FC2ブログ
一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

安らかに...
SG


また一つ悲しいニュースが...

お仕事中、不慮の事故による心肺停止状態から直ちに救命センターに運ばれたけれど、ついに回復は叶わずとの悲報でした

今年になって2回目になります...
身近な人の早過ぎる死...



危険な筈の地域に居る者が命を長らえ、本来であれば遥かに安全だった筈の日本で暮らしていた者が先に逝ってしまうとは... 何という不条理なのでしょうか



申し訳ありませんが、今からではとても間に合いません
せめて此処に花一輪を捧げさせて下さいませ  
そしてどうぞ安らかにお眠り下さることを
心からお祈り申し上げます

合掌

スポンサーサイト

フェロー諸島
FI3


フェロー諸島 (Faroe islands) は北大西洋のスコットランド、アイスランド、ノルウェーのほぼ真ん中に位置し、大小18の島々から成っています。8世紀以前、アイルランドの修道士が発見し、修道院を開設。その後9世紀になってノルウェーからノルマン人がバイキングとして入植し、11世紀にはノルウェー領になりました。次いで14世紀にはノルウェー、デンマーク連合の支配下に入り、以後、第二次世界大戦中に一時的にイギリスの占領下に入った時を除いて、実質的にデンマークの支配下に入っています。現在の人口は約48,000人余りで、独自の議会を持つデンマークの自治領となっていますが、伝統的に捕鯨の風習があり、EUの方針と合わないために独立の気運が高まっているとのことです。


実は、このフェロー諸島を本ブログで取り上げたのは初めてではなく、「北帰行」シリーズの第4話として以前話題にしています。(2007年12月22日の記事参照のこと) 今回は、直前にランゴーを取り上げた記事中でデンマークの作曲家ニールセンについて少々触れましたので、その関連で再度の登場です。最果てとか、隅っことか、地球の裏側とか、とにかく辺鄙な場所が大好きな管理人がいかにも好みそうな、それはそれは第一級僻地であります。


FI1


FI2


1829年、メンデルスゾーンがイギリス旅行中にスコットランドより更に先の内へブリディーズ群島まで足を延ばしたことがありました。その群島の一つスタファ島の景勝地「フィンガルの洞窟」を実際に訪れて、その印象を名作序曲「フィンガルの洞窟」として世に残したことは有名でしょう。しかし、探検家や漁師ならいざ知らず、当時一般の人々がそのような最果ての島々まで行くことは容易ではなかった筈で、カール・ニールセン (Carl Nielsen, 1865-1931) にとって仮にそういう島々の話を聞いたとしても、想像で旅 (航海) を綴るしか無かったことは無理もありません。しかし、そのお蔭で素晴らしい傑作が出来上がりました。「フェロー諸島への幻想的な旅 An Imaginary (Fantasy) Journey to the Faroe Islands」(1927年作)。6曲の交響曲を含む、ほとんど主要な作品をすべて書き上げた後、晩年の作品です。夏休みはろくろくお休みも取れず、旅行らしい旅行も出来なかったとお嘆きの皆様に、少しでも現地へ行った気になって頂けましたら管理人冥利に尽きます。(^o^)





なおCDとして欲しいという方へ。演奏時間がたった10分程度の小品なので、どうしてもオーケストラ作品集に含まれるものか、あるいは以下のCDかの選択となってしまいます。


FI4


へそ曲がりのための、へそ曲がりによる牧歌
Denmark1

デンマーク上空より撮影


Denmark2


スウェーデンの話題を先日取り上げましたので、今日はデンマークの作曲家の作品をご紹介。


デンマーク出身の作曲家。おそらく、すぐに名前を挙げられるのはニールセン (Carl Nielsen, 1865-1931) でしょう。
では、その他には?と問われたら・・・
ドイツのすぐお隣でありながら、オランダと同じく意外と著名な作曲家・音楽家を挙げることが難しい国です。



実はニールセンという名の作曲家 (演奏家は除く) だけでもNaxosのリストを見ると、何と『8人』も載っているのですねぇ。ご興味のある方は、どうぞ一度ご自分でお調べになってみて下さい。もちろん一番よく知られているのは、Carl Nielsen ですが、他にも Ludorf Nielsen (1876-1939) が交響曲を3曲も書いていますから、無視出来ません。


このブログでは、そのニールセンをまだ一度も取り上げておりません。だから今日は彼の作品かって?


いいえ、そうではなく、ランゴー (Lued Langgaard, 1893-1952) の交響曲第1番を。何てへそ曲がりな...。(^_^)



ランゴーは、夫婦共にピアニストであった父母の下にコペンハーゲンで生まれました。恵まれた音楽的環境に育ちましたので、10代に入るや否やオルガニストとしてステージに立ったほどで、作曲家としても実に早熟であったことが知られています。代表的作品としては、全16曲の交響曲(すべて表題付き)が比較的知られており、主に管弦楽のための作品を好んで書いています。


管理人は、何年か以前に上京した折、神田界隈にある中古レコード店で物色していたら、商品の陳列棚のさらにその上にポツンと、ボックスではなく紐で一括りにされているCDの束を見つけました。下からでは誰の作品かよく分からなかったので、お店の人に頼んで降ろしてもらったら、それがランゴーの交響曲全集でした。東京ではこんなCDが中古で売られている!とビックリしたことをよく覚えています。もっと驚いたのは、自宅に帰ってから最初に聴いた交響曲第1番「岩 (山) の牧歌」(1911年作) のスケールの大きさと、それが弱冠17才の時に書かれた作品だということを知った時でした。↓このCDです。


LanggardS1


バロックやロマン派以前の時代なら、10代で交響曲を作曲したことも驚きではありません。しかし、演奏時間1時間以上にもなる大作です。これが2、3の作品を書いた直ぐ後の、ほとんど処女作と言ってもよい若い年齢の時に書かれたとは、ランゴーが如何に早熟であったかがお分かりになることでしょう。


早熟かつ夭折の作曲家として、ハンス・ロット (Hans Rott, 1858-1884) が20才の時に書き上げた交響曲第1番が後のマーラーの交響曲を先取りしたものとして、マイナー・クラシック音楽に詳しいファンの間ではよく知られていますが、それに匹敵する名作だと思います。上記のCDではありませんが、YouTubeでその一部を聴くことが出来ます。





長いので第一楽章だけを貼付けることにしました。続きを御聴きになってみたい方へ。Naxosの会員の方なら以下のサイトから全曲を試聴することができます。各楽章には岩山の風景になぞらえた副題が付いていて、この暑い夏の時期に聴くと更に暑さが増すという、猛暑対策に激辛食品で対抗する日本のへそ曲がり音楽ファンにはまたとない作品です。笑


http://www.naxos.com/catalogue/item.asp?item_code=6.220525


第1番でこれだけスケールが大きな作品を書いたのだったら、その後はとんでもなく凄いスケールの作品を書いたに違いないと思われるのが自然ですよね。


ところが、ところが...


ランゴーという作曲家、とんでもなくへそ曲がり人物なんです。まるで最初にエネルギーを使い果たしちゃったのかと思われるくらい、2番以降の交響曲は短く、中にはこの時代としては最短ギネスものではというくらい演奏時間が数分の作品まで残しています。では完全に手抜きか、あるいは才能の枯渇かと言えば、さにあらず。第1番と同じくらいの密度の管弦楽法を最後の最後まで維持して行きます。良く言えば、衰えが全く見られない万年青年か。悪く言えば、進歩がないことを繰り返す万年少年か。いや、本当は形式的にも絶えざる進化をしているのですが、凡人にはそれが何なのかが分からないレベルで行われていると言いましょうか。とにかく一筋縄ではいかない作曲家です。従ってデンマーク音楽界の中でもほとんど認められず、晩年まで定職に就くことが出来ませんでした。異端のへそ曲がり作曲家の晩年のプロフィールはこんな感じでした。↓  なんか管理人が大好きなへそ曲がり指揮者クレンペラーに似ていると思いません? (^o^)


Langgaard1


-----

追記

ランゴーの作品について的確かつ爆笑のレビューを書かれているページをご紹介致します。○○様、勝手に貼付けさせて頂きました。ゴメンナサイ。m(_ _)m


http://www.h2.dion.ne.jp/~kisohiro/langgaard15.htm




群青の空
群青1



8月15日終戦記念日。あの日の空もこの写真のように深々とした群青色だったのでしょうか。







もう語り尽くされた有名な話なのでしょうけれど、今よりわずか数十年前、私たちの父母や祖父母たちの時代に本当にあった真実であることを、私たちは決して忘れてはいけないと思っています。


もしも戦争などというものは遠い昔のことで、私たちの生活には関係がないやと思われている現代の日本人がいらっしゃるとしたら、ひと言。


世界には、今日もなお、爆撃に怯え、銃火に逃げ惑う大人や子供たちが至るところに数えられないほどいるのだという現実に、せめてこの終戦の日だけでも想いを馳せて頂きたい。民主化要求に抵抗する現為政者らの非道な弾圧も言語道断ですが、それに対抗する勢力も決して胸を張れる行動ばかりではありません。さらにはメディアにも取り上げられない地域紛争となると、もっともっと陰惨な状況が恒常的となっています。戦争は決して遠い過去の話ではありません。





[もちろん、どうしたら1日も早く震災から復興できるのか、さらには原発がまき散らした放射能汚染からどうやって身を守ったらよいか、そちらの方が切実だという声があることはよく分かっているつもりです。要は、国内であれ、国外であれ、皆さん一人一人が身の回りに現実に起きている真実から目をそむけないで頂きたいということです。]



もう一つのナイチンゲール物語
Nightingale1


お盆。里帰りのシーズンです。しかし当ブログの管理人の勤務契約には、 (有給休暇はありますが) あいにく夏休みという制度というものがありません。それでこの時期、皆さんのように里帰りをすることが出来ません。(T_T)





先日、出張中に欧州で乗り継いだ飛行機に乗った時の話です。いつものようにヘッドフォンで音楽を聴きながらウトウトとまどろんでいたら、客室乗務員が管理人を揺り起こすではありませんか。よく乗る路線でしたので、おそらく乗客名簿を見てやって来たのでしょう。


「お休みのところを申し訳ありません。お客様の中に一人お加減が悪い方がいらっしゃるのですが、ほとんど英語がお話になれないようなのです。お客様は日本語がお出来になるでしょうから、ちょっと助けて頂けないでしょうか。」

「私で出来ることであれば、喜んで。」

と取り敢えず即答。そそくさとヘッドフォンを片付けて、案内された場所に行ってみると...


その乗客というのは、学校を卒業してまだ間もないと見られる大変お若い女性の方で、お一人で旅行されている様子でした。しかし、見るからに顔色が悪く、体力をひどく消耗されている感じでした。(注. 機材故障のため、出発時間が予定よりも数時間遅れての離陸でしたから、管理人自身も結構消耗していました。)


日本語で簡単に自己紹介をした後に、(あまり日本人が乗る路線ではありませんでしたので)今回のご旅行の目的を尋ねましたところ、日本から遠く離れた任地から日本まで里帰りした帰りの途中だということが分かりました。特に発熱があるわけでもなかったので、何かの病気が発病したというのではなく、日本からの長旅の疲れに加え、再び不安が多い任地での仕事が無言のストレスとなって体調を崩されたのだと思います。機内がとても寒いと言うので、毛布にくるまって身体を温かくするといいよとアドバイスしました。何か暖かい飲み物をと乗務員に言ったら、緑茶のティーバッグを持って来てくれて、それを見た途端、彼女のやつれた顔にようやく笑みがこぼれました。


欧米の先進諸国ならば言うまでもなく、昨今数こそ少ないけれど、地球のどんな片隅にでも日本人がいて、様々な仕事に就いています。多くは任期というものがあって、1~2年も経てば、やがて日本に帰ることが出来ます。しかし中には、外国の方と結婚されて遥々異国に移り住むことを選択された方々もいらっしゃいます。そんな方々にとって、毎年の里帰りの話など夢のまた夢。上記の女性の場合など、まだ例外的なケースです。

[それから数日して、彼女から体調も完全に回復し、元気に仕事に励んでいるとのメールを頂きました。]





本日は、極めて数奇な運命を辿った人物にまつわる、とある物体の「里帰り」のお話をご紹介致します。題して「もう一つのナイチンゲール物語」。


ナイチンゲールと言えば、誰もが御存知なのは看護師 (看護婦) Florence Nightingale (1820-1910) ですね。ナイチンゲールがクリミア戦争中 (1853-1856) に従軍看護師 (婦) として傷病兵を手当する内に、天啓のように看護の仕事の重要性に目覚めた話は皆さんよく御存知のことでしょう。


もっともナイチンゲールがそれ程に有名になったのは、彼女が戦争から帰った後の1860年にロンドン市内にある聖トーマス病院の中に、世界で最初の職業的看護師 (婦) を養成する『看護学校』を設立したからなのです。女性の務めとして家庭を守ることが当たり前と考えられていた19世紀、仮にも女性が職業として自立できる初めての道筋を作り上げた功績が大変大きかったのです。ところが、どの国であれ世界中が富国強兵・軍備拡張競争へとなだれ込んでしまった時代でしたから、彼女の功績を評価・紹介する際に、ともすれば従軍看護として奉仕した側面だけがクローズアップされたことは皮肉なことでした。もちろん、戦後になってその部分はかなり修正されて来ていますが、まだまだ伝記などではその論調が色濃く残っている気が致します。そのナイチンゲールが亡くなったのは、1910年8月13日、つまり101年前の丁度今日ということになります。


さて、以上の予備知識と19世紀という歴史的な時代背景をもとに、以下の動画をご覧下さい。Nightingaleが活躍したほぼ同時期の19世紀半ば、「Swedish Nightingale」との愛称で広く呼ばれ、欧米で名声を博したスウェーデン出身のオペラ歌手 Jenny Lind (1820-1887) と、これもほぼ同じ頃に造船され過去に類例を見ない優美な姿を誇った快走帆船「Nightingale号」の数奇な運命の物語です。YouTubeの時間制限に合わせ、3つのPartに分かれていますが、背景の音楽と併せ見事なまでにartisticなドキュメンタリー作品に仕上がっています。











動画の中で figure head と呼ばれている物体は、当時航海の安全を願って船首に取り付けられていた装飾用の彫像のことを指しています。この動画は英語のヒアリングにも向いていますよ。


英語のヒアリングはからっきしダメという方には、次のサイトで同一内容を読むことが出来ます。ご参考までに。


http://www.swedishnightingale.com/artikel.htm


Copyright © クラシック音楽の深い森. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。