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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

一朶の雲
一朶の雲1


少し前のことですが、到頭こんな所まで行ってしまいました。目の前に横たわる広大な湖(海ではありません)、そして遥か遠くの山々には一朶(いちだ)の雲が。仕事とはいえ、よくぞ出掛けたものです。近年、軍のエスコートなしにこの地に足を踏み入れた日本人は、おそらく皆無に近いのではないでしょうか。


一朶の雲と言えば、昨年暮れに3年掛かりで完結した司馬遼太郎原作のテレビドラマ「坂の上の雲」を想い出します。残念ながら管理人は、第二部の途中までしか見ておらず、その後日本を離れてしまいましたので、結末を知りません。是非機会があれば、第三部を見たいものです。


ところで「一朶の雲」ってどういう意味か御存知ですか? 一朶って「ひとかたまりの」っていう意味であることを辞書を引いて分かりました。そしてその字の中に「乃木」の二文字が入っていることに、管理人は偶然に気が付きました。思うに司馬氏は、それを意識してこの言葉を使ったのではないでしょうか。


西欧列強に負けじと、ひたすらに近代化と頂点を目指した明治時代の日本人。やがて富国強兵が世界戦争にまで暴走したことの反省点は別としても、更なる高みを目指して一心不乱に前進したあの時代の若人たちの向上心には、頭が下がる思いです。思えば世界の歴史がそういう時代だったのかも知れません。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、西洋においては社会の変革と共に後期ロマン派音楽が黄金時代を迎えた時と期を一にしているのも、単なる偶然ではないように思われます。


日本国内は無論のこと世界中に過酷な試練が待ち受けている現代社会にあって、今再び世界の人々に本当に求められているものは、未来に向けた純粋で一途な向上心なのではないでしょうか。その意味で、あの番組のエンディングに流れる音楽は、永遠に語り、そして受け継がれるべき名作だと管理人は思っています。








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いつの日か花咲く時が
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殺人的な超過密スケジュール、かつ体力も頭脳も要る1週間が無事終了を迎えました。順調に終わったと言いたいところですが、ここではとても書けないこともありました。こちらの落ち度なら仕方がありませんが、いわばアウト・オブ・コントロールの世界のお話です。如何とも出来ません。


こんな時は、音楽を聴いてじっと耐えるしかありません。沖縄出身の喜納昌吉さん、作詞・作曲の「花」。夏川りみさんの歌唱で。









ロマンチック・ピアノ協奏曲黄金時代
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人間で言えば青春のある時期、そして国で言えば旧態依然とした古い体制から脱却して近代国家として急成長するような時、明るい未来に向かって脇目も振らず一目散に突進するようなことがあります。西洋音楽の歴史にしても然り。いわゆる今日私たちが呼ぶところのクラシック音楽は、それまで王侯貴族の慰みであった宮廷音楽から、次第に聴衆が大衆化することに呼応して、作曲家自身も、より人間の本性に根ざした感情表出を全面に押し出すようになりました。その結果、音楽それ自体が実に多様化すると同時に、芸術としての深さ・幅が一気に広がったことは言うまでもありません。いわゆる古典音楽からロマン派音楽への移行は、1800年代初頭前後に始まりますが、特に19世紀の後半期には、まるでカンブリア紀における生命大爆発のように一気に爛熟の時代を迎えたのです。


そうした潮流の変化は、特にピアノ協奏曲のジャンルで顕著に起こったように思われます。(ピアノの)腕に自慢の作曲家たちがヴィルトゥオジティ溢れる自信作を次々と発表した19世紀後半から20世紀初頭までを、今日ロマンチック・ピアノ協奏曲黄金時代と呼び、それらが演奏されたヨーロッパ、あるいはアメリカ各地の演奏会場では、作曲者、かつ多くの場合ソリストでもあったピアニストたちは喝采の嵐に包まれていました。ところが20世紀が進むにつれ、相次ぐ世界大戦の荒波が大きな要因となったのでしょう、人々の関心はいつしか華々しい名人技の作品から別な方向へ向いてしまいました。それまで綺羅星のごとく現れた数多くの作品群の内、ごく限られた有名作曲家の作品だけがコンサートやコンテストの課題演目として生き残ったことを除いて、大半の作品が実演でお目にかかることは無くなってしまったのです。作品の質が悪いために自然淘汰されたのであれば、何も再び愚作を蘇演させることもありません。しかし、一時期とは言え、少なくとも各作曲家がそれぞれ渾身の力を振り絞って作り上げた作品群です。今、100年余りを経て、改めてそれらの作品に注意深く耳を傾けると、それらの多くがそう簡単に切り捨てられてよい駄作であるとは思えないのです。


既に皆様ご存知のように、黄金時代のピアノ協奏曲を再評価する動きとしてhyperionやVoxBox、その他幾つかのレーベルがromantic piano concertoシリーズと題して、忘れられつつある作品を掘り起こして来ました。その中から特に管理人が好んでいる曲につきましては、本ブログでも何度かご紹介した通りです。そこへ昨年、とても嬉しいニュースがありました。あのBrilliantレーベルから「The Golden Age of the Romantic Piano Concerto」と題した20枚組CDのボックスが発売されたのです。↓


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一体どのようにしてオリジナルのCDを録音発売していた各社から版権を得たものか、とにかくその作品リストが凄いです。ちょっと上の画像では見にくいでしょうから、各CDに含まれている作品名と作曲者名を書き上げてみました。


CD1
Johann Baptis Cramer (1771-1858) Piano Concerto No. 5 in Cminor Op.48
Carl Czerny (1791-1857) Divertissement de concert Op. 204
Ferdinand Ries (1784-1838) Piano Concerto in C sharp minor Op.55

CD2
Muzio Clementi (1752-1832) Piano Concerto in C
John Field (1782-1837) Piano Concerto No.2 in A flat H31
Johann Nepomuk Hummel (1778-1837) Piano Concertino in G Op.73

CD3
Ignaz Moscheles (1794-1870) Piano Concerto in G minor Op.58
Ferdinand Hiller (1811-1885) Piano Concerto in F sharp minor Op.69
Henry Litolff (1818-1891) Concerto sinfonique in E flat Op.45

CD4
Friefrich Kalkbrenner (1785-1849) Piano Concerto No. 1 in D minor Op.61
Johann Nepomuk Hummel (1778-1837) Piano Concerto in E Op.110 ‘Les Adieux’

CD5
Carl Maria von Weber (1786-1826) Piano Concerto No. 1 in C Op.11
Piano Concerto No. 2 in E flat Op.32
Konzertstuck for piano and orchestra in F minor Op.79
Robert Volkmann (1815-1883) Konzertstuck fro piano and orchestra Op.42

CD6
Adolf von Henselt (1814-1889) Piano Concerto in F minor Op.16
Ferdinand Hiller (1811-1885) Konzertstuck for piano and orchestra Op.113
Frederic Chopin (1810-1849) Allegro de concert in A Op.46

CD7
Morits Moszkowski (1854-1925) Piano Concerto in E Op.59
Xaver Scharwenka (1850-1924) Piano Concerto in C minor Op.56

CD8
Joachim Raff (1822-1882) Piano Concerto in C minor Op.185
Mihaly Mosonyi (1815-1870) Piano Concerto in E minor
Bernhard Stavenhagen (1862-1914) Piano Concerto in B minor Op.4

CD9
Franz Schubert (1797-1828)/Franz Listzt (1811-1886) Fantasy on a Theme from Beethoven's ‘The Ruins of Athens’ S122
Franz Liszt (1811-1886) Concerto pathetique in E minor
Fantasy on Hungarian Folk Tunes
Franz Schubert (1797-1828)/Franz Liszt (1811-1886) Wanderer-Fantasy S366

CD10
Franz Liszt (1811-1886) Malediction
Eugen d'Albert (1864-1932) Piano Concerto No. 2 in E Op.12
Hans Von Bronsart (1830-1913) Piano Concerto in F sharp minor Op.10

CD11
Franz Berwald (1796-1868) Piano Concerto No. 1 in D
Charles-Henri Alkan (1813-1888) Concerto da carmera No. 2 in C sharp minor
Robert Schumann (1810-1856) Introduction and Allegro appassionato in G Op.92
Joachim Raff (1822-1882) Ode to Spring Op.76
Franz Liszt (1811-1886) Totentanz

CD12
Simon Mayr (1763-1845) Piano Concerto No. 1 in C
Albert Roussel (1869-1937) Piano Concerto in G Op.36
Gabriel Pierne (1863-1937) Piano Concerto in C minor Op.12

CD13
Pyotr Ilyich Tchaikovsky (1840-1893) Piano Concerto No. 3 in E flat Op.75/79
Concert Fantasy Op.56

CD14
Christian Sinding (1856-1941) Piano Concerto in D flat Op.6
Hermann Goetz (1840-1876) Piano Concerto No. 2 in B flat Op.18

CD15
Garl Reinecke (1824-1910) Piano Concerto No. 1 in F sharp minor Op.72
Felix Mendelssohn (1809-1901) Capriccio brilliant Op.22
Josef Rheinberger (1839-1901) Piano Concerto in A flat Op.94

CD16
Anton Rubinstein (1829-1894) Piano Concerto No. 4 in D minor Op.70
Sigmond Thalberg (1812-1871) Piano Concerto in F minor Op.5

CD17
Mikolai Medtner (1880-1951) Piano Concerto No. 3 in E minor Op.60
Mily Balakirev (1837-1910) Piano Concerto No. 2 in E flat
Sergei Lyapunov (1859-1924) Rhapsody on Ukranian Themes

CD18
Edoouard Lalo (1823-1892) Piano Concerto in F minor
Alexander Glazunov (1865-1936) Piano Concerto No. 2 in B Op.100

CD19
George Garshwin (1898-1937) Concerto in F for piano and orchestra
Samuel Barber (1910-1981) Piano Concerto Op.38

CD20
Edward MacDowell (1860-1908) Piano Concerto No. 2 in D minor Op.23
Amy Beach (1867-1944) Piano Concerto in C sharp minor Op.45


どうですか? ファンとしては垂涎のラインナップでしょう。若干場違いの古典音楽時代の作品が紛れ込んでいますが(笑)、とにかく堂々の作品群です。演奏家は省略致しましたが、このブログでも何度も賞賛しているMichael Pontiのピアノ演奏を中心として、白熱の演奏が目白押しです。これが今だと野口英世たった4枚そこそこで買えるとは。まるで夢みたいな話です。


超多忙な仕事が続いた週末のひととき。お洗濯にアイロンがけ。夕食のしたくをして、ちょっと一服の間に箱の中から1枚ずつ取り出して聴いていたら、冒頭に書いた通り、人間が持つ限りない未来への憧憬が部屋一杯に広がっていくのを実感しています。どの作品・演奏も素晴らしいですから、20枚のどれから聴き始めても良しです。ちょっとYouTubeで試聴可能なものを探してみました。たとえば、これなんか如何でしょうか? 米国生まれながら青年期にはヨーロッパで過ごし、Lisztの指導を受けてロマン派音楽の王道を身につけた作曲家 Edward MacDowell (1860-1908) は、やがて再び生まれ故郷である新大陸の地へと舞い戻り、アメリカを謳歌する壮大な作品 Piano Concerto No. 2 (1890年作)を残しました。


















「1911」
1911


2月11日。この日は、以前「建国記念の日」として政令によって定められた国民の祝祭日であった筈なのですが、いつのまにかその日は移動? [末尾に追記*]。休日を増やすために日曜日がその日となり、翌月曜日が振替休日となっているのでしょうか。もはや日本のカレンダーを見ることもなくなりましたので、今の管理人にはよく分かりません。


「建国」という言葉から、最近観た映画「1911」のことを少し書いてみたいと思います。


この映画は、「レッドクリフ」の撮影スタッフが一丸となって制作にあたった一大スペクタクル作品で、テーマはタイトルの通り1911年にあった辛亥革命を描いています。監督が Zhang Li、そして総合監督を何とあの Jackie Chen が務めています。本作は、Jackie Chen自身の出演100作目に当り、制作年は2011年。すなわち、いろいろな意味で真の中国近代化が図られた時代の象徴的事件であった辛亥革命の100周年を飾るにふさわしい歴史ドラマをジャッキー・チェンは作り上げたというわけです。従ってこの映画には、彼のトレードマークであるカンフー場面がスクリーンに登場することはなく(正確には主役である孫文が暴徒に襲われようとした時に、ほんの一瞬出てきます)、また自身はもう一人の主役である孫文の信頼厚い同志である革命軍司令官、黄興 Huang Xing 役として、熟年に達した風貌に合った渋みのある役を演じています。映画の公式サイトはこちらです。↓


http://1911-movie.jp/


ジャッキー・チェンという人物については、実はこのブログで一度取り上げています。(2008年1月14日の記事
カンフー映画の主人公としてのイメージが強いために、ともすると派手で浮ついた人物に違いないと思われている方が多いのではないでしょうか。しかし、ジャッキーが少年の頃にやむなく移住せざるを得なかったオーストラリア国内を始めとして様々な施設の建設資金のために、彼の収入の大半を寄付し続けている類い稀なる篤志家であることについてはあまり知られておりません。今回、この「1911」の作品において、彼の祖国である中国に向けて限りない愛と未来への希望を託していることが切々と伝わって来ます。中華民国と中国共産党の対立については、敢えて深く立ち入ることなく、あくまで中国人民とその広大な国土に未来永劫の光あれと訴えかけるラスト数分間は、熱い感動という他に表現のしようがない圧巻の名シーンだと思います。もしもお近くで上映の機会がありましたら、是非劇場での鑑賞をお薦め致します。









さて1911年生まれ、または没で、昨年100周年を迎えた作曲家と言えば、どんな人物の名前を挙げられるでしょうか。有名どころを含め何人かおりますが、本日の音楽はスウェーデンの作曲家Allan Pettersson (1911-1980)とすることに致します。彼の作品は、どれもあまりに長大、また暗く苦渋の音楽のため、他の作曲家のように生誕(没後)◯◯◯周年などともて囃されることもなく、知るひとぞ知る作曲家に留まっています。これまででしたら、YouTubeの時間制限のため、ご紹介したくとも出来ませんでした。ところが、最近はその制限も緩和され、かなり長時間の動画も載せられるようになっています。たとえば交響曲第8番 (1969年作)を聞いてみてください。50分の間、休みなく流れる深く静かで美しい、そして時に激しく悲痛を訴える音楽は、やがては穏やかな安寧の未来が到来するであろうことを希求しつつ、ただひたすらに終結に向かって前進する、上記の歴史ドラマとはまたひと味もふた味も異なった、これまた感動の芸術作品だと言えると思います。







[*] 追記. どうもこの日だけは固定の祝祭日ということで、日月と連続でお休みということにはならないのですね。成人の日とかがそうだったので、勘違いしていました。それから日本のカレンダーが身の回りにないことは事実ですが、今時、調べる気があればネットで幾らでも調べられることに後から気がつきました。頓珍漢なこと書いて失礼致しました。

貧民救済博物館
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パリ市内、ノートルダム大聖堂を右手前方に望むセーヌ川左岸に貧民救済博物館 (Musee de L'Assitance Publique-Hopitaux de Paris) なる建物がひっそりと佇んでいることを御存知な方はどの位いらっしゃるでしょうか。パリは世界に冠たる大観光都市。ルーブル美術館、エッフェル塔、オルセー美術館、サクレ・クール寺院、オペラ座などなど、郊外に至ればベルサイユ宮殿やフォンテーヌブロー、更にはロワール渓谷の古城群など訪れるべき名所はゴマンとあり、短い滞在時間の観光客でここまで足を延ばす人はほとんどありません。


しかし、この極めて目立たない小さな博物館には、中世ヨーロッパにおける弱者救済の理念の発展と医学の進歩という一見別もののような2つの事柄が、実は切っても切れない深い関係にあることがよくわかる面白い展示物が多数所蔵されています。ノートルダム寺院からほんの少しの距離ですから、ご関心がありましたら一度訪れて見られることをお薦め致します。


日本では平安時代、京都東山の禅林寺の7世住持であった永観 (1033-1111)が阿弥陀様の救いを信じて、薬王院という一種の施療院を開いて当時困窮の極みにあった貧民の救済にあたったのがこうした活動の嚆矢であったと言われています。今日では青蓮院や永観堂という名前の下、奇麗な庭園としての観光名所となっておりますが、元々はそういう発祥の地であることを知る人は少ないです。やはりそうした慈善的な行為は宗教的な動機と多少の経済的基盤が無ければ実現は困難であったのでしょう。


中世のパリの事情も同じでした。王侯貴族の宮殿やお屋敷で華やかに埋め尽くされたパリの街並みは、それ以上のたくさんの貧民たちが暮らす街でもあったのです。キリスト教の歴史上最も古いそのような施設、「Hotel-Dieu」(Hostel of Godの意味で、今で呼ぶ所の病院の原型となるフランスの施設名) は紀元後約650年頃に最初パリに建てられたらしいです。正確な記録は残っていないため、それがどのように続いたかは不明なことが多いですが、17世紀に Saint-Vincent de Paulらがセーヌ川の河岸に貧民救済と捨て子救済および病者治療を目的にHopital des Enfants Trouves を開いたのが、今日博物館が建っている場所になります。 


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貧民と言えば、当然生まれたばかりの子供を養えない貧しい人々も多かった訳で、かと言って子供を見殺しにすることも出来ず、多くの捨て子が発生しました。こうした孤児や捨て子を拾い上げ、養育することも先の施設の役割となりました。そのために施設の横の建物に特別なしくみの窓が作られました。子供を育てられないと判断した親は、夜間や早朝にその窓を明けてそっと子供をそこにある台に置くと、窓を閉めると同時にその台がくるっと180度回転して、看護師などがいる反対側の窓が開くという仕掛けになっていました。これで親は顔を見られることなく子供を施設に預けることが出来たという訳です。Saint-Vincent de Paulが亡くなった年である1660年の記録によれば、パリでは毎年平均438人の子供がこうして見捨てられたとあります。が、その数はさらに街の貧民化が一段と進んだ1771~1772年には、なんと7,000人にまで上りました。フランス革命が起こる少し前の時代背景とは、街が貧民に溢れるそういう時代だったのです。


管理人はずいぶん以前の話ですが、東京都内のとある乳児園でボランティアのお手伝いをしたことがありました。そこは乳幼児専門の養育施設で、家庭の事情によりどうしても親元では育てられない赤ちゃんであったり、あるいは育児放棄された、たとえばコインロッカー・ベイビーなどの面倒を見ておりました。そこで働いている人々は仕事ですから、実に坦々と毎日の業務をこなされているように見えましたが、「ほらっ、あの子もそういう境遇の子なのよ」とさりげなく視線を投げかける保育士さんや看護師さんらの言葉に、深く心を痛めたことをまるで昨日のことにように想い出しました。


パリで施設に子供を預けた親たちは、初めからその子との永劫の別れをすべくそうした訳ではなく、やがて暮らしが少しでも楽になればいつかは引き取るつもりで、子供の手や足に何らかの手紙や布などを巻きつけていることがよくありました。その手紙や布の端はわざと不規則に切り取られており、やがてそうした日が来た時に自分の子供であることを証明するために、その切れ端の片方を大事に取っておいたものと思われます。


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乳幼児は食べ物を与えさえすれば助けることが出来ましたが、成人やお年寄りの貧者の場合、状況は簡単ではありません。薬も知識もない時代でしたから、ほとんど医療らしい医療処置も与えることが出来ず、事実上はただ死ぬのを看取るだけという状況に近かったと思われます。しかしながら、一方ではそうした他に手立ての施しようの患者さんたちがたくさん居た訳ですから、19世紀ともなるとこうした施設の患者を利用して当時としてはやむを得ない実験的な医療が試みられたということも事実です。今の時代なら非難されるべきある種の患者の人権を無視した医療行為が、医学の進歩の蔭にあったことは見過ごすことの出来ない事実なのです。


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Hospital と Hospitality。これらの語源は同じです。貧民救済という人道的見地からの慈善活動と医療。これは切っても切れない深い関係にあります。近代医学発展の最初期に使われた医療器具や、そうした診療の様子を描いた絵画なども、この博物館で見ることが出来ます。


管理人がパリでオペラの夕べを一夜堪能したことは事実ですが、この人気のほとんどない貧民救済博物館を訪問した時に、昨年の震災を始めとして幾多の悲劇的境遇にある世界中の無数の人々のことが想い起こされ、世俗のことに浮ついている自分に冷水を浴びせかけられたような気が致しました。と同時に、普通に元気に暮らせることの有り難さ・幸せを改めて噛み締めました。


もしも、パリでオペラなんて何て贅沢な。よいご身分なのねと思われた読者の方々。多忙な日々の中、わずかな合間を見つけてのほんの一時の息抜きでしたので、どうかお許し下さいませ。これからまた、毎日格闘の日々が待っています。最近の当ブログでは珍しい3連続投稿は、かかる経緯でなされたものなのです。そして、この博物館を訪れた翌日には再び機上の人となりました。向かった先は、日本の大使館も領事館もない、とある辺境の国・地域です。


本日の音楽、17世紀後半 Saint-Vincenct de Paul が施設を建立した同じ頃、ルイ14世に仕えたイタリアのフィレンツェで生まれ、後にフランス国籍を取得したバロック時代の作曲家ジャン=バティスト・リュリ (Jean-Batiste Lully, 1632-1687) によるモテット「怒りの日 Dies Irae」(1683年作) と致します。貧しい粉挽き職人の家に生まれ、やがて紆余曲折の後に宮廷楽長までのし上がり権勢を誇ったリュリは、その派手な振る舞いと異常な性癖がたたってルイ14世の不興を買うことになり、王太子の庇護こそ続いたものの、ルイ14世の寵愛が晩年のリュリに戻ることはなかったとのことです。


そのリュリが、1687年に病から快癒したルイ14世を祝うべく自作「テ・デウム」(1677年作) を指揮しました。ところがその演奏中、当時のスタイルである指揮棒代わりの長い杖を床に打ち付けてリズムを取っていた際に、誤ってその杖を自身の足に突き刺してしまい、その時の傷口が化膿して炭疽を起こして亡くなるという悲劇に見舞われてしまいました。現代の医療技術なら決して死ぬことはなかったことでしょう。本曲が書かれたのはその少し前、晩年のリュリの宗教的心情がよく現れた傑作です。街かどでは無数の貧民が困窮する一方、宮殿の中ではこのような教会音楽が作られた矛盾について、一体どのような想いで作曲したのか、タイムマシンがあるものなら最晩年のリュリに会って是非インタビューしてみたいものです。




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