。これほどまでに贅沢で、エロティシズムに満ち溢れ、かつ上品な演奏に出くわしたことがありません。何度も何度も私の目を見つめてくれたように思ったのは、気のせいかしら。。。

演奏終了後、熱狂の拍手は凄まじく、彼の地では恒例のスタンディング・オベーションも、決してお義理でなかったことは、メイン・プログラムの前にアンコール曲(バッハの「ガボットとロンド」)が披露されたことでも分かります。

この名曲を名演奏で、しかも音響効果抜群と言われる歴史ある名ホールにおいて聴くことが出来たことは、一生の想い出として末永く記憶に残ることでしょう。普段ドイツ・オーストリアものは敬遠して、無名曲ばかり取り上げていますこのブログですが、たまにはこういう記事も書かさせて下さい。痛む身体をおして遠路はるばる来た甲斐がありました。ソリスト、ギル・シャハム。チーフ・コンダクター、マリス・ヤンソンス。演奏はロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団。曲はブルッフのVnコンチェルトNo.1。


Amsterdam10



[お薦めCDとしては、管理人がこれまで最も好んで聴いていたものを挙げさせて頂きました。]
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秋色の室内楽
- 2007/09/15(Sat) -
Catoire5



『暑さ寒さも彼岸まで』


もう少しすれば、お彼岸ですね。田んぼの縁に集団で咲く曼珠沙華が、ハッとする美しさを示す季節がやって来ます。その赤はまるで血の色のよう。

日中は未だ残暑が厳しいですが、釣る瓶落としの日が暮れると、そこにはもう秋の涼しさ、いや寒さまで感じられるこの頃です。

これから深まる秋の夜、音楽を聴くにはもって来いではないでしょうか。普段は賑やかな管弦楽曲を取り上げることが多いこのブログですが、たまには室内楽で思索の時を過ごしてみたいと思います。そしてどうせなら、愁いの多いこの季節、ロシアの室内楽でどっぷり哀愁の世界に浸ってみませんか。

と言うわけで、取り上げましたのはゲオルギー・カトワール(Georgy Livovich Catoire, 1861-1926)のピアノ四重奏曲Op.31、弦楽四重奏曲Op.23他。Brilliantレーベルの「Treasures of Russian Music」(6枚組)のシリーズから2枚のCD。

カトワールなんて聞いたことないですって? それはそうでしょうね。ロシアの室内楽となると、チャイコフスキーやラフマニノフ、少し新しいところでショスタコーヴィッチあたりが知られたところで、アレンスキーとかタネーエフとなると、もう余程のファンでないと、という感じではないでしょうか。
 
そのカトワール、スペルからお分かりのようにフランス系ロシア人。モスクワに生まれ、若い時はベルリンで修業するも、再びモスクワに戻り、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、リャードフらとの交流を持ちます。中でもアレンスキーとは親交を深めますが、錚々たるロシアの作曲家たちから一目置かれながらも、特別に大きな成功を収めることも無く、30代の後半にはほとんど中央の音楽界に姿を見せなくなってしまいました。

カトワールの音楽を特別に高く評価していたのは、アレンスキーやタネーエフの他には、ラフマニノフです。一時は完全に引退同様の生活を送っていた彼が、20年近いブランクを経て再びモスクワ音楽院の教職に戻ったのは1919年のことでした。

お聴きになればすぐお分かりのように、カトワールの非凡な才能は明らかです。何と言っても、ロシアの憂愁をたっぷり沁み込んだ完全に秋色に染め上げられたゴブラン織りの魅力。垣間見える血の色の赤が、ハッとするほど美しいです。BrilliantのBoxは、他にもタネーエフやアレンスキーらの傑作室内楽作品を含んでおり、これらを聴かずして、それまでへたな有名作曲家の室内楽で満足していたことを、きっと後悔されることでしょう。


Catoire6


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博士の愛した(2)
- 2007/09/14(Fri) -
Hakase4



記事のタイトルから、きっとこの話題に続くであろうと予想された方、正解です。


Hakase9



過去に起こした交通事故の後遺症から、記憶が80分間しか持たない現在64歳になる元大学教師であった数論を専門とする数学博士と、彼の身の回りを世話する家政婦、およびその息子のお話、小川洋子著「博士の愛した数式」(新潮社)。2004年の読売文学大賞、および全国書店主が選ぶ同年度ベストワンの栄冠に輝いた作品です。翌年には小泉堯史監督、主演寺尾聡、深津絵里らによって映画にもなりました。

この作品は、原作もまたその映画も、数字の不思議について「へぇー、そうなんだぁ」と何度も何度も驚かせてくれながら、しかも純粋な心を持った人間の限りない優しさに深く包んでくれる名作です。


hakase3



「君の足のサイズはいくつかね」
「24です」
「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗(*)だ」 [管理人注:nの階乗とは、1からnまでの自然数を掛け合わせた数のこと。つまり1×2×3×4=24]
「君の電話番号は何番かね」
「576の1455です」
「5761455だって?素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」

毎朝こんな会話が二人の間で交わされる。なにせ博士の記憶は80分間しか続かない。

他にはタイガースのエースであった江夏豊の背番号が28であったことに関連して、その数が完全数であるという話[管理人注:ある数の約数の和がそれ自身の数となる時、それは完全数であるという(28の約数は、1、2、4、7、14で、これらをすべて足すと28になる)]とか、家政婦の誕生日が2月20日であることと、博士が大学から贈られた懐中時計の裏に刻印されていた数字がNo.284であったことを結びつけて、220と284がそれぞれの約数の総和がお互いの数となる『友愛数』の関係にあることなど、数の不思議について実に分かり易く、また面白く物語りは展開して行きます。

家政婦には10歳になる息子がいましたが、彼は学校から帰ると、毎日夕食の時間まで博士の家に出入りするようになります。博士はその息子をルートと呼びました。頭のてっぺんがルート記号のように平らだったからです。「ルートという記号を使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」と、その記号の持つ大きな包容力を人間性になぞらえて暗示するなど深くて温かい文章やセリフが随所に見られます。

博士は離れの家に独りで住んでいることになっていますが、他に同じ敷地内の別宅には義理の姉が同じく独りで住んでいました。実は彼女が家政婦派遣の依頼者で、この義姉と博士の間には、何やら謎に秘められた深い因縁があることが、大の野球好きで選手カードを大事に保管していた博士のクッキー缶をうっかり取り落とした時に、二重底の中から現れた古い1枚の白黒写真からほのめかされます。不思議な数字の世界を夢のように見せてくれながら、人生の深淵と、人間の心の温かさを同時に描いた「博士の愛した数式」。心にじんわりと来る作品です。

映画の公式サイトは以下の通りです。もう少し詳しくお知りになりたい方は、こちらをどうぞ。

http://www.hakase-movie.com/


さて、今日の音楽は何に致しましょう。完全数28にちなみ、温かい心が漲り、かつ生まれ故郷アイルランドへの限りない望郷の念に溢れる名曲スタンフォード(Sir Charles Villiers Stanford, 1852-1924)の交響曲第3番ヘ短調‘Irish’Op.28にしましょうか。スタンフォードが作った7つの交響曲の内の3番目。素数7と3と完全数28の組み合わせ。今日の話題にぴったりではありませんか。

この曲が作曲されたのは、ヨーロッパ本土で国民楽派の作曲家らが、それぞれ地域色豊かな旋律を素材に次々と民族性を前面に押し出していた頃、1887年です。ドヴォルザークがお好きな人なら、すんなりと聴けると思います。これまたハープが随所で大活躍。当然アイリッシュ・メロディーがふんだんに現れ、特に第4楽章に入って第1楽章の主題が金管で高らかに回帰するところは、「我が祖国」の「高い城」のラストよろしく、思わず目頭が熱くなり、オレンジ・白・緑の三色旗を振り回したくなってしまいます。聖パトリックの国よ、永遠なれ!


Stanford5

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博士の愛した(1)
- 2007/09/14(Fri) -
Bax7



300年間以上も錚々たるプロ、或いは凄腕のアマが立ち向かったものの、そのあまりの壁の厚さに、ことごとく敗北を余儀なくされた難問中の難問がありました。

話は少し遡って、20世紀初め頃の実話です。

ドイツの資本家一族の一人であったパウル・ヴォルフスケールが、とある美しい女性に恋しました。ところがその女性に肘鉄を食らわされ、ヴォルフスケールは絶望のあまり自殺を決意します。その当時ビジネスに精力を注ぎ込むヴォルフスケールではありましたが、大学では数学を専攻しており、彼の性格からも綿密に自殺の計画は立てられました。先ず決行の日を決め、深夜零時きっかりにピストルで頭を打ち抜くことにしたのです。

いよいよ決行の日、ヴォルフスケールは遺言を書き、家族や友人に宛てて手紙をしたためました。彼は非常にてきぱきとそれらの作業を進めたので、予定の深夜零時よりも少し前にすべてのことが終わってしまいました。そこで最後のひとときをゆったりと過ごそうと、趣味とする数学の本を読み始めたのです。この時手に取った本、それが難問中の難問と言われる「フェルマーの最終定理」(*)について書かれた本で、当時の最新テクニックをもってしても完全には証明することができないと数学者クンマーが論じたものだったのです。

*[管理人注:フェルマーの最終定理とは、
『xのn乗 + yのn乗 = zのn乗
という方程式はnが2より大きい場合には整数解を持たない』というものです。ちょっとでも初等数学を学んだものならば、問題自体の理解は少しも難しくないことでしょう。
nが2の場合は、いわゆるピタゴラスの定理と呼ばれるもので、誰もがご存知のx、y、zがそれぞれ3、4、5など、他にも無数に解があることが知られています。ところがnが3、またはそれ以上となると、とたんに難しくなり、上式を満たす解が無さそうなのです。約300年前、アマチュアでありながら天才的数学能力の持ち主であったフェルマーが、自分はこの問題に関する驚くべき証明を知っていると本の片隅に書きとめて以来、数え切れない数学者らがその再証明を試みようとして撃退された来た超難問です。]

ヴォルフスケールがその本を読み進むにつれ、突然クンマーの計算に論理のギャップがあることに気がつきました。ある仮定が未証明だったのです。彼は椅子に座り直し、改めて証明の不十分な部分をつぶさに調べ始めました。そうしてすべての作業が終わった時、すでに夜は明けていたのです。詳細な検討の後、クンマーの証明は修復され、最終定理は証明不能の領域に留まることが判明。しかし、この結果あらかじめ決めておいた自殺の時刻はとうに過ぎ去り、ヴォルフスケールの心から絶望と悲しみが消えていたのです。大好きな数学に打ち込むことで、生きる望みが蘇ったのです。彼は別れの手紙をすべて破り捨て、遺言も書き換えました。

1908年6月のある日、パウルの死に際して彼の遺言が読み上げられると、ヴォルフスケール家の人々は大きな衝撃を受けました。パウルは、その財産の大部分(現在の価値にして約2億円以上)をフェルマーの最終定理を証明した者への懸賞金にあてると言い残していたからです。遺言には、受賞決定の規則が細かく述べられていました。そしてこの懸賞金の期限として、100年後の2007年9月13日、即ちこの記事がアップされる頃には日が変わってしまっていますが、丁度昨日までに受賞者が出なかった場合には、以降の支払いを一切認めないとあったのです。

結局、この懸賞は幸いなことに約10年前に、この問題に10才の子供の頃に出会ってから苦節30年余り、ほぼ単独で黙々と取り組んだ米国の数学者アンドリュー・ワイルズ博士によって完全に解き明かされ、彼がめでたくその賞金を獲得致したのです。しかし、その道のりは決して平坦なものではなく、栄光の直後には地獄のような挫折が待ち構えるという苦難の連続であったようです。彼がこの難問を最終的に解決するまでの苦闘の経緯は、門外漢にも極めて分かり易い数学の歴史に関する名解説と共に、BBCの特別ドキュメンタリー「フェルマーの最終定理」(1996年製作)、およびその番組プロデューサー、サイモン・シンによる同名の本(新潮文庫)により知ることができます。


さて難解な数学の方程式のような音楽と言ったら、管理人は真っ先にバックス(Sir Arnold Bax, 1883-1953)を思い浮かべます。彼の音楽は、決して不協和音が頻出するわけではない、むしろ19世紀的な和声すら感じるにも拘わらず、実に難解な印象を与えます。それは分かり易い旋律がほとんど使用されず、長いフレーズの主題が次々と姿を変えて行くと同時に、空いている五線紙の空間をそのままにして置くのはもったいないとばかりに、まるで最密充填でもするかのように多彩な楽器による音符群で埋め尽くすという、バックス特有の極めて濃密なスコアを形成するからかも知れません。

従って、彼の真骨頂が現れるのは、何と言っても7つある交響曲群ということになります。どの番号の曲も重厚かつ密度の高い傑作群です。そして、おそらく最高傑作は第6番。第7番はいささか別格で、この最後の交響曲は、特別な意味がある作品となります(いつか取り上げるかも)。

しかし、本日はその難解な交響曲はひとまず脇に置いて、比較的馴染みやすい旋律を持つバックスの音楽を取り上げたいと思います。15分程の管弦楽曲‘In Memorium’ (1916年作)(Chandos CHAN 9715)。バックスはハープを好んで自作品の中で使用します。水玉が飛び散るような前奏の後、映画‘Oliver Twist’のテーマにも使われている主旋律が滔々と流れるところは、映画の名シーンを見ているように実にウットリします。この旋律はまた、彼の交響曲第2番にも現れて来るのですね。と言うわけで、バックスに親しむには最適の曲の一つかと思います。

このCDに同梱の曲として、バックスの愛したピアニスト、ハリエット・コーエンが右手を怪我した時に、彼女のために作曲された「左手のためのピアノ協奏曲」を聴くこともできます。また管弦楽伴奏のソプラノ歌曲集‘The Bard of Dimbovitza’も大変美しいです。難しい問題を前にして考え込んでしまった場合も、先ずは十分に身体を休め、こうした綺麗な音楽を聴いて頭と心をリフレッシュすれば、きっと元気になることと思います。

(つづく)


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911の謎
- 2007/09/11(Tue) -
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今日は9月11日、今から6年前のこの日、あの米国同時多発テロが起きました。

2機の大型ジェット飛行機がWorld Trade Center (WTC) のツインタワー南北2棟にそれぞれ突きささるように衝突した映像は、生々しく皆さんの記憶に残っていることでしょう。

このテロによる犠牲者は、約3,000名に上ったと言われ、この方々には謹んでご冥福を申し上げる次第です。

この同時多発テロでは、他にほぼ同じ時刻に、ワシントン、ダレス空港を離陸しロサンゼルスへ向かう予定であったアメリカン航空77便ボーイング757-200型機が、国防省本部通称ペンタゴンに墜落。またもう1機、ニューアーク発サンフランシスコ行きユナイテッド航空93便も、ホワイトハウスもしくは議事堂を標的にする予定であったものと推定されていますが、途中で何らかのトラブルがあったらしく、ペンシルバニアの郊外に墜落。合わせて4機の同時ハイジャックによる米国政治経済の中心的シンボルを狙った前代未聞の大掛かりなテロであったとされています。

しかし、この事件には実は極めて大きな謎が残されたままであることをご存知でしょうか。

大きな謎の最大のものは、アメリカン航空のボーイング757型機が衝突したとされているペンタゴンの被害状況にあります。飛行機が5階建てビルの1階に衝突後、まず火災が起きて、まもなく建物の崩壊が起きたとされています。その時の写真がこれです。

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しかし、どうでしょうか。長さ47m、主翼スパン38mの大型飛行機が衝突(墜落)して、これだけの被害で済んだと皆さんは信じられますか? 建物は確かに一部崩壊していますが、その巾は約20mしかなく、しかも飛行機の残骸などは事件後一切見当たらなかったのです。乗員・乗客64人を乗せた77便は、本当にペンタゴンに激突したのでしょうか。まるで何らかの爆発によって建物が崩壊したようにも見えます。もし、その飛行機がそこに墜落していなかったのだとしたら、それは一体何処に消えてしまったのでしょうか。そもそも77便という飛行機は、本当に存在していたのでしょうか。

テロの被害に遭われた方々を悼む気持ちに変わりはありません。実際にツインタワーが飛行機の衝突後まもなく崩壊したことは、紛れも無い事実です。しかし、これら一連の事件がアメリカ国防省自身による計画的犯行ではなかったのかというまことしやかな説まで、一部には流れています。肝心の国防省や大統領は、WTCこそ頻繁に話題として取り上げますが、このペンタゴンの被害については国防上の秘密を理由に、情報をほとんど出していません。

この911の事件を契機に、テロリスト一掃とそれを支援する独裁国家打倒をスローガンに、米国はアフガニスタン、イラクの国々を次々と攻撃したのです。劣化ウラン弾が好適な例ですが、これらの戦争によって使用期限切れ、もしくは真近かの武器弾薬が大量に消費され、新たに膨大な量のミサイルや弾薬が生産補給されました。管理人は、決してここで政治的イデオロギーを掲げたり、論じようとするものではありません。ただ、マスコミや時の政府が言っていることは本当なのかどうか、彼らの言っていることを無批判に受け入れていたのではないかということだけ注意を喚起したいのです。戦争において常に情報操作があることは常識です。勝った負けたではなく、戦争の被害・影響を直接受けるのは、いつも何の罪もない一般市民であることを忘れてならないと思うのです。

[管理人注:消えたボーイングなど911に関する謎については、以下のサイトが詳しく、また興味深いです。ただし、真偽の程については、為政者らの言動に同じく、これも頭から信じてよいのかどうか、皆さんご自身でご判断下さい。]

http://www2g.biglobe.ne.jp/~aviation/terror0911.html


911にちなみ、本日の音楽として1924年中国ハルピンでロシア人父母の下に生まれ、翌年には米国に移住し、以来同地で主に活躍している作曲家ベンジャミン・リース(Benjamin Lees, 1924-)の交響曲第4番‘Memorial Candles’(1985年作)を挙げて置きましょう。

本曲は、ナチスによるユダヤ人虐殺終結後40周年に際して作曲されました。全3楽章から成っており、ホロコーストの生き残りの一人によってつくられた詩をテキストに、メゾ・ソプラノによる歌唱を伴っています。曲は、スローテンポで1時間以上に渡って虐殺の悲劇が綴られる長大な作品です。その意味では、グレツキの交響曲第3番と極めてよく似た主題・構成の曲であると言えるでしょう。同時多発テロとはテーマが異なりますが、タイトルからも今日の日にふさわしい鎮魂の音楽かと思われます。緊張の持続を強いられる音楽ですが、特に後半から終結部にかけて聴き応えがあります。


911-8

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The Wind That Shakes the Barley
- 2007/09/10(Mon) -
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1920年から1921年にかけて、アイルランドがイギリスからの独立を果たそうとする状況を描いたケン・ローチ監督の映画「麦の穂をゆらす風」は、昨年度カンヌ映画祭の最高賞パルムドール賞を審査員全員一致で獲得しました。

映画の原題は、「The Wind That Shakes the Barley」。実はこの表題は、自由と独立のために否応無く戦いに向かわなければならない若者の悲劇を歌った、彼の地において古くから伝わるアイリッシュ・トラッドの曲名です。

ケン・ローチはイギリス出身の名監督。その彼がカンヌにアイルランドをテーマとした作品を出品するらしいとのうわさが広がるや、イギリスのマスコミは賛否両論で大騒ぎとなりました。当然イギリスが悪者として描かれると予想され、両国間の関係が悪化することまで懸念されたからです。

1920年当時、イギリスによるアイルランドやスコットランドに対する圧制は頂点を迎えていました。ところが、アイルランドからの抵抗が思いのほか強硬で、事態の沈静化を図るイギリス帝国議会はアイルランド独立を目指す穏健派と手を組み、イギリス国王を国家元首と認めさせる代わりに北アイルランド6県を除く南部26県の限定的な独立を承認する、いわゆるアイルランド自由国の条約を締結します。

この条約を独立運動の大きな成果とする現実派と、ここで妥協しては真の独立は未来永劫訪れないとする急進派の間で、国内は真っ二つに別れてしまいます。ここに、2005年にやっと漕ぎ着けた北アイルランド軍(IRA)の完全武装解除に至るまで、アイルランド問題の火種が燃やし続けられることになったのです。いや、もしかするとこの問題は、未だ完全には解決されていないと言うべきなのでしょう。

主人公は医学を志しながら、イギリスの暴政を目の当たりにして、独立抵抗運動に邁進する尊敬すべき兄らと共にその運動に参加します。組織を守るためには、たとえ未だあどけなさの残る同胞ですら銃殺しなければならないという鉄の規約。この銃殺のシーンは涙なくしては、観ていられません。そして条約締結後に待ち構えていた、同胞が同胞を非難し合い、殺し合わなければならないという更なる悲劇。エンディングは、とても目を開けて観ていることができない辛いシーンで映画の幕は落とされます。

作品が上演され、幕が閉じた瞬間、全観客による10分間のスタンディング・オベーションがなされたそうです。ご覧になれば分かりますが、この映画は、自由と独立という大義のため仲間の同胞さらには実の兄弟ですら撃ち殺さなければならないという戦争の持つ理不尽さ、やり切れなさを、実に淡々と生身の感触で描いています。ハリウッド流の格好よい戦争映画とは全く違った観点で作られており、銃の引き鉄を引くことの辛さをこれ程までに如実に伝えた作品を、管理人は他に知りません。

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アイルランドには、長い弾圧にじっと耐え、それに打ち克つために語り歌い継がれた歌や音楽がたくさんあります。それらの中には、あるものはアイリッシュ・ハープやフィドルによる楽器演奏が主体であったり、あるものは歌が主体であったり、実に多彩です。そうしたものの内、特に抵抗の歌を中心として集めたこんな2枚組みのCD集が製作されています。題して、「1798-1998 Irish Songs of Rebellion, Resisitance & Reconciliation」(Proper Retro Records R2CD 40-73)。映画のタイトルとなった曲も、もちろん含まれています。


IrishTrad4



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菊の日に
- 2007/09/09(Sun) -
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中国では、古来より奇数がおめでたい数と信じられ、その中でも一番大きな数「九」が重なる日、即ち今日は「重陽の日」として特別に祝われて来ました。

暑さのピークも過ぎ、秋の気配が濃厚となる時節です。これから寒くなる季節を迎えるにあたり、無病息災と防寒を祈願して祝われる日なのですね。そしてこの日は、丁度この頃より開花期を迎える菊の花を飾ったりお供えしたりしますので、「菊の節句」としても知られています。

日本では何故か、1、3、5、7の数字が重なる日は全国民的に祝うのに、この日だけが知る人ぞ知る日となっているのが不思議です。

全国各地に菊の愛好家はたくさんいらっしゃると思いますが、それをフェスティバルにしている町はそう多くはありません。全国的に知られているものとしては、福島の二本松、福井の武生、そして大阪の枚方くらいでしょうか。その枚方の大菊人形展、96年間も続いた歴史がついに2年前に閉じられてしまいました。花の管理など準備や維持が大変な割には、人形が動くわけではありませんから、今の時代インパクトに欠け、観客動員数が減る一方だったのかも知れません。(管理人も、タダ券をもらった時くらいしか行きませんでしたからねぇ。)

菊は薔薇と共に品種の数も数知れず、色、形ともに実に多彩です。ものによっては楽器や音符のように見えるのは、贔屓目というやつでしょうか。

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さて、その菊の日ですから、菊→きく→聴く の連想から(そのままですが・・・)、暫くお休みしていましたお薦めCDのコーナーを復活致しましょう。いいえ、実はサボっていたのではありません。野暮になりますから敢えて解説は致しませんけれど、ちゃんと繋がっていたのですよ。


と言うわけで、今日のCDはこれ!
バントック(Sir Granville Bantock, 1868-1946)の「Sappho―メゾ・ソプラノとオーケストラのための前奏曲と9つの断片」。

バントックはイギリスの作曲家で、エルガーとほぼ同じ時期に活躍していた英国音楽界の大御所の一人です。しかし、何故かエルガーが人口に膾炙しているのに対し、知る人ぞ知る存在になっています。彼の作品は一見19世紀後期ロマン派風。バントックを時代遅れの作曲家と捉えるかどうかは、聴き手の耳次第です。しかし、彼の残した作品群は、今日コンサート(極めて少ないのが残念)やCDで聴く限りいずれも超弩級の傑作ばかり。ケルト交響曲、ヘブリディーズ交響曲、異教徒交響曲などが比較的知られた存在でしょうか。でもそれだけではありませんよ。中でも最上級の作品がこれです。

Sapphoはギリシャの女流詩人で、女神アフロディーテの愛と苦悩を描いた彼女の詩を元に歌曲集として仕上げたのがこの作品です。作曲は1900年頃から徐々に手がけられ、1906年の9月に歌曲の第1曲‘Hymn to Aphrodite’だけがQueen's HallでHenry Woodの指揮の下、演奏されました。しかし、全曲の演奏はなかなか実現されず、1921年まで待たねばなりませんでした。

1921年の初演の後も、同曲の演奏機会は極めて少なく、次の全曲演奏は1968年のバントック生誕百年を記念した放送録音を除けば、1996年のBirmingham University Orchestraによるものまで待たねばならなかったと言うのですから、何とも言い難しです。

さてその本曲、ハープが初めから終わりまで大活躍。メゾ・ソプラノによる歌唱の美しさもさることながら、伴奏のオーケストラ部分が実に実に美しいです。ほぼ同時代のオケ伴奏歌曲集としては、R.シュトラウスやマーラーが抜きん出ていますが、彼らのオーケストレーションが綺羅綺羅と輝く濃厚華美なロマンティシズムを発揮するのに対し、バントックのそれは同じロマンティックでも燻し銀のようにとても上品で格調が高いという違いがあるように思えます。異国情緒の美を描かせたら、イギリス国内はもとより、ヨーロッパ全土を見渡してもバントックほどの腕を示す御仁はおりません。この録音が無かったら、きっとそうした美の存在に気が付かなかったことでしょう。Hyperionに心から感謝です。


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風の丘を越えて(2)
- 2007/09/08(Sat) -
Chinseika1



アリアリラン スリスリラン アラリガナンネー♪
アリラン ウンウンウン アラリガナンネ♪


初老の男と若い男女の3人が、「珍島(チンド)アリラン」を楽しげに唄い踊りながら、峠を越えて長い小道を歩いてくる。3人がそれぞれの人生で最も幸福であったひとときであったのでしょう。ただ風が静かに吹き渡る豆畑の中を、やがて唄い踊る彼らの姿は小さく小さくなっていきます。イム・グォンテク監督「風の丘を越えて−西便制」(1993年)から、韓国映画史上屈指の名場面と呼ばれている5分間以上にも及ぶワンカットシーンです。


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韓国映画やTVドラマが日本でも脚光を浴びていますが、管理人が彼の国の映像文化が並々ならない深さと広がりを持つことを知ったのは、そうした近年注目のTVドラマや人気俳優がお茶の間の話題となるより少し以前、この格調高い作品を初めて観た時です。

この映画は、19世紀から20世紀初頭にかけて、韓国全羅道を中心として発展して来た伝統的演唱芸能パンソリを歌う旅芸人一家のお話を描いたものです。邦題に副えてある「西便制(ソピョンジェ)」とは、実はパンソリの流派の名前であり、原作となった小説本および韓国版映画の原題でもあります。

物語は1960年代の初め、ある村にドンホという男がやって来て、その時分となっては極めて珍しいパンソリを聞かせる女性に出会うシーンから始まります。男は1930年代の自分が幼かった頃を回想します。


ドンホがもの心がやっと付いたか付かなかった頃のこと、彼の村にキム・ユボンというパンソリの歌い手がやって来ました。ユボンはドンホの母である未亡人と恋に落ち、子をもうけようとするが、お産は失敗に終わり、彼女も死んでしまいます。後に残されたドンホと、以前から連れていた養女ソンファを連れユボンは旅に出ます。ユボンはドンホに太鼓を、ソンファに歌を教えながら旅回りを続けました。若い2人のパンソリは徐々に上達しますが、芸に厳しいユボンの満足には至らず、指導は益々きつくなりました。そのあまりの厳しさとあまりに貧しい生活に嫌気がさしたドンホは、ユボンに反抗し、とうとうユボンとソンファの下を飛び出してしまいます。

このことにショックを受けたソンファは、パンソリを唄うことをやめてしまいました。そんなソンファに対し、ユボンはおかまいなしに彼女を追い詰めます。
「西便制の声は、人の心を刃物で削ぐように恨(ハン)が染みこむものだ。お前の声は美しいが、恨が欠けている」と。
さらにこうも言いました。
「人の恨とは、生きることだ。心に鬱積する感情のしこりだ。生きることは恨を積むこと。恨を積むことが生きることなのだ」
そして、それを会得させるために、あろうことか何とソンファに対してこっそり毒を盛るという荒療治を施してしまいます。
その結果、ソンファは失明。彼女は薄々父の仕業に気が付くのですが、光を失った彼女はその運命を受け入れるしかなく、再びパンソリを唄い始めます。


それから数年が経ち、老いて身体が弱ったユボンは、亡くなる間際ソンファに言い残します。
「お前の唄には今や恨が込められている。しかし、これからはその恨を超える声を出してみろ。西便制は悲哀と愛憎に満ちている。しかし恨を超えれば、西便制も東便制もなく、ただ唄の境地があるのみだ」と。


一方、ドンホは飛び出してから苦労を重ねるばかり。それでも、やがて辛うじて自身の生活も安定するようになってから、ユボンらの下を逃げ出したことを後悔するようになります。そうして韓国中を探しに探して、ようやく再び姉ソンファに巡り会ったのが冒頭のシーンです。


女は眼が見えないために、そこに現れた男が義弟であることに気がつかないまま、求めに応じてパンソリ「沈清歌」を唄い始めます。唄が始まるとまもなく、男は手にした太鼓を打ち始めます。二人の身体は何ら触れ合わず、何ら言葉も交わさないけれど、女は眼の前で太鼓を叩く男が、何十年も前に生き別れたままであった弟であることを感じ取ります。弟はただ姉の唄に合わせて懸命に太鼓を叩きます。この場面は、腹の底から搾り出される沈清歌の唄声の迫力に圧倒され、全身にしびれが走る圧巻のシーンであり、珍島アリランを唄うシーンと共に、決して忘れることができません。正にパンソリの真髄を聴くことが出来ると言えましょう。


唄い終わったソンファは、万感を胸に秘めながら、しかし弟に再会した喜びの言葉は一言も口に出さず身を整えます。彼女には居酒屋の男やもめに囲われているという、すでに捨て難い生活があることを映画はそれとなく暗示させます。弟もまた、永年の苦労の末にやっと姉に再会出来たことは一言も口に出さず、静かに太鼓の撥を置いて別れを告げるのです。二人の間に、もはや言葉はいらなくなっていたのでしょう。

あれ程待っていた弟と別れてしまったのは何故と問われて、ソンファは答えます。
「私たちの過去はあまりに重過ぎて触れたくないから。昨日私たちは唄うことで、もう恨(ハン)を超えました」と。


登場の俳優らはいずれも本格的にパンソリを学んだ俳優たちで、本映画では、吹き替えなしに超一級の唄声を聴かせてくれます。いささか古い作品ですから、ご近所のビデオ屋さんに行っても必ずあるとは限りません。ですが、心からお薦めする韓国映画の金字塔です。いつかどこかで見つけられたら是非ご覧になってみて下さい。テーマ音楽も素晴らしいです。


風の丘

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風の丘を越えて(1)
- 2007/09/08(Sat) -
Chinseika2



韓国南西部に位置する全羅道では、19世紀から20世紀にかけて、パンソリと呼ばれる1人の唱者がプク(太鼓)に合わせて物語を語るという独特の演唱芸能が発展しました。

その最高傑作とも言われる作品が「沈清歌(シムチョンガ)」です。1曲全てを完全に唄い切る(完唱)には、約5時間から8時間を要するとのこと。これでは唄う方はもちろん、聴く方も体力的に容易ではありませんので、通常は、大巾に途中を割愛した約1時間程度の短縮版を演ずるそうです。


この「沈清歌」のあらすじは、おおよそ以下のようになっています。


昔々、沈清という名のそれはそれは親孝行で美しい娘がおったそうな。
沈清は、目の不自由な父親を何とか直して上げたいと一心に思っていましたが、薬代も治療代もままならない貧しい暮らし。とうとう船頭に売られてしまいました。

ある日のこと、船乗りたちが、航海の安全を祈願するためには生け贄が必要であると、何と可憐な沈清を海の神に捧げろと言い出します。これを聞いた沈清は、自分の命で収まるものならばと、自ら海中に飛び込んでしまいました。

深い海の底に辿り着いた沈清は、そこで海の神様と出会います。沈清を哀れに思った神様は、再び彼女を陸に戻して上げることにしました。

沈清が死んだものと深く落胆していた父親の元に、蓮の花に乗った沈清が現れます。予想もしなかった再会に喜びの涙を流した父親の眼は、再び見えるようになったんだそうな・・・。めでたし、めでたし。


Chindo7



この沈清歌が作られ、またよく唄われていた全羅南道のもう一つの名物と言えば、あの聖書に出てくるモーゼの奇跡「海割れ」のように、大干潮の時に忽然と海面から道が現れる珍島(チンド)の「海割れ」現象です。

この海割れは、天童よしみの「珍島物語」で一躍全国的に有名になりましたね。あの「海が割れるのよ〜♪」です。風の具合にもよりますが、この付近一帯特有の地形と潮流の大きな干満現象により、珍島と茅島約2.8キロの間に、ほんの1時間程度だけ海中から道が現れるというのですから驚きという外ありません。出現した海上の道を反対側から見ると以下のようになります。


Chindo8



中山大三郎の作詞・作曲となる「珍島物語」の歌詞は、現在別れ別れになっている家族との再会を願ったものなのですが、この海割れによって2つの島がつながることになぞらえて、南北朝鮮の分断がやがて融和解消されることを願ったものと解釈することもできます。ここでは歌詞全てを掲載することは控えますが、一度じっくりご覧になった上で歌を聴いてみて下さい。


日本の演歌はさて置きまして、全羅南道のパンソリ習得に際して、最も基本的な歌であり、かつ韓国・朝鮮の民謡として代表的な曲。それが「珍島アリラン」です。皆さんがよくご存知の「正調アリラン」とは、歌詞もメロディーも違いますのでご注意を。一度聴いたら、必ずや耳に残るであろう次のフレーズから始まります。


アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ♪
アリラン ウンウンウン アラリガナンネ♪


この歌には、おおよそ次のような意味の歌詞が続きます。

1. 聞慶鳥峠は なんたる峠か
  くねるよ くねくね 涙が出るよ

2. 遊びながら行こう 遊びながら行こう
  あの月がのぼって沈むまで 遊びながら行こうじゃないか

3. 遥か彼方の大海原に ぷかぷかぷかと浮かぶ船
  えんやこら えんやこら 櫓を漕げよ


                        (後編へとつづく)
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幕間の小休止
- 2007/09/03(Mon) -
Wagashi5



まだ日中は残暑が厳しいとは言え、日が暮れるのがすっかり早くなって来ました。夕焼けが美しい季節です。

今日は休み明けの月曜日。重い身体を引きずってお仕事された皆様、ご苦労様でした。中には長い夏休みが終わって、今日から学校が始まったという人もいらっしゃるのでは。

これから秋本番を迎えます。先ずは、熱っついお茶と、「赤とんぼ」と「ほおずき」のお菓子でおくつろぎ下さいな。


小休止のひととき、流れる音楽は何に致しましょうか。
カリンニコフのインテルメッツォ1番と2番などは如何?
あるいはセレナードもいいですよ。

あ、間違っても交響曲第2番は聴かないでね。それは取って置きの音楽ですからぁ・・・。


Kalinnikov2

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薮原・奈良井名産―お六櫛
- 2007/09/03(Mon) -
Narai6



信州中山道を木曽川に沿って遡ると、いよいよ最後には、太平洋側に流れ込む木曽川と日本海側に流れ込む信濃川の2大水系を別け隔てる分水嶺となっている鳥居峠に突き当たります。昔から、日のある内にこの峠を越えようか越えまいかと思案する旅人を待ち受けるかのように、薮原と奈良井という2つの宿場があって、特に江戸時代には大変栄えました。

写真は、その薮原の町の特産品「お六櫛」です。カバノキ科のミネバリという木を素材にして作られています。他にはツゲで作られているものもあります。これらの木材は、非常に硬いので歯が折れにくく、かつ粘りがあって、櫛の材料としては理想的なのだそうです。実際に使い易いですし、工芸品としても品があって、女性には特にお薦めです。

この櫛の由来は、約300年ほど前に美人で評判であった木曽の旅籠の娘「お六」が持病の頭痛に悩んで御嶽山に願をかけたところ、ミネバリで作った櫛を使うとよいとのお告げを受け、早速朝夕にその櫛で黒髪を梳いたらば程無く全快したのだそうです。そこでお六は、ご利益を同病者にも分け与えようとその櫛を売ったところ、中山道を行き交う旅人の間で評判となり、薮原の特産品となったということです。


鳥居峠は中山道ではちょっとした難所で、それまで山あいを縫うようにやって来た街道が最後の両宿場を離れると、急に人家もまばらとなり、しかも急な登り坂、鬱蒼とした深い森の中に入るので、昼間でもいささか不安になります。管理人は、実際に歩いてこの峠を越えたことがありますが、途中何箇所か「おいはぎ現場」と書いてある不思議な看板があり、その不安をいや増した想い出があります。[後日談:失念してしまいましたが、とある文学作品の舞台となった場所の意だったんですね。全く人騒がせな・・・。]


峠の前後にある両宿場町は、昔から旅人に格好の話題を提供して来ましたようで、奈良井を舞台としたこんな作品もあるのです。再び泉鏡花の作品「眉隠しの霊」から、その一部を引用致しましょう。


**********

木曽街道、奈良井の駅(ステーション)は、中央線起点、飯田町より一五八哩(マイル)二、海抜三二〇〇尺、と言い出すより、膝栗毛を思う方が手っ取り早く行旅の情を催させる。

ここは弥次郎兵衛、喜多八が、とぼとぼと鳥居峠を越すと、日も西の山の端に傾きければ、両側の旅籠屋より、女ども立ち出でて、もしもしお泊まりじゃござんしないか、お風呂も湧いていずに、お泊まりなお泊まりな――喜多八が、まだ少し早いけれど……弥次郎、もう泊まってもよかろう、のう姐さん――女、お泊まりなさんし、お夜食はお飯(まんま)でも、蕎麦でも、お蕎麦でよかあ、おはたご安くして上げませず。弥次郎、いかさま、安い方がいい、蕎麦でいくらだ。女、はい、お蕎麦なら百十六銭(もん)でござんさあ。

二人は旅銀の乏しさに、そんならそうときめて泊まって、湯から上がると、その約束の蕎麦が出る。さっそくにくいかかって、喜多八、こっちの方では蕎麦はいいが、したじが悪いにはあやまる。弥次郎、そのかわりにお給仕がうつくしいからいい、のう姐さん、と洒落かかって、もう一杯くんねえ。女、もうお蕎麦はそれぎりでござんさあ。弥次郎、なに、もうねえのか、たった二ぜんずつ食ったものを、つまらねえ、これじゃあ食いたりねえ。喜多八、はたごが安いも凄まじい。二はいばかり食っていられるものか。弥次郎……馬鹿なつらな、銭は出すから飯をくんねえ。

……無慚(むざん)や、なけなしの懐中(ふところ)を、けっく蕎麦だけ余計につかわされてしょ気返る。その夜、故郷の江戸お箪笥町引出し横町、取手屋の鐶兵衛(かんべえ)とて、工面のいい馴染に逢って、ふもとの山寺に詣でて鹿の鳴き声を聞いた処……

……と思うと、ふとここで泊まりたくなった。停車場を、もう汽車が出ようとする間際だったと言うのである。

この、筆者の友、境賛吉は、実は蔦かずら木曽の桟橋(かけはし)、寝覚の床などを見物のつもりで、上松までの切符を持っていた。霜月の半ばであった。
「……しかも、その蕎麦二膳には不思議な縁がありましたよ……」
と、境が話した。


([中略]・・・物語は、この境なる人物が奈良井の宿に投宿したいきさつをおもむろに語るところから始まります。最初の晩に宿の食事として鶫(つぐみ)を炭火で炙ったものが出されます。今では鳥獣保護のため禁猟となっていると思いますが、当時この信州ではカスミ網を使って捕らえた鶫は、貴重な蛋白源であり、また珍味として結構値の張る食材だったのでしょう。境は、その珍品が気に入り、しばし逗留する気になったのです。そして、何故か池の鯉をじっと眺めるクセのある宿の料理人や女中と世間話をする内に、その宿には何やら妖しい気配が漂うことに気が付きます。)


雪の頂から星が一つ下がったように、入相(いりあい)の座敷に電燈の点いた時、女中が風呂を知らせに来た。

「すぐに膳を。」と声を掛けておいて、待ち構えた湯どのへ、一散――例の洗面所の向うの扉を開けると、上がり場らしいが、ハテ真暗である。いやいや、提灯(ちょうちん)が一燈ぼうと薄白く点いている。そこにもう一枚扉(ひらき)があって閉まっていた。そのなかが湯どのらしい。

「半作事(はんさくじ)だと言うから、まだ電燈(でんき)が点かないのだろう。おお、二つ巴の紋だな。大星だか由良之介だかで、鼻を衝く、鬱陶しい巴の紋も、ここへ来ると、木曾殿の寵愛を思い出させるから奥床しい。」
と帯を解きかけると、ちゃぶり――という――人が居て湯を使う気勢(けはい)がする。この時、洗面所の水の音がハタとやんだ。

境はためらった。
が、いつでもかまわぬ。……他(ひと)が済んで、湯のあいた時を知らせてもらいたいと言っておいたのである。誰も入ってはいまい。とにかくと、解きかけた帯をはさんで、ずッと寄って、その提灯の上から、扉にひったりと頬をつけて伺うと、袖のあたりに、すうーと暗くなる、蝋燭が、またぽうと明くなる。影が痣(あざ)になって、巴が一つ片頬に映るように陰気に沁み込む、と思うと、ばちゃり……内端(うちは)に湯が動いた。何の隙間からか、ぷんと梅の香を、ぬくもりで溶かしたような白粉(おしろい)の香がする。
「婦人(おんな)だ」

**********


浪漫主義の王道を行き、怪奇物を好んで書きながら、少しも低俗なグロテスクさは無く、むしろ特異な情況設定ですら読者をなんなく魔法にかけたように幻想的な世界に誘い込む鏡花の格調高い筆力には素晴らしいものがあります。代表作「高野聖」に登場する女主人公の幽玄な水浴シーンは、あまりにも有名ですが、この「眉隠しの霊」に出てくる女(実は幽霊)も実に妖艶に描かれており、ぽうっと点いた二つ巴の提灯が見事な演出効果を醸し出しており、舞台設定としては申し分ありません。

さて、浴室に居た女は誰であったのか、このお話の続きが気になる方は、是非とも原作をお読みになって下さいね。池の鯉や料理に出た鶫を見事な話の小道具としても使っておりますので、その辺りにも注目を。[管理人注:現在、鏡花の作品の大半は青空文庫に収録されています。]


最後に、栄泉作「奈良井宿」をこちらに掲げましょう。この浮世絵によると、奈良井宿でも「お六櫛」が名産品として売られていることが分かりますね。   (もうちょっと「つづく」・・・)


Narai13



音楽が未だ出て来ないですって?あははは。一連の記事に共通する主題が一体なんなのでしょうねぇ。

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