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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

千の丘
RW1


さてクリスマスも終わり、いよいよ年の瀬です。一年を振り返って見れば、いろいろなことがありました。

言うまでもなく、東北太平洋岸沖を震源とする地震・津波による大災害が一番強烈に印象に残っておりますが、特にアラブ圏を中心として世界の各地で民衆による蜂起や革命が起きた年でもあります。また個人的にも様々な出会いと別れがありました。それぞれがまるで繰り返しのない無限の走馬灯のように脳裏を駆け巡ります。


本日はメルヘンチックなお話やロマン溢れる世界を離れて、少々シリアスな話題をご提供したいと思います。


コンゴ民主共和国      約550万人
スーダン共和国(含む南部) 約200万人
ルワンダ共和国       約 80万人
アンゴラ共和国       約 80万人
ソマリア共和国       約 40万人
ブルンジ共和国       約 30万人
リベリア共和国       約 20万人


上記に示した人数は、一体何だと思われますか?


これは冷戦終結後に世界の各地で起こった戦争や地域紛争によって犠牲になった軍人および民間人の死亡者数です(この数は一部の地域を除いて、いまだに刻々と増え続けています)。これらの内、圧倒的多数は軍人ではなく民間人で、必ずしも銃弾に倒れた訳ではなく、病気や餓えによる死亡が含まれています。否、むしろ後者がその大半を占めると言ってよいでしょう。


ちなみにアフガニスタンやイラクにおける戦争とその後に現在まで続く混乱も決して忘れてはなりません。軍人で約数千人、民間人で最大約10数万人程度と言われています。西欧メディアの中では、白人が直接戦闘に加わり犠牲になっていますから、軍人の死亡者数に関してはかなり正確な統計もなされています。それにしてもアフリカにおける犠牲者の総数は半端ではありません。






大陸の内部にあって狭い国土のルワンダという国があります。日本の四国より少し大きいくらいの土地に約1,000万人が暮らしている超人口密度が高い国です。平均海抜高度が1,000 mを越しており、赤道の近くにありながら、気候は温暖。空から見ても、国土は緑も多く、一見地上の楽園かと見紛うばかりの桃源郷のような国です。


もっとも、近くから見ると国土は平坦ではなく幾つも幾つもの丘から成り、「千の丘の国」とも呼ばれています。周辺地域に比べ、土地が比較的肥沃なため、その丘の隅々までが耕され、それが勤勉な労働意欲の国民性とも相俟って多数の人口を支える原動力ともなっています。しかしその結果、土地を巡る争いは昔から絶えませんでした。


1994年の4月からわずか4ヶ月の間に、この国とその周辺において当時の人口の1/10に当たる約80万人が虐殺された、いわゆるルワンダ紛争のことをご記憶の方も多いかと思います。事件が発生した当時、外国のメディアはアフリカの小国の問題として(世界の報道機関は、その数年前に起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に注目していたこともあり)ほとんど注目もしていませんでした。またある意味で意識的に閉め出されてもいましたので、世界の他の国々の人々にとっては、ルワンダとブルンジ両国の大統領が和平調停調印後に乗っていた飛行機が何者かが発したロケット弾によって撃墜された直後に、その国で一体何が起こっていたのか皆目検討もつかない状態にありました。一方、皮肉なことに同国の中では、「千の丘ラジオ」という当時開局して間もない新しい放送局がこの虐殺を強烈に助長・煽動していたことが今では知られています。


大量虐殺事件が発生した当時、国連のルワンダにおけるPKO (国連の平和維持活動)司令官であったダレール氏が、事件後10周年を機に再び悪夢の同国を訪問する時に作られたドキュメンタリーがYouTubeにアップされています。既にご覧になられた方もいらっしゃるかも知れませんが、後世に残すべき大変貴重な映像ですので、ここにご紹介したいと思います。なお初めにお断りしておきますが、この動画の中では幾つか衝撃的な映像がそのまま使われています。また大変重い内容を孕んでいますので、その手のものは遠慮されたいという方は、視聴を控えられる方が良いかも知れません。

















さて、このままこの記事を閉じてしまうのでは余りに...ですから、最後に美しい音楽をお届けしたいと思います。



























すみません。m(-_-)m


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クリスマス・イヴ
ChristmasEve


早いもので今年も後わずかばかりを残すこととなりました。

クリスマス・イヴの夜、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。

どこにも行くところがない?

そんな時は、お近くの教会に行ってみては如何でしょうか。カトリックやプロテスタント、少し変わったところでは聖公会(イギリス国教会)など、いろいろな教会がありますが、特にどの会派の信者というのでなければ、何処に行かれても良いと思います。

もちろんクリスチャンである必要はありません。もしもミサが行なわれているようでしたら、他の方達と同じように振る舞えば大丈夫です。途中で何度も、立ったり、座ったりしますけれど。皆と合わせていれば良いだけです。きっと普段とは違った清新な気持ちになれると思います。






今夜はタイトルがそのものずばりの「クリスマス・イヴ」という曲をご紹介致します。
作曲者はイギリスのアーノルド・バックス (Sir Arnold Edward Trevor Bax, 1883-1953)。以前このブログでも取り上げたことがありますが、彼の作品では一般にメロディーラインがあまり明確でなく、延々と続くことが多いため、聴いていると少々難解な印象を持たれるかと思います。しかし、一旦それに慣れますと、バックスの深遠な世界に圧倒されること間違いありません。


そのバックスの独特な世界への入門には、交響詩「ティンタジェル城 Tintagel」がお薦めですが、本日ご紹介の交響詩「クリスマス・イヴ Christmas Eve」(1912年作) もなかなか良いのではと管理人は思っています。後半でオルガンが参加してから音楽は一段と荘厳さを増し、厳粛な気持ちになれること請け合いです。





上記でアップされている演奏はこれ。↓


ChrismasEve1


もう他界して久しいイギリスの名指揮者ブライデン・トムソン、ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラによる演奏ですが、もはや店頭でこのCDを見つけることは難しくなりました。これがアップされていることを知ったのは、つい最近です。これも何かのご縁です。教会もそうですが、この機会に是非バックスにも親しまれることをお薦め致します。

メリー・クリスマス!




♡のエースは出てこない~♪
PiqueDame


師走もだいぶ押し詰まって参りましたが、皆様、クリスマスと年末年始のご予定はお決まりですか?

管理人は仕事納めが12月30日で、仕事始めは1月3日から...   

週末のクリスマスも特別なことは何もありません。仕事三昧です。←キッパリ

というわけで...

ちょっと頑張っている自分にクリスマスプレゼントのご褒美をポチしてしまいました。

今の世の中は便利なもので、すべてネットで出来るのですね。(ボーナスも出ないのに...)








ところで何を買ったかですって?

一流の劇場のチケットです。しかも1階ど真ん中の特等席。

丁度たまたま出張の予定があり、その夜が空いていましたので...

これこそ千載一遇のチャンスとばかりに、ポチッ!  

演目はもうお分かりですね。





一体どんな演出か、今からとても楽しみです。


小夜啼鳥
Feeding1


途中が危ぶまれ

もしかするとこの世の光を見ることは無いのかも...

という不安は

見事に杞憂で終わりました

本当に良かったです

無事にご出産おめでとうございます!

今は目覚めれば

かまってかまって攻撃の毎日だとか...

大変でしょうけれど

この幸せの日々をどうかお大切に








少し前のことになりますが、ある知人から無事にお子さんが生まれたとの知らせを受けました。
経過が経過なだけに大変心配しておりましたので、ほっと胸をなで降ろしています。すっかり遅くなってしまいましたが...
無事ご出産のお祝いにこんな音楽は如何でしょうか。








(本日はとある方に向けたビデオレターのつもりです。何の話?と思われた方にはどうか悪しからず。)




音楽の都-ウィーン(5)
Hofburg1


ウィーン中心部の見所の一つはシュテファン寺院。そしてもう一つはホフブルグ宮殿でしょうか。巨大な建造物ですから、表からだけでなく裏から見ても、また左右に延びる建物群も素晴らしく美しいです。そしてここにもあの黄金に輝く双頭の鷲が君臨しています。


Hofburg2


ホフブルグ宮殿は、そこで公開されている財宝や調度品の見学ツアーもさることながら、ここでは毎晩コンサートが開かれているのです。その入り口がこれ。↓


Hofburg3


Hofburg4


オーストリア国旗をあしらえた新宮の飾りも素敵ですね。


そしてお目当ての宮殿コンサート。演奏はウィーン・ホフブルグ・オーケストラです。演奏曲目は、中心がモーツァルトとヨハン・シュトラウスなのは当然として、他にレハールやヨーゼフ・シュトラウスの作品などが交えてあったりと、時々で変わるのだと思います。ちなみに管理人が聴きに行きました時は、常番曲に加えプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」からのアリア抜粋が挟まれていました。終演後のスナップ・ショットはこちら。↓


Hofburg5


毎日毎晩、おそらく同じ曲を何度となく演奏されているのでしょうけれど、さすがに音楽の都、どの曲であれ実に楽しそうに演奏されていました。お客さんを楽しませるということにかけては、正にプロの集団。たとえばトリッチ・トラッチ・ポルカにおける小太鼓演奏者は、電車の車掌さんに扮して指揮者相手にラッパと小太鼓とピストルを使い分けておふざけ演奏をご披露。スコア通りに吹くかと思えば音を出し忘れ、意外なところでサプライズの音出しをするなど、客席の爆笑を大いに誘っていました。






さて楽しかった音楽会もはねての帰り道、ふと見るとレストランの灯りが窓辺から漏れていました。白いテーブルクロスにチューリップが一輪だけ花瓶に挿されています。何と幻想的でお洒落なあしらえではありませんか。


Hofburg6








さて、大人の香りが漂う小粋なウィーンの街に現れた音楽家。本日ご紹介する作曲家はツェムリンスキー (Alexander (von) Zemlinsky, 1871-1942) です。ハンガリー出身カトリック系の父方とボスニア出身ユダヤ系モスリムの母方の間に生まれたツェムリンスキーは、まるで絵に描いたような国際都市ウィーンの複雑な多民族多宗教の文化を背景に育っています。(最終的には両親が改宗したユダヤ教としての養育を受けています。)

ウィーン音楽院に入学卒業後、ブラームスらの後押しを受けて、徐々に作品が認められるようになります。作曲の師匠としてはローベルト・フックスが、お弟子さんにはコルンゴルトやシェーンベルグ、後にマーラーの妻となるアルマ・シントラーらがいました。

そのツェムリンスキーがアルマに作曲法を指導している時、美女として名高いアルマでしたから、当然のごとく若いツェムリンスキーは彼女に熱烈な恋をしてしまいます。ところが、彼女の両親を始めとして家族や友人たち一同はこの話に大反対。生まれ素性が高貴でないことに加え、まだ作曲家としての知名度もいまいち。何よりも、彼の容姿があまり優れていないというのがその理由だったようです。また肝心のご本人も、本心はいざ知らず、個人的にツェムリンスキーのことが特に好きではなかったようでした。そして御存知のようにアルマは、結局グスタフ・マーラー (1860-1911) と1902年に結婚することになりました。マーラーが1900年にツェムリンスキーの歌劇「昔ある時」をウィーン宮廷歌劇場で初演し、ツェムリンスキーの作曲家としての名声を高めたのは皮肉なことでした。

本日のお薦め音楽は、彼の作品として最も有名な抒情交響曲やシンフォニエッタではなく、交響詩「人魚姫 Die Seejungfrau」(1902/3年作曲) です。


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アンデルセン童話として名高い「人魚姫」のストーリー。(Wikipediaより若干改変)


人魚の王に6人いた娘たちの内、末の姫は15歳の誕生日に海中より昇っていった海の上で、船の上にいる美しい人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から溺死寸前の王子を救い出した人魚姫は、王子に恋心を抱く。その後偶然浜を通りがかった娘が王子を見つけて介抱した為、人魚姫は出る幕が無くなってしまう。人魚は人間の前に姿を現してはいけない決まりなのだ。しかし彼女はどうしても本当は自分が王子を救った事を伝えたかった。

人魚姫は海の魔女の家を訪れ、美しい声と引き換えにする条件で、魚の尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時に、「もしも王子が他の娘と結婚するような事になれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じる事になるとも・・・。

その条件を受け入れた人魚姫は、やがて王子と一緒に御殿で暮らせるようになったが、声を失った人魚姫には王子を救った出来事を話す事ができず、王子は彼女こそがが命の恩人である事には気付かない。そのうちに事実は捻じ曲がり、王子は偶然浜を通りかかった娘を命の恩人と勘違いしてしまう。

やがて王子と娘との結婚が決まり、悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れるという魔女の伝言を伝える。しかし、愛する王子を殺す事のできない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていった。


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アンデルセンは何度も失恋を繰り返し、ついには生涯を独身で暮らすことになりましたが、その苦い思いがこの悲話に投影されていると言われています。そして、もうお分かりのように、ツェムリンスキー自身、自らを人魚姫に、アルマ・シントラーを王子にたとえて、結ばれない恋のやるせない気持ちを音楽作品として結晶化したのが交響詩「人魚姫」なのです。

ツェムリンスキーの妹はシェーンベルグに嫁いでいますから、二人は義兄弟の間柄になります。上記の作品はシェーンベルグの管弦楽作品「ペレアストとメリザンド」と共に、1905年ウィーンで初演されました。無調の12音技法がもうすぐそこまでやって来ていた20世紀の初頭。後期ロマン派最後の爛熟と世紀末のデカダンスが微妙に入り交じった時代に生まれたこの作品は、一途に人を愛するせつなさといじらしさを秘めているが故に、聴く者を焦炎の夢の世界へと誘います。シェーンベルグの「浄夜」とも相通ずるこの浪漫の豊穣は、ウィーンの街が迎えたもう一つの絶頂を飾る一大記念碑であったのではないでしょうか。ツェムリンスキーの没後、総譜スコアが散逸してしまい長らく演奏が途絶えましたが、後にウィーンや米国からその一部がポツポツと見つかり、1980年代になってやっと再演が可能となりました。全曲演奏時間、約40分間。今一度再認識されるべき傑作だと管理人は思います。お薦めCDは以下の2枚から。


Seejungfrau1


Seejungfrau


YouTubeでも全曲がアップされていますが、残念ながら時間の関係で6つに分割されてしまっています。ご興味を覚えられたら、その続きを探されてみて下さい。







さて音楽の都ウィーンのシリーズ。まだまだ話題は尽きませんし、オーストリアの後には、とある東欧の国にも足を延ばしたのですが、ひとまずこのシリーズを終えることにして、また新しい話題を提供したいと思います。どうか悪しからず。

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