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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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リールの子供たち
Lir6


「似て非なる」シリーズ、まだまだご紹介したい作品があるのですが、日に日に秋らしさが益す今日この頃。それはまたの日に続けることにして、少し話題を変えたいと思います。このところホームグラウンドを離れ遠征ばかりしていましたので、故郷の音楽が恋しくなりました。という訳で、久し振りにイギリス・ケルト系の音楽を取り上げたいと思います。



アイルランドに古くから伝わるお噺です。


海の王リールは妖精王の娘イーヴを娶り、2人の間に可愛い4人の子供が生まれました。美しい長女フィノーラを頭に、その弟と幼い双子の弟たちの4人です。ところが幸せもつかの間、妻イーヴは間もなく病気で死んでしまいました。最愛の妻を亡くした悲しみに暮れるリールに、イーヴの父妖精王は彼女の妹エヴァを後添えにどうかと勧めます。

しかしリールには、とてもその気が起こりません。けれども幼い子供たちのことを考えると、母なしに育てることはあまりに可哀相と、しぶしぶエヴァを継母に迎え入れることを同意しました。

エヴァは4人をとても可愛がりましたが、子供たちが遊び戯れるさ中にふと亡き母のことを想い出して懐かしむことがあり、その度にそれ程までに子供たちに慕われた死んだ姉に対する嫉妬の心がわき上がることを止めることが出来ませんでした。

イーヴに対する嫉妬が嵩じたある日のこと、エヴァは子供たちを馬車に乗せておじいさんのところへ行こうと誘い出します。そして途中のとある湖に着いた時、「馬をしばらく休ませたいから、それまでその湖で水浴びしなさい」と4人に言いました。子供たちが皆、水の中に入った時、突然エヴァはドゥルイドの魔法の杖を振り上げ、子供たちを一人一人打ちつけました。魔法によって子供たちは、たちまち4羽の美しい白鳥の姿に変身させられたのです。

そしてエヴァは冷たく宣告を下しました。
「おまえたちは、この湖をすみかに一生を過ごすがよい。」

白鳥に姿を変えられた子供たちは、悲しげに継母を見上げておそるおそる尋ねます。
「私たちは、永遠に白鳥のままなの?」

エヴァは答えました。
「初めの300年は、この湖で。次の300年は、北のアイルランドとスコットランドとの間にある海辺で。そしてその後の300年は、西の海にある島で過ごしなさい。北の国の王子と南の国の王女が結婚し、キリスト教の教会の鐘が聞こえた時、お前たちの姿は人間に戻るでしょう。」
そしてこうも言いました。
「お前たちの人間の言葉と心はそのままにして置きましょう。それから美しい歌声を与えましょう。」


エヴァが独り父妖精王のところに行くと、孫たちが付いて来るものと期待していた妖精王はがっかりし、子供たちはどうして来なかったのかと尋ねました。エヴァは、リールが来させなかったのだとウソをつきます。不審に思った妖精王が、密かにリールに使者を送り、リールが子供たちの足取りを追いかけるように先の湖に来た時、美しい歌声を上げながら飛ぶ4羽の白鳥を見つけます。

白鳥たちはリールの姿に気が付き、近寄って彼らの身に起こったことをリールに話ました。それを聞いたリールは嘆き悲しみましたが、エヴァがかけた魔法を解くことは出来ません。妖精王もやがてエヴァのしたことを知り、激怒して彼女のドゥルイドの杖を取り上げ、娘を打ちつけて「空気の悪魔」に姿を変えてしまいました。2度とこの世の中に戻れないようにと懲らしめたのです。

こうして4羽の白鳥は、美しくも悲しい歌を唄いながら900年もの間、北アイルランドの海辺を飛び続ける運命を定められたのです。


300年、そして次の300年、それからまた300年。

それは、長い長い時間でした。


そしてある日のこと、フィノーラとその弟たち、4羽の白鳥が西の海辺の崖の上に小さな教会が遠くに見える空を飛んだ時、教会の鐘が鳴り渡りました。白鳥たちの魔法がついに解ける時がやって来たのです。

白鳥たちが教会の近くに舞い降りると、彼らの姿はしだいに元の人間のそれに戻り始めました。
ところが、それは900年前の美しかった頃の姿ではありませんでした。何と皺だらけの老いた人間のそれに変わっていったのです。教会の礼拝に訪れていた村人たちは、驚いて駆け寄り、姿を変えつつある老人たちを介抱しようと抱きかかえますが、4人は最後に深い呼吸をして静かに息を引き取りました。



アイルランドに伝わる悲話「リールの子供たち The Children of Lir」。この物語を、自身の命はあまり残されていないと悟ったハーティ(Herbert Hamilton Harty, 1879-1941)が音楽作品として仕上げました。ハーティ最晩年のソプラノ独唱を伴うオーケストラ作品「The Children of Lir」(1939年作)です。ハーティはアイルランド生まれの作曲家であり、指揮者としてハレ管弦楽団を今日ヨーロッパ一流の管弦楽団の一つとして育て上げた功績で知られています。「リールの子供たち」の伝説そのものが、アイルランドの国と同国におけるキリスト教の悲しい歴史と何かとかぶることが多く、死期を察したハーティにとっては2重3重に心惹かれる題材であったように思われます。ハーティの正に白鳥の歌、本曲は、哀愁に満ちたケルト伝説のクラシック音楽として第1級にランクされるべき名曲ではないでしょうか。


Harty2


ハーティの同曲だけでも実に素晴らしいのですが、近年、これに驚くべき作品が加わりました。ハーティと同じくアイルランド生まれの作曲家ラム(Robert Lamb, 1931-)が作った「リールの子供たち (The Children of Lir)」。Naxos 8.554407として発売されています。こちらの作品は、元々は子供たちを対象にした音楽付き物語りとして制作されたのですが、英語によるナレーションが見事な音楽を背景に悲話の全てを劇的かつ詳細に語ってくれます。ハーティと並んで、これも第1級の音楽作品であることを管理人は保証致します。


Lamb1

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似て非なる(5)-交響曲「復活」
Christ5
ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577-1640) 「キリストの復活」


今週は国内外で社会経済の大事件が続きました。先ずは世界的規模を誇ったリーマン・ブラザーズ社の経営破綻。負債総額が53兆円を超えるという記事がありましたけれど、日本の国家予算に近いレベルの金額で、あまりに巨額なため実感が掴めません。この関連で、日本の法人リーマン・ブラザーズ証券が3兆4千億円の負債を抱え、民事再生法の適用を申請。その他、関連企業の倒産や公的資金による種々の金融機関救済のニュースが世界中を駆け巡りました。

2004年頃から急速に米国における住宅ブームが沸き上がり、2006年には早くもバブルが崩壊。その結果、とりわけ当初2年間だけ金利が低く設定されているものの、その後は通常の住宅ローンよりも金利が高くなるサブプライムローンが壊滅的に破綻。無理もありません。住宅価格が上昇する時だけはこのシステムがうまく働くように見えますが、価格が暴落すれば誰も高い利息を払ってまで返済するのを停止するのは自明です。問題は、多くの金融機関が、もともとリスクが高いと承知していたサブプライムローンの回収を確保するためにと債権を小口の証券化し、これを高利回りの投資先を求めていたヘッジファンドなどが銀行や証券会社から資金を借り入れてまで購入したことで、負のスパイラルが拡大・加速化したことにあります。そしてバブルの崩壊と共に、すべての関係者が巨額の損失をこうむったというわけです。

もう一つは残留農薬が基準値以上を示したり、カビなどが生えて食品としての価値を失ったいわゆる事故米を、格安で手に入れ食品加工会社等に不当な金額で販売したモラルのかけらも無い三笠フーズ等、食の安全に関わる事件の続出。販売先が次々と公開され、各食品製造会社は商品の回収と風評被害に大わらわとのこと。こちらは農林水産大臣の辞任を持って責任を取ったような言い方をしていますが、首相も辞めてしまった後で当人にとって何ら痛手は無く、むしろ選挙対策上の判断であったことは見え透いています。

どちらのケースにも共通している点は、人間の欲得がなせる業であること。どこかで誰かが、これは何か変だと気が付いたはずでありながら、警鐘が鳴らされることなく行き着くところまで行ってしまったことです。しかも、一体誰が本当に悪いのか、責任の所在がハッキリしていません。メディアは一応当面の会社責任者を槍玉に挙げていますが、これはただ一人に責任を擦り付ければ良いというものでも無さそうです。なぜなら、転売ルートの中で一時的とは言え利益に与った者は数多く、いわば関係者全員が大なり小なりguiltyなわけです。正に人間の欲が根源にあります。もちろん行政の責任も大きいでしょう。

そう言えば、この夏に狂騒した原油価格の高騰も、利益を求めるヘッジファンド等が有り余る資金を原油の先物市場になだれ込ませたことが背景にあったようでした。世の中には、どこでどのようにして儲けたお金なのか、使い切れない程余剰のお金を持っていて、なお更なる利益を生むために投資先を求めるという、うらやましいと言うか想像を絶する状況があるようです。本来、物資の円滑な流通と人々の生活を豊かにするために発展・進化して来たはずの貨幣経済は、産業革命以後、急速に拡大した近代経済の中で全く別の役割(良いものというばかりではなく)を持ち始めて久しいことを痛切に感じます。

米国経済の、そして日本、いや世界の社会・経済の健全なる復活を心から切望します。





と言うわけで、今日の音楽のテーマは「復活」です。どうも取って付けたような流れだなと思われた方、済みません。はい、取って付けました。あはははは。(^o^)


で、誰の「復活」を?


「野口みずきさん?」 それとも 「星野監督?」


なんて冗談を言ってる場合ではありません。もちろんマーラー(Gustav Mahler,1860-1912)の交響曲第2番「復活」(1894年完成)を取り上げます。「子供の不思議な角笛」のために作曲した「原光」を第4楽章に使用し、遣わされた人間世界に疲れ果て、思わず出所である「神の世界」へ舞い戻りたいとの(キリストによる)心情の吐露が歌われます。続く第5楽章では、Klopstocks作詞による賛歌「復活 (Resurrection)」(マーラーによる補筆あり)が歌われ、人生の終末において最後の審判を受けるに際し、神の栄光と共に「復活せよ」と激励の声が高らかに響き、感動の内に曲は閉じられます。なおKlopstocksのフルネームは、Friedrich Gottlieb Klopstock (1724-1803)。彼のミドルネームがGottlieb(独語で「神の愛」の意)であることにご注意を。作曲者は、こうしたところにも目を配らないはずはありません。

マーラーがこの「復活」を含めて、一連の交響曲作品で一体何を表現したかったのか。またそれに対して管理人はどのように評価しているかについては、某所でごく短いながら書いていますので、ここでは繰り返しません。と言いますか、マーラーにしてもブルックナーにしても、彼らの芸術についてほんの一口で言い表わせるものでもなく、またこの2人についてはそれこそゴマンという評論がありますので、敢えてここで知ったふうな解説を展開する必要もないでしょう。


さてさて、前置きが長くなりました。本題です。実は、今日本当にご紹介したいと考えた曲は、マーラーではありません。イギリスの作曲家ラッブラ(Edmund Rubbra, 1901-1986)の交響曲第9番「Sinfonia Sacra」別名「復活 (Resurrection)」(1972年作)なんです。ラッブラは交響曲を11番まで残していますが、後の2曲は短めですから、事実上これが彼の最後の本格的交響曲ということになります。

ラッブラは敬虔なクリスチャンで、当初本曲をバッハの「マタイ受難曲」のようにオラトリオ形式で構想しました。しかし作曲を進める内に、余分な部分を徹底的にそぎ落とし、これを交響曲として完成させることを思い立ちます。彼としては、初の声楽入りの交響曲です。キリスト最後の悲痛な神への問いかけの言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」から始まり、昇天に至るまでの情景が約40数分間の内に劇的に綴られます。

キリストが抱え続けた苦悩の告白、ナレーターによる非情なまでの場面進行、そして美しいコーラスにより、最後の時に至るまでの情景が時々刻々と伝えられます。やがて重苦しい雰囲気が辺りを暗闇と共に覆う時、あの旋律が現われるのです。16世紀の教会音楽家ハンス・レオ・ハスラーの作曲したあの名旋律です。このメロディーは、バッハの「マタイ受難曲」の他、いろいろな作品に引用され、讃美歌にもなっていますので、ヨーロッパの人々にとっては極めて馴染みの深い旋律なのでしょう。いわゆる讃美歌第136番「血潮したたる・・・」の旋律です(日本では教会の宗派によって讃美歌の編集も異なり、番号が違っているかも知れません)。

管理人は、この曲のこの旋律を聴く度に、涙がどっと溢れるような感情がこみ上げて来ます・・・。
2000年もの長い間、無数の人々によって繰り返されたであろう感情と共通の涙です。あるいはこれは、人間という生き物が地球上に登場して以来の感情と言うべきでしょうか。私たち人間が抱え続けた苦悩と業の深さに言葉を失います。もしもラッブラをあまりご存知ない方は、出来れば1枚のCDだけを聴くのではなく、交響曲全集などによりラッブラ全作曲人生の流れの中でこの「Sinfonia Sacra」を聴かれると、真の「復活」を願う気持ちがより深く理解されるものと思われます。管理人にとりましては、バッハの「マタイ受難曲」、エルガーの「ゲロンティアスの夢」と共にかけがえの無い芸術作品です。


Rubbra1

似て非なる(4)-交響曲「春」
Spring3


四季の移り変わりは目まぐるしく、猛暑と豪雨が続いた夏の後には、急に夜の冷え込みすら感じられる今日この頃。そして今夜は中秋の名月、十五夜です。いよいよ音楽を聴くには最適シーズンの到来。四季を感じさせる音楽を・・・

と思って、探しましたら



ありますねぇ、「四季」というタイトルの音楽はゾロゾロと。いちいち挙げていたら、どれが一番メインの作品やら分からないくらいです。そんな中で、それぞれの季節を別個の交響曲として表現した珍しい作品があります。スイスの作曲家ラフ(Joachim Raff, 1822-1882)が、晩年の1870年代後半に「四季」それぞれをイメージした連作交響曲集(交響曲8-11番)です。

「四季」という表題を持つ曲が多数あることは上に書きました。では、各季節別ではどうでしょうか。なかなかそのものズバリの曲名というわけに行きませんが、それでも春夏秋冬のどれか一文字が入っている曲、いろいろとありますね。という訳で、今日は交響曲「春」をテーマに致します。ちょっと季節が違ってますが、ご勘弁。[本来なら「秋」から選びたいところですが、あいにく「秋」を表題とする交響曲が他に浮かびません。]

「春」という表題を持つ交響曲の中で最も有名なものは、シューマンの第1番。春という季節の躍動感が見事に炸裂するこの交響曲は、オーケストレーションの貧しさと精神不安という問題を抱えて、いまいちシンフォニストとしての評価が定まらぬシューマン作品の中で、(優れた演奏者に恵まれさえすれば)感動的に仕上がる名曲だと思います[余談ですが、管理人は他に第3番「ライン」が大好きです]。

ラフの作品は、室内楽を中心に19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパ各地で演奏され、人気もそれなりにあったようなのですが、何故かLPの録音時代には彼の名前はすっかり忘れ去られてしまいました。それがCD時代に入って、cpoが彼の交響曲を積極的に取り上げるようになり、またスイスのレーベルTudor社やMarco Polo社からも何枚か出た(内何枚かはNaxosから再発売されています)ことで、ラフ作品の全貌が明らかとなりつつあります。リストの弟子でもあったこともあり、ラフは管弦楽作品において身の回りの自然を描写することに重きを置いています。実際、彼の交響曲は副題を持っていることが多く、たとえば交響曲第8番のそれは「FruhlingsKlange (直訳すると「春の音」の意)」。オーソドックスなスタイルの4楽章からなる交響曲で、全曲演奏に約40数分を要します。この曲もシューマンと同じく、明るい春の躍動感が全編に漲っており、cpoのCDジャケットの絵(春というより初夏かも知れません)がその雰囲気を実によく表わしていると言えば感じが伝わるでしょうか。ですから、これは「似て非なる」と言うよりは、「非なれど似る」2曲と言った方がピッタリかも知れません。いずれにせよ、この2枚組CD(cpo 999 536-2)の登場によって、再びラフを身近かに知る機会が得られるようになりました。cpo社他の発掘努力には大いに感謝しなければなりません。


Raff1


なおJoahim Raff協会が、かなり充実したラフ紹介のサイトを開設しました。ラフの生涯と作品について大概のことはこちらを通して知ることが出来ますので、ブックマークされて置くとよろしいかも。

http://www.raff.org/

[追記:交響曲「春」と呼ばれる作品が他にもあります。皆さん、お分かりになりますか?]
[追記2:ランゲ・ミュラーの交響曲第1番が「秋」という題を持っています。ただし、管理人は作品としての出来がいまいちだと思っています。]


似て非なる(3)-「119」と「911」
911-1


日本では火事や事故、あるいは急病人の発生など、人の命が危ぶまれる緊急事態を発見したら、直ちに119番に電話するようにと教わります。盗難や暴力事件など治安上の問題の場合には、110番。

一方、米国で上記のような事態に遭遇した場合は、火事・救急であれ警察沙汰であれ、先ずは911番に電話することになっています。

そう、あの日まで「911」は確かにそういう意味の数字だったのです。


ところが、あの日以来「911」は違った意味の数字になってしまいました。そして以来、米国は、そしてそれに追随する同盟国は、「テロ防止対策」の美名の下に突っ走り始めてしまいました。巨大な軍事力と膨大な軍事費を使って、アフガニスタンへ、そしてイラクへ。

戦争は当然のように「勝利」の内に終結・・・。結果、アフガニスタンやイラクには恒久の平和が訪れた・・・はず・・・。

はたして本当にそうなのでしょうか?


事実は、さにあらず。つい先日、現地で最も認知され、高く評価されていたはずのNGOの青年が殺害されてしまったことでお分かりになりますように、むしろ治安は開戦前以上に悪化。最近ではタリバンやフセイン政権崩壊後に樹立された現政府の実行能力と現実の生活に不満を抱え行き場を失った貧しい人々が、次々とタリバンや反政府勢力に自ら志願して参入しているという報告まであります。以前は、さすがに自爆テロの志願者を募るのは限界があった反政府勢力は、今では志願者の調達に困らないという恐るべき状況にまで至っています。家族を亡くし、手足の一部を失い、生きる望みすら失った人々には、こうした事態を引き起こした張本人とその体制を恨みこそすれ、テロ撲滅を声高に叫ぶ側を擁護する気など全く起こらないのは無理もありません。


911の事件については、多くの謎が残されていることを1年前の本ブログでも取り上げました(昨年9月11日の記事)。その後、アフガニスタンやイラクにおける治安の悪化こそ伝わるものの、大統領も国防総省もこれらの合衆国民や世界からの疑問に答えることは全くしていません。

最近、あの同時多発テロ事件に関する諸問題や謎について、新事実を加え編集した動画映像がネットに公開されました。既に指摘されている疑問と重複することも多く、またかなり長編ですが、ご関心がありましたら是非ご覧になってみて下さい。


http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=1070998


はたして真実は何だったのでしょうか。

もしも・・・もしも、あの事件が米国政府の最上層部による自作自演であったのであれば(この中には犯人グループが事件を計画したのが本当だとして、それを知りつつ適宜泳がせて利用したことを含めます)、やがて時の進行と共に真相が明らかにされた時、最高責任者は一体どのような弁明をするのでしょうか。

あの時は、傾きかけた米国経済と世界各国からの冷たい視線の中で、合衆国民の威信を回復するには唯一の、そして最良の選択であったと堂々と胸を張って答えるのでしょうか。もしそうであれば、どこかの国の首相が、まるで君たち凡人には分からないだろうが、私は最良のタイミングで、最高の決断をしたのだと言わんばかりに、その実、本来果たすべき責任をポイと放り投げたことと大した変わりはありません。いや、それよりは無数の命を奪っているだけ、遥かに罪深いことは間違いありません。


似て非なるもの。本来、貴重な人命を救うためのはずであった数字「911」は、あの日以来似ても似つかぬ意味の数字に変わってしまいました。以前にも管理人は断って置きましたが、今回ご紹介するビデオ内容の信憑性についても、これを頭から信じることを警戒しなければなりません。しかし、少なくともあの事件を境にして数知れない尊い人命が失われたこと。戦争を仕掛けた国々に平和が訪れたどころか、むしろ遥かに遠ざかってしまったこと。それも深い深い憎悪の連鎖を引き出してしまうという最悪の結果をもたらしたことを、私たちは厳粛に受け止めなければなりません。


[本日は音楽の紹介をお休みとさせて頂きます。すべてのテロと戦争の犠牲者に謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。]

似て非なる(2)-「田園交響曲」
Constable2
John Constable (1776-1837) 作 「干し草車」


さて「田園交響曲」の登場です。楽聖がウィーンの森を音楽的に描写した曲が、古今の音楽作品の中でも格段に優れていることは論を待ちません。

今日の表題を見て、「ああRVWのあの曲を取り上げる気ね」とピンと来られた方、イギリス音楽好きのお方です。実は田園交響曲と呼ばれる曲が、他にも何曲か存在しています。その一つがイギリスの作曲家ヴォーン=ウィリアムス(Ralph Vaughan Williams, 1872-1958)の交響曲第3番で、1921年の作。4楽章から成り、全般に穏やかな曲調で、彼のテューバ協奏曲と並んで、イギリスの牧歌的田園風景を描いた作品と一般には思われています。全部で9つあるRVWの交響曲は、彼の他の作品に比べて余り広く聴かれているとは言い難いのが実状です。その中では、全体に美しい旋律が豊富で、終楽章にはソプラノ独唱による天国的なスキャットや「グリーンスリーブス」風の美しい旋律も現われ、最も聴きやすい交響曲かも知れません。

もっとも、その聴きやすさの故に、一部の批評家や聴衆には深みに欠ける音楽として軽んじられているところが無きにしもあらず。なかなか難しいものです。

しかし、この曲を聴く上で知っていて損はない事実を少し書いて置きましょう。この曲が最初に構想されたのは、RVWが1916年にフランス南部に出征した時でした。ですから、ここで牧歌的田園風景を感じさせたのは、実は英国ではなく南フランスのそれなんです。ターナーと並んでイギリス風景画の巨匠と称せられるコンスタブルの代表的風景画を冒頭に掲げてみましたが、イギリスの風景には落ち着いた長閑さと同時にある種の冷たい空気の感触もあることで、陽光溢れる南仏の明るさとは異なることに気が付かれましたでしょうか。

実はRVWは、この第3番交響曲を第1次世界大戦で犠牲となった多数の人々へのレクイエムとして作曲したのが本意だったようです。第2楽章のトランペットのカデンツァがその哀悼の気持ちを如実に示した証なのです。このことを知ってから改めて聴かれると、この曲が何故あのように静かに消え入るように終わるのか、全曲の意味もまた全然違って聞こえる筈です。どうぞお試しを。


RVW1


で、一つ問題です。世に「田園交響曲」と称されるものが、何曲かあると書きました。皆様はどの位挙げることが出来ますでしょうか?


特別サービスとして、今日はもう1曲紹介致します。その前に、絵をもう1枚。


Gogh3
Vincent van Gogh (1853-1890)作 「糸杉のある小麦畑」


南仏の山岳地帯ヴィヴァレー地方の貴族の家庭に生まれた作曲家ヴァンサン・ダンディ(Vincent D'Indy, 1851-1931)は、「フランス山人の歌による交響曲」で知られており、フランク、ショーソン、デュカらと並んで19世紀後半フランスに脈々と続くシンフォニスト系列の重要な一角を占めています。そのダンディによる3つの楽章からなる交響的三章「山の夏の日」作品61は、南仏のある山の一日を『暁』『昼』『夕』の3部に分けて描いた出色の出来映えの作品です(ドビュッシーの交響詩「海」とほぼ同時期、1906年作)。

「クロード・ドビュッシー:その生涯と作品」と題するドビュッシーの伝記を著わしたことで知られる批評家レオン・ヴァラス氏は、この曲をダンディの「田園交響曲」と呼び、円熟期の傑作であると絶賛しています。確かに構成的には交響曲と呼びにくい点もありますが、フランクの交響曲も3楽章から成っていますし、R.シュトラウスの「アルプス交響曲」に比肩し得る壮大なスケールの音楽は「交響曲」と呼んでも決しておかしくはありません。ダンディはフランス国民楽派の一員でありながら、ワーグナーに傾倒した時期もあり、煌びやかな色彩感が時々刻々と移り行く壮麗なパノラマ音楽は一聴に価するものです。幸いEMIから廉価盤CDが出ています(EMI TOCE-13389)。しかも同梱の2曲「魔の森(ウーラントの物語詩による伝説交響曲」作品8と「旅の画集(管弦楽のための6つの小品」作品36が、これまた実に絵画的、かつ感動的な傑作です。後期ロマン派の音楽がお好きな方なら、要チェック。


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