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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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新世界より(5)-ラテンの香り
SanJuan1


ヨーロッパから遠く離れていますのに、夜の灯りが壁に反射した風景は幻想的で、まるでスペインかポルトガルの町中を散歩しているような錯覚に陥ります。 今日は現地で管理人が撮りました写真を中心にして、堅苦しいお話は無しです。


SanJuan2


旧市街の真ん中にあるとても由緒ある教会の前面部。西半球では最も古い歴史を持つ教会の一つだそうです。


Church1


Christ1


Church2


教会の外壁が一部煤けて如何にも古そうな割には、内部は意外な程に綺麗でした!


SanJuan4


こうした置き物や聖書にまつわるモニュメントが街中の至る所に見られ、信心深い町の人々の心意気がひしひしと伝わって来ます。


Cruise1


スペイン語で「良い港」を意味する言葉が、そのままこの国の国名になったのだそうな。豪華クルーズ船が何隻か港に停泊していました。その良港をめぐって、ヨーロッパ人たちが初めて入植した15世紀末からつい最近の第二次世界大戦辺りまで、常に時の強国間で覇権争いの舞台となったのは歴史的必然だったのでしょうか。海に突き出るように築かれた堅固な要塞はその歴戦の名残りをとどめ、現在では世界文化遺産として観光の目玉となっています。


Fort3


Fort6


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Fort4


それにしても青空が透き通るように美しいこと、この上ありません。滞在中お天気に本当に恵まれました。こんな場所にあっては、辛気臭い音楽は全く似合いません。明るく陽気な、それでいてちょっぴりペーソスもありのラテン音楽がピッタリ。





そんな訳で、本日の音楽はロドリーゴ(1901-1999)の「チェロとオーケストラのためのギャラント風協奏曲」他、スペイン情緒溢れる弦楽器協奏曲集の1枚(Naxos 8.555840)とします。ロドリーゴには「アランフェス協奏曲」や「ある貴紳のための幻想曲」だけでなく優れた管弦楽作品を多数残したことを、だいぶ以前こちらのブログ(2007年6月13日の記事)で書いたことがありましたが、Naxosはそれらの発掘に特に力を入れており、次々とCDを出しています。今では10枚くらい出ていますでしょうか。その中でも「チェロと・・・」は、スペイン情緒・音楽的完成度・ヴィルトゥオーゾ性、いずれの観点からも出色の出来かと思います。


Rodrigo1

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新世界より(4)-補陀落渡海
極楽4


果てしなく広がる青い空と海、そして白い雲と砂浜。正に極楽浄土のように美しいところでした。


それに宿泊していたホテルが超一級のリゾートホテル。ちょっとその一端を。


極楽5


プールサイドで優雅な日光浴。


極楽2


フカフカのベッド、一人で寝るには広過ぎるぅ~。


極楽6


欲張って取り過ぎてしまい食べきれなかった朝食ですぅ。




と、しばし至福の時を過ごすことが出来ました。正に極楽極楽~。




中世の時代、我が国日本でも極楽浄土に辿り着くことを願って大海原に向って船出した人たちがいました。補陀落渡海(ふだらくとかい)です。「補陀落」とはサンスクリット語の「ポータラカ」が語源の観音菩薩がおわします極楽浄土のことを指し、インドの南方にあると信じられていた想像上の聖地です。この遥かなる浄土を目指して船出することを補陀落渡海と呼び、これが行われた土地として最もよく知られた場所が那智勝浦の浜辺でした。渡海を決心した者の多くは浜の近くにある補陀落山寺に暫く逗留し、勝浦の浜から船出したのですが、土佐の足摺や室戸、あるいはそれ以外の土地から出たこともあると知られています。一時はその山寺の住職が61才になると渡海するものという慣わしになった時もあったようですが、これはそうと決まっていたわけでなく、僧籍にない者が渡海したこともあります。もっともこの渡海という行為は、コロンブスが新大陸を目指して大航海に出たような冒険的行動ではなく、宗教的行事の一つです。即ち、小さな船に一月分ばかりの食糧と水を載せ、沖合いまで他の船で曳航し、その後縄を断ち切って大海原を漂うという、極楽浄土を目指すとは名ばかりの、やがて荒波にもまれ海の藻屑として海中深く沈むことは必定の捨て身の行なのです。


箱の周囲四方には鳥居を配置し、櫓も櫂も無く、これが現世に戻ることを想定していない特別仕立ての船であることは明らかでした。最近、歴史的資料に基づき地元の人々により復元された渡海船の写真がありますので、ちょっとご紹介。


渡海船4


渡海する人は船の真ん中に見える屋形の下に座り、箱が被せられ、外に出られぬように箱は出口がすべて塞がれ釘で打ちつけられました。帆も無いために自力で航行できない渡海船は、沖合いの島まで曳航され、一晩の別れを海上で惜しんだ後は引き縄が断ち切られ、それから先は風まかせ波まかせ。。。


渡海船3


寺の古い記録によれば、貞観11年(西暦868年または869年、暦によって多少異なる)に慶竜上人が熊野の海岸から渡海したのを始めとして、18世紀初頭頃までに20人がこの補陀落渡海を行ったとされています。とある研究によると、その寺以外を含めておよそ60人が全国各地から渡海された記録が残っているそうです。ちなみにこの貞観11年という年は、三陸で大地震が起こった年でもあり、また京都では疫病が大はやり、その厄災を治めるために後に祇園祭りの嚆矢となる祭祀が行われた年でもありました。

天変地異の話はさて置き、補陀落渡海を企てた内、琉球の方まで流されて生還したただ一人の例外を除いて、全員行方は知れていません。黒潮に乗れば遠くハワイ方面にまで流されるだろうと思われるかも知れませんが、実は黒潮本流が流れているのは熊野灘のかなり沖合いですから、季節と風向きにもよりますが、岸から少々離れた程度では逆流の渦が巻いているため、東方面ではなく案外西の方へ流されることが多かったと推定されています。

この補陀落渡海については、井上靖氏が短編小説「補陀落渡海記」で取り上げていますので、ご興味のある人は原作をどうぞ。『極楽』と『大海原』との連想から想い出した次第です。




さて、本日の音楽はと言いますと、以上の関連から「紀伊山地の霊場と参詣道」が2004年にユネスコ世界遺産に登録されたことを記念して委嘱された加古隆さんの「熊野古道~神々の道~」のCD(AVCL-25139)を取り上げたいと思います。作品完成は2006年。4楽章から成る全曲演奏時間約23分。ピアノ(加古本人演奏)とサクソフォン(須川展也)のソロ、そして金聖響氏の指揮ですから、それぞれのファンの方は必聴でしょう。

本曲の後には、「青の地平」そして「Flora」「虹が架かる日」という天国の調べを持つ小品群が続きます。これにより補陀落と熊野のイメージがかもし出す幾分か暗く霊的な雰囲気が吹き飛ばされ、何とも心地良いヒーリング音楽になっています。


Kumano2


[管理人より:さて次回辺りに一体新世界の何処に行っていたか、それを明かすことにしましょう。]

新世界より(3)-ブドウの園
SantaMaria1


この広大な海の向こうには、一体どんな世界が広がっているのだろう。


昔の人はきっとこう考えたに違いありません。それは、鳥や獣や魚に富み、たわわにブドウの実がなる豊饒の土地があるに違いない。だって太陽の沈むその向こうにあるのだから・・・


こうしてアイスランドに生まれ、グリーンランドに育った実在のノルマン人レイフ・エリクソンは、西暦997年頃大西洋を西へ西へと探検の航海に出たのだと、アイスランドに伝わる伝承文学「サガ」は語っています。それによると最初に辿り着いたのは、岩ばかりの土地「ヘルランド」。次に見つけたのは、木に覆われた土地「マルクランド」。さらに南に下って、とうとう川にはサケが遡上し、小麦までが自生している定住には最適と思われる豊かな土地にまで到達したらしい。そこにはブドウ(vin)の実までなっており、故に「ヴィンランド(Vinland)」と名付けられたとのこと。


古くから伝承される遠い昔話に過ぎなかったため、実際はどこまで辿り着いたのかは誰も分かりませんでした。おそらく「ヘルランド」は現在のカナダのバフィン島、「マルクランド」はラブラドル半島あたりかと思われます。では「ヴィンランド」とは、何処を指すのか。これは今もって正確には分かりません。はたして本当にブドウまでが自生する温暖な地までやって来たのか、あるいは単にそう夢見ただけだったのか。ところが1960年代になって、現在のカナダ、ニューファンドランド島北西部の村からヴァイキングの女性が使う糸車や、イングランド製のボタンなどが発見され、俄然「ヴィンランド」が空想上の話ではないことが明らかとなりました。それまでアメリカ・インディアンの遺跡と思われていた定住跡地が、実はヨーロッパから入植した人々の生活の痕跡であったことが分かったからです。


おそらく小学校辺りで皆さんが習われた「アメリカ大陸の最初の発見者はコロンブス」は、実は歴史的事実としては正しくありません。正確には、「新大陸への大西洋航路を発見・確立した最初のヨーロッパ人」とすべきなのでしょう。


それにしても今日のような世界地図に関する知識が全く無かった500年、いや1000年前の時代に、未知なる世界を求めて、よくぞ遥々大海原を渡ろうと企てた者がいたものです。もっとも、そうした無謀とも言える人間による知の探求(あるいは富への欲求)があったからこそ、初めて今日の科学(含む医学)の知識と社会経済の発展に到達することが出来たのもまごうこと無き真実でしょう。


音楽、絵画、文学など芸術の各分野も、そうした飽くことのない人間の探求がその世界を際限無く拡げて来ました。新大陸へのヨーロッパ音楽の到来は、新大陸内は無論のこと、ヨーロッパ大陸の音楽へも新たな息吹きをもたらしたことは周知の通り。本日は、古典的ながらアイヴス(Charles Ives, 1874-1954)の交響曲第2番(1902年作)を取り上げてみたいと思います。ドヴォルザークとはまた異なった味で新世界の香りを運んでくれ、しかもほのかなノスタルジーすら漂わせるAndrew Litton指揮、Dallas Symphony Orchestraの名演奏(Hyperion CDA67525)を特別のお薦めと致しましょう。ジャケットに使われているアメリカの風景画家Thomas Cole (1801-1848)の手になる絵が、何ともしっくりと音楽に似合います。


Ives3

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