一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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Dances with Wolves
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大地が遥か彼方まで続くという光景は、なかなか日本にいたのでは見ることが出来ません。地球というものが、如何に大きく、また美しく、掛け替えのない存在であるのか、こうした瞬間に実感することが出来ます。


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管理人は、アメリカインディアンがかつては草原を駆け回っていたであろう大平原の中に出来た街にしばらくの間居住したことがあります。しかしネイティブ・インディアンの土地であった大平原は、わずか200年余りの短時間の内に遠くヨーロッパの島国などからやって来た白人たちに奪われ、今では極々一部の区域に居住が制限され、町中で彼らの姿を見ることは稀になっています。


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そのインディアンらの更に祖先たちが住んでいたと思われる相当昔の集落跡です。岩山に穿った洞窟の中から撮りました。


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住居跡の近影。もしかすると採集物や穀物などを保存していた貯蔵庫なのかも知れません。

正に「強者どもが夢のあと」








こうした風景を眺めていたら、自然とあの名作の各シーンが眼に浮かんで来ました。ケビン・コスナー監督、主演の映画「Dances with Wolves」(1990年)。音楽担当は、John Barryです。





実に悠々として、また感傷に深く誘われる名曲だと思います。


John Barry (1933-)は英国生まれの作曲家で、言わずと知れた数々の名作映画の音楽を担当しており、こちらのブログでも過去に一度取り上げています。(2008年4月14日の記事


もう一つの名作「Out of Africa」(1985年)。映画はもちろんのこと、音楽が極めて優れていますので再掲することに致しましょう。





「Out of Africa」と「Dances with Wolves」。互いに雰囲気が似ているのは、かたやアフリカ大陸、かたやアメリカ大陸と、地理的にはかなり離れているけれど、共に母なる大地が物語の舞台となっているからかと思われます。


最後に、「Dances with Wolves」のメイン・テーマをこんな風にアレンジしたものもご紹介しておきましょう。





いやあ、音楽って本当にいいものですね。このような音楽を聴いていると、たとえ今日は挫けることがあったとしても再び明日に向かって生きる勇気を得られるような気が致します。

では皆さん、さいなら、さいなら・・・(^_^)/
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革命歌劇
花を売る乙女


しばらくネット環境が良くないところに行ってましたので、間が空いてしまいました。南仏バカンス旅行、実はその続きがあるのですが、いつの間にやら季節は変わっています。いつまでも遊び気分に浸っている場合でもありませんので、その続きはまた別な機会に致しましょう。思い返してみれば、今年になって既に9ヶ国を巡っています。総飛行距離は、10万マイルを遥かに越えている勘定となります。これから更に短時日の滞在を含めて3ヶ国を訪問する予定が・・・。(^_^;

管理人自身のことはさて置きまして、先月末から今月にかけて世界では例によって様々な重大事件・出来事がありました。このところ続いている我が隣国とのさざ波は、やがて大波になる懸念も持たれ、私たちの次世代にとって平和的共存を図らねばならないにも拘らず最も悲しい出来事の一つです。一方、もう一つの隣国では、粛々と、しかし極めて用意周到に、次代の後継者がベールを脱いだことも重要な出来事であったように思います。今日はその話題の関連から、あの作品について取り上げてみたいと思います。




1960年代末から1970年代初頭にかけて、まるで中国(中華人民共和国)における文化大革命の余波を受けたかのように、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)においても大きな変化がありました。第二次世界大戦後粛々と進められた共産主義化に更なるブースターをかける新たな政治的活動が同国では活発化し、とりわけ文芸の面でそれまでになかった新しい作品が次々と産み出されました。そうした運動は、丁度現体制政治主導者の父君が国家を強力に統括している最中にあって、その息子によって主導されたと一般に言われており、それが彼への権力移譲をよりスムーズにしたとも考えられています。真実の程は分かりません。しかし、結果残された作品の数々は確かに相当なインパクトを持っており、イデオロギーの正否は別としても、人間の感性に強烈に訴えかける芸術的仕上がりを示していることは紛れも無い真実だと思っています。

『血の海』『花を売る乙女』『金剛山の歌』などの抗日時代を主な背景として作られた一連の歌劇がその代表作で、それらは直ちに映画化もされました。労働者・農民たちの悲惨な生活を描きながら、やがて革命によって救済の時が訪れることが謳われているのが共通で、今日「革命歌劇」と呼ばれています。日本でもDVDやビデオを入手することが可能です。

その中から管理人が音楽的に最も心惹かれる映画『花を売る乙女』の部分シーンを、最近YouTubeで見ることができますので、ここにご紹介することに致しましょう。革命歌劇では、西洋の歌劇と異なりレチタティーボやアリアは廃止され、独唱(または合唱)か楽器演奏をもって同じ旋律を何度と無く繰り返す「有節歌謡」という手法が多用されています。この旋律は平易に作られていることが多く、しかも何度も聴衆の頭の中にインプットされますから、終わった頃には誰もが口ずさむことが出来るようになります。



物語は主人公コップニ(主演ホン・ヨンヒ)とその兄と妹を中心としたある貧しい農家の悲惨な生活から始まります。先ずは主題歌の登場シーンから。病弱な母親を抱えて、コップニはただ悲嘆に暮れるしかありません。





幼い妹は、手伝いとして行っていた地主の庭にあった果樹の実に思わず手を出してしまい、主人から打たれて倒れた弾みに側にあった鍋の熱湯を浴びて失明してしまいました。





コップニが病床の母の薬代を稼ぐため、野で摘んだ花を町に出て売ることにしました。しかし、たとえ売れたとしても、ごく僅かな代金。一日中歩き回って売り続けても、幾ばくのお金も手にすることは出来ません。もう一つの主題歌「花を売る乙女」が流れます。





やがて時代の混乱はいや増して、母は亡くなり、兄は行方知れずに、妹とも別れ別れになってしまいます。目の見えない妹が日暮れたことも知らぬまま、いつ戻るとも分らない姉を待って佇むシーンに涙腺を刺激されない人はいないことでしょう。





これでもか、これでもかと悲しいシーンが続きますが、やがてその艱難辛苦が報われる時がやって来ます。いつの間にか革命運動家となっていた行方知れずの兄と、そして妹にまで再会できるのです(この辺りやや話が出来過ぎの感が否めませんが...)。コップニが町で売る花束にも一段と彩りが増し、革命の成就によって一家と社会に明るい未来がもたらされるであろうことを暗示して映画はエンディングを迎えます。





YouTubeの映像は原作から一部撮られたものと、中国語翻訳版からのものが混交していますから多少お見苦しいところがありますけれど、『花を売る乙女』がどのような作品であるか大体分って頂けるかと存じます。


そして主題歌は北朝鮮の人なら誰もが知っている有名歌であり、カラオケの常番曲でもあります。もしよろしかったら朝鮮語でご一緒に唄ってみては如何でしょうか。







さてさて新しい指導者の卵の登場に際して、いつの間にか当人の名前まで変わっていたことに皆さんはお気付きでしたか。それよりも何よりも、如何なる業績の功をもってあの国を引っ張って行けるに足る人物だと何千万人もの国民を説得し、また宣伝するのでしょうか。実に興味津々です。少なくともあの祖父譲りの肉付きの良さと、建国65周年を迎えた人民軍兵士たちの痩せこけた身体との対比を見た時に、あの国がこれまでに抱えて来た以上の由々しき問題が、同国は無論のこと、周辺諸国へ拡大しないことを切に願う他はありません。


[なお上記の映画で主人公を演じたホン・ヨンヒは、当時の国民的美少女であり、将軍様大のお気に入りとか。現在では彼の国の1ウォン札の裏面を飾っているとのことです。]

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