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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

シベリア上空
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先日、短期間ですが日本に帰っていました。その帰路、シベリア上空から雪に覆われたロシアの大地をじっくりと眺めることができました。本日は、その時撮影した写真から何枚かご紹介します。


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シベリアの大平原。人が住んでいる気配が全く感じられません。って、氷点下どころか、-20~-30 ℃ の世界ですから当然ですね。


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そしてこれは機内食のランチ。これからまた暫くの間、日本食から遠ざかりますので...。


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川面はもちろん凍結しており、雪に覆われているためくっきりと白く見えます。


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この辺りが航路上で最も高緯度のところで、ロシアの大地と北極海の境界になります。本来ならこの時期は氷でびっしりと覆われている筈なのに、何故か海面が見えています。温暖化の影響なのでしょうか。でも大変美しいです。







機外の気温は、モニターの表示によると -55 ℃。しかし、機内の温度は快適に保たれており、気流の乱れもなく空の飛行は順調に続いています。


さて折角ロシアの上空を飛んでいるのですから、この音楽にしましょうか。管理人がクラシック音楽を聴き始めて間もない頃、LPレコードの裏面に入っていて何度も何度も聴いていた曲です。もう片面はドヴォルザークのVn協奏曲でしたが、どちらかと言えば裏面の方が気に入っていたように記憶しています。あれ?ってことは、その頃からマイナー曲好みだったのでしょうか(笑)。アレクサンダー・グラズノフ (Aleksandr Konstantinovich Glazunov, 1865-1935) のVn協奏曲 イ短調 作品82 (1904年作)。グラズノフが創作力の絶頂期に当たる作品です。なおVn演奏はHilary Hahnで、とてもvividな演奏、かつ映像・録音も実に鮮明です。






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ふたりのFranzの狭間で-フランツ・ラハナー
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一人一人で見れば、素晴らしい才能を持っていることは明らかなのに、その周囲に傑出した人物がいたために影が薄れてしまうというのは、不運と呼ぶしかないのかも知れません。


クラシック音楽の深い森に踏み入れば入いるほど、現代では忘れかけつつある惜しい才能に至る処で出会うことに今更ながら驚いています。


本日は、そうした作曲家の一人フランツ・ラハナー (Franz Paul Lachner, 1803-1890)を取り上げてみたいと思います。


FranzLachner


Lachnerはドイツ南部ミュンヘンに近い町Neuburg an der DonauにてオルガニストAntonを父として生まれ、弟たちIgnazとVinzenzの長兄に当たり、3人共に音楽の道に進んでいます。20才の頃、ウィーンに出て教会のオルガニストを務めながら、ゼヒターやシュタートラーらの師事を受け、丁度その頃ウィーンで活躍していたシューベルト (Franz Schubert, 1797-1828) の良き友人となりました。


ウィーンを離れた後、ケルントナートーア劇場の楽長、マンハイムの宮廷楽長を歴任し、19世紀半ばにはミュンヘン宮廷劇場の総監督にまで登り詰めています。19世紀初頭のベートーヴェンやシューベルトといったロマン派時代の幕開けから19世紀末のブラームス、R. シュトラウス、ブルックナーやマーラーといった後期ロマン派全盛時代の狭間に当たるドイツ・オーストリア音楽と言えば、通常メンデルスゾーン、シューマン、リストらの名が挙がると思います。ところが、その時代にあって当時誰もが認める巨人の一人であったにも拘らず、今日彼の名前を知る人は極めて少なくなっています。


音楽的には、公私共に仲が良かったシューベルトの影響を強く受けており、やがて登場するリスト (Franz Listz, 1811-1886) のロマン派音楽とも相通ずる正統的なドイツ音楽と言えるかと思います。しかし、それが故に相前後して綺羅星のごとく現れた作曲家たちの強烈な個性の中で彼が造り上げた良作が輝きを失いかけてしまったというのも皮肉な現実なのかも知れません。


ラハナーは8曲の交響曲を始めとして生涯に約200曲の作品を残しました。時代が指揮者専業と作曲専門家に分かれる直前に当たっていることを考えれば、超多作家であったと言えるでしょう。本日は、そのラハナーの創作力がピークでもあり、また最後の交響曲でもある第8番 (1851年作) をご紹介したいと思います。第1楽章ではおよそ5分という長い序奏の後に、主部が現れ、全4楽章はアンダンテ、スケルツォ、そしてフィナーレと続く、極めてオーソドックスな形式の交響曲として展開します。しかし、終結に近づけば近づくほど音楽のテンションが高まるという特質があり、忘れ去られるにはあまりに惜しい傑作であることは間違いありません。19世紀前半期から中期におけるドイツ・ロマン派音楽として、ふたりのFranzだけではなかったことを、どうぞご記憶下さいませ。





そして、こうした忘れ去られつつある世界に光を当てるMarco Poloに心から乾杯!


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卒業式
卒業


人生は出会いと別れ。そして3月は後者が多い悲しいシーズンです。何と言っても卒業式の季節ですものね。


管理人のその時をちょっと思い浮かべようとしましたが、理由は後で述べますが、実はそれらしい良い想い出がまるでありません。


少なくとも小学校の卒業式は、こちらも全くの子供でしたし、また同級生の大半が地元の中学校への進学でしたから、皆と別れるという特別な感慨はありませんでした。


中学校の卒業式は、音楽の先生の趣向により、一人一人に卒業証書が授与される間中、ベートーヴェンの弦楽四重奏第14番をエンドレスに流し続けるという大胆な演出でした。この音楽の先生(男性)は少々変わった信念をお持ちの方で、本格的な日本民謡を生徒に歌わせることを学期末試験の一部としたり、義太夫を聴かせたりと、兎に角いろいろな意味で破天荒な授業法を取り入れられていました。ある時は授業中に突然、「お前たち切腹の作法って知っているか」と身振り手振りを交えて実演し始め、唖然としたものです。けれども、音楽理論を音楽科でもない普通コースの生徒たちに本気で教えようとする熱血先生でもありましたから、個人的に嫌いではありませんでした。しかし、今、思い返してみれば、よくぞ校長先生や父兄の方々からクレームが出なかったものです。その先生の話はさて置き、卒業式でお免状を頂いた後に目をつむって流れる音楽を終わりまで聴いていたら、後で担任の先生から、「式の間中居眠りするとは何事か」とゴツンと怒られました。別に寝ていたわけではないのに...。


高校の入学式。この時はコーラス部が校歌を歌ってくれたことを憶えています。母校の校歌には、通常なら定番のいわゆる青雲の志だとか希望といった如何にも校歌らしい歌詞が全く現れないどころか、いまどきその歌詞は何なのというくらい格調高い古文調で書かれており、そのうえ6番までありますから、全曲を完唱するのに20分近くもかかるのです! そんなこととはつゆ知らない新入生の管理人は、いつ果てるとも知れぬ長い歌に呆れながらも、あまりに美しい歌声とハーモニーに、コーラス部に入るのもいいかなと思ったくらいでした。


さて、一番多感な年頃で青春まっただ中な筈の高校の卒業式。これが、なんと中止になってしまったのです。卒業式の数日前、生徒の一団が職員室に乱入し、大暴れをしたためでした。(この事件は、一部の新聞には出ましたが全国紙には出なかったので、ほとんど皆さんのご記憶にないのも無理はありません。)


大学の入学式。これもある事情により大学が主催の入学式はその前後数年間だけ取り止めとなり、学生自治会が主催する自主入学式という変則的なセレモニーがあっただけでした。


大学の卒業式。これも上記に連動して何故か「なし」となりました。そのため卒業証書は事務室で頂いただけでした。以下略。。。






要するに、いろいろな事情はあったにせよ、管理人が大きくなってからはまともに卒業式なるものに出たという記憶がないのです。先日、ある理由により管理人の最終卒業資格を証明する書類を提出する必要に迫られ、つい卒業式について思い出したという次第です。だから、別れのためというよりは全くもって別な理由で、卒業シーズンには良い想い出がありません。あってもセンチになって悲しいけれど、無ければないで、それもちょっと悲しいです。。。









ということで、久し振りにあの歌を聴きたくなりました。尾崎豊さんの「卒業」。彼が亡くなった時のいきさつはいかにも突然の出来事でしたし、事件、事故両方の可能性が考えられ、今でも様々な憶測がされているようですが、尾崎さんとしては行きつくところまで行った避けようのない帰結だったのかも知れません。いろいろと考えることはありますが、ここでは止めておきたいと思います。彼が生前に残したほぼ最後のコンサート映像から。









The Artist
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最近、機内で観ました。今年度アカデミー賞5部門を制覇した映画「The Artist」(2011年作)。


てっきりアメリカ映画かと思ってましたが、フランス映画です(撮影自体はハリウッド)。


最初の内は、「さてさて、ふむふむ」といった感じで、あのチャップリンの時代の無声映画の調子で始まりましたから、この作品の一体どこがそんなに素晴らしいのかと、いささか疑心暗鬼のスタートでした。でも音楽(Ludovic Bource作曲)が何となく心地よかったので、途中で観るのを止めようという気にはならず。暫く見続ける内に、やがて音楽に合わせ何だか身体が自然に反応し始め、後半になってからはストーリーとの一体感がたまらなくなりました。後は最後のクライマックスに向けて一瞬も目が離せないスピード感あふれる映像作りに脱帽です。ホント、してやられたって感じがしました。


しかも、この映画、機内で放映されているくらいだから、てっきり日本でも公開済みかと思ったら、未だらしいではありませんか。ちょっとフライングですが、その一部をお見せしちゃいましょう。ビジネスシートに座られてモニターの引き出し方が分からなかったお隣のご婦人に、モニターを引き出すのをお手伝いしながら「言葉が分からなくても(無声映画ですから)、この映画なら楽しめますよ」とお薦めしたら、降りる時に「とても良いものを見させて頂き感動しました。ありがとう。」と感謝されてしまいました。あっ、最後のシーンだけは、どうぞ劇場で観て下さいね!














311
311


あの日から、1年が経ちました。


「311」と「911」。神様のイタズラなのか、これから先何年にも渡ってその日を思い起こし、またいろいろと考えさせられる日が、丁度半年のインターバルをもって出来てしまいました。


管理人は丁度その日、とある国にいて日本からのお客さんを迎えるためにホテルに向かっている途中の車の中で、BBCラジオが告げるニュースによって東北地方太平洋岸が巨大な地震に襲われたことを知りました。その後間もなく、刻々と被害の甚大さが遥か遠い地球の裏側にも届くようになりました。


改めて、尊い命を奪われたたくさんの方々、また甚大な被害を受けられた方々、未だに仮設住宅にお住まいなど避難生活の不便を余儀なくされている方々に、慎んでお悔やみを申し上げると共に、ぜひ頑張って苦難を乗り越えられることを心からお祈り申し上げます。





このような日にお薦め出来る音楽は極めて限られて来ます。普通に考えれば、誰か有名な作曲家のレクイエムなのかも知れません。しかし、もっと違う音楽の方がふさわしい気がしてなりません。


そう、以前このブログで「取って置きの音楽だから聴かないでね」とわざわざ断ったあの曲です。(2007年9月3日の記事


才能に恵まれながら極度の貧困のために学費にも事欠き、折角入学したモスクワ音楽院は退学。必然的にまともな栄養も取れない貧乏生活に加えて過労が祟り、20代の後半、当時としては不治の病い結核に罹り、34才という若さで天に召されてしまいました。療養のため空気がきれいで温暖なクリミア南部に転地し、病床の中で苦しみながら書き上げた曲は、過酷な運命に泣き言を吐くどころか、むしろ明日に向かって生きる希望の光と勇気が大地の奥底から沸き上がる奇跡の音楽です。19世紀末ロシアに現れた作曲家カリンニコフ (Vasilly Sergeyevich Kalinnikov, 1866-1901) の交響曲第2番イ長調 (1895-1897年作)。彼の作品では旋律が美しい交響曲第1番が人口に膾炙していますが、こちらの方が圧倒的に魂に訴えて来るように思います。まるでこの日が近づいたのに合わせたかのように、ほんの数日前から画面の切り替えなしに全曲をYouTubeで聴くことが出来るようになりました。








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