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裸の王様
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- 2007/12/28(Fri) -
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![]() 花の都パリ。フランス人は、一般的に言ってとっても○慢で○慢ちきだと言われますが、それはそれだけ自分たちの文化に誇りと自信を持っているからなのでしょう。だからパリを知らずして西洋(文化・音楽)を語ることは出来ません。 日本からジェット飛行機に乗っておよそ12時間余り。空港に着いたら(普通はシャルル・ド・ゴール空港)、先ずはホテルに向かいましょう。団体旅行なら添乗員さんがお泊りのホテルまで直行のバスなどに案内してくれます。もしも個人旅行でしたらタクシーがお高いけれども確実です。なお日本のJRに相当するRERという列車に乗ると、空港から市内中心部まで早く安く行くことが出来ます。そして市内の移動は、何と言ってもメトロの本場、地下鉄が大変便利。路線図は必携のアイテムです。 ![]() 上の地図だと細かい文字がよく読めないでしょうから、拡大図はこちら(地図上をクリックするとさらに大きく拡大されます)。↓ http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2171/metromap.jpg パリの地下鉄1号線は、市内中心部をほぼ東西に走っていて、なんと1900年の開通でした。たとえばエトワールの凱旋門に行かれるのでしたら、1号線のやや左端Charles de Gaulle-Etoile駅で降り、地上に出ると目の前がそれです。ルーブル美術館もこの路線沿い(Louvre Rivoli駅)にあります。そうそう、この路線は古いだけあって、地下道や駅名もタイルがとても時代を感じさせ、ちょっとしたタイムスリップの浪漫を味わえます。 さて、その凱旋門。パリ一番の大通り、シャンゼリゼ通りに市内を睥睨(へいげい)するように君臨する大門です。誰が何のために作ったかと言えば、ご存知ナポレオン(1769-1821)が欧州制覇して絶頂の1806年に建設を命令。完成は1836年でした。皮肉なことに皇帝ナポレオンはその完成の姿を見ることなく没しているのですね。奢れるものは久しからず。 ところで昨日の出来事に、パキスタンの元首相ブット氏が暗殺されるというショッキングなニュースがありました。彼女は、約8年半に渡る事実上の亡命生活を終えて帰国した直後の10月末にも自爆テロの標的にされ、危うく難を逃れていました。そして今回の凶行ですから、余程狂信的な犯行と言わざるを得ません。現政権の最も強力な政敵でもあり、またイスラム過激派からも敵視されていたと言いますから相当警戒していたはずですが、ついに犠牲となってしまいました。政治信条は別にしまして、謹んでご冥福をお祈り致します。 人間、妄信と言いますか、執念と言いますか、一度こうだと信じてしまいますと、なかなか理性的に判断することは難しいようです。仮に少し冷静になって考えれば、違った捉え方も出来るはずと気がついたとしても、狂気に走るリーダーを止めることは至難です。へたをすれば、自らが抹殺されてしまう訳ですから。 人を憎んでも、あとに残るものは新たな憎しみ・恨みと悲しみだけです。制覇した、勝ったと思った瞬間に、実は敗北が決定しているのです。 パキスタンに限ることなく、アフガニスタン、インド、中東諸国、いや世界中の至るところで、このような民族と宗教の違いによる戦いが尽きることなく続けられています。変なものは変だと、悪いものは悪いと素直に言える子供のような純真さを、いつまでも持ち続けられる人でありたいとつくづく思います。 今日の音楽は、ジャン・フランセ(Jean Rene Desire Francaix, 1912-1997)のバレエ音楽「裸の王様 Le roi nu」(1935年作)。ストラヴィンスキーの「春の祭典」がシャンゼリゼ劇場で初演されたのは1913年でしたが、前世紀末からパリはアヴァンギャルドの最先端を行く街でありました。常々不思議に思っていることなのですが、音楽の分野で先鋭さが顕著に現われるのは、どういう訳かバレエ音楽の場合が多いようです。これは何故なのか、どなたか易しく解説して下さる方はいらっしゃいませんかね。(^_-) フランセの作風は、ラベルやストラヴィンスキーらの影響を受けているものの、他の誰とも違う独自性を保っています。管弦楽の美しさを最大限引き出す術を完全に身につけており、それでいて無調性やバーバリズムに走ることもなく、新古典派の作曲家と呼ばれるのも無理はありません。それにしても200曲以上という多数の作品残しており、彼の名前がフランスの代表的作曲家のリストからほとんど抹殺されていることは不思議でなりません。 フランセの「裸の王様」は、もちろんアンデルセン原作のお話をバレエの舞台用に仕上げたもの。全4場から成る全曲演奏約25分の作品は、メリハリが利いていて大変分かり易く、またとても美しいです。詐欺師の仕立て屋が馬鹿な人間や自分に相応でない仕事をしている人間には決して見ることが出来ない不思議な布地を織ることが出来ると自慢し、その布地で作ったという衣装が実は全く見えなかった王様も周辺の家来たちもそうとは言い出せず、それを褒めるしか無かったという現代にも十分通ずる風刺劇。(そう言えば、東アジアのどこかの首相もそのように呼ばれて辞任に追い込まれていませんでしたっけ。) 余談はさて置き、本曲は王様のダンスあり、王妃の登場ありで、バレエとしての視覚化にも大変向いているお話なのかも知れません。最後に子供が、「あれッ、王様が裸だよ!」と叫んで、一同大笑い。そして大パニックの大団円。一度舞台で観てみたいなぁ。ここにご紹介するCDはHyperion CDA67489で、同梱の「夜のご婦人方 Les demoiselles de la nuit」も美しい佳品です。 ![]() |
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メトロに乗って
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- 2007/12/26(Wed) -
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![]() 東京都内を動き回るには、JR山の手線や中央線の他に地下鉄が大変便利です。この間上京した折にも何度か乗りました。銀座線に次いで2番目に古い路線に丸ノ内線というのがあります。池袋―御茶ノ水間が開通したのが、なんと昭和29年。現在では何とも味気ないステンレス車両に申し訳程度に色がついていますが、当時は下の写真のように真っ赤な車体に白い帯、そして銀の波線がボディーに燦然と輝く、とってもモダンなデザインだったようです。 ![]() 御茶ノ水までであった路線は、やがて下図のように銀座でぐるっと向きを変え、新宿を経由して中央線の荻窪まで延びました。中野坂上からは方南町まで支線が出ており、この路線状態の時代が長く続いたようです。 ![]() 現在では、地下鉄の路線数も格段に増え、都内の大概の場所に地下鉄だけで行くことが可能になりました。あまり馴染みの無い場所に用事などがあると、へぇ〜、こんなところに新しい路線と駅が出来たんだと驚くばかりです。 地上を走る電車と違って、地下鉄にはいわく言い難い独特の匂いがありますよね。地下のプラットホームへ向かって階段を降りる時に感ずるもわっとした生温かい風。カーブを曲がる時の耳を塞ぎたくなるような軋み音。地下道を歩いている途中に、突然妙に古めかしいタイルの壁に出会ったり。そうした地下鉄に特有の性質を見事に活かした作品があります。浅田次郎原作「地下鉄(メトロ)に乗って」。 小説自体は10年以上前に書かれたものですが、これが昨年映画化されました。 会社とは名ばかりの衣料品を製造販売する小さな小さな会社の営業マン真次の役を堤真一が、その愛人みち子の役を岡本綾が演じます。ほかに大沢たかお、常盤貴子らが重要な役割を演じています。あらすじやへたな解説はネタバレになるので省きますが、一つだけラストに近いシーンで印象に残るみち子とその母との会話から。 「おかあさんとこの人とを、秤(はかり)にかけてもいいですか。私を産んでくれたおかあさんの幸せと、私の愛したこの人の幸せの、どっちかを選べって言われたら・・・・・」 「―まあ、ずいぶんと難しいことだわねぇ」 (美しくたおやかな笑顔を、娘に向けて答える母) 「あのね、親っていうのは、自分の幸せを子供に望んだりはしないものよ。そんなこと決まってるさ。好きな人を幸せにしてやりな」 (みち子の返答) 「ありがとう、おかあさん。ごめんね」 東京オリンピック開催というビッグイベントに向けて地下鉄延伸という史実の中に、自分が生まれる以前の知られざる父や母の真の姿を眼前に見るという、現代から戦前まで昭和という時代をさかのぼる感動のタイムスリップ・ファンタジー。ハラハラドキドキの展開から、あっと驚く結末に至るまで、息をつく間もない120分間。先に映画を見るも良し、小説を読むも良し。多少脚色が異なるけれど、ほぼ原作に忠実な映画化だと思います。 オフィシャルサイトはこちらです。↓ http://www.metro-movie.jp/ で、今日の音楽は何を? ジャック・イベール (Jacques Ibert, 1890-1962)の交響組曲「パリ」(1931年作)。 何故? 実は、第1曲のタイトルが「地下鉄 Le Metro」なんですよ。朝のあわただしい通勤時間帯に走るパリの地下鉄の様子が描かれています。作曲当時、パリではもうメトロが開通していたんですね。以下、「郊外」「パリの回教寺院」「ブローニュの森のレストラン」「定期船イル・ド・フランス」「旅芸人」と続きます。これ1曲でパリ市内をざっと一巡。この街の代表的風物を各々2-3分で描いた小粋なスケッチ帳といったところでしょうか。街角のブラッセリーで、軽いフレンチ料理など召し上がっているおつもりで聴かれるのがよろしいかと。 ![]() と言うわけで、いつも辺境の地の音楽ばかりでしたので、これから暫くはヨーロッパ大陸中心部の作品を取り上げてみましょうかね。先ずはおフランスから。笑 |
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北帰行(4)
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- 2007/12/22(Sat) -
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![]() まだまだ北への旅は続きます(笑)。 スコットランドからの距離 310 km、シェットランド諸島からも 280 km離れたフェロー諸島。ノルウェーやアイスランド、そしてイギリスを結ぶ線の中心に位置する比較的面積の大きな島々から成り、デンマーク自治領として現在約5万人弱の人々が住んでいます。 ![]() 諸島唯一の空港があるのはVagarですが、首都はお隣の島にあるTorshavn。小さいながられっきとした町があります。しかし、次の写真のように、よくもこんな強風の吹き荒れる場所にさえ人が住んでいられるものだと、感心を通り越して驚き呆れてしまいます。 ![]() この島に伝わる「ペーターとエリンボリ (Paetur and Elinborg)」と題する伝説のバラードは、次の口上で始まります。 「さあさ、皆さん。薔薇と百合の花が咲き揃う頃、どうかこのお目出度い踊りの輪の中へ入って下さいな。 昔々、ハンサムな騎士ペーターと美しいエリンボリ姫という相思相愛のカップルが居たんだそうな・・・」 二人は将来の結婚を約束した間柄でしたが、ペーターは自分が若い内に是非とも冒険の旅に出たいからと、旅から無事戻って来るまで決して他のどの男性とも枕を並べないで欲しいとエリンボリに頼み、7年以内に戻ることを誓います。彼女は7年間だけは待つことをペーターに約束しました。 丁度7年の月日が経ったある日、港で首を長くして待っていたエリンボリの目に一隻の船が入港するのが見えました。てっきりペーターが戻って来たものと期待していたエリンボリの前に現れたのは、見ず知らずの商人でした。ペーターのことを知りたくて必死に尋ねる彼女に、商人は「その男は遥か遠くのデンマークにあるお城で、その城主の娘と結婚して仲むつまじく暮らしているらしい」と答えました。 悩みに悩んだエリンボリは、ペーターを探し連れ戻すことを決心します。そして彼女の兄に海を渡る旅に自分を連れて行って欲しいと懇願しました。ところが兄は、「女になぞ、とても荒海を越えて航海することなど出来はしないさ」とまともに取り合いませんでした。 それを聞いて怒ったエリンボリは、女性の友人たちや身近かに仕える女たちを集め、自分を含めて全員が髪を短く切り、男物の服を身にまとい、女たちだけで航海に出ることを企てます。当然のように航海は難儀を極め、来る日も来る日も激しい嵐と戦わねばなりませんでした。そしてエリンボリらは、とうとうペーターの住んでいる城に辿り着いたのです。 食卓についていたペーターのところに歩み寄ったエリンボリは、「これが騎士という身分の方のなさることなのですか?」と皮肉たっぷりになじりました。変装していた上、まるで男性のように筋肉が付いた身体つきとは言え、エリンボリの切った髪と彼女の目を見て、ペーターは直ちにそれがエリンボリであることを察知しました。そして事態を観念したペーターは、妻にこう言います。 「私は、これから遠路遥々訪れてくれたこの姪を無事国元まで戻れるよう送り届けて上げるつもりだ。旅は3日もあれば戻って来れるであろうから、万一4日目までに帰ることが無かったなら、道中何かあったのだろうと思ってくれ」と。 港に泊っていた船に乗り込むために3人は揃って海辺まで来ます。そして2人が船に乗り込むとエリンボリがすぐさま舵を取りました。ことの成り行きを察したペーターの妻の目に涙が浮かんでいたことには目もくれず、エリンボリはその女に言い放ちました。 「これで私の愛しい人は、もう私のもの。ほんの少しの間だけ貴女にお貸しただけなのよ。貴女もお達者で」と。 こうして無事航海から戻った2人は、やがて結婚式を挙げ、その後末永く仲良く暮らしたのだそうだという一節で、このバラードは締め括られます。 このバラードと同じような話は、ノルウェーやデンマーク、イギリス、スペインなどヨーロッパ各地に残されているとのことですが、ここフェロー諸島には、古くから最も明瞭な形で伝えられており、結婚式などで新妻はかように強くなければならないとの励ましの意味で唄い継がれているそうです。(個人的には、それよりもこんな意志軟弱な男で良いのだろうかと思わないではありませんが・・・。) フェロー諸島を題材にした音楽としては、ニールセン(Carl Nielsen, 1865-1931)の管弦楽曲「フェロー諸島への幻想の旅」(FS123)が有名で、また名曲です。今日はその曲ではなく、現在フェロー諸島で作曲・音楽活動を続けているデンマーク人作曲家Kristian Blak (1957-)によって、上のバラードが約1時間弱のバレエ作品になっていますので、それを紹介致します。タイトルは‘Harra Paetur Og Elinborg’(1986年作)。管理人はバレエとしては見たことがありませんが、不思議な曲調の現代音楽でありながら、妙に昔懐かしい雰囲気も漂う、とにかく奇妙な音楽です。 実はフェロー諸島には、最果ての地でとても少ない人口にも関わらず、CD録音・製作の会社があるのです。また毎年島で音楽祭が開かれる程、音楽好きが多い島でもあるのです。レーベルの名前はTutl。トゥトルと読むようです。日本国内の大型CDショップでも、まず見掛けることのないこのレーベルについては何故か大分以前から管理人は知っていましたが、その実物を初めて手に取ったのは、先日広島を訪れた際に立ち寄った「ノルディックサウンド広島」という小さなお店でした。このレーベルの国内ディストリビューターとなっており、北欧音楽だけを専門に扱っておられます。お店のHPはこちら(↓)で、本日紹介した音楽のCD番号はTutl FKT 2。ただし、このCDに関する限り、今ならアマゾンを通じても購入可能です。 http://www.nordicsound.jp/ ![]() |
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北帰行(3)
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- 2007/12/21(Fri) -
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![]() スコットランドから海を隔てた北の島々。それはスカイ島など比較的穏やかな山容の内ヘブリディーズ諸島とそれより遠岸に位置する比較的荒々しい岸壁の外ヘブリディーズ諸島に分かれます。しかし、それらの島々よりさらに離れて北大西洋上にぽつねんと浮かぶセント・キルダ島(本島と周りの小さな島や岩礁から成る実際は諸島)という、文字通り絶海の孤島があります。 この島については、実はこのブログでは5月20日の記事で取り上げています。島の位置は以下の通り。 ![]() 周囲すべてが断崖に囲まれるこの島内にあって、唯一斜面が緩やかで小さな湾状の入り江の岸沿いに、石を積み上げた家々の跡が残されています(冒頭の写真)。2000年以上もの長い間、最多時でもわずか180人、大概は80人前後だけの島民たちがここに暮らしておりました。しかし、他に平地も土も無く、また仮にそういう場所があったとしても厳しい気候のため穀物が育たないこの島にあって、食料と言えば本島や周りの岩礁の断崖を飛び交うフルマカモメの乾し肉しかない生活はあまりに過酷でした。荒波のために小舟では漁が出来ず、また本土からの船もこの島に立ち寄ることは年に一度有るか無いかというほど極めて稀だったのです。島民たちの間だけで婚姻を細々と続け、やっと生まれた子供たちも、やがて大きくなるとこの島を去って行きました。そして本土へ渡ったまま、二度と帰らないのです。1930年とうとう最後の島民36名全員が、島で生活することをギブ・アップ、島を離れる決断をしたのです。この島の生活と歴史をドキュメントにした日本語の本につきましては、前回の記事でご紹介しました。英語によるドキュメントは、こちらです。↓ 最後の島民を写した写真の中にいるあごひげのおじいさんが、フィンレー・マックイーン氏(1862-1941)でカモメ取りの名人でした。 ![]() カモメが営巣するのは、ほとんど垂直に切り立った断崖の岩の割れ目などです。この斜面にロープ1本と素手だけで登り、カモメを捕まえるのですから、それはそれは過酷な作業だったでしょう。 ![]() このセント・キルダ島の島民たちを記録した貴重なフィルムをネット上で見ることができます。約10分間と長編ですが、お時間がありましたら、ご覧になってみて下さい。映像が流れる間、Adrian Allan氏が作曲したピアノ曲が流れます。出来れば音声もONにされて視聴されることをお薦め致します。島民たちによる素朴なダンスやフィドルの演奏シーンもありますよ。[管理人注. 動画が長いため、ダウンロード完了までに少々時間がかかります。ご覧になる方は気長にお待ち下さいませ。] http://jp.youtube.com/watch?v=QL0wYU8lKxI なお、この島には現在民間人は住んでおらず、イギリス軍のレーダー基地が設置されていて軍関係の人が定期的に行き来しているだけです。またこの島全体がNational Trust(英国各地の文化・自然遺産を保護管理している団体)の管理下にあって、年に一度だけ極めて限られた人数の希望者のみが訪問を許されています。もっとも、これに申し込んでも、なかなか当たらないらしいです。 クリスマス商戦真っ盛りの我が国にあって、食べ物や生活用品が溢れんばかりに有ることに慣れ切ってしまった現代の私たちにとって、この島の(かつての)生活をほんの少しでも知ることは、大きな大きな意味があるように思えます。 |
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