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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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真夜中のミサ
Eglise100


管理人は仕事の関係で、いろいろな国々の様々な街々を訪問致します。時には相当辺境の地まで足を踏み入れることがあります。次のお話は少し以前、実際に起こった出来事です。





丁度今の日本のようにうだる程暑い1日のことでした。前日まで、一緒に仕事をする現地の方と共に、とある国、とある町中の安ホテルに宿泊しておりました。あいにくこの町を訪問した日は、その地域の知事を決める選挙がその数日後に行なわれるという時期と重なり、ホテルの中やその周辺には各候補者を支援すると思しき人たちがたくさん集まり始めていたのです。対立する有力候補者同士は勢力が拮抗。支持者同士で何らかの争い事が起きかねない状況でした。万一の混乱を避けるべく、仲間と相談して宿を変えることにしたのです。

このように政治的な混乱が予測され、身の危険が感じられる時は、いつも教会の宿泊施設を利用することにしています。そうしたクリスチャンの関連施設内であれば、騒動の渦に巻き込まれる可能性が低いからです。写真はそうした施設を持つ、その土地では由緒と歴史ある教会だったのです。



日中の暑さで疲れた身体を引きずるようにベッドに倒れ込み、これで今夜は少しは安心して寝られると思ったのもつかの間、部屋中に熱気がこもって寝れるどころではありませんでした。それで仕方なく、僅かな涼を求めて教会内の中庭をそぞろ歩くことに。敷地内であれば、門番などもいて、そう部外者がちん入することも無かろうと、広い中庭をあっちへいったり、こっちへ来たりと、かれこれ15分くらいは歩き回ったでしょうか。庭には僅かな電灯が点いているだけの、ほぼ真っ暗闇の中の散歩です。時計を見ると夜の10時を少し回った頃でした。


歩いている内に奇妙なことに気が付きました。中庭の一方向から1人また1人と何かをかついで来るのです。どの人も無言。しかしあまりに周囲は暗く、一体何が起こっているのかさっぱり分りません。

そうこうする内に暗闇の中からひとりの男がすぅーっと私に近づき、小声でささやきました。

“Our pastor was killed.”

(えっ、今何て言ったの?)“Say it again.” 

男はもう一度その言葉を繰り返しました。仰天する私。と同時に全身が瞬時の内にAlert状態に変わり、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら、次に何をすべきか頭の中をフル回転させようにも空回りするばかり。もしも選挙がらみの争いの結果であったなら、事態はよりシリアスな方向へと発展してしまうのは必然です。首都から遠く離れた田舎町で、たった独りの日本人。飛行機は週に2便だけ。陸路はなし。その町から無事に逃げ出せる可能性は皆無に近かったわけですから。



高鳴る心臓の鼓動を気にしつつ、先ずは連れの現地人の部屋に行き、叩き起きてもらうことにしました。彼との間では英語を介してコミュニケーション出来ましたが、私にはその土地の言葉がさっぱりだったからです。熟睡中に一体何事かと半分以上寝ぼけまなこの彼でしたが、私の話を聞くなり、これはただ事ではないと、その頃までに人数も増えてきた集まりの中へと事件の真相を問い質しに行きました。



人々の話を総合すると、その教会の牧師がその日の夕方、近くの村に説教のため(?)出掛けた先で、銃弾に当り死亡したとのことでした。丁度その牧師が立っていたすぐ横には、その村に駐留していた軍隊の指揮官が部下のひとりの働きぶりについて他の部下たちの面前で名指しで激しくなじったらしい。その恥辱に耐えられなくなった部下が興奮のあまり自分の銃を上官に向かって発砲。銃弾は指揮官の顔を僅かにそれ、偶々その後ろに立っていた牧師に命中。当たりどころが悪くて、ほどなく絶命したということらしい。何故に牧師がそんな駐留軍の近くにいたのかは不明ですが、選挙がらみの事件ではなかったことだけが不幸中の僅かな救い。だからと言って、少しも安心できる状況でないことは無論です。



夜10時を過ぎてから人々が椅子を持って教会に集まり始めたのは、そのニュースが伝わり、しかもまもなく遺体が教会に到着するというので追悼ミサを始めるためだったのです。夜の11時を回ってから厳粛としたムードの中でミサは始まりました。管理人は暫くはその場にいましたが、いつ果てるともなく続くミサです。身体と精神の疲れも極値に達し、部屋に戻って身体を横にすることにしましたが、ミサの抑えた歌声は結局明け方近くまで続いたのでした。当然一睡も出来ず。これまでにも随分と恐ろしい経験を何度もして来ましたが、この日の夜の出来事だけは忘れようとしても一生忘れることが出来ない体験となりました。日常の生活に「平和」という言葉が存在しない国や地域が、この地球上の其処彼処に存在しているという厳然とした事実。今の日本の人たちは、どれだけ認識されているのでしょうか。





本日の音楽、本来であればレクイエムの方がふさわしいのかも知れません。しかしながら、この夜の出来事にぴったりの曲がありますのでご紹介致しましょう。フランスの作曲家シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier, 1643-1704)の作品「真夜中のミサ Messe de Minuit」(1690頃作)。モンテヴェルディとはひと味違ったいかにも教会音楽らしい音楽で、美しいハーモニーに一聴の価値があります。もっとも本当に本曲を真夜中に教会で聞く勇気があるかと問われたならば、上記の体験をしてしまった私にはとてもありませんと答えることでしょう。


Messe-de-minuit



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転居
猫の手


最近、お引っ越しをしました。ブログのことではなく、実生活の方です。

職場も変わりまして、より仕事も忙しく?なりました。

段ボール箱の山は全く手つかずのまま、猫の手も借りたい~~  (T T)







という訳で、本日は記事なし音楽だけのご紹介だけでご勘弁を。本ブログ初登場の作曲家です。ネットなどで調べる前に、お国と時代を推測して下さいませ~。






仙台七夕祭り
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今日は七夕。仙台七夕祭りの写真を何枚かご披露しましょうか。とても絢爛豪華です。竹竿1本ずつに垂れ下がる飾りは彩りも鮮やかにデザインも個性豊かで、「金賞」とか「銀賞」とか評価がついていました。まるで吹奏楽コンクールみたい。


商店街のアーケードをそぞろ散策した後は、お祭りと言えばやっぱりこれ。 屋台の食べ物ですねぇ! (←結局ここに落ち着く ^_^;)


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近頃人気の白いタイ焼き。ひんやり冷やしてあって大変美味しかったです。






さてさて本日は、数字の7にちなんだ音楽から選ぶとなるとこれしかありません。7月7日が誕生日の偉大な作曲家そして指揮者、グスタフ・マーラー (Gustav Mahler, 1860-1911) 。普通なら、このブログでは決して取り上げない音楽家ですが、今日は特別に彼の第7番交響曲「夜の歌」をお薦め致します。マーラーの交響曲の中では演奏機会も少なく、また人気も決して高くはありません。しかし、この曲をクレンペラーの演奏で初めて聴いた時、そのあまりのスケールの大きさと絢爛豪華さに圧倒され、感動を通り越して神の存在すら実感した管理人の人生の上で特別な存在となっている音楽だからです。そのような理由から、本曲ばかりは他の演奏家ではなく、敢えてクレンペラー指揮、ニューフィルハーモニア管弦楽団、1968年9月録音の演奏に限定したいと思います。

クレンペラーは当録音の直前、実際の演奏会で取り上げたわけですが、先ずその時の演奏会がただ事ではありませんでした。プログラムは本曲ただ1曲。通常の演奏でも70~80分はかかる大曲ですから、そのこと自体はさほど驚くことではないとして、休憩を第1楽章の後と第4楽章の後の計2回取ったそうです。83才という超高齢での演奏でしたから、体力的にもそうせざるを得なかったという事情もありましたが、そうすることによって第3楽章スケルツォを真ん中にして「夜の歌」の由来となるセレナード部分第2楽章と第4楽章を一括りにし、それを挟むようにそれぞれ巨大な構成を持つ第1楽章と第5楽章をそれぞれ独立に演奏することで、同曲のシンメトリー構造を際立たせるという意図があったものと思われます。クレンペラーの最晩年の演奏は、極端なスローテンポであることは周知の事実ですが、そのような演奏は壷に嵌ればとてつもなく巨大な建築物になる反面、もしもオーケストラがそのスローテンポについて行けず、緊張感が途切れた演奏になってしまうと全くもってだれた印象を与えてしまうというリスクがあります。クレンペラーの演奏時間は約100分。尋常ならざる超スローテンポです。それにも拘らず、集中力が全く途切れません。CDも悪くはありませんが、もしLPを入手することが出来るのであれば、更に一段とその演奏の凄さが分ります。なぜならその録音の良さが、本演奏を別格のものと位置付ける大きな要因となっているからです。それぞれのクライマックスでの総奏では、まるで宇宙の万物がすべて一辺に咆哮したような大音量となり、ティンパニの最強打では魂の深奥部から打ちのめされます。「畏怖」という念が疑うことなく自然と沸き上がる希有の名演奏と言ってよいでしょう。


Mahler7










フォスターの明暗-7月4日
CivilWar1


World Cup サッカー、日本惜しくもベスト8ならず。残念でした。

それにしてもPK戦での決着は、ゲームの緊張感と興奮が最高潮に高まることもすごいけれど、結果があまりにもくっきりと別れて残酷なくらいです。他の対戦でも、PK戦の末、バーを外したり、キーパーにセーブされてポイントをゲットできなかった選手などは顔を覆いグラウンドに泣き崩れ、とても見ていられないほどでした。勝てば英雄、負ければ国賊とまで言われかねない監督と選手たち。勝負の世界とはいえ、つらいところです。



さて今日は7月4日。アメリカの独立記念日です。世界中のスポーツファンがWorld Cupの一戦々々に一喜一憂しているそのさなかに、アフガニスタンを始めとして世界の其処彼処で、今なお戦闘行為が日常のように平気で行なわれています。あまりにも極端な明暗に、やるせない想いが致します。



アメリカの作曲家フォスター(Stephen Collins Foster, 1826-1964)のお誕生日は、7月4日。ピッツバーグ近くのローレンスヴィルという町でアイルランド移民の子として生まれています。「おお、スザンナ」「故郷の人々」「懐かしきケンタッキーのわが家」などなど、小学校や中学校の音楽の時間には必ずや登場した歌の数々で知らぬ人はいないでしょう。

そのフォスター、実は享年37才と思いのほか早死にしています。20才の時アメリカ中部のシンシナチで、ミシシッピ河を上下する蒸気船の会社でBookkeeperとして働いている時に作曲した「おおスザンナ」が大ヒット。やがて次々とヒット歌曲を生み出し、一躍人気作曲家となりました。これらに自信を得て、音楽で生計を立てるべく、ニューヨークへ移動することに。ところが当時は著作権料という概念が確立していない時期でもあり、歌の人気とは裏腹に収入は幾ばくもなく、ほどなく健康を害して病床に臥す毎日を過ごすことになってしまいました。

ある日のこと、マンハッタンの安ホテルにいたフォスターはあまりの高熱のためメイドに助けを求めようとベッドから立ち上がったところ、身体のコントロールを失い転倒。運悪くベッドのすぐ横にあった洗面所に頭を打ち付けて、それが致命傷となって死んでしまいました。彼の短い生涯の晩年は、時あたかも南北戦争 (1861-1865) の真っ最中です。フォスターはその時代に合わせて出征兵士などの歌を作りました。ところが、彼がそれ以前に作っていた歌曲がいずれも郷愁を誘うメロディーで人気を博したのと対照的に、いずれも暗い内容のために人々の関心はもはや再びフォスターのもとに注がれることは無かったのです。彼の晩年の極貧生活は、時代の流れが明暗を分けた運命のいたずらの結果とも言えるでしょう。

曲名からして

Why Have My Loved Ones Gone
I'll Be A Soldier
Willie Has Gone To The War
Nothing But A Plain Old Soldier
The Voices That Are Gone
Bury Me In The Morning
For The Dear Old Flag I Die
... ...

ですから人気が出なかったのはやむを得ないかも知れません。フォスターの知られざる明暗の生涯。こういうことも学校で教えたら良いのにと思います。


Foster1




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