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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

音楽の都-ウィーン(4)
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シェーンブルン宮殿の広大な敷地内には様々な建物、庭園、そして施設などがあります。本日は、その中心的存在でもある本館の城(館内の見学も可)とその周辺施設をご案内しましょう。建物の上には、東ローマ帝国や神聖ローマ帝国、および関連の国や貴族たちによって使用された「双頭の鷲」が君臨しているのがお分かりになるでしょうか。


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宮殿の遠景。


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さらに遠くからの眺望。ここに写っている範囲の庭園でも全敷地の1/10に満たないのでは...。ハプスブルグ家が如何に膨大な資産を抱えていたのか、想像を絶します。


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宮殿本館(城)に対峙する位置にある泉です。この泉の裏側には小高い丘があり、そこから本館を含めて遥か遠方まで見張らすことができる離れの宮殿があります。↓


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そしてこちらの鷲は、何故か双頭ではなく、代わりに王冠のようなリングをくわえていました。


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ここであの名曲を入れない訳には参りません。ワーグナー作曲「双頭の鷲の旗の下に」(1880年代作)。
ワーグナーと言っても、楽劇で有名なリヒャルト・ワーグナーではなくヨーゼフ・フランツ・ワーグナー (Josef Franz Wagner, 1856-1908) ですから、お間違いなく。J.F. ワーグナーは作曲当時、オーストリアの軍楽隊長で、ほぼ同世代のスーザにちなんで「オーストリアのマーチ王」とも呼ばれています。本日は吹奏楽ヴァージョンで。





さて、この広大な宮殿の中、とても歩いて回ってはシンドイと仰る方がいても不思議はありません。どうぞご心配なく。こんな便利な乗り物もありますよ。ヨーロッパ名物ミニトレイン!


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ほぼ1時間くらいで庭園内を1周致します。乗り場はシェーンブルグ駅から宮殿の敷地に入ってすぐ横の他、何カ所かある停留所から。当然、管理人も乗りましたよ!


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庭園内にある植物園の温室です。レトロな雰囲気が何とも奥ゆかしいですね。ちょっとロンドンのクリスタル・パレスを想起してしまいました...(謎のコメント)。






さてさて、これだけ豪華な宮殿にふさわしいものはと言えば、着飾ったご婦人たちに華やかな音楽。18世紀末から19世紀の初頭にかけて、ウィーンが音楽の都となったことは何の不思議もないことがお分かりでしょう。


それから約100年余りを隔てた20世紀初頭、神童モーツァルトの再来かとまで言われた天才がこのウィーンの街に現れました。エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト (Erich Wolfgang Korngold, 1897-1957) です。彼が11才の時に作曲したバレエ「雪だるま Der Schneemann」からセレナードを聴いてみましょう。





コルンゴルトの早熟な才能は、時のR.シュトラウスやマーラーらを震撼させ、モーツァルトと同じミドルネームを持っていたこともあり、このオーストリアにおける音楽界の寵児ともてはやされました。彼が17才であった時に作曲したオペラ「ヴィオランタ Violanta」Op.8 から前奏曲と謝肉祭の音楽 (Prelude and Carnival Music) の貴重な音源をご紹介致します。なお提供者のご希望により埋め込みができませんので、ご面倒ですが下のwwwをクリックして聴いてみて下さい。若かりし頃のコルンゴルトの写真もアップされていますよ。


http://www.youtube.com/watch?v=_dOi2U9ZDBk


12音技法という革新的な音楽が生まれつつある20世紀の初頭ですが、これだけ成熟した後期ロマン派の音楽を10代にして成し遂げた天才コルンゴルトが、ウィーン時代の最高傑作とも言えるオペラ「死の都」を1920年に発表して頂点に立って以来、どのような波乱の人生を歩むことになったかについては、また別の機会に述べてみたいと思います。

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音楽の都-ウィーン(3)
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シェーンブルン駅


ウィーン中心部より地下鉄U4線に乗って20分余りもすると、シェーンブルン駅に着きます。写真のように、ちょっとレトロな雰囲気で、何となく辺りを散策をしてみたくなります。この駅から歩いて数分の距離にあるのがシェーンブルン宮殿。神聖ローマ帝国の代々の皇帝がこの地に次々と建物を建築し、18世紀後半マリア・テレジア女帝が君臨する頃、即ちモーツァルトが活躍する頃に全盛期を迎えます。


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今回もお天気に恵まれました。透き通る青空に僅かに白い雲。宮殿の黄色い壁が芝の緑と好対照となって、とても美しいです。この日のお天気は、大変重要でした。何故って、この宮殿の中で野外オペラの鑑賞が目的だったから。
演目は、W. A. モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ Cosi fan tutte」。オペラに関しては、管理人はあまり詳しくないので、荒筋や公演に関してはここでは省きます。でもこのタイトル、何度発音しても、某サイトでもじっておられた「腰パン取って」に聞こえて笑えます。モーツァルトの作品としては、意外と晩年の作です。


ちょっとだけ、舞台と客席の様子などをお見せしますと...


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全2幕で、休憩を挟んで公演時間は3時間半余り。始まった時はまだ空が明るかった舞台も、途中からは日暮れてやがては星空の下、文字通り「Oper unter Sternenhimmel」となりました。舞台がはねたのは、もう夜の11時近かったです。


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ウィーンの街は電車ひとつ乗るにも詩情の豊かさを感じます。駅や電車の中にも落書きがほとんど見られず、大人の常識が通用するところがパリやローマなど他のヨーロッパの大都会とは違います。









ところでオペラ(opera)って、イタリア語で「仕事」とか「作品」という意味だって、皆さんご存知でしたか?
そうそう、作曲家の作品番号という意味で私たちがよく使っているOpus (Op.) の複数形が Opera なんですね。


オペラという言葉自体がイタリア起源であることからも分かりますように、18世紀後半までの時代では、音楽の本場はあくまでイタリアであって、このウィーン(オーストリア)にあっても上演される歌劇は基本的にすべてイタリア語で歌われるのが常識でした。この地域で一番使われていた言語であるドイツ語による歌劇が作られ始めたのはそれ以降で、「魔笛」がその最も代表的な作品でしょうか。マリア・テレジアの娘で、後にマリー・アントワネットとなるウィーン時代の幼女マリー・アントーニア (1774-1792) は音楽に造詣が深く、クラヴサンやハープの腕前は相当であったと言われています。彼女の音楽教師も務めたことのあるグルック (Christoph Willibald Gluck, 1714-1787)がウィーン在住時代に果たした音楽史上の大きな役割について、案外見過ごされているように思われますので、ここでひと言。


それまでイタリアの歌劇では、歌い手に益々観客を魅了する華麗で高度な技量の歌が求められ、その結果として主役は歌手、物語りは二の次という風潮が当たり前になっていました。つまり歌には酔わされるが、話の筋道はどうでも良くて、中には奇妙奇天烈な筋書きという作品が乱作されていた訳です。


こうした風潮を是正すべしと考えたのが、ウィーン時代のグルックです。オペラで重要なのは、まず作品の中身と音楽であって、歌手はあくまでその実現のために奉仕すべしという考え方です。グルックの作品は、そうした信念に基づいて作曲されていますから、バロック時代と聞いて想像する以上にロマンチックで芸術的な作品に仕上がっています。彼の代表作、歌劇「オルフェオとエウリディーチェ Orpheus und Eurydike」(1762年作)から、最も有名な「精霊たちの踊り」と歌劇「アウリスのイフィゲニア Iphigenie en Aulide」序曲(1774年作)を聴いてみましょう。前者は Pina Bausch女史の振り付けによるパリ、オペラ座(ガルニエ)での公演の映像で、後者は巨匠フルトヴェングラーが最晩年(1954年)にウィーン・フィルハーモニーを指揮した時の録音(ワーグナーによるコンサート・ピース用編曲版)です。ロマン派音楽と呼んでも少しも遜色ない程に、感情表現が豊かであることに驚かされます。














音楽の都-ウィーン(2)
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アウエルスペルグ宮殿


ヨーロッパの音楽シーズンは秋から翌年の初夏辺りまで。従って主だったオーケストラの定期演奏会は夏場はお休みで、ありません。当然ウィーン国立歌劇場でのオペラ公演も夏の期間はお休みです。もしもお目当ての団体があるのでしたら、必ず公演の有る無しを出発前に調べておくことをお薦め致します。しかし、そうは言っても夏はバカンス・シーズン。世界中から観光客は押し寄せて来ます。たとえ国立歌劇場はお休みでも、市内の至るところで音楽会は休み無く開かれていますから、ご安心を。一見の観光客相手だから演奏も大したことないのでは、なんていうご心配は無用。演奏家は皆超一流の腕前ばかり。何よりもお客様にウィーンの音楽を楽しんで頂けることを至上の喜びとする文字通りプロの集団ですからね。


先ずはお手軽なところで、市内中心部にあるアウエルスペルグ宮殿で行われる室内オーケストラのコンサートなどは如何でしょうか。演奏するのはウィーン・レジデンツ・オーケストラ。室内オーケストラとしては世界最高級のレベルとの評判があります。演目は大概W.A.モーツァルトおよびヨハン・シュトラウスの作品から選ばれていますので、万人向きです。そして宮殿の中のホールを会場にしていますから、雰囲気が大変よろしい。ちなみに当時6才であったW. A. モーツァルトが、父レオポルドに連れられてマリア・テレジア女帝の御前で演奏を披露した際に女帝の膝に飛び乗ったと言われているのが、このアウエルスペルグ宮殿でした。


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ワルツ演奏の時は、ちゃんと踊り子たちも登場し、舞台狭しとダンスをご披露してくれます。写真でお分かりのように、ホールはこじんまりとしていて(たぶん200席くらいではなかったでしょうか)、舞台と客席の間が極めて近いので、演奏家の弓さばきから楽器の音色・響きまで手に取るように見ることができます。終演後のスナップを1枚だけご紹介しますと...。


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どうです? 音楽の本場ウィーン!にやって来たって感じでしょ。。。









で、本日はモーツァルトやハイドンとほぼ同時代の作曲家から、カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ (Karl Ditters von Dittersdorf, 1739-1799)をご紹介しましょうか。元々は Karl (Carl) Dittersという名前でしたが、後にマリア・テレジアによって貴族に列せられることになり、von Dittersdorfの家名が追加されることになりました。当時、神聖ローマ帝国において音楽の強力な庇護者であったヨーゼフ公子に早くから音楽の才能を見出され、22才の時、ウィーンの宮廷歌劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者になりました。その時、楽長をしていたグルックと共にイタリアを旅行するなど、当時先端の音楽を身につける機会にも恵まれ、生涯で35のオペラを始めとして、数多くのシンフォニア、協奏曲、室内楽の作品を残しています。


彼の作品として最も名が知られているのは、おそらく歌劇「医師と薬剤師 Doctor und Apotheker」(1786年作)でしょう。その公演が大成功を納めた時には、モーツァルトの栄光さえ蔭をひそめたと言われています。またユニークなところでは、コントラバスと管弦楽のための協奏曲という作品があり、この普段地味な楽器が珍しく主役を演ずる曲で、コントラバス奏者にとっては大変ありがたい作曲家でもあります。


本日は、カール・ディッタースのイタリア修行の成果がよく表れた作品、「オーボエと弦楽オーケストラのための協奏曲ト長調 Concerto for oboe and strings in G major」をお届け致します。











宮廷歌劇場管弦楽団がお休みの毎週金曜日には、団員たちはアウエルスペルグ宮殿で演奏会を開いていたそうです。宮殿が完成したのは、1710年。きっとカール・ディッタースも、この宮殿の舞台で自慢のヴァイオリン演奏を披露していたものと思われます。



音楽の都-ウィーン(1)
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秋もたけなわ、クラシック音楽が本当に心に沁み入る季節となりました。管理人は普段どちらかと言えば殺伐とした雰囲気の国々を対象とした仕事をしていますので、それ故にでしょうか、益々音楽への憧れが増強化しているように思います。さてこのブログは一応音楽ブログですので、やはりクラシックと言えばこの街を抜きにしては語れません。


音楽の都、ウィーン!


以前、職務上の理由でこの街を訪れる機会がありましたので、仕事の合間を見つけて可能な限り音楽三昧に耽ることに致しました。(もちろんその部分は全部自己負担ですよ!)
その時の様子をご紹介しながら、いつものように多少音楽の話題でお楽しみ頂ければと思います。


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ウィーンと言えば、ウィンナ・ワルツ。ワルツの王と言えば、ヨハン・シュトラウス II世。もちろん市内各所にこの街で生まれ活躍した数多くの作曲家たちの銅像やモニュメントが見られます。コンサートでもワルツは欠かせない常番曲であることは無論です。しかし、今更ワルツ王の作品をここでご紹介ということもないかと思いますので、こんな曲は如何でしょうか。





曲は、ウィーン生粋の作曲家 カール・ミヒャエル・ツィーラー (Carl Michael Ziehrer, 1844-1922) によるワルツ「ウィーンの空 Wiener Luft」
爽やかな青空の下、幾分か控えめで上品なワルツが流れてくると、思わず白いドレスの装いで自分も踊り出したくなるような佳品です。
(なお余談ですが、ルフトハンザ航空のルフトは「空」の意)


ツィーラーとヨハン・シュトラウスII世は生前、互いに一番のライバルと言ってもよい存在でした。作品番号が付いている作品だけでも560余りの作品を残している多作家でもあります。主な作品はワルツとオペレッタ。おそらく最もよく知られている作品は「Wiener Bürger」でしょうか。こちらの方は、きっと皆様の耳にも馴染まれていることかと思います。ウィーン・フィルハーモニーを振った巨匠 Hans Knappertsbusch の貴重で素晴らしい音源がYouTubeにアップされていますので、その演奏を。某評論家、宇野◯◯さんに拠れば、「命を賭けた遊び」とでも評されそうな名演奏だと思います。





さて、本日取り上げましたツィーラーが亡くなったのは、1922年の11月14日。つまり丁度今日が命日になります。







ところでこの街、すなわちウィーンに関連した作曲家は活躍した人であればある程、皮肉なことにこのブログのコンセプトとは相容れないようで... 全く話題の選択に困ります。 (^_^;


という訳で、この後はたしてどんな作曲家が登場するのでしょうか? どうぞお楽しみに。



冬の予感−ピタリ賞
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暦の上では未だ秋といった感じですが、少し緯度の高い地方へ行けば、冬の訪れはもうすぐそこという季節になりました。皆様、冬の準備は如何でしょうか。


冬と言えば、雪。白銀の世界にシュプールを描くのは実に爽快です。実は管理人は、スキーが大好きなんです。北海道や本州の主だったスキー場には大概行きましたし、海外でも滑ったことがあります。雪を冠したアルプスの山々は、いつ見ても美しい。もちろん日本アルプスも美しいけれど、スイスやカナディアン・ロッキーの山々は更に一段とスケールが違います。


本日は、こんな曲は如何でしょうか。

スイスの作曲家 ヨアヒム・ラフ(Joseph Joahim Raff, 1822-1882)の交響曲第11番から第1楽章のみ。








リストの助手として様々なピアノ作品のオーケストラ版作成を手がけ、後に独立して交響曲11曲(番号なしを加えると12曲)を始めとして協奏曲や室内楽などの領域で合計200以上もの作品を残しました。ドイツの正統的ロマン派の流れを汲み、ベートーヴェンやシューマンの音楽に近いものを感じさせます。生存当時はそれなりに人気作曲家ではありましたが、その後綺羅星のごとく個性を発揮する近現代の作曲家らの作品の蔭に埋もれ、今日ではほとんど忘れ去られる存在になってしまいました。


しかしながら、cpoやTudorといったマイナー曲を取り上げるレーベルが彼の作品を次々と発掘録音したことにより、再度この作曲家を評価しようという動きがあります。交響曲第11番は「冬 Der Winter」という副題が付いており、文字通り母国スイスの冬の情景を音楽化したものと考えられます。Raffの交響曲の8番から11番までは、それぞれ「春」「夏」「秋」「冬」の季節に関連した副題が付いていることは、以前こちらのブログでも少しだけ取り上げたことがあります。1876年の作品としては幾分か作風も様式も保守的に過ぎ、それ故にこそ忘れられてしまったわけですが、それだけに安心して聴き易く、暖炉の前で(あるいは暖かい日溜まりの中で)聴くには適しているかも知れません。





で、何で今日は唐突にラフの交響曲第11番ですかって?


2011年11月11日午前11時11分11秒 ...


この時間に記事をアップしてみたかったのでした~。(^o^)




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