
大寒を過ぎて一年で一番寒いこの季節。ふだんは雪と縁の薄い地方にも降雪の知らせがチラホラと・・・。
私が子供の時分には、今と比べてもっとずっと寒かったような気がします。朝早くに学校に行けば、校庭の水たまりが凍っていて、運動靴でスケート気分を味わったこともよくありました。最近は道路の水たまりが凍っているなんて、とんと目にしていないように思います。
この時期になると、まるで昨日のことのように鮮明に思い出すことがあります。それは小学校6年生の3学期、ある寒い日のことでした。卒業まで残すところあとわずか。学校ではお別れの想い出にと、6年生全員が講堂で思い思いの出し物をすることになりました。なかよし同士が数人で歌うも良し、楽器の演奏も良しというわけで、お菓子やジュースも用意され、子供心にもワクワクするイベントになるはずでした。
私たちのクラスでは、1年生の入学式から6年生のその日まで最も記憶に残った行事や出来事を寸劇として演ずることで、楽しかった6年間を振り返ろうというアイデアが出されました。発案者が誰であったかは思い出せないけれど、当時学級委員だった私がそのまとめ役となるように先生から指名されたのです。劇のテーマとして何を選ぶか、クラスのみんなからいろいろな意見が出ましたが、結局遠足や運動会など、誰もが納得するイベントを各年から一つずつ選び、そのハイライトシーンを舞台で再現することになりました。何だかんだで2〜3週間、休み時間などを利用してみんな熱心に練習したことを覚えています。
クラスには5年生の途中から入って来た転校生が一人いました。名前は「ツグオ」君。いつもツギアテのシャツやズボンをはいていたから「ツグオ」君と呼ばれたのではなく、ホントの名前が「ツグオ」君。でもツグオ君は、シャイだったけれど、遊ぼうと声を掛ければいつもニコニコと笑顔で仲間に入ってくれてるクラスの人気者でした。そんな彼だから、当然のことのように幾つもの重要な劇の役が割り当てられました。
さて本番の当日、予定の出し物が二つ三つと過ぎ、私たちの順番が近づいて来ましたが、一向にツグオ君の姿が見えません。ツグオ君がいなければ、劇の格好がつきません。委員であった私は、やむなく彼の家まで呼びに行くことになりました。それまでツグオ君の家に行ったことはありませんでしたが、大体どこに住んでいるかは知っていました。順番まで時間はあと少し。とても寒い日だったけれど、必死に走りました。
「バタヤ部落」という言葉は、現在ではほとんど耳にしなくなりましたが、彼が住んでいたのはそうした地域の中でした。現代なら資源回収業という体裁の良い表現もありますが、当時そのような言葉はありません。決して大きな集落ではなく、道を隔てたすぐ隣の広い空き地には新興の団地がどんどんと開発され、古くからあった住宅街とのほんの狭間の一角にそれはありました。集めた廃品の屑がむき出しの地面に散らばる狭い土地に、これまたあり合わせの材木とベニア板を張り合わせた2階建ての建物がそこには建っていました。もっとも2階建てと言っても、下は何も無い空間で、その上にはどう見ても人が住めそうもないバラックに過ぎませんでしたが・・・。
○○君のお家はここ?と住人らしき人に質すと、黙って上を指差しました。どうやら彼はその2階に住んでいるらしい。早速、下から「ツグオ君」と呼びましたが、返事がありません。
もう一度はっきりと「ツグオ君」と大きな声で呼びかけました。・・・
それでも返事がありません。仕方なく2階に上ってみることに。ミシミシと軋む木の階段を上ると、家と言うよりはただ何も無い薄暗い空間でした。部屋の扉も何もありません。ジッと目をこらすと、その空間の隅の方に古畳が3枚ほど敷かれており、そのまた隅っこの方に暖房も何も無い所で人がうずくまっているではありませんか。「ツグオ」君でした。
「どしたん?」
ツグオ君はしばらく黙って私の顔を見ていました。もう一度「何で来なかったん?」と問い質すと、ツグオ君はいかにも困った顔をしてポツリと答えました。
「あんな・・・今日のアレ、お菓子代として50円持って来い言うとったやろ。お金ないねん・・・。」そう言うのが精一杯で、うつむいたままそれ以上言葉を発しようとしません。
その時、ツグオ君に親や兄弟がいたのかいなかったのか、子供だった私には知る由もありません。けれども、たった50円のお金を払うことが出来ずに学校に来ることをためらったツグオ君のその姿は一生忘れません。
同じく言葉を失った私に出来ることは、ただ一つしかありませんでした。気を取り直した私は、
「そんなお金のことなんか、いいからいいから。とにかく学校に行こう。みんな待っているんだから」と、堰きたてるようにツグオ君の腕を引き、再び学校まで走ったのです。
学校に着くと、もうすぐに私たちの順番でした。打ち合せの時間もなく、ハアハアと息をつきながら劇が始まったものの、ツグオ君はすっかり自分の役のことは忘れ、立ちん坊状態。結局それなりに一生懸命練習した私たちの劇は、惨憺たる状態で終わってしまいました。
冷静に考えてみれば、彼の貧しさもさることながら、転校生としてほとんど記憶も思い入れもない劇に、ツグオ君の気持ちを確かめることもなく無理やり引っ張り出した私たちの愚かさに気が付いたのは何年も経ってからのことでしたが、後悔先に立たずです。
[後日談]
ツグオ君は卒業してまもなく、みんなと一緒に地元の中学校に進学しましたが、わずか数ヶ月の後、また何処かに転校してしまいました。まるで風の又三郎のように、ほんの短い間だけ私たちの前に現われたツグオ君。今頃元気でやっているかな。薄暗いバタヤ部落のバラックの中で見せた寂しそうなツグオ君の顔と、苦い苦い劇の後味が、1月の寒い朝を迎える度に思い出されます。
フランスのパンフルート演奏家J.C. マラ(Jean-Claude Mara)とハーピスト、M. シグモン(Magali Zsigmond)のコラボレーション「Allegoria (おとぎ話)」を聴いていると、幼い頃の数々の思い出が次々と脳裏をよぎります。女子パウロ会から発売されている珍しいCD(FPD-037)です。マラの自作曲が中心のこのCDに収録の曲名が、表題の他、「透き通る波」「永遠」「心のままに」「無頓着」「うちあけ話」そして「楽人の別れの言葉」などなど。まるでため息のように聴こえるパンフルートの響きと、私たちの秘めた想いをそっと包んでくれる柔らかなハープのメロディー。いずれの曲も深い郷愁を誘われると共に、魂が深奥から揺さぶられます。
