大晦日に寄せて
- 2007/12/31(Mon) -
Offenbach7



昨日から急に寒くなりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。

今年も残すところ後少しばかりです。大晦日まで、お仕事に大掃除にと大忙しの皆様、本当にご苦労様。こたつでゆっくり紅白やお正月番組をお楽しみの方も、お疲れ様でした。

それにしても毎年のこととは言え、振り返ると、暗いニュースばかりが目立つ年だったように思います。数々の殺人やら要人の自殺、与党の大敗もあれば首相突然の辞任もあり。また数多の食品偽装が暴露されるなどなど。スポーツ界もいろいろとゴタゴタとした話題ばかりで、明るいニュースってありましたっけ?

国内のニュースはさて置き、前の記事で取り上げましたブット元首相の暗殺の状況に関して、案の定情報が混乱しています。パキスタン政府内務省による発表では、元首相の直接の死因は銃弾ではなく、狙撃犯人が自爆した際の爆風によって車の屋根に頭蓋をぶつけたことが原因となっています。しかし、警護に当たっていた側近の証言によると、銃弾は首に的中、大量に出血していたとあります。また今回犯行の責任者であると政府他の関係者らから名指しされ、またその可能性が十分あり得ると内外から目されていたイスラム武装勢力の司令官は、事件への関与を完全に否定しています。

狙撃の瞬間を撮った映像があります。

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サングラスをかけた男が元首相の乗った車に向けて発砲しようとしています。

Butt2


この男の後ろには、白い布で頭をすっぽりと隠した男がおり、パキスタン政府によると自爆した犯人であるとされています。現在、同国内の各地で暴動が相次いでおり、真相如何によっては国内が真っ二つに分かれるだけでなく、周辺諸国まで巻き込まれる重大な危機に直面していることは確かです。しかし、こうした暗殺の過去の事例が常にそうであったように、おそらく真相は深い闇の中に葬られることでしょう。21世紀に入って未だ間もないというのに、まるで世紀末のような息の詰まる世相を端的に表わした事件で、今年も暮れた訳です。


19世紀末の1889年、当時の退廃に満ちた世の中を象徴するように、パリ・モンマルトルの一角にアルコールをサービスしながら軽歌劇の歌や踊り、あるいは旅芸人たちのショーを売り物にする一種のミュージック・ホールが開店を迎えました。そのホールの名前は、キャバレー「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」。こうしたホールの先駈けはロンドンで生まれているのですが、さすがにアヴァンギャルドの街パリでは、また一段と大人向けのものとして発展しています。

パリ観光の夜の目玉として、この「ムーラン・ルージュ」をお目当てにしている中年のオジサマ連も多いかも知れませんが、実はこうしたキャバレーで恥をかくこと無く品良く楽しむのは大変難しいと思います。ちょっとだけ、このムーラン・ルージュに関する知識をご披露致します。[また余計な薀蓄をと思われた方、ゴメンなさい。m(_ _)m]

画家トゥルーズ=ロートレック(1864-1901)は、おそらく遺伝的に下肢の大腿骨に問題を抱えていたと思われ、上半身は普通でしたが成長期に左右の足を骨折したため極めて短身でした。そうした身体障害を抱えていたためか、彼の画家としての眼は自然と世間的にまともな人達ではなく社会の裏側に生活する人々に鋭く向けられました。彼が好んで取り上げたテーマは、ムーラン・ルージュに集う人々だったのです。彼の作品を、もう数枚程挙げてみましょう。

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19世紀後半のパリにあって大衆に人気絶頂の楽しみと言えば、軽歌劇。当然数多くの作曲家がいたと思われますが、中でもオッフェンバック(Jacques Offenbach, 1819-1880)は人気が高く、生涯に100以上もの舞台用音楽を残したそうです。

20世紀初頭のパリでは、交響曲のようなシリアス音楽よりは、舞台音楽、特にバレエ音楽のような感覚に訴える音楽が特に注目を浴びたように思われます(もう一方の流れとして、室内楽あるいはサロン音楽と言っても良い形式も発展しています)。こうした舞台音楽人気の流れを受けて、オッフェンバックの人気作品をメドレー形式にまとめて上演する仕事が、1938年にとある新進音楽家に依頼されました。その音楽家の名前は、ローゼンタール(Manuel Rosenthal, 1904-2003)。ご存知「天国と地獄」「ホフマンの舟歌」などオッフェンバックの代表的作品を40数分間に散りばめたお気楽なバレエ作品「パリの喜び Gaite Parisienne」は、こうして出来上がりました。ムーラン・ルージュの十八番フレンチ・カンカンももちろん入っています。

人気作品なので数多くの名指揮者が録音を残しています。演奏だけならば他に粋な演奏は幾らでもあるかと思いますが、ここは最初の編曲者に敬意を表してローゼンタールご本人による明るい演奏(Naxos 8.554005)で、この一年間の暗い話題を一掃したいと思います。ちなみにこの録音がなされたのは、ローゼンタールが92歳の1996年。そういう意味でも来年に繋がる元気をもらうことに致しましょう。


Offenbach9



開設して7ヶ月余り、このゴテゴテと書き連ねる拙いブログにお出で下さり、貴重な情報や楽しいコメントを下さった皆様方に深く感謝申し上げます。また特に書き込みはされなかったけれど、随時訪問して下さったお客様方にも厚く御礼申し上げます。多忙と健康不安を抱えて、どこまで続けられるか分かりませんが、来年もどうかよろしくお願い申し上げます。

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裸の王様
- 2007/12/28(Fri) -
Metro7



花の都パリ。フランス人は、一般的に言ってとっても○慢で○慢ちきだと言われますが、それはそれだけ自分たちの文化に誇りと自信を持っているからなのでしょう。だからパリを知らずして西洋(文化・音楽)を語ることは出来ません。

日本からジェット飛行機に乗っておよそ12時間余り。空港に着いたら(普通はシャルル・ド・ゴール空港)、先ずはホテルに向かいましょう。団体旅行なら添乗員さんがお泊りのホテルまで直行のバスなどに案内してくれます。もしも個人旅行でしたらタクシーがお高いけれども確実です。なお日本のJRに相当するRERという列車に乗ると、空港から市内中心部まで早く安く行くことが出来ます。そして市内の移動は、何と言ってもメトロの本場、地下鉄が大変便利。路線図は必携のアイテムです。

Francaix5


上の地図だと細かい文字がよく読めないでしょうから、拡大図はこちら(地図上をクリックするとさらに大きく拡大されます)。↓

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2171/metromap.jpg


パリの地下鉄1号線は、市内中心部をほぼ東西に走っていて、なんと1900年の開通でした。たとえばエトワールの凱旋門に行かれるのでしたら、1号線のやや左端Charles de Gaulle-Etoile駅で降り、地上に出ると目の前がそれです。ルーブル美術館もこの路線沿い(Louvre Rivoli駅)にあります。そうそう、この路線は古いだけあって、地下道や駅名もタイルがとても時代を感じさせ、ちょっとしたタイムスリップの浪漫を味わえます。

さて、その凱旋門。パリ一番の大通り、シャンゼリゼ通りに市内を睥睨(へいげい)するように君臨する大門です。誰が何のために作ったかと言えば、ご存知ナポレオン(1769-1821)が欧州制覇して絶頂の1806年に建設を命令。完成は1836年でした。皮肉なことに皇帝ナポレオンはその完成の姿を見ることなく没しているのですね。奢れるものは久しからず。


ところで昨日の出来事に、パキスタンの元首相ブット氏が暗殺されるというショッキングなニュースがありました。彼女は、約8年半に渡る事実上の亡命生活を終えて帰国した直後の10月末にも自爆テロの標的にされ、危うく難を逃れていました。そして今回の凶行ですから、余程狂信的な犯行と言わざるを得ません。現政権の最も強力な政敵でもあり、またイスラム過激派からも敵視されていたと言いますから相当警戒していたはずですが、ついに犠牲となってしまいました。政治信条は別にしまして、謹んでご冥福をお祈り致します。

人間、妄信と言いますか、執念と言いますか、一度こうだと信じてしまいますと、なかなか理性的に判断することは難しいようです。仮に少し冷静になって考えれば、違った捉え方も出来るはずと気がついたとしても、狂気に走るリーダーを止めることは至難です。へたをすれば、自らが抹殺されてしまう訳ですから。

人を憎んでも、あとに残るものは新たな憎しみ・恨みと悲しみだけです。制覇した、勝ったと思った瞬間に、実は敗北が決定しているのです。

パキスタンに限ることなく、アフガニスタン、インド、中東諸国、いや世界中の至るところで、このような民族と宗教の違いによる戦いが尽きることなく続けられています。変なものは変だと、悪いものは悪いと素直に言える子供のような純真さを、いつまでも持ち続けられる人でありたいとつくづく思います。


今日の音楽は、ジャン・フランセ(Jean Rene Desire Francaix, 1912-1997)のバレエ音楽「裸の王様 Le roi nu」(1935年作)。ストラヴィンスキーの「春の祭典」がシャンゼリゼ劇場で初演されたのは1913年でしたが、前世紀末からパリはアヴァンギャルドの最先端を行く街でありました。常々不思議に思っていることなのですが、音楽の分野で先鋭さが顕著に現われるのは、どういう訳かバレエ音楽の場合が多いようです。これは何故なのか、どなたか易しく解説して下さる方はいらっしゃいませんかね。(^_-)

フランセの作風は、ラベルやストラヴィンスキーらの影響を受けているものの、他の誰とも違う独自性を保っています。管弦楽の美しさを最大限引き出す術を完全に身につけており、それでいて無調性やバーバリズムに走ることもなく、新古典派の作曲家と呼ばれるのも無理はありません。それにしても200曲以上という多数の作品残しており、彼の名前がフランスの代表的作曲家のリストからほとんど抹殺されていることは不思議でなりません。

フランセの「裸の王様」は、もちろんアンデルセン原作のお話をバレエの舞台用に仕上げたもの。全4場から成る全曲演奏約25分の作品は、メリハリが利いていて大変分かり易く、またとても美しいです。詐欺師の仕立て屋が馬鹿な人間や自分に相応でない仕事をしている人間には決して見ることが出来ない不思議な布地を織ることが出来ると自慢し、その布地で作ったという衣装が実は全く見えなかった王様も周辺の家来たちもそうとは言い出せず、それを褒めるしか無かったという現代にも十分通ずる風刺劇。(そう言えば、東アジアのどこかの首相もそのように呼ばれて辞任に追い込まれていませんでしたっけ。)

余談はさて置き、本曲は王様のダンスあり、王妃の登場ありで、バレエとしての視覚化にも大変向いているお話なのかも知れません。最後に子供が、「あれッ、王様が裸だよ!」と叫んで、一同大笑い。そして大パニックの大団円。一度舞台で観てみたいなぁ。ここにご紹介するCDはHyperion CDA67489で、同梱の「夜のご婦人方 Les demoiselles de la nuit」も美しい佳品です。


Francaix8
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メトロに乗って
- 2007/12/26(Wed) -
Metro12



東京都内を動き回るには、JR山の手線や中央線の他に地下鉄が大変便利です。この間上京した折にも何度か乗りました。銀座線に次いで2番目に古い路線に丸ノ内線というのがあります。池袋―御茶ノ水間が開通したのが、なんと昭和29年。現在では何とも味気ないステンレス車両に申し訳程度に色がついていますが、当時は下の写真のように真っ赤な車体に白い帯、そして銀の波線がボディーに燦然と輝く、とってもモダンなデザインだったようです。


Metro11



御茶ノ水までであった路線は、やがて下図のように銀座でぐるっと向きを変え、新宿を経由して中央線の荻窪まで延びました。中野坂上からは方南町まで支線が出ており、この路線状態の時代が長く続いたようです。

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現在では、地下鉄の路線数も格段に増え、都内の大概の場所に地下鉄だけで行くことが可能になりました。あまり馴染みの無い場所に用事などがあると、へぇ〜、こんなところに新しい路線と駅が出来たんだと驚くばかりです。


地上を走る電車と違って、地下鉄にはいわく言い難い独特の匂いがありますよね。地下のプラットホームへ向かって階段を降りる時に感ずるもわっとした生温かい風。カーブを曲がる時の耳を塞ぎたくなるような軋み音。地下道を歩いている途中に、突然妙に古めかしいタイルの壁に出会ったり。そうした地下鉄に特有の性質を見事に活かした作品があります。浅田次郎原作「地下鉄(メトロ)に乗って」。


小説自体は10年以上前に書かれたものですが、これが昨年映画化されました。

会社とは名ばかりの衣料品を製造販売する小さな小さな会社の営業マン真次の役を堤真一が、その愛人みち子の役を岡本綾が演じます。ほかに大沢たかお、常盤貴子らが重要な役割を演じています。あらすじやへたな解説はネタバレになるので省きますが、一つだけラストに近いシーンで印象に残るみち子とその母との会話から。


「おかあさんとこの人とを、秤(はかり)にかけてもいいですか。私を産んでくれたおかあさんの幸せと、私の愛したこの人の幸せの、どっちかを選べって言われたら・・・・・」

「―まあ、ずいぶんと難しいことだわねぇ」

(美しくたおやかな笑顔を、娘に向けて答える母)

「あのね、親っていうのは、自分の幸せを子供に望んだりはしないものよ。そんなこと決まってるさ。好きな人を幸せにしてやりな」

(みち子の返答)

「ありがとう、おかあさん。ごめんね」


東京オリンピック開催というビッグイベントに向けて地下鉄延伸という史実の中に、自分が生まれる以前の知られざる父や母の真の姿を眼前に見るという、現代から戦前まで昭和という時代をさかのぼる感動のタイムスリップ・ファンタジー。ハラハラドキドキの展開から、あっと驚く結末に至るまで、息をつく間もない120分間。先に映画を見るも良し、小説を読むも良し。多少脚色が異なるけれど、ほぼ原作に忠実な映画化だと思います。

オフィシャルサイトはこちらです。↓

http://www.metro-movie.jp/



で、今日の音楽は何を?

ジャック・イベール (Jacques Ibert, 1890-1962)の交響組曲「パリ」(1931年作)。

何故?

実は、第1曲のタイトルが「地下鉄 Le Metro」なんですよ。朝のあわただしい通勤時間帯に走るパリの地下鉄の様子が描かれています。作曲当時、パリではもうメトロが開通していたんですね。以下、「郊外」「パリの回教寺院」「ブローニュの森のレストラン」「定期船イル・ド・フランス」「旅芸人」と続きます。これ1曲でパリ市内をざっと一巡。この街の代表的風物を各々2-3分で描いた小粋なスケッチ帳といったところでしょうか。街角のブラッセリーで、軽いフレンチ料理など召し上がっているおつもりで聴かれるのがよろしいかと。


Metro9



と言うわけで、いつも辺境の地の音楽ばかりでしたので、これから暫くはヨーロッパ大陸中心部の作品を取り上げてみましょうかね。先ずはおフランスから。笑
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降誕祭を前にして
- 2007/12/23(Sun) -
Medtner17



今年も残すところ後わずかです。慌しい毎日を過ごす中、ふと気がつけば、もうその日は目の前までやって来ました。今日は一日中雨。何とはなしに過ぎ去りし日々を振り返る気持ちになりました。


だいぶ以前になりますが、とある施設で少しばかりの期間でしたけれど、ボランティアをしたことがあります。その施設は、様々な理由から両親が居なかったり、家庭の止むを得ない事情でどうしても育てられない赤ちゃんや幼児を預かって養育していたのです。

この子たちはね、コインロッカーに置き去りにされた子たちなのよと、あっけらかんに説明する保母さんたちの明るい声に驚きながらも、彼女たちのてきぱきと働く姿がとても頼もしく、また懐かしい気持ちがしたことを、つい昨日のことのように思い出します。こちらが出来ることと言ったら、精々バザーのお手伝いや庭のお掃除などでしたが、まだ保育器に入っている赤ちゃんや幼い子供たちの顔を見る度に、無事すくすくと育って欲しいと願ったものでした。


思えば、保母さんやシスターたちに懐かしさを感じたのは、さらに幼い頃の記憶が呼び覚まされたのかも知れません。母校(笑)を紹介致します。


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毎週1回のミサと、カラーで印刷されたキリスト誕生の絵や様々な聖書の絵物語を眺めたことが、これまた不思議と目に焼きついたように思い出されます。礼拝堂の右側の建物が教室で、さくら組って言ったかな。笑 


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今年もいろいろな場所で、いろいろな人に会いました。写真のお二人は、とある教会で数日間起居を共にしたベルギー人の宣教師です。とても良いお顔の方たちでしょ。この後、想像もできないくらい大変なところに赴任される直前の撮影です。元気でいらしてるかしら。本来なら、こんなに大きな顔写真を出してはいけないのかも知れませんけれど、一期一会の想い出に掲載させて頂きました。お二人が最後の晩に話されたことは、一生忘れません。


その他にも、いろいろなことがありました。必ずしも楽しい想い出ばかりではありません。むしろ悲しいことの方が多かったかも知れません。それでも、その一つ一つがこの世に生あるからこその想い出かと考えれば、大事に胸に収めたいと思います。


雨のそぼ降る夜に流れる音楽は、メトネル(Nikolai Medtner, 1880-1951)の「忘れられたメロディー Forgotten Melodies」。(CHAN 9724(4)) 決して華美に走らない、それでいてピアノの鍵盤を自由に駆け巡るロマンティックな旋律は、時に悲しげに、時に楽しげに響き渡ります。忘れられていた人生の一コマ一コマが、まるで走馬灯のようにまぶたを駆け巡ります。


皆様、良き降誕祭をお迎え下さいませ。

メリー、クリスマス!


Medtner4
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北帰行(4)
- 2007/12/22(Sat) -
faroe9



まだまだ北への旅は続きます(笑)。

スコットランドからの距離 310 km、シェットランド諸島からも 280 km離れたフェロー諸島。ノルウェーやアイスランド、そしてイギリスを結ぶ線の中心に位置する比較的面積の大きな島々から成り、デンマーク自治領として現在約5万人弱の人々が住んでいます。


Faroe11



諸島唯一の空港があるのはVagarですが、首都はお隣の島にあるTorshavn。小さいながられっきとした町があります。しかし、次の写真のように、よくもこんな強風の吹き荒れる場所にさえ人が住んでいられるものだと、感心を通り越して驚き呆れてしまいます。


Faroe8



この島に伝わる「ペーターとエリンボリ (Paetur and Elinborg)」と題する伝説のバラードは、次の口上で始まります。

「さあさ、皆さん。薔薇と百合の花が咲き揃う頃、どうかこのお目出度い踊りの輪の中へ入って下さいな。
昔々、ハンサムな騎士ペーターと美しいエリンボリ姫という相思相愛のカップルが居たんだそうな・・・」

二人は将来の結婚を約束した間柄でしたが、ペーターは自分が若い内に是非とも冒険の旅に出たいからと、旅から無事戻って来るまで決して他のどの男性とも枕を並べないで欲しいとエリンボリに頼み、7年以内に戻ることを誓います。彼女は7年間だけは待つことをペーターに約束しました。

丁度7年の月日が経ったある日、港で首を長くして待っていたエリンボリの目に一隻の船が入港するのが見えました。てっきりペーターが戻って来たものと期待していたエリンボリの前に現れたのは、見ず知らずの商人でした。ペーターのことを知りたくて必死に尋ねる彼女に、商人は「その男は遥か遠くのデンマークにあるお城で、その城主の娘と結婚して仲むつまじく暮らしているらしい」と答えました。

悩みに悩んだエリンボリは、ペーターを探し連れ戻すことを決心します。そして彼女の兄に海を渡る旅に自分を連れて行って欲しいと懇願しました。ところが兄は、「女になぞ、とても荒海を越えて航海することなど出来はしないさ」とまともに取り合いませんでした。

それを聞いて怒ったエリンボリは、女性の友人たちや身近かに仕える女たちを集め、自分を含めて全員が髪を短く切り、男物の服を身にまとい、女たちだけで航海に出ることを企てます。当然のように航海は難儀を極め、来る日も来る日も激しい嵐と戦わねばなりませんでした。そしてエリンボリらは、とうとうペーターの住んでいる城に辿り着いたのです。

食卓についていたペーターのところに歩み寄ったエリンボリは、「これが騎士という身分の方のなさることなのですか?」と皮肉たっぷりになじりました。変装していた上、まるで男性のように筋肉が付いた身体つきとは言え、エリンボリの切った髪と彼女の目を見て、ペーターは直ちにそれがエリンボリであることを察知しました。そして事態を観念したペーターは、妻にこう言います。

「私は、これから遠路遥々訪れてくれたこの姪を無事国元まで戻れるよう送り届けて上げるつもりだ。旅は3日もあれば戻って来れるであろうから、万一4日目までに帰ることが無かったなら、道中何かあったのだろうと思ってくれ」と。

港に泊っていた船に乗り込むために3人は揃って海辺まで来ます。そして2人が船に乗り込むとエリンボリがすぐさま舵を取りました。ことの成り行きを察したペーターの妻の目に涙が浮かんでいたことには目もくれず、エリンボリはその女に言い放ちました。

「これで私の愛しい人は、もう私のもの。ほんの少しの間だけ貴女にお貸しただけなのよ。貴女もお達者で」と。

こうして無事航海から戻った2人は、やがて結婚式を挙げ、その後末永く仲良く暮らしたのだそうだという一節で、このバラードは締め括られます。


このバラードと同じような話は、ノルウェーやデンマーク、イギリス、スペインなどヨーロッパ各地に残されているとのことですが、ここフェロー諸島には、古くから最も明瞭な形で伝えられており、結婚式などで新妻はかように強くなければならないとの励ましの意味で唄い継がれているそうです。(個人的には、それよりもこんな意志軟弱な男で良いのだろうかと思わないではありませんが・・・。)

フェロー諸島を題材にした音楽としては、ニールセン(Carl Nielsen, 1865-1931)の管弦楽曲「フェロー諸島への幻想の旅」(FS123)が有名で、また名曲です。今日はその曲ではなく、現在フェロー諸島で作曲・音楽活動を続けているデンマーク人作曲家Kristian Blak (1957-)によって、上のバラードが約1時間弱のバレエ作品になっていますので、それを紹介致します。タイトルは‘Harra Paetur Og Elinborg’(1986年作)。管理人はバレエとしては見たことがありませんが、不思議な曲調の現代音楽でありながら、妙に昔懐かしい雰囲気も漂う、とにかく奇妙な音楽です。

実はフェロー諸島には、最果ての地でとても少ない人口にも関わらず、CD録音・製作の会社があるのです。また毎年島で音楽祭が開かれる程、音楽好きが多い島でもあるのです。レーベルの名前はTutl。トゥトルと読むようです。日本国内の大型CDショップでも、まず見掛けることのないこのレーベルについては何故か大分以前から管理人は知っていましたが、その実物を初めて手に取ったのは、先日広島を訪れた際に立ち寄った「ノルディックサウンド広島」という小さなお店でした。このレーベルの国内ディストリビューターとなっており、北欧音楽だけを専門に扱っておられます。お店のHPはこちら(↓)で、本日紹介した音楽のCD番号はTutl FKT 2。ただし、このCDに関する限り、今ならアマゾンを通じても購入可能です。


http://www.nordicsound.jp/


Blak3
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北帰行(3)
- 2007/12/21(Fri) -
Kilda8



スコットランドから海を隔てた北の島々。それはスカイ島など比較的穏やかな山容の内ヘブリディーズ諸島とそれより遠岸に位置する比較的荒々しい岸壁の外ヘブリディーズ諸島に分かれます。しかし、それらの島々よりさらに離れて北大西洋上にぽつねんと浮かぶセント・キルダ島(本島と周りの小さな島や岩礁から成る実際は諸島)という、文字通り絶海の孤島があります。

この島については、実はこのブログでは5月20日の記事で取り上げています。島の位置は以下の通り。


Kilda2


周囲すべてが断崖に囲まれるこの島内にあって、唯一斜面が緩やかで小さな湾状の入り江の岸沿いに、石を積み上げた家々の跡が残されています(冒頭の写真)。2000年以上もの長い間、最多時でもわずか180人、大概は80人前後だけの島民たちがここに暮らしておりました。しかし、他に平地も土も無く、また仮にそういう場所があったとしても厳しい気候のため穀物が育たないこの島にあって、食料と言えば本島や周りの岩礁の断崖を飛び交うフルマカモメの乾し肉しかない生活はあまりに過酷でした。荒波のために小舟では漁が出来ず、また本土からの船もこの島に立ち寄ることは年に一度有るか無いかというほど極めて稀だったのです。島民たちの間だけで婚姻を細々と続け、やっと生まれた子供たちも、やがて大きくなるとこの島を去って行きました。そして本土へ渡ったまま、二度と帰らないのです。1930年とうとう最後の島民36名全員が、島で生活することをギブ・アップ、島を離れる決断をしたのです。この島の生活と歴史をドキュメントにした日本語の本につきましては、前回の記事でご紹介しました。英語によるドキュメントは、こちらです。↓ 最後の島民を写した写真の中にいるあごひげのおじいさんが、フィンレー・マックイーン氏(1862-1941)でカモメ取りの名人でした。


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カモメが営巣するのは、ほとんど垂直に切り立った断崖の岩の割れ目などです。この斜面にロープ1本と素手だけで登り、カモメを捕まえるのですから、それはそれは過酷な作業だったでしょう。


Kilda7



このセント・キルダ島の島民たちを記録した貴重なフィルムをネット上で見ることができます。約10分間と長編ですが、お時間がありましたら、ご覧になってみて下さい。映像が流れる間、Adrian Allan氏が作曲したピアノ曲が流れます。出来れば音声もONにされて視聴されることをお薦め致します。島民たちによる素朴なダンスやフィドルの演奏シーンもありますよ。[管理人注. 動画が長いため、ダウンロード完了までに少々時間がかかります。ご覧になる方は気長にお待ち下さいませ。]


http://jp.youtube.com/watch?v=QL0wYU8lKxI


なお、この島には現在民間人は住んでおらず、イギリス軍のレーダー基地が設置されていて軍関係の人が定期的に行き来しているだけです。またこの島全体がNational Trust(英国各地の文化・自然遺産を保護管理している団体)の管理下にあって、年に一度だけ極めて限られた人数の希望者のみが訪問を許されています。もっとも、これに申し込んでも、なかなか当たらないらしいです。

クリスマス商戦真っ盛りの我が国にあって、食べ物や生活用品が溢れんばかりに有ることに慣れ切ってしまった現代の私たちにとって、この島の(かつての)生活をほんの少しでも知ることは、大きな大きな意味があるように思えます。
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北帰行(2)
- 2007/12/18(Tue) -
Scotland5



さあ、いよいよスコットランドに着きました(列車が駅に到着したと思ってください)。宿代を安く上げようと思ったら、B&Bか、ユースがお薦めです。あ、ボーナスを一杯もらった人はどうぞホテルへ。笑 街の中にいる限り、他とそう変わるものではありません。ただ一点を除いては・・・。


・・・・・


英語がまったく通じない・・・


ま、それは誇張にしても、訛りがものすごくて、ほとんど何を言っているのかが聞き取れず、マクドでハンバーガーの注文すら出来ませんでした・・・・・(泣)


MacCunn3



スコットランドの名物と言えば、もちろんバグパイプ。そしてスコッティッシュ・ダンスです。どうです、この独特の踊り振り。背のそり方、足の曲げ方など全身のフォルムが、これぞスコッティッシュという感じがするでしょう。アイリッシュ・ダンスに似ているけど、どことなく違います。どなたか詳しい方がいらしたら、違いを説明して頂けると助かるのですが・・・。とにかくロンドンから来ると異国情緒に浸れることだけは確かです。


スコットランドは、イングランドではハイランド(地方)と呼ばれます。緯度が高いだけでなく、低い丘陵地帯しかないイングランドに比べたら確かに常に高い山影が視界の一角を占めるため、この名称も違和感がありません。実際の高度はたいしたことはないのですけれどね。

鉄道はそうした山々の間を縫うように、さらにスコットランド各地に足を伸ばしています。鉄道が無いところは、本数は少ないですがバスがあります。こうした乗り物でスコットランドの各地を回れば気分は上々。日本で言えば、北海道の知床、礼文、十勝連峰などを訪れている感じでしょうか。ネッシーを見たくて、ネス湖沿いを3回もバスに乗りました。(←アホです。)

管理人が訪れた10月下旬は、厚い上着が無ければ凍えそうな程に空気が冷たく、山々の頂きは薄っすらと雪化粧でした。今頃ならすっかり雪に覆われていることでしょう。青空が広がることもあるけれど、どんよりと曇った空の日々が多く、霞と言うのでしょうか霧のかかった時も多かったです。メル・ギブソン主演の映画「ブレイブ・ハート」では、スコットランドの自然がそのまま描かれていますから、まだご覧になられていない方は是非観て下さい。


スコットランド出身の作曲家で、最も伝統的な意味のクラシック音楽を書いた草分けは、Sir Alexander Campbell Mackenzie, 1857-1935)です。このブログでは、6月21日の記事「タータン・チェック」で取り上げました。本日は、その後継者とも言えるハーミッシュ・マッカン(Hamish MacCunn, 1868-1916)をご紹介したいと思います。

マッカンは、音楽好きの船主の息子としてスコットランド中西部の町Greenockで生まれました。双子だったそうですが、もう一人は生後まもなく亡くなっています。早くから音楽的才能を示し、5才の時には作曲もしたそうですから、神童だったのでしょう。王立音楽大学(Royal College of Music)では、ParryやStanfordに師事、わずか20才の1888年から6年間同大学で教授も勤めています。直前の記事で取り上げたマックイーウェンもそうですが、政治色を表に出さず中央に逆らわない限り、へき地出身でも才能ある人が出世することが可能であり、またそうした逸材を見つけ助力する良き伝統があったように思います。

マッカンの代表作は、一番は‘Land of the Mountain and the Flood’。18才の時の作品です。9分余りの短い交響詩風管弦楽曲ですが、冒頭から聴く者誰もが一変に気に入るであろう爽やかな高原の風が吹き、後半では荒々しい川の水が氾濫する様子が見事に描かれています。スコットランドは山の斜面の勾配が急なため、大雨が降るとすぐに鉄砲水のような洪水が起こるのでしょうね。

上の曲は、比較的有名ですから、複数の録音が存在します。もう一つの傑作が、‘The Ship o'the Fiend’。「悪魔の船」とでも訳したら良いのでしょうか。これまた12分くらいの短い管弦楽曲ですが、ストーリーがあって、恋人を誘い出し海に出たはよかったが、途中で雲行きが怪しくなり、嵐になって船は難破、最後は恋人諸共海に没してしまうらしい(?)。 (←テキストがあるのですけれど、英語が訛っていて正確に訳せない。笑) 初めは穏やかな曲調で始まり、次第に弦のさざめきが不安をあおります。それでも颯爽と出航するも、途中突然現れる銅鑼の音により不吉な結末が予言されます。この銅鑼の音が何度も繰り返すところがゾクゾクするほど素晴らしく、極めて臨場感溢れる北の海らしい音楽に仕上がっています(Hyperion CDA66815)。


MacCunn2
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北帰行(1)
- 2007/12/17(Mon) -
Solway9



ロンドンのユーストン駅からスコットランドのグラスゴー行きインターシティー[注. 日本の特急列車に相当]に乗ったことがあります。

スコットランドに列車で行くには、東海岸沿いにLondon and North Eastern Railway (LNER)でエジンバラまで行くルートと、西海岸沿いにWest Coast Main Line (WCML)でグラスゴーまで行くルートの2通りがあります。どちらに乗っても終着まで4時間を切る超快速の列車の旅。英国を旅行するなら、是非ともどちらか一つには乗ってみたいところです。ただし、ロンドンは鉄道のターミナルがたくさんあり、向かう方向によって利用する駅が異なります。LNERの出発駅は、キングス・クロス駅。ご注意を!日本の時刻表のようなものを売っていますので、これを買えば、ばっちしです。余談ですが、イギリスだけでなくヨーロッパ内を動き回るなら鉄道で国境を越えて移動するのが面白いです。

さて、WCMLに乗ってしばらくすると、遠くになだらかな丘陵を眺めつつ、近くには羊やら牛やらがのんびりと草を食む田園地帯と、ロンドンと変わらない喧騒そのままの街々の風景が、交互にインターシティーの車窓を彩ります。それでもLancashire州辺りまで来ると、さすがに雰囲気は一変。スコットランドとの国境はもうすぐです。

グレイト・ブリテン島の地図を開くと、イングランドとスコットランドの間をまるで西側から分断の切り込みを入れたように大きな入り江があることがお分かりでしょう(下の地図参照)。それはソルウェイ湾(入り江)、英語ではSolway Firthと呼ばれています。この入り江が見えるとスコットランドのGalloway州です。

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Galloway出身の作曲家マックイーウェン(Sir John Blackwood McEwen, 1868-1948)の名前をご存知の方は、イギリス音楽がお好きな方でも余り多くないかと存じます。名前からお分かりのように生粋のスコットランド人ですが、王立音楽院(Royal Academy of Music)で和声法の教授から校長まで勤め上げ、スコットランド人が英国社会の中でなかなか受け入れられない無言の差別のある時代にあって、稀なる成功を収めた人の一人と言ってよいでしょう。

マックイーウェンの代表作は、Grey Galloway SymphonyやThree Border Balladsなど、1910年より少し前に作曲された管弦楽曲です。既にHubert ParryやCharles Villiard Stanfordらが交響曲を何曲か発表しているものの、エルガーは第1交響曲を書き上げたばかりで第2番を作曲中、RVWもまだ第2番交響曲「ロンドン」に着手中というイギリス音楽黄金期に正に入らんとする時代です。

マックイーウェンが最初に書いたGalloway Symphonyの評判は良く、すぐに続いてSolway Symphonyを書きました(1909-11年)。彼の生まれ育ったSolway湾の持つ3つの顔、「春の潮」、「月光」、そして「南西の風」をそれぞれ3つの楽章の副題にした交響曲は、全曲演奏に35分程度要するとてもロマンの香りが高い傑作です。冒頭の写真はソルウェイ湾に沈む太陽を捉えたもので、遠くにスコットランドの山々の陰が見えています。ハイランドの中心部までにはまだ距離がありますから、山々はさほど険しくはありません。その風景と呼応するように、彼の音楽にスコットランドの自然と人の持つ荒々しい一面が顔を出すことは、ほとんどありません。

マックイーウェンの音楽を作曲者の名前を知らずに聴いたら、おそらく言い当てるのは難しいかも知れません。ドイツロマン派後期の音楽に近そう、でも一体誰でしょう?? たぶんそうお感じになると思います。ネット上では、ワーグナーの「ジークフリート」の影響が強く見られるという記述もありますが、管理人にはむしろ20世紀初頭フランス音楽が独特に持つ穏やかな海にひねもすたゆたうような感じが致します。また第3楽章などは、ブルックナーの交響曲が持つ崇高さすら感じさせます。つまり一言でどの国の音楽と言い表し難い、ボーダーレスの側面を持っているのです。

マックイーウェンは、正に境界にあること、そのことに存在意義を求めた音楽家であったように思えてなりません。イングランドとスコットランドの狭間にあって、無意識の内にどちらかの色彩をも強固に現すことを避け、そうすることによって英国社会の中に自分の居場所を確保した・・・。そのように見えなくはないのです。しかし、そうした見方はいささか酷であって、William Wallaceが自作の交響詩発表に際して、本来もっとも表出したかった反イングランド色を敢えて飲み込んでエンディングを穏やかなものに変更した時代から(5月20日の記事参照)、わずか数年と経っていないことを考慮する必要はあるでしょう。マックイーウェン後、スコットランド出身の(クラシック分野の)音楽家たちは、その地域色を鮮明に打ち出します。イギリス旅行を回想しながら、その変化の黎明期に生きた作曲家の作品を聴くのも(Chandos CHAN 9345)、また感慨深いものと言ってよいでしょう。


旅は、北へ北へと向かいます。さて何処まで行ってしまうのでしょうか。笑


Solway6
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志半ばにして
- 2007/12/15(Sat) -
Farrar3



12月に入りますと、普段ならあまり見かけない葉書がポツポツと郵便受けに届くことになります。「喪中につき新年の・・・」と書いてあります。ああ、そうなのかと一時は心に留めますが、多くの場合は相当ご高齢の祖父母や父母であったり、それなりのご年齢の親族であったりで、不謹慎ながら特に感慨を持つこともありません。

しかし、今年はそうではない通知がありました。一つ目は私と同窓の方で、その奥様が子宮癌のため亡くなられたという葉書。今時なら検診などで見つかれば、早期手術で最悪の結果を避けられたであろうに、おそらく自覚症状が出た時にはお若いだけに進行が早かったのでしょう。旦那さんとは、何年か前に恩師の葬儀の際に一緒に連名で献花した間柄でしたから、そのことを知って大変驚くと共に、さぞや肩を落とされたであろうことが不憫でなりませんでした。


若くしてこの世を去ることは、言うまでもなく悲しいことです。まるで自分の命が短かいことを予期していたかのように、悲劇的な雰囲気をどの作品にも漂わせていたイギリスの作曲家がおりました。彼の名前は、ファーラー (Ernest Farrar, 1885-1918)。ヨークシャーに生まれ、王立音楽大学でSir Charles Stanfordに学んだファーラーは、師の推薦を受けてDresden、後にはSouth Shieldsでオルガニストの職を得ながら作曲活動を続けました。

しかし、丁度第1次世界大戦の時代。愛国心に燃えるファーラーは戦争が始まるとまもなく自ら入隊を志願しました。そしていよいよフランスの前線に送り込まれたのが、1918年9月6日。わずか12日後の9月18日、敵の銃弾に当たり戦死してしまいました。大戦はその直後に収束に向かいますから不運という他ありません。

最後の作品は、‘Heroic Elegy, Op.36’。何と言う偶然でしょうか。この曲は、1918年5月ファーラーが短い休暇を取っている間に作曲され、同年6月自身の指揮によって初演されています。以下のCD1枚(CHAN 9586)に彼の主要な管弦楽曲が収められています。

Farrar2


‘The Forsaken Merman, Op.20’は中でも傑作です。

昔々、海の底では、ある(男の)人魚とその妻Margaret、そして子供たちが仲むつまじく暮らしておりました。ところがMargaretは実は人間で、夫たちとは異なりいつかは死ぬ運命にあったのです。そのことを深く思い悩んだMargaretは、とうとうある夜のこと、家族の者たちに黙って海の家を離れ、陸上に戻ってしまいました。

Margaretが突然居なくなって驚いた人魚の夫は、必至に彼女を探し回り、海岸の村々に向けて海の中からひたすら彼女の名前を呼び続けます。しかし、結果はいつもむなしく終わりました。

そしてある日のこと、とある小さな村の教会の窓の内にMargaretが祈りを捧げる姿を発見します。人魚は子供たちを連れて、一緒に彼女の名前を呼びます。何度も何度も。しかし、一心不乱に祈っているMargaretにその声は届かず、呼ばれていることすら気が付きません。やがて声も枯れ果てた人魚たちは、ただ寂しく海の底に戻るしかありませんでした。

なんて悲しいお話なんでしょう。この物語がファーラーの手によって、実に見事に音楽として映像化されて行きます。ブリッジの「イサベラ」(10月28日の記事)と同じくらい物悲しく、ロマンティックな名曲です。その他の曲も、不思議と哀しみのオーラがもれ出るばかり。きっとファーラーの運命を神様は予言されていたのかも知れません。


最後に、もう一つ突然の訃報がつい先日入りました。ネットで音楽と文学に関して多大な御教示を頂きました大先輩、一風斎様という方が、風邪をこじらされた結果思いの外のご年齢で逝去されました。僭越ながら、志半ばにして無念の死と言わざるを得ないかと存じます。最後のブログ記事が有名な作曲家は滅多に取り上げないシューベルトの弦楽四重奏全集についてであったことは、何かの知らせであった気がしてなりません。なお、この方については、こちらをご覧になっている読者の方々は既によくご存知と思われますので、これ以上は申し上げません。生前のご指導に心から感謝すると共に、ここに謹んでご冥福を申し上げます。


Shiragiku4
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ウィリアム・モリス
- 2007/12/11(Tue) -
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ウィリアム・モリス協会のサイトには、1年程前まで彼の様々な作品が紹介されていたのですが、何故か今ではリンクが止まっています。それで敢えてアドレスを貼り付けることはしませんでした。でも折角モリスの名前が出ましたので、もう少し彼の作品をご紹介して置きましょう。

テキスタイルや壁紙のデザインなどを集めてみました。彼の作風がお分かりになるかと思います。

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これは日本の菊の絵をイメージしたような印象を受けますね。

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ところで「ウィリアム・モリス」って、人の名前だけかと言うとそうではなく、薔薇の品種名でもあるんですよ。イングリッシュ・ローズの一種です。これもまた見事でしょ。

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コッツウォルズ
- 2007/12/10(Mon) -
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コッツウォルズ地方というのは、ロンドンから西に約200km、車で3時間程度ドライブした辺りの地域名です。古い英語で「羊小屋のある丘陵」というような意味だそうで、12〜13世紀頃の家々がよく保存されて残されており、村人たちが美しい自然と調和して生活しています。イギリスの中でも最も人気の高い観光スポットの一つでしょう。


実は、管理人はこの地方は横目に通り過ぎてしまって、未だにこの村々に入ったことがありません。何日かゆっくりと訪れて見たい場所なんですけれどね。


でも、この地域についてはよく知っています。何故かって?


それは、あの「惑星」一発で名を残しているホルスト (Gustav Holst, 1874-1934)が「コッツウォルズ交響曲 Cotswaolds Symphony」を1900年に作曲しているからなんです。

若書きのためか、発表当初から構成上の弱点を指摘されていますが(全曲28分程度かかる中で第1楽章が4分以内と短く、交響曲開始楽章として重みに欠けるという点など)、ホルスト本来の管弦楽法の妙味が遺憾なく発揮されている佳曲です。

白眉は、第2楽章Elegy。副題として‘In Momoriam William Morris’と書き添えてあります。ウィリアム・モリス (Willam Morris, 1934-1896)とは、イギリス近代史の中でも、最も著名な文化人です。実に多才だった人で、画家であり、作家であり、事業家でもありました。しかし、何が最も有名かと言えば、タペストリーやタイル、あるいは壁紙や家具などの調度品、つまり室内装飾に関わるありとあらゆる分野で独自のデザインの品々を産み出し、同時代の生活空間にとって無くてはならない身近な存在であったということでしょうか。産業革命によって、ともすれば殺伐な空間となりかねない家庭に憩いの場として彩るにふさわしいアイテムを次々と提示し、それを製造販売する会社も自分で立ち上げました。近代的な意味で、デザイナーの地位を確立した人物であり、それを事業化できる商才すら持っていた訳です。

ではモリスは一体どんなデザインを考案したのか、壁紙を例にとって2つだけお見せ致しましょう。

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どうです、なかなか素敵でしょう。こうした壁紙は、現代ではいささか古風な感じは致しますが未だに根強い人気を保っており、ネットで販売もされています。ウィリアム・モリス協会のHPは約10年前に立ち上がりましたが、訪問者の数が4百万人を越えていることからも、その人気の高さが伺えることでしょう。


ホルストは、彼の訃報を聞いて追悼の作曲を思い立ち、最もイギリスらしい伝統が昇華された地域としてコッツウォルズ地方を題材に取り上げ、そのインスピレーションと共に曲を作り上げました。19世紀エリザベス朝の匂いのするとても美しい音楽です。イングリッシュ・ティーを飲みながら本曲を聴けば、当時の上品な生活が髣髴され、最高の気分になることでしょう。


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ブリティッシュ・ライト・ミュージック
- 2007/12/05(Wed) -
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すべての労働者諸君、集まれ!

     この舞踏場には幽霊がでるんだって

豆が飛び跳ねるよ!

     自惚れ屋のお祭りさ

老いぼれた時計職人

     悪魔が来たりてギャロップを踏む


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イギリスはお堅いようで、実はなかなかファンタジー豊かな国です。「不思議な国のアリス」も「ピーターラビット」も。美しい自然の中で、たくさんの物語が生まれました。古くは「マザー・グース」、新しいところでは、やっぱり「ハリー・ポッター」かな。

音楽だって負けてはいません。何たって、ここは

ブリティッシュ・ライト・ミュージック♪♪

発祥の地! (当たり前か・・・)

いやいや、つまり言いたかったことは、それまで上流・中産の比較的富裕な階層のものであったいわゆるクラシック音楽を、より大衆のためのものに塗り替えた先駈けの地だったということなんです。ミュージカルの原型も、ここイギリスで生まれています。

ま、お硬い話は抜きにして、このところ急に増した寒さで冷え込んだ身体を楽しい音楽で心の中から温めようではありませんか。

British Light Musicのシリーズは、Hyperion、ASV、Malco Polo (Naxos)、EMIなどから、それぞれ特色のある演奏が出ています。今日は、管理人が大好きな曲がたくさん入っているHyperionの1枚から(CDA66868)。

実は、冒頭に掲げたのはその中から幾つか選んだ曲の題名です(一般に通用している邦題ではなく、管理人の迷訳です)。何かタイトルだけでも楽しそうでしょ。その他に、19世紀前半に一世を風靡した「エリザベス朝のセレナード」(Ronald Binge作曲)なんていう名曲も聴けますよ。そして何と言っても、「草原に鳴り渡る鐘の音」。天才ケテルビーのへたな写真や絵画を遥かに上回る情景描写力には恐れ入ります。いやあ、ライト・ミュージックって本当にいいもんですね。


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ウェールズの魅力
- 2007/12/02(Sun) -
Welsh7



英国で国旗の変更問題が話題になっているらしい。問題のきっかけは、スコットランド独立論の議論などを経て、連合王国の中で唯一軽視と言うか無視されてきたウェールズ地方からの不満でした。

現在の国旗ユニオン・ジャックは、イングランドがスコットランドやアイルランドを併合(現在は北アイルランドだけですが)して来た歴史を反映して、イングランド国旗の聖ジョージの赤十字(白地に赤十字)にスコットランド国旗の聖アンドリューの白十字(青字に白い斜め十字)とアイルランド国旗の聖パトリックの赤十字(白地に赤の斜め十字)が追加されて、今日の英国国旗が出来上がったという経緯があります。

ウェールズ地方は、ご存知のようにアイルランドやスコットランドと同じように古くからケルト文化が残っている地域であり、極く一時期他国に占領・支配を受けたことこそありますが、イギリス併合後も独自の言語(ウェルシュ語)と文化を保持しているために、反イングランド精神が根強いと言われています。首都は南部にある都市カーディフ。冒頭の写真は、ウェールズ西端に近い町ペンブロークにあるペンブローク城です。ウェールズはアーサー王伝説にまつわる様々な古城や遺跡の宝庫で、美しい自然と共に観光の目玉には事欠きません。

今回の国旗問題は、このユニオン・ジャックの中にウェールズを表わすシンボルが含まれていないではないかということです。ウェールズの名物と言えば、古くは炭鉱、最近では長ネギがその主な産地であることから代名詞のようになっているとか。しかし最も有名なものは、Welsh Dragonと呼ばれる赤い竜の紋章です。ちなみにウェールズの国旗は、これ。↓ 緑と白のストライプ(ネギを表わしている!?)にWelsh Dragonがあしらわれています。

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さてウェールズ地方が英国社会の中で軽視されて来たように、ウェールズの音楽もなかなか表舞台には登場して来ないように思われます。そこで今日は、同地方出身のしかも女性作曲家でもある逸材Grace Williams (1906-1977)の作品を取り上げてみたいと思います。

G. Williamsは、カーディフよりわずかに西方のバリーという町で生まれました。ブリテンが若い時に英国各地の民謡を収集した際に、その助手として協力しており、彼女の才媛振りと音楽的才能に驚いたそうです。奇しくも彼女の作品をまとめて出しているLyritaレーベルの2枚のCDジャケットには(Lyrita SRCD.323とSRCD.327)、Williamsの若い頃とお年を召してからのポートレートがそれぞれ使われています。知的なお顔がとても凛々しいでしょう。もしもブリテンが○○で無かったなら、さぞかし2人は結びついたに違いないと、つい余計なことを考えてしまいます。

G. Williamsの音楽は、単に女流作曲家であるからという点が注目されるばかりではありません。代表曲‘Fantasia on Welsh Nursery Tunes’(1940年)には彼女の音楽的才気が漲っていることが明らかであり、ここに取り上げたCD(SRCD.323)に含まれている他の管弦楽作品‘Callions for Oboe and Orchestra’、‘Penillion’、‘Trumpet Concerto’では、各楽器の持つ輝かしくも妖しい音色が存分に発揮された極めてロマンティックな音楽を聴くことが出来ます。最後に収められている‘Sea Sketches for String Orchestra’(1944年)は、RVWやエルガーといったイングランドの正統的抒情派弦楽オーケストラ作品とは一味も二味も異なった活発なオーケストレーションの妙味に唸らされます。ちなみに、もう1枚のCDには‘Ballads for Orchestra’と‘Symphony No.2’などが含まれており、こちらも超優れモノばかりのお薦め品です。管理人は、こういう音楽が大好きなんですね。


Welsh3

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広島
- 2007/12/01(Sat) -
Penderecki3



ブロードウェイはニューヨーク市の中心部マンハッタン地区のど真ん中にあります。その地名をとったとある計画、人類史上後世に最も大きな禍根を残した「マンハッタン計画」とは、他ならぬ原爆製造のための国家プロジェクト名でした。

どうしてこんな名前がついたかと言いますと、実際の核実験や爆弾の製造は米国南西部の砂漠地帯で行われたのですが、ニューヨークの「米国陸軍マンハッタン工兵管区」と呼ばれた組織が計画の準備と着手に当たったからなのだそうです。責任者はLeslie Richard Groves准将、着手は1942年9月のことでした。わずか3年を待たずして、開発製造から実際の使用まで完遂してしまったわけです。

今、この地を訪れ、この碑文を前にすると、自然と心が改まります。

過ちは繰返しませぬから


最近のニュースは、スポーツ界の不祥事にしても食品偽装問題にしても、不正が発覚してから、先ずは言い逃れることに汲々として、さらににっちもさっちも行かなくなってから表向きの謝罪を報ずるばかりです。実になさけない展開のオンパレード。今話題のある省庁のトップであった人物とその家族たちの言動も、やがて同じ道を辿るのでしょうか。敗戦国という弱い立場にあって、言いたいことが言えなかったという事情ならいざ知らず、私腹をこやすことだけにやっきとなっていた人物に国防の最重要事項をまかせていたとは、怒りが込み上げるばかりです。そして、そのような非常識な人物であることを多くの人が知りながら、誰も止めることができないまま組織のトップになることを許した日本社会の事情も情けない限りです。


ポーランドの作曲家ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki, 1933-)の音楽には、怒りと苦悩と不安の中に、言い知れぬ悲しみが渦巻いています。52の弦楽器が奏でる‘Threnody for(to) the Victims of Hiroshima’(1959-61年作)は、ただ単に原爆炸裂時の閃光や熱線の凄まじさと直後に出現した地獄絵図を描いたばかりでなく、未来社会に永続するであろう異常空間の歪み・きしみと業火にあえぐ苦悩を予言したものに違いありません。ペンデレツキに限ることなく、グレツキやキラールなどなど、20世紀以降に生まれたポーランドの作曲家・文化人たちは、戦後何年を経ようとも常にナチやアウシュビッツが残した、いわば「負の遺産」をしっかりと受け留めているように思えます。いやむしろ、それを大事に抱え、それを拠り所として発信することにより、結果世界平和を希求するアピール力がより強いメッセージとなっていることは疑いの余地がありません。それに比して、我が国の社会や文化はいつも「喉元過ぎれば何とやら」ということを繰り返してばかりいるような気がします。一体いつになったら眼を覚ますのでしょうか。


Penderecki2

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