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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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禁断の手
Dices1


禁断の実・・・ではなくて禁断の手が本日のテーマです。


とある国の大統領(または首相)と側近の会話。

大統領: どうして我が国の民は不満そうな顔をしているのじゃ?
側近:   それは生活が苦しいからでございましょう。
大統領: それは合点がいかぬ。こんなにもワシは頑張っておるというのに。
       この頃は市中に出ても、このワシに対する尊敬の念どころか
       冷たい視線が浴びせかけられてるような気さえする。
       何か良い手はないものじゃろうか?
側近:   ・・・・・
大統領:  おおそうじゃ、お金を貧しい民百姓にばらまくというのはどうじゃ。
       これなら皆も好きな物が買えて喜ぶであろう。何々ほんの小額でいいのじゃ。
側近:   恐れながら申し上げます。たとえ小額といえども国民全体となると馬鹿になりません。
      何よりこのご時勢、国庫はもう空っぽでございます。
      このままでは他国へ返済するお金も残っておりません。
大統領: なに、もう金が無いとな? うーむ・・・。
      おおそうじゃ、お金が無いというのなら作れば良いではないか。どうせ誰も気がつくまい。
      これは名案じゃ。たとえ誰かが気がついたとしても、今だけ乗り切ればよいのじゃ。
      後のことは後の者にまかせればよいではないか。うわっはっはっは。


こういう会話が本当にあったかどうかは存知ませんが、現実にそのような政策を取った国を少なくとも何カ国か管理人は知っています。結果は、当然のことながら猛烈なインフレーション。お金の価値が日々刻々と変わり(下落し)、諸外国からの信用はガタ落ち、食糧・衣類・ガソリンなど生活必需品の流通が止まりますから、人々の生活は益々苦しくなります。公定レートと闇のそれが、10倍どころか百倍、いやそれ以上になったところも。最近、とある国で超インフレに対応するためと称して「1000億ドル札」という、とてつもない桁数の新札を発行したことがニュースになっていましたね。



某国の首相がやっていることも、実は本質的に同じことだということに何故側近の人たち、いや国民の人たちは声に出さないのでしょうか。いや、たとえその声が聞こえていても、この政策こそが正しいと信じて疑っていませんから、手におえません。きっと「今に見ておれ、やがて景気が回復すれば、私の判断は正しかったんだ、さすがに立派な政治家だ」と賞賛されるに違いないと思っていらっしゃるのでしょう。


さて次の2つの図をご覧になってみて下さい。上図をいくつかのパーツに分けて再配置したものが下図です。 あれっ、不思議ですねぇ! 同じパーツで出来ているはずなのに、いつのまにか面積が増えているみたい、一体何で?


Illusion1


世の中には、やってはいけない手というものがあるように思います。それは、その誤ちを償い補うのがその世代ではなく、後世の人々が何代にも渡って膨大な労苦を背負ってしまうからなんです。無から有を生じたように見せかけるのは簡単です。でも、やはり無いものは無い。あまりに変なことばかりを続けていると、正しいものすら正しいとは思われず、本当は違っているのに一見正しそうに見えてしまう、そのような世の中になってしまうことがとても怖いです。




アメリカのウィスコンシンに生まれ、現在はドイツで活躍している女流作曲家グロリア・コーツ(Gloria Coates, 1938-)。エリック・コーツではなく、グロリア・コーツですからお間違えなく。彼女は現代人気音楽作曲家の1人ですが、とうとう禁断の手を使って恐ろしい曲を作ってしまいました。交響曲第14番「微分音の交響曲 Symphony in Microtones」(2001-2年作)です。

なお微分音とは、ご承知かと思いますが、通常の古典的音楽が全音または半音ずつ上昇する音階を元に書かれているのに対し、半音をさらに半分にした四分音、さらにはそれを半分にした八分音等を指します。これら微分音を使用し、従来の調性音楽からの制約を受けない音楽スタイルが微分音楽です。いかにも現代音楽らしいと思われるかも知れませんが、実は微分音という概念自体は、平均律が確立する以前の16世紀から17世紀頃に既に認識されていました。ただし、この時代は、倍音をベースにした音程と平均律に基づく音程との微妙な違いを調整するものとして、半音より小さな音の違いを記載する(聞き分ける)必要があったためで、それが音楽的に利用されるということはありませんでした。作曲技法として微分音が重要視されるようになったのは、やはり調性音楽から脱却した20世紀以降ということになるでしょう。

さて件の交響曲第14番。3つの楽章から成る全曲20数分間は、弦楽オーケストラとティンパニが微分音階をベースにグリッサンドを多用して、まるで位相のずれた正弦カーブが幾重にも押し寄せるかのように鳴らされます。それはエスカレーターが上ったり下がったりしているよう。映画で言うと、「インディージョーンズ」の中で無数の毒虫が地表を這い回るシーンや「エイリアン」が登場するシーンで流されるあの何とも言えない不気味な音楽です。こうしたグリッサンド手法・演奏法自体は、コーツが交響曲の作曲を始めた1970年代始めに採用しており、彼女のトレードマークと言ってもよい特徴でしょう。でも、ここではそれにもう一つ仕掛けを加えています。

14番の3つの楽章は、それぞれ

I. Lamentation: Homage to Supply Belcher (1750-1836)
II. Jargon: Homage to William Billings (1746-1800)
III. The Lonesome Ones: Omage to Otto Luening (1900-1996)

と題されています。名前が挙がっている前2者は、18世紀の米国作曲家。3人目は現代作曲家で、この人はグロリア・コーツの師匠にあたります。各楽章は、先に述べましたようにめくるめくように上げ下げのあるグリッサンド音楽の後に、急に先人が作曲したコラール旋律が流れて来ます。それまでほぼ無調の音楽が進行して来ましたから、聞き手は一見(一聴)調性的な美しい旋律が流れたように錯覚させられます。しかし、実際に聴かれてみると一番よく分かるのですが、どうにも落ち着かない、どうにも居心地の悪い、不安定な旋律なのです。特に何かの機械で振動数を測定した訳ではないのですが、管理人の耳にはどうもわざと音程を微妙にずらしているように聞こえて仕方が無いのです。本当は調性感のある音程から外れている旋律なのに、錯覚してまともそうなメロディーのように聞こえさせること。どうやらここに作曲者の意図がありそうです。後で解説を読んだら、コラールの音程は四分の五音だけ高く演奏されるように譜面に指定されていたとのことが書いてありました。

それにしても、このような音楽がありだとすると、これからの聴き手は従来の音楽的美的感覚の限界を越えた相当高いハードルを課されることになります。禁断の手になる新音楽、はたして前代未聞の美味であるのか、はたまた酔って吐き気を催すのか、新し物好きには格好の珍品です。同じ誤魔化されるなら、政治の方は願い下げ、こちらのイルージョンだけに願いたいものです。CDはNaxosですから、試聴も容易でしょう(Naxos 8.559289)。


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林檎の芯
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前記事のコメント欄でインド林檎の話に少しばかり触れましたが、本日はリンゴの品種改良つながりで音楽の話をしたいと思います。



リンゴの原産地について調べてみたら、コーカサス山脈、あるいは中国の天山山脈辺りにまでルーツが遡れるそうです。これが紀元前には既に、東方は中国まで、西方はヨーロッパ西端にまで伝わり、各地で広く栽培されるようになりましたそうで。そう言えば、中東のアダムとイヴの話にもリンゴが出て来ましたっけ。

で、西方で最もリンゴ品種の改良に熱心だったのは、ルネッサンス以降から近世紀にかけてのイギリスだったそうな。そんな訳で、17世紀になるとイギリス・アイルランドから新大陸へ向けて大移動した開拓移民らと共に、リンゴ栽培がアメリカに伝わりました。日本へ本格的に導入されたのは、19世紀末の明治時代になってから。そのアメリカから約70種類以上ものリンゴが運び込まれ、主に青森や長野などといった寒冷な土地で栽培されるようになりました。それにしても、人と共に農作物も地球を股にかけて大移動するのですね。




リンゴの歴史はそのくらいにして置きまして、本題の音楽の話です。出世のためにロンドンという大都会に埋もれてストレスに満ちた生活をするよりも、田園の中で静かに暮らすことを選択した音楽家が居ました。その音楽家とは、愛妻と共にイギリス中部の田舎に移り住み、希少種となりつつあった品種を保存するために丹精込めてリンゴ栽培を続けながら、自身が納得できる音楽だけをマイペースで書くという、現代ならさしずめスローライフの典型と呼ぶべき人生を歩んだジェラルド・フィンジ (Gerald Finzi, 1901-1956)、その人であります。


ここに1枚のCD (Lyrita SRCD.239) があります。収録曲はいずれもフィンジの作品ばかり。


セヴァーン狂詩曲

夜想曲(新年の音楽)

「恋の骨折り損」組曲から3つの独り言

弦楽オーケストラのためのロマンス

弦楽オーケストラのための前奏曲

落ち葉

小オーケストラと独奏ヴァイオリンのための入祭唱

ピアノと弦楽オーケストラのためのエクローグ*

ピアノとオーケストラのための大トッカータとフーガ*

  Sir Adrian Boult指揮、London Philharmonic Orchestra
  Vernon Handley指揮、New Philharmonia Orchestra*


フィンジは、自己に大変厳しい作曲家でした。たとえばヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲を完成させようと何度も取り組みながら、納得の行くレベルに達していないと判断するや否や、一旦は校了した作品であれ、ためらうこと無く破棄し、両ジャンルに関しては結局1曲も完成品を世に残すことはありませんでした。おそらく、その一部として書いたはずの楽章の完成度があまりに高く、それに見合うだけの他楽章を書くことが出来なかった結果なのでしょう。幸いなことに、破棄されなかった楽章は、その後それぞれ独立した作品として残されることになりました。このCDに同梱された最後の3曲がそれらに当たります。否、その3曲だけが特別ではありません。このCDに含まれる全ての音楽が、厳しい彼自身の批評眼に晒されながら生き残った、いわば神域に到達している音楽と言ってよいでしょう。

[最晩年に書かれたクラリネット協奏曲やチェロ協奏曲は、今日一応の完成品として一般に認められていますが、もしもフィンジがリンパ腫に侵されて病床に倒れることさえ無かったなら、その後きっと両曲共その一部を書き直していたか、場合によっては破棄することすら厭わなかったに違いないと、管理人は思っています。]


イギリスの弦楽オーケストラ作品なんて、ちょっと聞く分には耳当たりが良いけれど、所詮はヒーリング音楽、精神性の浅い音楽でしょ。特にフィンジなんて、繊細でひ弱そうだし、大作曲家たちと肩を並べるほどの作曲家ではないんじゃないの、と思われている方が少なくないかも知れません。けれども、このCDを聴いて下されば分かります。心に響く本当の優しさとは、表面的な柔和さでは無く、強靭な精神を内に秘めた者にだけ、自然と備わるものだということを。


リンゴの芯は硬いから、大抵の人間はよけて食べようとしません。しかし甘い果実も、芯がしっかりしていればこそ、その周りに栄養をたっぷりと蓄えることが出来るということをお気付きでしょうか。それと同じように、このCDに凝縮されている音楽は、芯の存在を意識した時に初めて、その真の味わいを賞味することが出来ます。Lyritaレーベルが誇る数ある名品の中、作品・演奏・録音、そのいずれの観点から評しても断トツに優れたCDです。敢えて一つだけ難点を挙げるならば、その超ダサいジャケット・デザインだと言わせて頂きましょうか。 (ボールト先生、すみません!)


Finzi5




異国情緒
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管理人が子供時代に一番喜んだ夕食のメニューは、何と言ってもカレーでした。きっと今でもそういうご家庭が多いことでしょう。ハンバーグも嬉しかったけれど、やっぱりカレー。もちろん小さな子供ですから、大人向きの辛口のではなくて、あの甘口カレー!(笑)

そしてカレーを一口食すると、決まってエキゾチズムの世界に耽ったものです。テレビやラジオで流れていたコマーシャルソングが、カレー特有の匂いと相俟って、五感の刺激となってその性向を助長しました。♪


実は管理人が最初に足を降ろした外国は、インドなんです。空港の建物を出るや否や、たちまち多数の子供たちが群がって来ました。荷物を運んであげるから・・・、タクシーを捕まえてあげるから・・・、ホテルは何処なの・・・。みんな少しでも小遣いを稼ぎたくて必死です。ようやくホテルに着くと、既に飛行機内からあの独特なカレー混じりの匂いが立ち込めていましたが(この時利用した航空会社はインド航空でした)、その強い南国の香りは、廊下と言わず、部屋の中と言わず、至るところに漂っていました。

街に出れば、タクシーの運転手はゴチャマンと道路にひしめく車の洪水の中を、まるでF1レーサーのようにスイスイと抜いて行きます。街角では、例の笛吹きも実際に居ました!ヒュルル~という笛の音に合わせてコブラが篭の中から鎌首をもたげてニューッと。ひぇ~~。。。 

とにかく見るもの聞くもの、すべてが新鮮!これが異国なんだ、これが外国の文化なんだと、興奮しまくって、その夜はろくろく寝れなかったことを、澄み切った青空の色の深さと共によく覚えています。


インドと言えば、1982年制作、同年アカデミー賞の作品賞他、多数の映画賞に輝いたリチャード・アッテンボロー監督、ベン・キングズレー主演の映画「ガンジー」が強烈に印象に残っています。ただし封切り時ではなく、それから大分経ってから、管理人がとある英語圏の国に滞在していた時です。この映画が丁度廻って来て、大きな劇場で上映されることを知ったので、これ幸いと観ました。途中休憩が入って、確か3時間半くらいの大作でした。でもその時の感動は、一生忘れないことでしょう。もう今では、この映画がリバイバル上映されることもないと思われますので、未だご覧になられていない方はDVDで鑑賞するしかありません。が、これは本当にお薦めの名画です。大減量して撮影に望み、ガンジーに成り切ったキングズレーの役者魂も快哉の一言です。

圧巻のシーンは、ラスト国葬の大行列。よくもあれだけのエキストラを集めたものだと、感心を通り越して畏敬の念が。あまりに感動したので、実は同じ日に続けてもう1回観ました。何と8時間近くも映画館に居たことになります。(←アホですね) 
と言いますのは、実は暗殺犯となる人物が、映画のかなり前半からチラチラとスクリーンの隅の方に登場していることに気がついたからなんです。で、どういう意図でそうしたのかを確認したくて・・・(爆)


Gandhi1


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イギリスの作曲家バントック (Sir Granville Bantock, 1868-1946)が、異国風味満点の曲を作ることにかけて天才的な手腕を示したことは既に紹介しました。(2009年4月13日の記事

彼は比較的若い頃より、ギリシャは当然のこと、エジプトやアラビアのイスラム文化、そしてペルシャから、果てはインドに到るオリエント文化まで広い興味を示し、それらの文化的背景を色濃く映した作品をそれぞれ残しています。北方のケルト文化・芸術に惹かれるのは、むしろ後年です。ロマン派風の音楽がお好きなら、彼の作品のCDのどれを取っても外れはありませんと自信を持ってお薦め出来ます。(日本では演奏される機会が少な過ぎます。と言うかほとんど無い!怒)

本日は、バントック管弦楽の魅力を堪能出来るCD をもう1枚ご紹介しましょう。「Thalaba the Destroyer」と題するCD (Hyperion CDA67250) で、「The Song of Songs前奏曲」や砂漠を舞台にしたオペラ「Omar Khayyam前奏曲」など、各曲の良いところを抜き出して演奏したオムニバス形式のような1枚ですから、本来なら全曲が欲しいところです。

どの曲も素晴らしいけれど、特にその中の第5曲「Processional」という曲が分かり易くて見事です(1894年作、1912年改訂。演奏時間は15分弱程度)。この曲は、昔々インドのとある高官が亡くなった時に行なわれた葬式行列の様子を描写すべく作曲したらしいです。前半は、まるで大名行列が粛々とこちらに向って歩いて来る感じそのまま。それが一段落すると、音楽は一転して優美な曲想となります。この急激な変化は、主人の遺体が運ばれた行列の後に、生きながらにして一緒に火葬される身近に仕えた女人たちの姿を描いたのだとか。バントックはハープやシンバルを実に効果的に使います。そして全曲を通して常に安定して刻まれるリズムが、その行列が普通の人々の力では押し止めようのない歴史的大イベントとして、今、眼前に繰り広げられているのだという錯覚さえ催させます。この比類ない描写能力が、バントックの真髄と言えるでしょう。


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