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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

リーズ城
Leeds1


前の記事で作曲家ハワード・ブレイク(Howard Blake, 1938-)について触れました。「The Snowman」の主題歌「Walking in the Air」一曲で、彼の名前は一躍世界に知られるようになったのです。では他にどんな作品があるのでしょうか。


実は彼、オペラや交響曲を含む本格的なクラシック音楽から数々のフィルム・ミュージックを始めとするライト・クラシックまで、実に広範なジャンルに渡ってたくさんの作品を書いています(作品番号は何と600にまで上ります)。作曲だけでなく指揮者としても活躍していますから、彼の創作エネルギーたるや凄まじいの一語です。まだ実際に録音されCD化されている作品数が少ないため、音楽家としての才能云々と評論できる程に管理人は聴いたわけではありませんが、彼のピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、あるいはチェロ協奏曲などを聴く限り、いずれもいわゆる現代音楽に付き物の不協和音の使用は極力抑えられ、ジェントルで高貴な香りが匂い立つ気品ある音楽というのが共通した感想です。


なかでも出色の作品は、「The Leeds (リーズ城)」という副題を持つヴァイオリン協奏曲Op.441(1992年作)だと思います。曲のタイトルとなっているリーズ城(上の写真)とは、ロンドンからドーバーに向う途中ケント州にあり、現在では南東部イギリス観光にとって欠かす事の出来ない目玉の一つ。ブレイクはこの城にインスピレーションを受けて、かつてこの城の内外で起こったであろう歴史ドラマの数々を音楽作品として昇華させたのではないでしょうか。冒頭、穏やかな霧の朝と思しき情景の描写から始まり、やがて徐々に音楽は音量と活気を益して行きます。その様は、まるで勇気溢れる騎士たちや気品に満ちたお姫様たちが次々と城という華やかな舞台に登場して現われるよう。クライマックスに向けて胸の鼓動は高まるばかり。イギリスのヴァイオリン協奏曲として間違いなくベスト・スリーの一つとして挙げられる管理人お気に入りの一曲です。一枚ものCDとして他に1種類だけ出ているようですが、管理人が所持しているのは、以下にご紹介する「My England-A Collection of Timeless English Concertos」と題した「イギリス協奏曲名曲集」(5枚組CD、Sanctuary Records CD RBS 505)です。このボックスには、タイトルにある通り、時の経過を忘れる程に素晴らしい、いや、むしろ時の流れを超えて代々聴き伝えられるべき、真に選りすぐりのコンチェルト名品だけが集められています。同梱されている曲としては、フィンジ、アーノルド、スタンフォードらのクラリネット協奏曲などなど、14人の作曲家たちの作品です。


ティーカップを片手に、CDジャケットにあるような英国風景をふんだんに載せた「カントリーライフ」誌のページをめくりながらこの曲を聴けば、気分は完全にイギリスのジェントリー!


MyEngland1
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空中散歩
Hall1


ただ今、甲子園春の選抜大会が真っ最中。各校の選手はもちろんのことですが、応援団らの必死の姿がいつ見ても爽やかです。応援と言えば、ブラスバンド。あるいは吹奏楽団。厳密に言えば両者は異なりますが、一応簡単に同じということにして置きましょうか。

この吹奏楽も、丁度野球の大会のように地区大会があり、県大会があり、地方大会があり、それぞれ勝ち上がった団体が全国大会への出場権を得られます。職場一般の部というのもありますが、最も参加数が多いのは当然のことながら学校教育の一環にも取り込まれている中学生と高校生の各部。一番の目標とする大会での金賞を目指して、どの学校のクラブも新学期が始まったら猛練習を開始するのではないでしょうか。


この大会で上位チームがより大きな大会へ進むシステムは、本場イギリスではより長い歴史があります。ブラスバンドがイギリスで大きく発展した背景や歴史については、また後日述べることにして、本日は英国におけるブラスの位置付けがよく分かる映画「ブラス!(原題 Brassed Off)」(1996年)について少々。

この映画に登場する楽団名は「Grimley Colliery Band 」。炭鉱に働く労働者たちが楽団員で、労働の後の唯一の楽しみがこの楽団で演奏すること。ところが炭鉱の不況により、会社から援助を受けていた楽団はその維持が困難となり、解散を覚悟しなければならない苦境に追い込まれます。そんな悲痛な状況の中、最後の栄冠を目指して大会に出場。普段からの鍛錬とこれが最後かもという必死の気持ちの賜物か、ついにロンドンで行われた全英大会にて優勝の栄冠を勝ち得ることに。


この映画、1992年に実際に起こった出来事を基にしています。実在の楽団名は「Grimethorpe Colliery Band」。イギリスの吹奏楽ファンの間では、Black Dyke Band、Philip Jones Brass Ensembleなどと並んで知らぬ者はいない有名楽団ですが、日本ではほとんど知る人ぞ知る存在でした。それが映画「ブラス!」で一躍有名になり、またChandosがこの楽団の演奏によるCDを何枚か出したことで一般にも広く認知されるようになりました。

イギリスのブラスはまろやかな響きが特徴です。この楽団の演奏する曲を聴いた人は、誰もがそのうっとりするソフトな音色に魅了されるはずです。たとえばHoward Blake (1938-)が作曲し、Philip Sparke (1951-)が編曲した「Walking in the Air(空中散歩)」などはそうして磨き上げられた演奏の好例と言ってよいでしょう。元のメロディー自体が素晴らしいこともあるけれど、編曲の意図を見事に具現化した演奏技術がこれまた見事です。ご興味がある方は以下のCD(CHAN 4550)でその絶品の調べをご堪能下さい。


Grimethorpe1


ところで、この映画「ブラス!」でラストを飾る全国大会のシーンは、ロンドン市内にある音楽と芸術の殿堂Royal Albert Hallで撮影される予定であったそうな(実際は諸事情により違った場所になったようですが)。そのRoyal Albert Hallは、1871年3月29日、丁度138年前の今日ヴィクトリア女王によるオープニング・セレモニーが開かれました。なおHallにAlbertの名が冠されているのは、1851年に開催され大成功裏に終わった大英博覧会以後、こうした音楽施設の重要性を説いて博覧会の跡地を利用して大型ホールを建築するという立案実行に努めた夫君Albert公(1861年死去)を追悼して、女王自らによって命名されたとのことです。以来、Promsを始めとしてイギリス音楽界にとって甲子園以上のシンボル的存在になった話については、また別な機会に。


もう一つ加えますと、Howard Blakeが作曲した「Walking in the Air」は1982年に作られたTVアニメ「The Snowman」の主題歌であり、その空中散歩のシーンは「千と千尋の神隠し」あるいは「魔女の宅急便」などなど宮崎アニメを髣髴とさせる、とても気持ちの良いクライマックスとなっています。Grimethorpe Colliery Bandの音楽をお聞かせ出来ないことは返す返すも残念ですが、次の動画でアニメと美しい音楽の一端を感じ取って頂ければ幸いです。いろいろなヴァージョンがありますが、オリジナルのピーター・オーティ少年が歌っているものを挙げて置きましょう。CDもいろいろと出ていますよ。


http://www.youtube.com/watch?v=ubeVUnGQOIk


Snowman

花灯路
和菓子


この数日間とても暖かくて良いお天気が続きましたが、明日からは崩れそうとの予報が・・・。

という訳で、今ではすっかり京都の風物詩となりつつある花灯路に行ってまいりました。

あっ、花灯路というのは、京の三条辺りから五条まで東山界隈の路地に灯りを並べ、寺社などが思い思いにライトアップするイベントのことです。今年は3月13日から3月22日の間、午後6時から9時30分まで。後1日しか残ってないやんと言われそう。もっと早く行って、すぐにアップすれば良かったのですが、堪忍ね。m(- -)m

その代わりに今日は写真をたくさんアップしちゃいましょう。


花灯路1


花灯路2


花灯路3
これが今年度のデザイン賞をもらったのだとか。

花灯路4
たくさんの人が見に来ていました。


花灯路5
我輩は牛である。断じて猫などではない・・・高台寺天満宮にて。


花灯路6
どこからか琴の音が・・・。日本舞踊もやっていました。


花灯路7
仲春に 灯りのぬくもり 東山


花灯路8
お香のお店です。


花灯路9
おっと、「狐の嫁入り」です。期間中、日に2回だけ行列するのだとか。出会えてラッキー。(^o^)v


花灯路10
ご存知、八坂神社。知っている方のお名前、見つけられましたか?


帰り道、「白いタイ焼き」の屋台発見!これがとてつもなく美味しかったぁ。←超甘党



と、珍しく日本の話題でしたから、今夜は音楽も純和風と行きましょうか。

日舞の調べに誘われて、現代筝曲の天才と呼ばれる沢井忠夫(1937-1997)氏の集大成と言ってもよい6枚組CDアンソロジー「凛(りん)」(京都レコード MISH-003~MISH-008)。2001年発売の完全限定盤なので、今このボックスものを店頭で見つけるのは至難かも知れません。が、単発でしたらそれぞれのCDがネットで購入可能です。たとえば3枚目のCDに含まれる「百花譜」。奥様、沢井一恵さんの奏でる十七弦との共演など、これはこれは実に見事な丁々発止。ロックも顔負けの息もつかせぬ迫力に、ただただ唖然とするばかり。沢井忠夫氏の「凛」とした生き様が音楽として昇華した代表的作品と言えるでしょう。超甘党の管理人にはあまり「酔い」など縁が薄いけれど、花見に浮かれる「春の酔い」など微塵に吹き飛ばす快作。一度ご賞味あれ。


Sawai1

Sawai2



蔭の力に支えられて
キエフの大門
Victor Hartmann (1834-1873)画 「キエフの大門」


何事も、その成功の蔭には、とある人の見えない力と言いますか、縁があったからこそ成就したということはままあるように思います。


ムソルグスキーがロシアの建築家にして画家ハルトマンの遺作展覧会を見に行かなければ、あのピアノ組曲「展覧会の絵」は世に現れなかった訳です。もっともこの曲が超有名曲になるまでには、幾多の変遷がありました。一応ムソルグスキー作曲ということになっていますが、彼が残したのは雑然と書き散らされたピアノ譜の遺稿だけ。先ずこの整理に当たったのはリムスキー・コルサコフでありまして、ムソルグスキーの死から5年後に当たる1886年に「展覧会の絵」のピアノ譜が出版されました。

しかし、この版はリムスキー・コルサコフ氏がかなり手を加えたものであったようで、ムソルグスキーが書き残した原譜とは随所で異なり、今日ではリムスキー・コルサコフ版と呼ばれています。もっとも原典版であれ何であれ、この曲がピアノ譜のままであったなら、今日のようにここまで知られる音楽になったかどうかは疑わしいです。真に有名曲の仲間入りしたのは、ラベルによる管弦楽への編曲がなされたからこそであることは今や何人も疑わない事実でしょう。それ程までに、このラベルの管弦楽版は輝かしい作品になっています。


では、その編曲はどのような経緯でなされたのでしょうか。実はこの編曲は、当時ボストン交響楽団の常任指揮者であったセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)がラベルに委嘱したものでした。クーセヴィツキーは、それまでドイツものが中心であったボストンの聴衆に向かって積極的にロシアやフランスものを紹介しており、彼の好みもあって新進気鋭の作曲家であったラベルにオーケストレーションの妙技を期待したものと思われます。


クーセヴィツキーは指揮者としての手腕もさることながら、(当時の)現代音楽の擁護者であり、それを育成・奨励した功績はもっともっと一般に評価されるべきではないでしょうか。彼の門人の一人としてレナード・バーンスタインが育ったことは知る人ぞ知る事実ですし、何よりも彼はロシアの富豪出身のナターリアと結婚後、共にクーセヴィツキー財団を設立し、数多くの作曲家に新作を委嘱しました。この委嘱の結実としては、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」、メシアンの「トゥーランガリーラ交響曲」などなどが挙げられます。財団の資金源としてナターリア夫人の貢献と彼女の現代音楽に対する深い理解が測り知れないものであったことは、次の事実から伺い知れます。

ナターリア夫人には実に多くの作曲家が曲を献呈しており、また彼女が亡くなった時、世界各国よりたくさんの音楽家たちより哀悼の意が表され、その死を悼む曲が次々と作曲されたのです。夫人の蔭の努力を知り、その恩恵を受けた者だったからこそなのでしょう。献呈された曲としては、ストラヴィンスキーの「ピアノと管弦楽のための協奏曲」、追悼のために作曲されたものとしては、シェーンベルクの「室内交響曲」やマルチヌーの交響曲第1番などが知られています。以下に示しますのは、クーセヴィツキー氏とナターリア夫人が一緒に写っている珍しい写真です。


MrsKoussevitzky

ナターリア夫人は右側に立っており、中央にはリナ・プロコフィエフ(セルゲイ・プロコフィエフ夫人)とその息子スヴィァトスラフ・プロコフィエフが写っています。



さて、いよいよ懸案であった1973年没の音楽家の登場です。イタリアはヴェニスの生まれ、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(Gian Francesco Malipiero, 1882-1973)であります。単にマリピエロとだけ呼びますと、もう一人リッカルド・マリピエロ(Riccardo Malipiero, 1914-2003)という作曲家もいますのでご注意を。

マリピエロが果たして巨匠と呼ばれるにふさわしいかどうか、これには異論があるかも知れません。先ずもって、そんな名前聞いたことがないという人も少なくないかも。しかしながら、彼の名前はイタリアの古楽、とりわけモンテヴェルディやヴィヴァルディ作品の校訂編纂に従事した音楽研究者としてつとに有名でした。そのマリピエロが、音楽研究者として多忙の日々を送るかたわら、かなりの数の作品を自ら作曲していたことが近年急速に知られるようになりました。これまで彼のCDはほとんど市場に出回ることが少なく、知る人ぞ知る作曲家であったことは無理もありません。そんな中、Malco Poloはかなり早い段階から彼の作品に注目しており、交響曲全集(第1番から11番まで、他に番号なしのシンフォニアを含む)まで発売しています。

嬉しいことに、最近その中の1枚をNaxosから廉価で再販売するようになりました(Naxos 8.570878)。しかもマリピエロの作品の中でも最も分かり易く、かつ最も美しい3曲からなる1枚です。第1曲目「海の交響曲 Sinfonia del mare」(1906年作)。ドビュッシーの「海」(1905年作)と比べて少しの遜色も無い実に見事な色彩感、ラベルに匹敵する管弦楽の色合いの妙を堪能出来ます。同梱のCD第2曲目は交響曲第3番(1944年作)。「鐘」の副題がついています。そして第3曲目が交響曲第4番「イン・メモリアム」(1946年作)。誰を追想した曲かと言うと、これがクーセヴィツキー夫人の死を悼んだもので、当然彼女に献呈されています。

3番と4番の交響曲は、1曲目の「Sinfonia del mare」から約40年後に書かれたものですが、その時間のギャップを感じさせない程に綺羅綺羅とした管弦楽の輝きは失われていません。否、それどころか、むしろ荘厳ささえ漂わせます。イタリア出身の同時代作曲家としてレスピーギの管弦楽法が広く知られていますが、音の華麗さとディナミークにおいて、これまたレスピーギと比べても少しの遜色もありません。

ジャン・フランチェスコ・マリピエロ。彼は終生ドイツ的音楽のスタイルを良しとせず、たとえ4楽章から成る交響曲を書いても、重厚なドイツ風音楽にはならず、ましてや決してソナタ形式では書きませんでした。面白いのは彼の「黄道十二宮の交響曲 Sinfonia dello Zodiaco」(1951年作)で、4部がそれぞれ緩・急など取りまぜた3部から成り、各4部はそれぞれ「春」「夏」「秋」「冬」と副題が付けられています。ヴィヴァルディの「四季」になぞらえて季節の移り変わりを音楽で表現しているのですね。しかしながら、ではヴィヴァルディ風の古典的な作風かと言えば、さにあらず。芸術家として先人のまねは恥ずべきこと。まねなどしないと心に決すればする程、それはマリピエロにとって大変な労苦であったろうと思われます。なぜなら学究肌の彼のこと、古典を熟知している彼だからこそ、それらとは全く異なる新しい音楽を作り上げる苦しさが尋常で無かったはずだから。

事実マリピエロの作品を年代順に追い続けると、そうした苦悩を抱えながら彼が如何に前人たちの偉業と戦ったのかが若輩の管理人にもわずかながら知れて来ます。将来マリピエロが現在以上に高く評価されるか否かは、おそらくその辺りに鍵がありそうです。マリピエロが生まれたのは、1882年の3月18日。丁度127年前の今日でありました。そして彼が亡くなったのは、1973年8月1日。ラベル編曲の「展覧会の絵」が生まれる契機となった建築家・画家Victor Martmannが亡くなったのは、その100年前の1873年8月4日のことでした。素晴らしい芸術作品が世に出るに当たっては、様々な縁と蔭の支えがあって初めて成立することを実感せざるを得ないマリピエロ作品との出会いです。最近彼のピアノ協奏曲全集や弦楽四重奏曲など種々のCDが出るようになりました。そうした作品に触れる前に、NaxosのCDは天の恵みと言っても良い良盤です。特に印象派の作曲家がお好きな人には、必聴の1枚と言えるでしょう。巨匠か否かは、是非皆さんの耳でお確かめ下さいませ。


Malipiero1


大傑作?それとも・・・
Picture1


先ずは上の絵をしばらくの間ご覧になって下さい。何かが起こりますよ。


ね、何か錯覚に陥りませんか?まるで何かの生き物が蠢(うごめ)いているかのようでしょう。


では、こちらの画像はどうでしょうか?


Picture2


不思議ですねぇ。片や上の画像を縮小しただけなのに、いったい何が違うのでしょうか。



さて1973年が没年の巨匠音楽家。

はい、正解の一人は、かの有名な指揮者クレンペラー(Otto Klemperer, 1885-1973)です。あんりさん、お見事!



どこかで書いたかも知れませんが、実は何を隠しましょう管理人はクレンペラーの大ファンです。古い録音や異盤まですべて収集するほどの追っかけフリークではありませんが、おそらく大概の有名曲を彼の演奏したCDで持っています。

「では、彼のどこがスゴイのか?」と問われて、「はい、ここが」と簡単に答えられるものではありません。「とにかくスゴイんです。あまりに神々しい演奏なので自然に頭が下がるのです」としか今の私には言えません。クレンペラーの生涯は勿論のこと、彼の演奏に関する特質や様々な逸話など、これまでに多数の書物やネット上に紹介されていますから、敢えてここでは致しません。

相当剛な人物。たとえどんな困難に遮られようと、一度とて立ち止まることを知らず、常に新しいものを追い求め、そして新しい世界を呈示してくれる。とにかく尋常ならざる不撓不屈の人生を歩んだ音楽の巨人と言えるでしょう。もっとも、仮に「人間として尊敬に値する紳士か」と問われれば、「いや、とんでもない」と答えざるを得ないことでしょう。その正反対で、口は悪く大の皮肉屋で、超が何乗にもつく俗人物でもありました。いやはや、桁はずれの人物なのです。

そもそも、上で管理人は無意識の内に指揮者クレンペラーと書きました。しかし彼を単純に指揮者と呼ぶのが妥当なのでしょうか?確かに一般的には指揮者として記憶されていることは事実ですが...、彼は作曲もやっていたのです。[2008年5月23日の記事参照]


という訳で、今日はその作曲家としてのクレンペラーに眼を向けてみましょう。

オットーが交響曲第1番を書いたのは、1960年のことでした。75歳にして初めての交響曲です。初演は翌年自らの棒でアムステルダム・コンセルトヘボウと。この頃クレンペラーは、フィルハーモニア管弦楽団を率いてベートーヴェンを始めとして次々と古今の名曲の録音を開始した超多忙のさなかでした。一体いつ作曲する時間があったのか、今もって不思議でなりません。しかも既にこの時、彼は様々な障害のため半身不随であり、立って指揮をすることは出来ませんでした。

それだけではありません。次に交響曲第2番を書き上げたのが1967/8年。何と83歳です。同じ巨匠と並び称されていた同世代のフルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler, 1886-1954)が交響曲を書いていたのは1940年代ですから、この人生の最晩年に至ってからの創作は驚異としか言いようがありません。

もっともフルトヴェングラーが、ブルックナーの交響曲のような壮大な作品を目指しながら、どこか梁が抜け落ちたような構成の脆弱さを露呈した問題作に終わっているのに対し、さすがに大口をたたくクレンペラー。実に堂々とした作曲振りです。

では、どんな作品を書いたのでしょうか。耳を澄ませて聴いてみると・・・・・





む、む、む、う~~~む。。。。。。。。





ど、どうにも解せませぬ。絶対何かあるに違いありませぬ。  しかし、どうにも分かりませぬ。

これは大見得を切った皮肉かこけおどし? それとも、ひょっとしたら本気で書き上げた超の付く傑作?



おそらく、どのようなスタンスで、またどのような距離感から本曲を聴くかで、評価は大きく分かれるものと思われます。この交響曲群を正当に評価するためには、もう少し時間(特に人生経験)が必要に感じられます。それにしても、まるでポアンカレ予想のように不思議な魔力を持つ音楽だと思います。これを解き明かすには、クレンペラー自身の心の中を覗き見る必要がありそうです。丁度彼の人間像について簡単な一口で言い表せないように、一筋縄ではいかない超難問の作品と言ったらよろしいでしょうか。いや、100年経ったら解けるかも知れません。


[もしもこの記事でご興味を覚えられた方は、是非ご自分の耳でお確かめ下さいませ。cpoからクレンペラーの管弦楽作品集が出ております(cpo 999 987-2)。]


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1973年没のもう一人の音楽家。はたして大のつくべき巨匠か否か? 近年だいぶ認知度が上って来ましたあの人を取り上げます。
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