最長ロングランのミュージカル
- 2007/11/25(Sun) -
Phantom7



ニューヨークのブロードウェイにあるMajestic Theaterでは、それまで最長であった「キャッツ」のロングラン記録を塗り替え、初登場後21年を経過したあるミュージカルが、連日満員のお客さんを迎えて公演されています。一輪の赤い薔薇だけでその演目を言い当てられるでしょうか。


ロンドンでの初演が1986年。数々のヒットを産み出したこの作曲家の作品の中で、音楽・物語構成共に最高の出来と言える傑作だと思います。第二幕の冒頭、仮面舞踏会のシーンでは、休憩時間に束の間現世に戻った観衆の心を、再び強烈に幻想の世界へと誘います。

Phantom6



物語の舞台はパリ。表から見える壮麗な外観、中に入れば絢爛豪華な内装や調度品。この劇場の頭上と足元遥かに地下深く、一体どのような世界が広がっているのか、ミュージカルを知らなくても胸がドキドキしますね。ご存知オペラ座です。

Phantom4



管理人は、これまでにこのミュージカルを生で2回観ましたが(いずれも米国にて)、第一幕冒頭でシャンデリアが空中に浮くシーンや第ニ幕で地下の水路にボートを漕ぎ出すシーンなど、想い出すだけで未だにそのリアル感に圧倒されます。しかし、全編を楽しめるかと言うと、実はそれを遥かに通り越して、冷静に結末まで観続けることが出来ないのです。芸術を追求することの孤独と悲哀。余りに悲しい結末に泣きむせび、音楽が終わっても、暫くは何も手につかなくなる悲劇のラストシーンは余りに辛いものがあります。

2004年に製作されたJoel Schumacher監督の映画では、埃にまみれた古劇場が一瞬にして輝かしい舞台へと蘇るシーンや、愛が叶えられない主人公が絶望の内に鏡を割り、再び暗黒の世界に消え入る演出が秀逸です。物語を知るには、この映画をDVDなどで鑑賞することがお勧めですが、歌唱では、主役のGerald ButlerやEmmy Rossumらが頑張っているとは言うものの、何と言ってもロンドン公演のオリジナル・キャストであったクリスティーナ役サラ・ブライトマンの天井に突き抜ける密度の濃いビロードの美声とマイケル・クロフォードが持つ怪しい男声の魅力には到底敵いません。映像として残されていないのが、返す返すも残念です。名作ですから知らぬ人はいないと思いますが、是非ともこのキャストで全曲を聴かれることをお勧め致します。Andrew Lloyd Webber (1948-) 作曲「オペラ座の怪人 The Phantom of the Opera」。


Phantom3

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自由と民主主義の国から(5)
- 2007/11/25(Sun) -
NewYork5



まるで映画の中のセットのようなこのシーンが現実に起こったのは、わずか6年余り前のことでした。この事件後まもなく米国のブッシュ大統領はテロリスト撲滅を旗印に、早い話がイスラム原理主義を標榜するアフガニスタンの「タリバン」政権とそれと連携を保つ武装グループ「アルカイダ」に対する報復と言うか復讐とも呼べる戦争行動を起こしたことは、皆さんの記憶に新しいことでしょう。

タリバン政権崩壊後、今度は矛先を変えて、フセイン大統領が君臨していたイラクに対し、大量破壊兵器を秘密裏に製造していることを理由に戦争を始めました。多国籍軍という名の下に、英仏を含む欧米諸国が確かに参加しましたが、米国が主導権を取っていたことは明らかでした。当然日本の参加を強く促されましたが、憲法の規定により大規模な派兵は出来ず、その代わり、戦後になって小規模の基地を設営し、また後方支援と称してアフガニスタン・イラク・イラン、更にはシリアやヨルダン等中東諸国の監視と同時に、時に残党処理を名目とした空爆作戦を遂行するために出撃する爆撃機の発着場となるインド洋上の空母など米軍艦船の燃料を補給するという、事実上戦費の肩代わりを引き受けることになったわけです。


先月末、それまでの活動の法的根拠であったテロ対策特措法が国会内での与野党間の調整が失敗し、失効したことを受けて活動は一時的に中断となりました。福田首相は早速米国を訪問して、海上自衛隊の燃料補給活動を必ず再開すると約束、国会において新テロ対策特措法を成立させるために必至の交渉を野党各党特に民主党に対して行っています。

「国際社会の平和のために・・・」「国際社会の承認を受けて・・・」といった言葉が、そこでは金科玉条のように使われています。おそらく多くの人々は、自民党に賛同するものであれ民主党に賛同するものであれ、世界の平和のためには日本が何かすべきであることは当然と考えておられることでしょう。

新テロ対策特措法が目指すものは、当面は補給活動の再開ですが、究極的には自衛隊の恒久的海外派遣の合法化にあります。そのために国連決議云々などといった議論がなされています。与野党の意見の一致には程遠く、その条文は未だに具体性を持っていません。長くなりますので、この話はこの辺りで止めて置きましょう。肝心なことは、

アフガニスタンにしてもイラクにしても、未だに平和が訪れていないことです。

それどころか、両国では米軍や外国人はもとより、一般市民すら安心して街を歩くことができない状況が恒常化しています。1984年にアフガニスタンと国境を接するパキスタンの町ペシャワールに、当初は同地に未だ蔓延するハンセン病の診療を目的に赴任、以来山岳地帯を越えてアフガニスタンとパキスタン両国の、とりわけ僻地における医療活動に従事しておられる中村哲さんという日本人のお医者さんがいらっしゃいます。この方の数々の著書の中で、このアフガニスタンに対する戦争行動が現地の実情を無視した如何に米国の独りよがりの無益な戦いであったかが、淡々とした口調ながら綴られています。「国際社会」という言葉は、政治の世界では極めて都合よく使われていることを私たちは強く認識しなければなりません。


一方の米国。不人気であったブッシュ政権は、一連の戦争行動によって特に右派の共和党だけでなく、米国こそ世界平和の番人であると信ずる善良な多くの国民の支持を受けて一気に人気を回復。歴史を振り返れば分かりますように、この国は恐慌など国家経済が傾くと、いつも巨大なプロジェクトを仕掛けては雇用の需要を作り上げて立て直して来ました。下に示す写真はニューヨークのエンパイア・ステート・ビル建設中の一瞬を捉えた写真です。当時仕事にあぶれた下層労働者らに多くの雇用の機会を与えた摩天楼建設の始まりです。

NewYork6



米国経済の繁栄の証しであった摩天楼。中でもそのシンボルであった世界貿易センターのツイン・ビルは、もうかつての勇姿がありません。その代わり、米国内の空港は言うに及ばず、重要な公的建造物における金属探知機の普及徹底は凄まじいです。セキュリティ・チェックのために膨大な数の人間が雇用されていることでしょう。かつては出発まで10分もあれば乗れた国内線に、今では1時間程度は見込んで置かないと乗り遅れてしまいかねません。確かに3,000名余りの尊い命と幾つかのビルの破壊という犠牲は払いましたが、素晴らしい雇用対策が実現出来たことは何という皮肉なのでしょうか。

[余談ですが、米国内での飛行機旅行ではスーツケースに鍵をかけないことを推奨されています。管理人は入国に際してその通りにしたのですが、大事な書類が紛失することを恐れて再度国内便に乗った時は、ほぼ同じ荷物であるから大丈夫だろうと鍵をかけました。ところが案の上、荷物が出て来た時は鍵が壊されていました。何ら怪しいものなど入っていないにも拘わらずです。中には「Inspected」の紙が一切れ、外は壊れた鍵のため閉まらないスーツケースを止めるためテープでぐるぐる巻きにされて。こうした破損に対しては、航空会社は一切の免責が許されています。皆さん、米国に旅行される時はご注意を!]

米国が、ベトナムで、ソマリアで、そしてこれらの戦争で学んだものは、一体何だったのでしょうか。米国が世界平和と言っている時は、その実、自分たちのための平和、自分たちのための自由でしかありません。決してテロ行為を擁護するわけではないのですが、彼らが何故に米国を敵視したのかを考えたことはあるのでしょうか。今や世界は、米国に地球全体の番人としての役割を求めてはいない時代に入っているのです。


繰り返し、繰り返し、同じ過ちを仕出かしてしまう世界の大国。その余りに広大な国土と資源の豊かさの中で、小さなモチーフを繰り返し、繰り返し用いるミニマル・ミュージックが生まれたのも何となく分かるような気がします。

BrilliantがMinimal Piano Collectionと題して、ミニマル音楽とりわけピアノ作品ばかりを集大成したボックスを出しています。Philip Glass, John Adams, Terry Rileyらの作品だけでなく、ヨーロッパの作曲家らの作品も含まれています。またオランダ生まれの奏者(p) Jeroen van Veen (1974-)のバッハ「平均律クラヴィーア曲集」を土台とした自作「24の前奏曲集」1999-2003年作)を聴くことも出来ます。これらのピアノによるミニマル・ミュージックが晩秋の寒さの中にいつ果てるともなく流れているの聴きながら、本当の平和が一日も早く訪れることを祈らずにはいられません。


MinimalPiano2



[管理人より:今回をもって米国からの音楽レポートはひとまず終了とさせて頂きます。なお重ねて申しますが、管理人は決してテロ行為を支持している訳ではないことをお断りして置きます。]

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自由と民主主義の国から(4)
- 2007/11/18(Sun) -
Korngold5



この方のお顔を見て、初めは何か見覚えがあるのだけれど誰だったかなあと、すぐには分かりませんでした。しばらくして、ああそうだったと気がつきました。そうです、故ケネディ大統領の頭像です。

丁度週末に時間が空きましたので、ケネディ芸術センターで行われているワシントン国立オペラによるモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を観に行きました。生でこのオペラを観るのは初めてです。入場料は税込みで約50〜230ドルの範囲でした。めったにない機会でしたので、ちょっと奮発して約200ドルのチケットを購入。それでも日本でオペラを良い席で観ようと思ったら、その倍はかかることでしょう。

ケネディ芸術センターは非常に大きな劇場コンプレックスです。中央にオペラハウス、その左右にはコンサートホールが通路を挟んで一つずつ、全部で3つの大きなステージがあり、その他に小規模のホールやステージが4つほどあります。観客座席数は、オペラハウスとコンサートホールがそれぞれ2300〜2400人分とのです。通路を隔てて防音はしっかりしていますから、オペラと交響楽団の演奏会が同時に行われても大丈夫です。

大枚をはたいただけあって、席はオーケストラピットがほぼ全面に覗ける最前列から2つ目の列で、舞台中央よりはやや左側でした。少し早めに入場して辺りを観察することに。ヨーロッパの劇場に比べると、シャンデリアなどもちろん豪華なのですが、壁の装飾などは意外に質素で、いささか拍子抜けがしました。ただし流石にオペラ鑑賞ということで、お客さんの層が普通のコンサートとだいぶ違っておりました。それなりに社会的に成功したと思われるリッチな人々ばかりで、カップルで来られている人たちが圧倒的に多いです。もちろん男性はネクタイ・スーツ着用の正装、女性も皆ドレッシーな装いであることは言うまでもありません。一応管理人も、あまり場違いで見苦しい服装はしないようにと用意しておりましたので、ホッと胸を撫で下ろしました(笑)。

初めこそパラパラとしたお客さんでしたけれど、開演時間ともなると空席が全く見当たらないほどの満席です。舞台が暗くなり、まもなく指揮者がピットに現れました。本日の指揮は、あの名テナーとして名を馳せたプラシード・ドミンゴさんです。先日パヴァロッティさんがお亡くなりになりましたが、ホセ・カレーラスさんと3人で世界中のステージに上り喝采を浴びたのは、ついこの間のことだったように思います。

そのドミンゴさんが、ピットから顔を出し、ぴょこんと頭を下げて観客にご挨拶。変な表現かも知れませんが、すごく可愛い感じがしました。そして振り返るとすぐに指揮棒を持ち、それを振り下ろしました。

物語は皆さんよくご存知でしょうから省きますが、「ドン・ジョバンニ」っていわゆる「ドン・ファン」つまり少々下品な言葉を使えば「すけこまし」のお話なんですね。有名なアリアなどは耳に馴染んでいましたが、ストーリーとの関連が実はよく分かっていませんでした(笑)。正直に言えば、管理人はモーツァルトのオペラは苦手なのです。「魔笛」こそストーリーも音楽も面白く楽しめますが、他はどうにものめり込めず、敢えてCDで聴こうとも思わない方だったのです。だから今回のチケット購入は、へたをすると大金を捨ててしまう大きな賭けだったのです。

ところが、始まってみるとこれが面白い。ステージ上方にスクリプターがあってイタリア語の歌詩が英訳されることもあるけれど、何より舞台の歌手連の仕草、表情が実に豊か。笑いを誘うセリフの度毎に観客の笑いと喝采が絶えないのです。当日の配役は、主役のドン・ジョバンニにIldar Abdrazakov、従者のレポレロにAskar Abdrazakov、ジョバンニに見捨てられた女エルヴィーラにAnja Kampe、村娘のツェリーナにはAmanda Squitieliでした。男性陣がダブル・キャストになっており、特にIldarは日によってジョバンニとレポレロをこなしたようですから、相当な芸達者なのでしょう。

ツェリーナ役Squitieliのまるでマリリン・モンローのようなセクシーな身のこなしは見ものでした。ソプラノ歌手鮫島有美子さんが彼女の著書「プラタナスの木陰で」(時事通信社)の中で書いてらしたけれど、この役は決して愛らしい娘さんを演じれば良いのではなく、実は案外したたかなところがあることをヨーロッパで学んだと述懐されています。婚約者マゼットとのやり取りなどは、ドタバタ劇の中にも一筋縄では理解し難いそんな人間性の複雑さ・奥深さすら感じさせる演技です。拍手喝采の内に第一幕のカーテンが降りました。

第ニ幕は、女たらしドン・ジョバンニの追求劇です。見所は、やはり第一幕で殺された騎士長が墓場で亡霊の石像となって登場する場面。怖いけれど、コケティッシュな演出で笑いを取ることを忘れません。そして石像は食事に招待されることに。その石像が食事の席に現れる場面もなかなか凝った趣向で、最後ジョバンニは悪業の報いを受けて地獄に落ちてしまいます。このシーンでは、ちょっとした手品のように舞台から姿が消える工夫があってこれまた面白い。エンディングでは、ジョバンニを除く全員がこれからの生き方に誓いを立てて幕は閉じます。もちろん万雷の拍手が後に続きました。

一言で言えば、「来て観て良かった」です。やっぱりオペラのような舞台芸術は、聴くだけではその価値は半減と言うか、おそらく何分の一にしかならないことを実感した夜となりました。皆さん、お財布に余裕があったら劇場にオペラを観に行きましょう。あ、お金ない?

そんな人のために、ではほんのちょっとだけ舞台の様子をお見せしちゃおうかなぁ。。。[画面右側下の方にある「Watch a Video Clip」をクリックするとダイジェストが現れます。]

http://www.dc-opera.org/ourseason/dongiovanni.asp


オペラを話題にしましたので、今日の音楽はチェコ生まれで、後にアメリカに移住し、ハリウッドで数多くのフィルム・ミュージックの製作に携わったコルンゴールド(1897-1957)が弱冠23才の時に作り上げた歌劇「死の都 Die Tote Stadt」(1920年作)を挙げて置きましょう。この作品は、死んだ妻にそっくりな女性の登場に魅了され、妻の亡霊と相手の女性双方に悩まされ、夢と現実が分からなくなる男の悲劇を描いたオペラです。この曲を作曲した当時、コルンゴールドはまだヨーロッパに居り、実際に米国に移住したのは1934年です。しかし、ツェムリンスキーやマーラーらに師事し、R.シュトラウスを含めて彼らから一様に天才と折り紙をつけられたコルンゴールドの煌びやかで、ある意味退廃的な爛熟の管弦楽手法に陶然とさせられることは請け合いです。やがて、こうした後期ロマン派終期の音楽がアメリカの、しかもハリウッドという舞台芸術の大衆化に先導的役割を担った最前線に持ち込まれたことは、米国の音楽史を理解する上でも大きな意味があります。そしてそうした類稀な手法が、わずか20才余りの若者に完全に身に付いていたことにも改めて驚かされることでしょう。


Korngold2

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自由と民主主義の国から(3)
- 2007/11/16(Fri) -
Beach2



透き通るような青空に、如何にもアメリカ人好みの色とスタイルの宿泊施設。普段の生活を忘れて、しばしの間リッチな気持ちになれる瞬間です。部屋の中も実にゆったりした広さがあり、ああ、こんなところにずっといれたらなあと思わずため息が・・・。ベッドの大きさも並大抵ではありません。一人で寝るには、ちょっともったいないです。。。


Beach5



実は、こちらの施設はすぐ横にゴルフコースがあるとあるリゾート施設です。もう何から何まで至れり尽くせりの行き届いたサービス。なかなかこれだけの場所での仕事の機会は、管理人にもそうありません。レディーファーストとかエスコートという言葉が、文字通りふさわしい世界。欧米でオペラを観に行くのも、こんな感じなのでしょうね。


今日はアメリカの音楽史にあって、女性として初の本格的管弦楽作品を残したAmy Beach (1867-1944)の作品を聴いてみましょう。Amyは、まだ女性が仕事を持つなどはもってのほか、家庭を守るのが当然と考えられていた19世紀の後半に、ニューハンプシャーで生まれました。本名はAmy Marcy Cheney、18才で25才年上のHenry Harris Aubery Beachと結婚しましたので、今日、一般にはMrs. Amy Beachと呼ばれています。何事もパイオニアになることは大変です。そういう中で、交響曲やピアノ協奏曲をほとんど独学でオーケストレーションを習得し、作品に仕上げたのですから立派の一言でしょう。ここでは‘Gaelic Symphony’を挙げておきますが、演奏時間40分以上の大作です。ゆったりとソファに腰掛けて、古き良き時代を髣髴とさせるこの大作に耳を傾けるのは、とても贅沢な時間の過ごし方だと思います。


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自由と民主主義の国から(2)
- 2007/11/15(Thu) -
Torke3



こちらに来てから、コートなしではいられないほど寒い日々が続きました。夜の地下鉄駅構内は、ただでも殺風景なところなのに、余計に寒々しい感じが致します。

テレビをつければ、「明日の気温は 40 degrees(度)台でしばらく寒い日々が続くことでしょう・・・」なんて言っています。この40度云々というのは、もちろん通常私たちが慣れ親しんでいる摂氏(℃)ではなく、華氏のことです。米国の生活でしばらくの間戸惑うのは、この国特有の単位系でしょう。いわゆる国際基準となっているkm(m), kg, ℃などの単位の使用を何故か嫌い、それぞれmile(yard), pound(記号は‘lb’), ゜Fを使います。一見何事にも合理的なアメリカにしては、珍しいくらいこれら中途半端な単位系に拘泥するのですね。これはイギリスが母体になっているということもありますが、国際基準の単位系がフランスで発展承認された来たことに無意識の内に反発していることが背景にあります。アメリカとしては、ヨーロッパ大陸文化の中心(の一つ)でもあるフランスには意地でも負けたくないのでしょう。国連活動などでの主導権争いを見ればよく分かりますように、アメリカのフランスに対する対抗意識は、国際政治の様々な表裏の舞台で現れていることは皆さんお気付きのことでしょう。


ところで、この華氏って一体どんなスケールかご存知でしょうか。これは18世紀になって水銀やアルコールの温度膨張を利用した温度計が発明された当初、皆が皆てんでバラバラなスケールを使い始めたため、それを統一するために、ドイツ系オランダ人物理学者のファーレンハイト(Fahrenheit)氏が1724年に提唱したスケールです。ファーレンハイトを中国語で書くと「華倫海」となり、ファが華となった訳です。(ちなみに摂氏は、考案者セルシウスの中国語「摂爾修」の頭の文字を取っています。)

塩などの寒剤を入れた時に水から氷が出来る最も低い温度を0°F(氷に塩をまぶすと温度が氷点下以下に下がる、いわゆる凝固点降下現象です。学校でアイスキャンディーなどを作ったりしませんでしたっけ)とし、正常な人間の体温を96°Fとしたスケールです。摂氏とは次の関係式が成立します。

°F=℃×9/5+32

つまり0℃は32°Fで、100℃は212°Fとなります。摂氏が水の凝固点と沸点の間を100等分するスケールですから、直感的にも解りやすいのに対して、何とも変てこなスケールです。実は私もなかなか馴染めませんでした。ところが、これを次のように読み替えると良いことに気が付きました。

秋のうすら寒い日の気温、たとえば10℃は50°Fとなり、真夏の暑くて暑くてたまらない日の気温38-39℃は100°Fとなります。そして、冬の寒波がやって来た超極寒の気温は0°F...。つまり、ごく日常の生活温度を50から100のスケールに当て、穏やかな日の気温は70°前後となります。これが、50°以下の40°台となると、今日はちょっと寒くて要注意だぞと警戒信号がともったサインだとなるわけです。このように捉えると、気温に関する限り、華氏は意外と人間生活に密着した分りやすいスケールなのです。

そう言えば、「華氏911」なんていうブッシュ政権批判のドキュメンタリーがありましたね。上の式に当てはめると、おおよそ500℃くらいになります。これはロウソクの炎の中心部、まだ完全燃焼していない青白い炎の部分の温度に近いのです。(ちなみに外側の明るい部分の方が熱く、一番外側の、色があまり見えないところが一番温度が高くて約1500℃になります。)もちろん、このタイトルは9.11のテロ事件のことを扱っているわけですが、ロウソクの不完全燃焼の温度でもあることに奇妙な暗示を感じてしまいます。


政治のドロドロとした不完全燃焼は横に置きますと、スポーツの祭典オリンピックは、正に完全燃焼した者にのみ栄冠が授けられます。現代アメリカ音楽においてポスト・ミニマリストの筆頭旗手と目されるウィスコンシン生まれの作曲家マイケル・トーキ(Michael Torke, 1961-)が1996年のアトランタ・オリンピック委員会から委嘱された‘Javelin(槍投げ)’(1994年作)は、中でも最も広く知られた作品かも知れません。トーキの音楽は、極めて強い弾力性と躍動感が溢れていて、現代音楽に対する偏見を吹き飛ばすくらい大変聴きやすいです。そして彼の音楽には、暗く奥深い地下のイメージとは真反対の、青空の下に実に健全なアメリカの精神があるように思われます。


Torke2

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自由と民主主義の国から(1)
- 2007/11/09(Fri) -
Niagara5



日本の入国管理に際して指紋まで取るとは人権侵害の屈辱ものだと、つい近年まで鋭い抗議をしていたその国が、いつの間にやら外国人の入国者に対して、「左人指し指をそこに置きなさい」「次は右指」「今度はこっちのカメラに顔を向けなさい」とやるようになりました。金属探知機を通過する時には、ジャケットはもちろん、靴まで脱がなければなりません。すべては、あの9.11から始まりました。

何でもNo.1でなければ気がすまないアメリカ。他の国からどんなに悪口を言われようが、陰口をたたかれようが、平気の平左の超大国。世界の平和は、自分たちの奮闘努力によって維持されているという自信に満ち溢れています。欲しいものを何でも手に入れることができるお金も持っています。

そんな鼻持ちならない国ですが、いざ住めば、世界の苦悩など何処吹く風。現実に、圧倒的スケールの大自然、巨大な建造物、発達した道路網、あふれる商品などを目にすると、その自信に漲るスタンスが決して虚栄に基づいている訳ではないことを納得させられてしまいます。

管理人は、少し前からこの国のキャピトル、ワシントンDCに来ています。入国時の面倒さには辟易しますが、こちらに来ると何故かホッとするのは、かつて住み慣れた国だから言葉に苦労しないで済むからかも知れません。しかし改めて、あらゆる事物の規模の大きさにびっくりさせられます。建物自体も巨大ですが、同じ組織の建物から建物へ移動する際にも頻繁に行き来するシャトルバスを使うという広大さ。テレビをつければ、100チャンネルのほとんどで別な番組を視聴することが出来ます。新大陸の発見とそれに続く本格的な開拓入植開始から、わずか300年程度しか経っていないにも拘わらずこの発展振りですから、恐れ入るしかありません。

これから数回、アメリカに関わる話題と音楽について語ってみたいと思います。日中は毎日仕事に追われていますが、夜には多少のフリータイムがあります。コンサートの報告を交えるかも知れません。

という訳で、先ずはその前に音楽でざっと観光旅行を致しましょうか。それには皆さんご存知の作曲家グローフェ(Ferde Grofe, 1892-1972)の作品がうってつけです。最も有名なのは、「グランド・キャニオン組曲」。これは学校の音楽の時間などで聞かされた方も多いことでしょう。そのグローフェ、如何にも生粋のアメリカ人と思われ勝ちですが、実はグローフェの本名は、Ferdinando Rudolf von Grofe、つまりドイツ系移民の家系なんですね。ニューヨークで生まれて間もなく、一家はロサンゼルスへ転居。家族は皆音楽関係に進んでいますが、ご本人は意外に大変な苦労人で、14才の頃より家を出て単身実に様々な仕事をこなしながら生計を立てています。

彼の音楽は、オーケストレーションの妙味が抜群です。「デス・バレー組曲」、「ハドソン川組曲」、「ミシシッピ組曲」、「ハリウッド組曲」、そして「グランド・キャニオン組曲」。タイトルを見ただけで全米各地を回った感じがすることでしょう。本日は、中でもこれぞアメリカと言える作品「ナイアガラの滝組曲」を聴くことで、観光名所巡りを完結してみたいと思います。豪快な滝の描写に息を呑まれるであろうことは必定、第3曲にはわざわざ‘Honeymooners’のサブタイトルまで付けてあり、正に至れり尽くせりパック旅行の出来上がりです。折角ですからSACDでどうぞ。あ、こういう曲を聴く時には、芸術性云々なんていうお堅い話は抜きね。


Niagara6

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小春日和
- 2007/11/04(Sun) -
Brass3



何を突然季節違いの写真かって? だって今日は、とても暖かな小春日和でしたから。。。


今日は珍しく吹奏楽の話題から。先日旅先のホテルで、リュ・ジャンハ監督、チェ・ミンシク主演の韓国映画「春が来れば」(2004年制作)を、鑑賞しました。芸術路線の作品ではありませんから、こちらのブログで以前紹介しました格調高い諸名作とは少々趣きが違っています。しかし、とても心の温まる、正に小春日和のぬくもりを感じさせてくれる佳品でした。

物語の主人公は、音楽大学ではトランペットを専攻し、やがては有名交響楽団に入団、さらにはソリストとしても活躍したいという夢を持っている30代後半とおぼしき男性。もっとも実力は持ちながら、なかなかオーディションに合格することも無く、うだつは少しも上りません。かつての音楽仲間たちからは徐々に敬遠され、加えて付き合っていた彼女からも、結婚話があるのだけれどと、それとなく別れを言い出されます。

収入らしい収入も無く、貧しい暮らしに耐える母の視線を重荷に感ずる男は、次第に生きる意欲すら失いそうになります。そんな時、ふと目にした新聞には小さく音楽教師募集の広告が・・・。それは炭鉱の閉鎖で活気を失った、都会から遥か離れたとある田舎町の中学校吹奏楽部を指導するという仕事でした。炭鉱とブラスバンドと言えば、誰もがイギリス映画「ブラス!」を想い出されることでしょう。あの映画の再現かという予感が致しましたが、この映画は少し違いました。とにかく、少ない部員数と長い間ろくに指導らしい指導も受けられなかったため、生徒たちの演奏はとても演奏と言えるしろものではありませんでした。今度のコンクールに入賞しなければ廃部らしいのですが、出場すら危ぶまれる状況です。

そんな大変な状況の中学校に赴任した先生は、すっかり諦めの境地の中、それでも町の薬局屋に勤める純粋無垢で心優しい娘さんや心の温かい町の人々に助けられて、少しずつ生きて行く勇気を取り戻します。

ジュンハ監督にとって、本作品がメガホンを取った初の長編作品。そして初作品では、是非とも「再会」をテーマにした映画を作りたかったとのことです。果たして生徒たちはコンクール出場が叶ったのでしょうか。また「再会」は、実現するのでしょうか。これ以上はネタバレになりますので、映画の公式HPとカットを数枚だけ揚げて置きましょう。

http://www.sonypictures.jp/movies/springtime/site/


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さて秋も深まりますと、吹奏楽コンクールのファイナルを迎える季節でもあります。丁度昨日と今日、長野において第55回全日本吹奏楽コンクールの大学の部と職場・一般の部の全国大会がそれぞれ行われました。この記事がアップされる頃には、すべての審査結果が出ていることでしょう。


と言うことで、本日のCDは、現代イギリス吹奏楽界においてPhilip Sparkeと並んで人気を分け合うMartin Ellerby (1957-)の傑作‘ベネチアの魅力 Venetian Spells’を含むPolyphonicの1枚をご紹介致します。同曲は、一見古風なバロックスタイルのリズムによって開始しながら、いつの間にやら現代風ブラスの炸裂に変貌を遂げていく迫力満点の作品。ライバルSparkeが本CDのプロデュースを勤めており、ちゃっかり自作の‘Dance Movements’も同梱していますから、2大人気作曲家の作品をこの1枚で楽しめることも、お勧めの理由です。

さあ、浮き立つブラスの音色に包まれて、どんな再会の夢が叶えられるでしょうかね。春よ来い!(ちょっと気が早過ぎる?)


Brass2

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映像と音楽
- 2007/11/02(Fri) -
Eizo3



昨日、テロ対策特別措置法の期限が終了したことに伴い、インド洋における自衛隊艦船による給油活動が終了し、2隻の給油艦が撤収というニュースが入って来ました。丁度、ハロウィーン、万聖節、万霊節を迎えた中でのこのニュース、何とはなしに既にあの世に逝かれた先人たちに想いを馳せることになりました。

ただし、このブログでは、この問題に関して自民党と民主党、どちらの主張が正しいかといった政治的議論をするつもりは無いことを初めにお断りしておきます。

しかし、一つだけ指摘して置きたいことがあります。テロリストおよびそれを支援する独裁国家一掃を大義名分として、アフガニスタン・イラクにおいて米国およびその同盟諸国が戦争を開始し、時の政権は崩壊し、戦闘活動は終結したとされてから各々数年以上が経過していますが、その結果当該地域に平和が訪れたかと言えば、事実はさにあらず。むしろ、これらの国々では、それまで以上に国情が不安定となり、治安が悪化したという厳然たる状況が生じているということです。

両戦争の開戦直後、発射したミサイルが標的(?)に見事に的中する映像が何度と無くお茶の間のテレビで放映されたことは、未だ皆さんの記憶に生々しく残っているものと思います。映像の持つ力は偉大です。百万言をもって説得するよりも、一篇の映像の方がはるかに強力にメッセージを伝えます。

そして、その映像に音楽が加わると、その力はさらに何倍にも何十倍にも大きくなるのです。その好例を、ここにお示ししたいと思います。あるサイトに掲載されている2篇のフラッシュです。

[管理人注:視聴するためには、フラッシュ再生のためのソフトを初めにダウンロードしなければならない場合があるかも知れません。またダウンロード後、画面にSTARTが見えたら、1-2回そこをクリックすると再生されます。音楽も聞こえてきますので、是非音量を上げてご覧になって下さい。]

先ず初めは、1985年イラン・イラク戦争開戦直前に起こったとある事件について。

http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/turkey.html

そう、このフラッシュでは、あの音楽が見事に使われていますね。

そしてもう一つ。太平洋戦争における日本の役割について。

http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/kouseki.html

どうでしょう。何と感動的な仕上がり、かつ凄い説得力ではないでしょうか。再度お断りしておきますが、ここにご紹介する2本のフラッシュにより、特定の政治的メッセージを伝えることが、本記事の主眼ではありません。これらのフラッシュは、確かに大変重要な歴史的事実を伝えていますが、一歩見方を誤れば大変危険でもあります。


さて、1本目のフラッシュのバックに使われた音楽、多くの方々にとってとても懐かしいと同時に、目に焼き付けられた映像が生々しく思い出されるのではないでしょうか。そうです、1995年から96年にかけて1年間かけて放映されたNHK放送開始70周年記念ドキュメンタリー「映像の世紀」に流れていた音楽「パリは燃えているか」です(加古隆作曲)。明治の近代化政策以後、日本が欧米列強の国々と肩を並べ、否応無く戦争へとなだれ込んでいった時勢を表わすのに、これ程ぴったりした音楽はありませんでした。万霊節を迎えながらの特措法のニュースを聞き、何とはなしにこの番組を思い出した次第です。サントラ盤が2種類出ています。その内の1枚を今日のCDと致します。


Eizo2

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