一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南仏バカンスの旅(2)-アヴィニョンの橋の上で
Avignon9


♪ アヴィニョンの橋で 踊るよ 踊るよ ♪ 


このメロディーと歌詞、皆さんの多くは小学校の音楽の時間で唱っているかと思います。が、この後を続けて下さいと言われたら・・・案外詰まってしまわれる方が多いのでは・・・。


というわけで、歌の続きを確認するために遥々やって来ました南仏プロヴァンス地方の古都アヴィニョンです。
そんなわけはないか。(^o^) 


Avignon1


ローヌ川に架かるサン・ベネゼ橋、通称アヴィニョンの橋は、12世紀頃、羊飼いベネゼが受けたお告げにより着工されたと言い伝えられ、全長約900 m、22のアーチから成る石造りの橋です。完成以来、対岸との行き来に重要な役割を果たして来ましたが、17世紀に起こった大洪水のため橋の大半が流されて通行が出来なくなり、今日に至っています。(上流と下流に現代的な橋が架けられており、今アヴィニョンの橋は観光資源として敢えて大部分が流されたままの姿で残されています。)


Avignon6


別な角度から見たら、こんな感じです。橋の上から撮ったスナップを何枚かお見せしましょう。


Avignon2


Avignon3


とても街の中とは思えないほど静かな風景ですね。


Avignon8


橋のど真ん中から振り返った時の風景です。法王庁の建物が見えます。




それで歌詞の続きですが、日本語の場合、幾つかのヴァージョンがあります。代表的なものは

♪♪
アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 組んで
子どもが通る おとなも通る

アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 組んで
兵隊さんが通る 職工さんも通る

アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 組んで
坊さんが通る 小僧さんも通る

アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 組んで
花屋さんが通る 八百屋さんも通る

アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 組んで ♪♪



ちなみにフランス語の歌詞は少し異なり


Sur le pont d'Avignon  
L'on y passe, L'on y danse     
Sur le pont d'Avignon     
L'on y danse tous en rond     
Les belles dames font comm' ça     
Et puis encore comm’ ça     

Les beaux messieurs font comm' ça
Et puis encore comm’ ça
...

(大意)
アヴィニョンの橋の上を通って 踊ってる
アヴィニョンの橋の上で みんなで輪になって踊ってる

美しい貴婦人たちはこんな風に こんな風に繰り返してる
立派な紳士たちはこんな風に こんな風に繰り返してる



すでに15-16世紀には当地の民衆の間で広く唱われていたらしく、橋が完成して人々が大いに喜んだ様子がよく表されていると思います。橋の中央部に下の方へ降りる階段があって、そこにある小さな小さな展示コーナーでこの歌の歴史について解説するパネル等を見ることができます。当地に行かれる方は是非お見落とし無く。


では最後に、皆さんご一緒にフランス語で唱ってみましょう。




スポンサーサイト

南仏バカンスの旅(1)-憂き世を離れて
南仏1-1


残暑厳しき折、皆様方におかれましては如何お過ごしでしょうか。夏休みも残すところ数日ばかり。ご本人であれ、お子様たちのであれ、今頃は夏休みの宿題の最後の追い込みに頭を悩ましていらっしゃる方も多いことと思われます。あるいはそんな雑事なぞ何処吹く風と、休暇を取られて、いそいそと想い出作りの旅を楽しまれている御仁もいらっしゃるかも。

管理人はと言えば、相変わらず多忙の毎日。なんだかんだで飛び回っており、休暇を取る暇もなく、バタバタ、バテバテの日々を過ごしております。それにしても連日猛暑に加えて、大洪水・土砂崩れに地中真深い鉱山に閉じ込められたり、はたまた飛行機墜落にハイジャックなどなど。連日新聞紙面を賑わせていますのは、いずれもこれまであまり聞いたこともない悲劇的な事件、事故の報道ばかり。経済だけでなく、あらゆることにおいて何か世の中が負のスパイラルに入ってしまったような錯覚すら感じられ、「世も末」かなと思わざるを得ない状況の毎日です。

考えてみればこの数年間、毎年平均して10万マイル程度は空を飛んだことになるでしょうか。もっとも管理人も多忙とは言え、忙中閑あり。これから数回、仕事の合間を見つけて自由気ままに旅した時のお話をすることに致しましょう。題して「南仏バカンスの旅」。憂き世を離れて、豪華で優雅な日々を過ごした想い出で、残暑を乗り越えたいと思います。


先ずは行きの機内の様子から。


南仏1-2


離陸してまもなく、モニターのスイッチを入れて最初にチェックすることと言えば、どんな(クラシック)音楽CDがプログラムに載せてあるかです。この時最初に聴いたのは、メシアンの「世の終わりのための四重奏 Quatour pour la fin de temps」。うーん、飛行機の上では聴きたくないなぁ...。思わずpauseボタンを押してしまいました。


南仏1-3


流石にファーストクラスのお食事は違います。見栄えの美しいオードブルもよいけれど、サラダにオリーブオイルを掛けて食べるのが好きです。♡


南仏1-4


和食をオーダーしたら、こんなメインディッシュが。鴨肉の甘辛煮だったかしら。里芋が六方に切ってあるところに一番和風を感じました。笑 

 
南仏1-5


デザートとしてチーズやケーキまたはシャーベットなどもチョイスできますが、とても全部は食べきれないのでフルーツを少々。これに食後のコーヒーを一杯頂いて、暫くはお休みの時間です。


南仏1-6


日本から欧州航路でパリまでは、およそ12時間あまり。途中で眼が覚めても、まだまだ何時間も乗らなければなりません。ちょっと小腹が空きましたら、エールフランス航空(JAL共同運行便)名物「うどんですかい Udon de Sky」などは如何ですか。他にチョコレートアイスクリームなどもあります。ビジネスクラス以上だとこれらの軽食はいつでもありますが、エコノミークラスだと出発後6時間以降にしかサーブされません。数量限定で、しかも早いもの勝ちですから、その時間を寝過ごすと最早ありません。ご注意を。(←豆知識)

軽食がサーブされる頃はシベリア北辺の上空を飛んでおり、もしも下界が晴れていたら北極海を見ることができる時もあります。さてさてまだ数時間も残っています。映画でも1本観ましょうか、それとも羽布団の中でもう一眠りしましょうか。


南仏1-7


機上で10時間余りも経ちますと、あれだけDinnerをしっかり食べたようでもそれなりにお腹が空くものです。目覚めの後の軽めのお食事としてラザニアをチョイス。
...って少しも軽くありませんね。でも、とっても美味しかったです。





パリのシャルル・ド・ゴール空港で南仏行きの飛行機に乗り換えです。どんな所を訪れたかは、次回以降の記事をお楽しみに。最初の写真につきましては、その時にご紹介致しましょう。





で、本日の音楽。「世の終わりの...」ではどうにも食欲を失ってしまいますので、同じオリヴィエ・メシアン(Olivier Messiaen, 1908-1992)の作品から「トゥーランガリラ交響曲 Turangalila Symphony」(1946-48年作)を。この曲は、以前ご紹介しました若手作曲家による現代音楽を積極的に支援したS. Koussevitzukyの委嘱によって作曲されました(2009年3月18日の記事参照のこと)。この曲も前衛性が顕著で、とても食事時に向いた音楽ではありませんが、少なくとも豪華絢爛、スケール豊かな20世紀を代表する名曲であることは疑いありません。オンド・マルトノ (Ondes Martenot)が使用されている楽曲としてもよく知られています。

初演は当初Koussevitzuky自身が振る予定だったそうですが、体調不良により急遽新進気鋭の弟子バーンスタインに取って代わられたとのこと。その時ピアノを演奏したYvonne Loriodは後にメシアンの後妻となりました。初演とその後しばらくの間オンド・マルトノを演奏したのは楽器の発明者Maurice Martenotの妹Ginette Martenotでしたが、後にはYvonneの妹Jeanne Loriodがその楽器を担当することが多くなりました。そういった歴史的な意味を含めて、次のCDがお薦めかも知れません。


Turangalila1-1

マンハッタン計画
原爆1


全身スキャナーというものを生まれて初めて経験しました。それも米国内に数ある都市の中でも比較的小さな街であるアルバカーキーというところでです。いつものように搭乗前に恒例となっている手荷物のX線検査を済ませたら、次はてっきり金属探知機をくぐるものだと思っていたら、検査官からまるでSF映画で見たテレポーテーション装置のような丸い筒状の空間に入って立つようにと言われました。え、これがもしかして例のあれ?って考える暇も与えてくれず、次は足を少し開いて両手を真上に挙げてじっとしているようにとの指示が...。すると両側にあった透明な壁状のものが自動的にぐるっと回転。この間に衣服の下の肌のラインまでが、すべて鮮明な画像としてモニターに写し出されるという、いわゆる全身スキャナーです。もちろん係官だけが画像を見れるわけなのですが、誰かに下着の中まで見られていると思ったら、もの凄く気恥ずかしいです。


この全身スキャナーは、昨年12月にKLMオランダ航空でナイジェリアからアムステルダムに入り、その後デルタ航空デトロイト行きの飛行機に乗り換え、その機上で発生したアルカイダ信奉者による自爆テロ未遂事件を契機に、ヨーロッパの主要空港のすべてに導入されるべきだと一時はかなり真剣に論議されました。が、個人のプライバシーに深く立ち入り過ぎるという強い反論があり、結局いずれの空港も人権に配慮してそれを強制的に受けさせるようにはなっていません。そんな問題の装置が何故に米国の一地方空港に配備されていたのでしょうか。


これはアルバカーキーという町について多少ともご存知の方だけが、ははーんと納得されることだと思います。






1942年の暮れから翌年、翌々年に掛けて、米国ニューメキシコ州のサンタ・フェという小さな町に全米のあちらこちらから当時20才台を中心とした若者たちが、一人、また一人と鉄道を乗り継いで集まってきました。誰が何のためにやって来たのかは完全に極秘とされ、その町に到着した若者たちが、やがていつの間にか皆姿をくらましてしまったのですが、一体どこへ消えてしまったのかを知るものは誰もいませんでした。古くから町に住んで人たちにさえ一切が知らされず、ただ何か若者たちを対象とした特別なサマースクールのようなものでも出来たのかと思われただけでした。

若者たちの数は、総勢約5,000名あまりに上ったと言われています。物理学者を始めとして全米から優秀な研究者・学生たちが集められたのです。その中には男性だけでなく、相当数の女性も含まれていました。時間の経過と共に、当然のように若者同士の間でカップルも誕生し、やがて赤ちゃんが何人も生まれることとなりました。しかし、その赤ちゃんたちの出生地を示す証明書には、ただサンタ・フェの町とだけ記され、それ以外の項目はすべて空白のままとされたのです。そのプロジェクトが密かに進行していた半砂漠地帯の中に突然出現した町の名前「ロス・アラモス」は、一字たりとも一般の人々の目に触れることがないようにと完全秘匿されたのです。




今では「マンハッタン計画」の名で知られる原爆開発のための国家プロジェクトの総責任者が当時実際に使っていたオフィスと机が、現在もそのままの状態で保存されて公開されています。その写真がこれです。↓


原爆2


この小さな部屋は、サンタ・フェ市内中心部のとある目立たない土産物店内の奥まったコーナーにあり、それと知らされなければ、まさかそこが彼のオフィスであったなどとは気付く筈もありません。その人物とは物理学者ロバート・オッペンハイマー。


土産物店の外観は以下の写真の通り。この何の変哲もない建物の中の一室から、あの計画に関するすべてが始まったとは到底信じられません。


原爆3


ロス・アラモスは、サンタフェ・フェの町から車でさらに約1時間程度の距離にある小さな町で、原爆開発の歴史を紹介する小さな記念館がある他は全く目立たない存在となっています。しかしながら、ここには現在、全米あるいは全世界を統括するデータベースが構築されている国立の研究機関が存在し、その地域への出入りは厳密にチェックされています。そして今でもある種の核に関する研究開発が行われているらしいです。全身スキャナーがアルバカーキー空港(サンタ・フェに空路で入るにはこの空港が一番近く、車で約2時間)にいち早く導入されたのは、万が一テロリストから攻撃されることを防止するためであったろうと思われます。この町ではプライバシーよりも何よりも、国家の安全の方が数段大事という訳なのです。


とは言うものの、やはりあのスキャナーの台の上に乗るのは、出来ることならもう二度と御勘弁願いたいものです。


記念館に展示されていたFat Manの実物大模型。不気味な色付けの存在に威圧されました。


原爆4





本日の音楽、ペンデレツキのあの曲(「広島の犠牲者に捧げる哀歌」)も決して悪くはありませんが、日本語で歌われていることもあり、よりストレートに迫るこの音楽に致しましょう。


さだまさしさんの「広島の空」


なお、動画の最初の部分にもお断りがありますように、途中から後半にかけて、目を覆いたくなるほど悲惨な被爆された方々の写真等が多数掲載されています。その種の映像等を見たくない方、または敬遠されたいと思われる方は視聴をお止めになられる方がよいでしょうと前もって申し上げておきます。けれども、これは実際に起こった真実の記録であること。このことだけはお忘れにならないで頂きたいと思います。広島、長崎にある原爆資料館へも、一度は皆様に足を運んで頂きたいと心から願っております。






マーチングバンド
マーチングバンド3


転居する前にご近所だった中学校は、吹奏楽の指導に熱心な先生が着任されてからめきめきと上達、よく地区の大会で金賞を受章するようになりました。それで練習と成果発表も兼ねてか、大会だけでなく地域のフェスティバルなどにもしばしば出演し、その案内が回って来ましたので、時間がある時は聴きに行っておりました。近年は特にマーチングバンドに力を入れているらしく、見事な出来映えに感心です。確か指導されていらした方は本来は数学がご専門の先生とか。マーチングバンドは与えられた時間とスペースの中で緻密な動きの計算が必要です。それでなのでしょうか?とにかく素晴らしいです。





マーチングバンドと言えば、今ではそのための大会に眼が奪われますが、本来は軍事のためのもの。昨年行なわれた中国成立60周年記念式典のパレードの様子を撮影した次の映像をご覧下さい。高解像度で鮮明な映像と特に音楽にご注目下さい。[ネット環境が良い方は、右下のバーからぜひ解像度を720HDに上げてご覧になってみて下さい。]





今度は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の建国60周年記念閲兵式から。





北朝鮮のユニークな歩き方には驚きを通り越して笑いすら感じてしまいますが、やる方はあれは相当大変だと思います。一方の中国の成熟した余裕のある歩き方。そして突然瞬時にして厳しい歩き方に変化する姿に、あの国の底力を感じ取るのは管理人だけでしょうか。こうした国々を本当に仮想敵国として戦うことができるのかどうか、日本国民は本気に考える必要があります。


ではここで、本物の大規模なマーチングバンドを。映像に鮮明さが欠けるのは、あの国のことですからご了承下さいませ。





これだけの大集団による一糸乱れぬ動きと演奏。一体どれだけの練習時間を費やしたのか、想像を絶します。



そして最後は再び中国の60周年パレードから。総集編として、軍事関係だけでなくスポーツから宇宙開発まで中国の発展の様が感動的に描かれています。特に音楽編集の仕方にご着目下さいませ。





胡錦濤国家主席が実にお若いですね。







さて上の映像を全部見ていたら音楽を聞いている時間が無くなってしまいます。そこで一応マーチングバンド発祥の地、本家からのお薦めCDをご紹介致しますが、上記の映像と比べたら、とても勝ち目はなさそう。^^;
でも代表的な曲がいろいろと含まれていて、演奏も見事です。


MarchingBand1


Copyright © クラシック音楽の深い森. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。