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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

真夜中のイサベラ
Halloween11


Happy Halloween!

10月31日はハロウィーン、日本でもだいぶ知られるようになりましたね。米国ではこの日、大人たちは職場などで仮装パーティーがあったり、子供たちは学校が終わってから近所を回って「Trick or Treat!」と言ってキャンディーなどのお菓子をもらう、ちょっと楽しい日なんです。もしも、お菓子の用意が無かったりすると、「いたずらするぞ」っていう訳です。だからスーパーなどでは、10月に入るとお店の中がハロウィーンらしい飾り付けに変わり、キャンディーやお菓子類が山盛りになって売られます。

昔はそれこそ本当にたくさんの子供たちが、近所の家々を回ったそうですが、昨今は物騒な世の中。中にはやって来た子供に悪いことをする変質者が現れるようになったため、隣近所が互いに顔見知りで安心して暮らせる住宅街を除いて、この風習は廃れつつあるように聞き及びます。大変残念なことです。

ところで、このハロウィーンって一体どんな日なのでしょうか。実はいろいろなものが融合して今日の姿になったようで、検索してもソースにより若干説明が異なります。一応アイルランドやスコットランドに古くから伝わる収穫シーズンの終わりを告げるケルト暦のお祭りSamhain(ゲール語で11月の意)が起源にあり、これにキリスト教の祝日である11月1日の万聖節(すべての聖人のための日)と11月2日の万霊節(すべての死者のための日)が一体となって、主に19世紀頃から、特に米国に移民した人々の間に万聖節のイブの日としてハロウィーンが祝われるようになったようです。

ですから、収穫を終えて、ほっと一休みという時に霊が蘇る日、つまり丁度日本のお盆のような日でもあるわけです。ハロウィーンにかぼちゃのランプ(Jack'o lanternと呼ぶ)が飾られたり、お化けの仮装がよくされるのは、そういう訳なのですね。


R. シュトラウスのオーケストラ伴奏歌曲に「万霊節 Allerseelen」という名曲があります。半年前に亡くなった恋人をその秋の万霊節に偲ぶ歌で、「朝 Morgen」と並んで最も有名な歌曲の一つです。

今日はその曲ではなく、亡くなった恋人を切なく偲ぶ音楽としてイギリスの作曲家ブリッジ(Frank Bridge, 1879-1941)が作った管弦楽作品を2曲、ご紹介したいと思います。交響詩‘真夜中 Mid of the Night’(1903年作)と、その数年後に作曲された交響詩‘イサベラ Isabella’(1907年作)。前者は、後期ロマン派の作風を習得しようとして、特にチャイコフスキーの‘Romeo and Juliet’を手本に、ストーリー性のある音楽を作ろうとした彼の初の管弦楽作品です。しかし、経験が少ないため、若干構成の点で弱いところがあると考えたらしく(と言っても、今日聴いても他の作品に何ら遜色の無い立派な音楽で、ブリッジの早熟ぶりが伺い知れます)、その数年後に新たに作った作品が後者です。両者は、共に真夜中を描いているという共通点があり、また一部モチーフも共有されています。

元々の原作はイタリアのボッカチオによる聊かホラーじみたお話で、それを台本にしたイギリス文学史上ロマン派確立の草分けと位置付けされる詩人John Keats (1795-1821)のとある詩を読んで、ブリッジは作曲を思い立ちました。物語の概略は以下のようなものです。


ある裕福な家庭に育った美しいイサベラは、屋敷に出入りしていたとてもハンサムな青年ロレンゾと恋仲になりました。彼女には2人の兄弟がいましたが、兄弟であるにも拘わらず何故かこのことに嫉妬して、ある日のこと共謀してロレンゾを密かに森に誘い出し、何と彼を殺した上、首を切断してしまいました。(恋敵なら分かるけれど何故なんでしょう??)

とある真夜中のこと、そんなこととは露知らないイサベラが、余りの寝苦しさに思わず目を覚ましたその枕元にロレンゾの幽霊が現れます。まるで自分を探して欲しいと言われたように感じたイサベラは、居ても立ってもいられず、彼女の乳母を伴って馬に乗り、真っ暗闇の森の中へと飛び出しました。

そして、とうとう深い森の中で、イサベラは恋人の死体と対面します。彼女は切り落とされたロレンゾの頭部だけを大事に持ち帰りました。そして帰宅してから、その頭部を壺に収め、その上に土をまぶせて、さらにバジルを植えましたが、このことについては誰にもしゃべることなく黙っていました。

イサベラが気落ちしながらも何やら隠し事があるらしいと気がついた2人の兄弟は、必死にその謎を明かそうとします。そして、とうとうイサベラの不在中にその壷を盗み出してしまうのです。イサベラは深く嘆き悲しみ、余りの傷心のために衰弱死してしまいました。「バジルの壷を私に返して」と最後まで懇願しながら・・・。


とても哀しく切ないお話でしょう? 音楽は、ホルンの旋律がロレンゾを、愁いのある音色のオーボエがイサベラを表しており、背筋も凍る深夜の騎行やロレンゾが殺される瞬間、イサベラの枕元に幽霊として現れるロレンゾ、そして最後には2人が昇天してあの世で一緒になるところまでが、忠実に描写されています。習作的位置付けの「真夜中」と完成品「イサベラ」の2作品を、以下のCDで同時に聴くことができます(Chandos CHAN 9950)。秋の夜長、ゾッとするほど切ない愛の物語で時を過ごしてみるのは如何でしょうか。


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千年鶴
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以前、「風の丘を越えて―西便制」という韓国映画を取り上げたことがあります(9月8日の記事)。伝統的歌唱芸能パンソリをテーマにした作品で、当時の韓国映画動員記録を塗り替え、日本でも公開されました。

その続編とも呼ぶべき映画「千年鶴」が、本年春に完成し、本国では既に公開されました。イ・チョンジュンの小説『南道の人「ソナク(仙鶴)洞の旅人」』を原作にしたイム・クォンテク監督の丁度100作目となる記念すべき作品です。

本作では血のつながりの無い義理の姉と弟の再会以後について、ほのかな恋愛物語として捉え直した構成となっており、状況設定は基本的に前作と同じですが、回想シーンを含めて全く別の物語として捉えるべきでしょう。

先ずは美しい映像の数々をスチールカットから。


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義姉ソンファと弟ドンホは、貧しさに耐えながらも厳しいパンソリの修業を養父ユボンから受けます。しかし、やがてドンホは余りの貧しさと、何よりもソンファに対していつしか姉以上の感情を抱くことに耐えかねて独り飛び出してしまいます。

ドンホが去ってからソンファは消沈し、歌を唄う気力を無くしてしまいます。そこでユボンが芸の精進のためとった方策はむごいものでした。残されたソンファに毒を盛り、彼女を失明させてしまうのです。一人で歩くことも叶わず、已む無く運命を受け入れたソンファは、また歌を唄い始めます。今度は前に益して唄に深みを持つようになって・・・。


それから何年も経ち、ドンホは養父が亡くなり、ソンファが目が見えないまま何処かに消えてしまったうわさを耳にします。ソンファを探し出し、再び彼女の唄声に太鼓の囃子をつけて、彼女の目になろうと思ったドンホは必至に彼女を探し求めます。が、しばしの出会いがあるばかりで、すれ違いの連続。

そんな中、長い別れで疲れたドンホはある劇団女優の誘惑に心が揺れてしまいます。一方、ソンファはドンホを前にしては、とても愛を表現することができないけれど、一途に片思いを寄せる(ソナク洞にある)立ち飲み屋の主人を拒みつつ、パンソリをドンホと思って歌に熱中し続けます。が、ある日のこと、ソンファは女優とドンホの便りを耳にして、衝撃の余り姿をくらませてしまいました。


それから暫く経ったある日のこと、ついにそのソナク洞の飲み屋を訪ねて来たドンホは、自分が知りえなかったソンファの話を聞くことに・・・。


どうです、実際に映画をご覧になりたくなったか、続きの話をお聞きになりたいでしょう?

ところが残念なことに、日本ではどうも一般公開されないようなのです。と言いますのは、本国での観客動員数が予想外に奮わなかったからなのです。10代-20代の若い世代に、このような暗い話はどうも受けないらしく、90年代初めにあった西便制シンドロームとも呼ぶべき自国の伝統的文化に対する熱狂は、どうやら過去のものとなってしまったみたいなんです。もっともカンヌ映画祭に出品されるらしいとの情報もあるみたいですから、結果によっては劇場公開があるかも知れません。

映画の公式ホームページはこちらです。↓ 

http://www.beyondtheyears.com/

Englishをクリックすると美しいテーマ音楽が流れて来ます。さらに次のページでMultimediaのTrailerをクリックすると、予告と言いますか極めて短いダイジェストを観ることが出来ます。最後は、ラストで梅の花びらがまるで雪のように画面一杯に散り乱れる美しいシーンからの1枚です。

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この映画のサントラ盤CD(音楽:ヤン・バンオン)が日本でも入手可能です。音楽も実に美しくて素晴らしい!


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秋本番―ロシアのピアノ協奏曲(4)
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最近、食品の偽装のニュースが相次いでいます。もちろん、表示は正しいものと信じていた消費者の人たちを騙していたわけですから、そうした企業が厳しい批判にさらされることは当然です。

しかし、どうなのでしょう。内部告発される程に悪質なところはともかく、類したことをやっていないと完全に胸を張れる企業は一体どのくらいあるのでしょうか。売り上げ確保と企業の存続という切羽詰まった事情のために、あまり公にはしたくないことをしている会社は相当な数に上るものと管理人は思っています。

また相撲やボクシングで起きている数々の不祥事などを見ても、当初は軽く考えていたことが次々と裏目に出て、結局は取り返しのつかない事態に陥っているように思えます。おそらくは、告発される前に何時公表した方がダメージを最小限に抑えて穏便に済ませられるだろうかと頭を悩ましている社長さんは、ゴマンといらっしゃるのではないでしょうか。

こうしたことで問題になっている当事者たちを声高に非難する気には、管理人はどうもなれません。非の無い人などほとんどおらず、明日は我が身と思ってしまうからです。いや他人事ではありません。秋なんですね。何となく憂鬱。そしていろいろなことが走馬灯のように頭の中を巡ります。


さて今回を含めて第4回目となるロシアのピアノ協奏曲シリーズ、番号付きの記事としては最長となります。ここらで真にロシア出身作曲家でロマンティックな作品を取り上げたいと思います。もちろん今までのだって素晴らしいのですが、ラフマニノフの盟友であり、彼のPコンに匹敵すると管理人は信じていますメトネル(NIkolai Medtner, 1880-1951)のピアノ協奏曲第3番です。

メトネルはモスクワの生まれ、真正のロシア人です。1900年モスクワ音楽院を卒業する際にはAnton Rubinstein賞を受賞。ラフマニノフと並んで将来を嘱望された逸材でした。こうした時期の代表作として彼の協奏曲第1番では、野心満々な若者による、まるでヴィルトゥオジティの権化のようなPコンを聴くことができます。1920年代に作られた第2番は、ラフマニノフに献呈され、ラフマニノフの第4番がメトネルに献呈されたことからも、如何に2人が互いに信頼、尊敬しあっていたかが分かります。

きっとメトネルとしては永続的にロシアに留まっていたかったのでしょう。しかしロシア革命後、旧体制から支持された音楽家たちは、次第に住み難くなった祖国を離れ始めました。メトネルもその例外ではありませんでした。ラフマニノフよりは遅れてロシアに別れを告げ、結局イギリスはロンドンに活動の場を移すことになりました。こうしたほぼ亡命に近い海外脱出には、革命後早々にアメリカに移り住んだ盟友の助言と助力があったように思われます。

ピアノ協奏曲第3番は、1940年から着手され1943年に完成しました。冒頭は、木管楽器群が全くメロディーのない音符を断片的に吹き続ける中に、ピアノがおもむろに弾き始めます。この部分は、これまでの苦労がまるで何も無かったかのように飄々と若い頃を回顧するようで、私の大好きなシーンです。その後は老境を感じさせる渋い音楽になるかと言うと、とんでもありません。とても60代の人とは思えない緻密で、重厚で、それでいてピアノ本来の持つ華麗さと可憐ささえも併せ持つ、とにかく申し分のない音楽が次から次と繰り出されます。祖国を遠く離れていても、メトネルの心の中にはきっとロシアの大地と人々の顔がくっきりと浮かんでいたに違いありません。葉が落ち行く前に、鮮やかに赤く燃える心が見事に音楽作品として結実したロシア音楽史に忘れてはならない傑作だと思います。

いろいろとCDは出ていますが、名曲だけにいずれも甲乙付け難し。しかし、これまたMichael Pontiの演奏するメトネルの第3番Pコンが、大河の風格と可憐な美を兼ね備えた超弩級の仕上がりです。是非是非Pontiの演奏で聴いてみて下さいませ。しかもしかも、このVoxBoxのセットには、バラキレフ、リャープノフ、更にはロシアではないけれどシンディング、ゲーツと言った絢爛豪華な役者が勢揃い。これが千円台で買えるなんて、決して偽装ではありませんよ。


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さてさてロシアのピアノ協奏曲シリーズ、未だ未だ推薦曲は尽きません。けれども芸術の秋です。多彩な音楽を聴いてみたいですから、ここらで一端閉じさせて頂きたいと思います。そしてこの続きは、また何時かやりたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。


秋本番―ロシアのピアノ協奏曲(3)
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またまた飛行機に乗ってやって来ました。ここはロシア・・・。いやロシアの領土に最も近いある島です(笑)。

現地の天候は雨との予想でしたが、何とか曇り空で済みました。しかし、さすがに高緯度にあって日が短く、だから寒いです。折角こんな遠いところに来ましたからには、ロシア料理でもと思いましたら、ふと目に入った小さなロシアン・レストラン。ラーメンはいつでも食べられますからね(笑)。

何事にも動じそうもない大らかな動きの老婦人は、このレストランの女主人でしょうか。もう一人のお若いご婦人と、お二人でこのお店を切り盛りしている様子でした。店内には既に何人か酔客がいて、声高に何か話合っています。そして当然と言いますか、壁にはロシアン・グッズなどがいっぱいに飾られており、しかもBGMとして流れているのはロシア民謡の男性合唱ではないですか。ちょっとタイムスリップをしたような感じです。

お腹がすいていたので、何か食べるものをとお願いしたら、赤カブのボルシチと、ご飯をカツレツにした不思議なメニューを勧められました。店内が暗くて、しかも何故かカメラのフラッシュが点かなかったため写りが悪いですが、ボルシチだけ撮ってみました。テーブルに反射して映ったランプが何となくお店の雰囲気を出しています。

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さて一通り頂いて「お会計は幾ら?」と尋ねつつ、初めてのお店なので念のため頭の中でカチャカチャと計算をする。まもなく女主人が勘定書を見せることも無く言った金額は、どうも私の計算とは合いません。大した金額の差でもないので、ま、いいかと思いつつ、えーと、これが幾らでこれが幾らでしょ、と小さな抵抗。女主人、少しも騒がず、「仰る通りです。それに消費税がかかります。」と。あれっ?お値段はすべて税込みで表示しなければならないのでは?また仮に税を上乗せしたとしても、まだ少し金額が違うのでは、って少しむっとしましたが、もう戦意は喪失しておりました。私の小さな小さな「怒りの日」。あ、でもお味はとても良かったですよ。


冒頭の写真は、ご存知ロシアみやげとして最も人気のあるお土産の代表、マトリョーシカです。大きなお人形をパカッと開けると、中にまるでコピーしたような一回り小さなお人形が入っていて、それを開けると、また中に・・・。という、いわゆる入れ子になっているお人形です。最後は、小さな小さなお人形があって、それに願いを込めて再び順次大きなお人形に大事に収めてお祈りすると、やがてその願いが叶うのだそうです。

このようなお人形が一体何時頃からロシアで作られたのかという疑問の答えには、諸説あって、本当のところはよくわからないそうなんです。ただそんなにルーツは古くなく、19世紀の末頃らしいということ。と言いますのは、マトリョーシカ人形が、1900年のパリ万博で銅メダルを取ったという史実があるからです。また日本の箱根を訪れたロシア人修道士が、お土産として売られていた箱根細工の入れ子人形を見て、帰国後作ったらしいとか、日露戦争の際、ロシア人捕虜が愛媛の特産品の姫だるまを持ち帰って作ったらしいとか、何かと日本との関連をほのめかす説が多いのは興味深いです。


さてさて本日のロシアのピアノ協奏曲、こんなことがありまして選びました。生まれはチェコですが後にロシアに移住し、ルービンスタインらと共にロシアのクラシック音楽を発展することに終生を捧げたナープラヴニーク(Eduard Napravnik, 1839-1916)のConcerto for piano and orchestra in A minor, Op.27とします。この曲は、Hyperionから出ていますのが多分現在唯一のCD音源(CDA67511)で、そこではConcerto symphonique in A minorという曲名となっていますが、事実上はピアノ協奏曲です。

Napravnikは、おそらく作曲家としてよりも指揮者としての方がよく知られています。チャイコフスキーの死後、「悲愴」の初演が大失敗に終わったその9日後、彼が演奏した時は、大成功。初演ではオーケストラの練習不足という問題があったにしても、Napravnikの指揮者としての手腕が如何に優れていたかを物語るエピソードです。

彼のPコン、何しろのっけからヴェルディのレクイエム「怒りの日」のモチーフから始まります。最初っからアクセル全開。そしてそのまま終わりまで突っ走るという、爽快と言えばこれ程爽快なPコンもそうあるものではありません。この曲、Napravnikがヴェルディのレクイエムを彼の棒でロシア初演した直後に作られたということですから、影響を受けたとかそういう次元ではなく、コピーしたのは確信犯と言えるでしょう。若干スケールが原曲より小さくなるのはマトリョーシカとしては、止むを得ない?それでも、とにかくステージとピアノが大振動する爆裂のリズムに、きっとどなたも仰天されることを請け合います。こういう曲、大好きなんだなぁ。


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秋本番―ロシアのピアノ協奏曲(2)
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小中学校の頃、世界地図帳を開いて不可解だった疑問の一つに、(当時)ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が一つの国のように見えるのに、ウラル山脈を境界に2つに分かれ、西はヨーロッパ、東はアジアとなっていて、一体ソ連はどちらに属するの?というのがありました。

16世紀末のロマノフ朝台頭以来、モスクワにしてもサンクト・ぺテルブルグ(ソ連時代はレニングラードと呼ばれた)にしても、フランスやドイツの方にばかり顔を向けていて、いわゆるヨーロッパ中心の文化を積極的に取り入れることに熱心だったように思います。その意味では、地理学上の問題は別にしても、文化的にはヨーロッパの一員とあらんとしたことだけは確かでしょう。

それが、1991年にソ連邦が崩壊してからは、ロシア共和国と連邦を構成していた数多くの共和国にそれぞれ分離独立して、いまや「ロシア文化」あるいは「ロシア音楽」という言葉で、どこまで一括りに出来るのか、管理人にはとても難しい問題です。

写真は、西欧の限られた場所でしか製作できなかった超高級な磁器を、何とかロシア国内でも作ろうとして1850-60年代にモスクワ近郊で作られたティー・ポットとカップです。手の込んだレリーフと言い、美しい色付けや磁器本来の白など、かなり出来の良い作品で、現在サンクト・ぺテルブルグのエルミタージュ美術館に所蔵されている逸品です。


帝政時代のロシアの上流階級が、西欧の最高級贅沢品にも引けを取らない秀逸なものを揃えようとしたのは、食器、家具、衣装などに限りません。たとえばワインの高級品と言えば、普通はフランスのボルドーやブルゴーニュ産を思い浮かべます。しかし、ロシアと言うかソ連には長年イギリス王室御用達としてエリザベス女王も愛飲した、知る人ぞ知るモルドヴァ・ワインという高級ワインがあります。

モルドヴァ共和国というのは、ウクライナとルーマニアに挟まれた小さな国ですが、ここの土地がブドウには非常に適していて、モルドヴァにある国営のミレスチ・ミーチ社は、総延長200kmにも及ぶ元は石灰採掘場を利用した巨大な地下貯蔵庫に、膨大な数のオーク樽やボトルを保管しており、コレクション用だけでも数億本のボトルが眠っているということです。全くやることのスケールが違いますね。
 
ちなみに、このミレスチ・ミーチ社のモルドヴァ・ワイン、1986年ものの赤ワインで、価格は1本10万5000円也。ご参考までに、下に写真だけ載せて置きました。もっともネットで調べてみましたら、ボルドーのヴィンテージもので、1本約400万円なんていう桁違いのものがありました。ミーチ社が、本気になってさらに長期間寝かせたら、やがてそれ以上の価格のものが現れるかも知れません。いずれにしましても、庶民には縁がない話です。はい。

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19世紀のロシアは、とにかくこうして常に西のヨーロッパ文化の香りを嗅ぎながら発展して来たわけです。音楽においても然りです。今日私たちが、チャイコフスキーなどのいわゆるロシアらしいと感ずるクラシック音楽が産み出される前には、先ず先人たちのたゆまない苦労があったのです。

と言う訳で、本日のロシアのピアノ協奏曲、そうした大陸中心部の音楽を導入し、ロシアに根付かせた最初期の功労者の一人として、モルドヴァ生まれのドイツ系(かつユダヤ系)作曲家アントン・ルービンシュタイン(Anton Grigorevich Rubinstein, 1829-1894)のPiano Concerto No.4 in D minor, Op.70 (1864年作)を取り上げてみましょう。

アントンよりも、彼の弟ニコライ・ルービンスタインの方が多分ピアニストとして有名で、ニコライはチャイコフスキーにピアノ協奏曲(第1番)を書くように勧めながら、完成したスコアを見て出来が悪いとクソミソにけなしたことはよく知られています。(それで結局ハンス・フォン・ビューローが初演したのですが、それが大成功を収めたのを知って、後に自身でも演奏するようになりました・・・。)

ニコライの件はさて置き、兄アントンは交響曲を6曲、ピアノ協奏曲を5曲など、大曲を含めて100曲以上の作品を残しています。彼の最大の功績は、サンクト・ペテルブルグ音楽院を設立して、ロシアにおける初めての本格的な音楽教育を始めたことにあるでしょう。もっとも彼の活動や作品は、バラキレフらの5人組からは常にドイツ・フランス色が濃くてロシアらしさが欠けていると批判されたのは、彼自身の出自と過渡的な時代に開拓者として奔走したというやむを得ぬ限界を持っていたことは否めません。

それにしても彼のPiano Concerto No.4、両端楽章の豪快で強靭なヴィルトゥオジティと、鍵盤を滑らかに縦横無尽に泳ぎ回る夢のように美しい中間楽章。ロシアにおける本格的なロマンティック・ピアノ協奏曲黄金時代が、この曲を契機として幕開けしたと思えば、このシリーズに紹介するにはふさわしい堂々たる逸品ではないでしょうか。Hyperionから出ている知的なMarc-Andre Hamelinのピアノ演奏も素敵ですが、こういう作品は、Michael Pontiの大胆奔放な演奏がさらに際立っているように思います(VoxBox CDX 5066)。


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