一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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裸の島
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一昨日、進藤兼人監督が天寿を全うされたとのニュースを知りました。つい先月満100才のお誕生日を迎えたと、これもネットで知り得たばかりでしたので、いよいよ天に召されたかとの感慨もさることながら、ビックリしたというのが正直な感想です。と言いますのは、実は偶然のことながら、この監督の作品を次回ブログで取り上げようと内心決めたその直後にこの訃報を知ったからです。虫が知らせたというのでしょうか。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。


以前このブログ内のどこかで書いたことがありますが、管理人が若かりし頃、映画にズッポリ嵌ったことがあります。元々が、大の音楽好き。音楽だけでなく、芸術系全般が大好きです。小学生や中学生だった時には、学校行事で映画会が催されたり公会堂などへ劇を観に行くと、照明が落ちて銀幕や舞台が照らし出された瞬間から、決まってその幻想世界にスッとタイムスリップしたものでした。高校生の時、丁度その頃とある公立図書館で催されていた某有名映画評論家による解説付き名画鑑賞会がありまして、毎月欠かさず参加したものでした。そして大学生になった時には、勉強そっちのけにして名画座をハシゴして廻るのが週末の決まりという入れ込み具合だったのです。


しかしながら、映画史上に燦然と輝く名作の数々を、リアルタイムではないにしてもリバイバル上映や名画鑑賞会としてお茶の間ではなく劇場で観たことは、管理人の後の芸術観形成にかけがえのない影響を与えたように思います。今でこそ、DVDを借りて映画を見たりなども致しますが、劇場で観る映画は、まるでコンサートホールで聴く生の音楽とCDで聴く音楽が全く異質なのと同じくらい、体験の質・深さが違います。寝苦しい夜にふと瞼に浮かぶ映像は、決まってそのように体験した映画のワンシーンだったりします。


ちょうど数日前に脳裏をよぎったのも、そうした映画の一コマでした。それだけ強烈な印象を残したのですね。YouTubeで探したら、ありました。その映画の全編が。1960年製作、新藤兼人監督の作品「裸の島」です。主演は乙羽信子と殿山泰司。そして音楽は、林光 (1931-2012) です。この方も今年ご他界されているのですね。もしもお時間がありましたら、ぜひ終わりまでどうぞ。


http://www.youtube.com/watch?v=OjVtXe2pLaU








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炎のように
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オランダ上空にて



BBC Worldを見ていると、聖火リレーをアレンジした広告映像がよく合間に流され、ロンドン・オリンピックがもうすぐそこまで近づいていることが、ひしひしと伝わって来ます。前の記事のテーマを火炎樹にしたこともあり、オリンピックと火炎樹の連想で、炎のように燃える音楽を2つ取り上げてみたいと思います。





これは、もうすぐ分かりますよね。1981年の映画「炎のランナー Chariots of Fire」のテーマ音楽です。


では、こちらはどうでしょうか?





そう、2002年FIFA WC公式アンセムです。あれから、もう10年になるのですねぇ。職場の人たち皆でテレビの前に集まってワイワイ、ガヤガヤ、一緒になって応援したことを想い出しました。




さて、ここで問題です。この2つの音楽に共通するものは何でしょう? お分かりになりますか?







答えは、Ευάγγελος Οδυσσέας Παπαθανασίου [Evangelos Odysseas Papathanassiou]。

もっとも本名よりVangelisというアーティスト名の方がすんなり通るかも知れません。ギリシャの作曲家・シンセサイザー演奏家です。上の両曲ともVangelis (1943-) の作品なんですね。


しかし、それにしてもギリシャの作曲家は、テオドラキスにしてもカロミリスにしても、何てオリンピックのような人間讃歌の晴れ舞台と相性が良いのでしょうか。




火炎樹
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ただ今の季節、管理人が滞在している国では火炎樹が花盛りの時期を迎えています。雨期に入って瑞々しい緑に目も鮮やかな赤い花が文字通り燃え盛るように咲いている様は、日本では決して見られない風景で、とても美しいです。この火炎樹 (flame tree)[別名鳳凰木(ホウオウボク)とも呼ばれる] は、マメ目ジャケツイバラ科に属する植物で、現在熱帯地域の多くの国々で見ることが出来ますが、元はアフリカ原産です。




芸術家と言えば、世事に疎いのが通り相場ということになっています。ところが、こと愛国心となると事情は違うようで、古今の作曲家を見る限り、体制派であるか反体制派であるかは別として、祖国のことを思う気持ちは皆人一倍強いように思われます。いわゆる「クラシック音楽」というものが、王宮や貴族など特権階級の人々から一般大衆のものへと変化した19世紀後半、世界のあちらこちらで各々の民族文化に根ざした「民族楽派」なる音楽が産み出されるようになりました。音楽の根源が人間の日常生活にあることを思えば、このことは極めて自然な流れだと思います。そして、そのようにして生まれた民族楽派の音楽は、特に大国の支配に虐げらて来た地域・民族であればあるほど、その地域の民衆に広く愛され支持されただけでなく、時として民族自決、さらには独立へ向けた歴史的変革の大きなエネルギー源とさえ成りました。


本日は、火炎樹のように燃え盛る情熱で祖国のことを憂えた音楽家、ポーランドのパデレフスキ (Ignacy Yan Paderewski, 1860-1941) をご紹介しましょう。パデレフスキはポーランド貴族の家庭に生まれ、幼少期より類い稀な音楽の才能を示し、やがて本格的に音楽の道に進むことを決意、ワルシャワ、ベルリン、ウィーンへと移り住んで音楽教育を受けつつ、活動しました。特にコンサート・ピアニストとしては、ヨーロッパ全土のみならずアメリカでも大人気を博しました。しかし、彼の特徴は、そうした音楽活動と同時に、ドイツやロシアに絶えず蹂躙される運命の祖国ポーランドが真の独立を勝ち得るためにと、様々な政治活動も精力的に行う熱血漢でもあったことです。詳しい経歴はネットで調べて頂くとして、第一次世界大戦終結後の1919年、ポーランド独立後の初代首相になったという事実だけで、如何に彼の存在が音楽家であると同時に、政治家としても民衆の間で支持されていたかがお分かりになるでしょう。音楽以外の分野でも名を残した作曲家は他にいますが、首相にまでなったのはパデレフスキだけです。


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知的かつ精悍な顔つきで、加えてリストばりの華麗なピアノ演奏の手さばきと来れば、人気が出ない筈はありません。しかし、ヴィルトゥオーゾ演奏家としては大成功のパデレフスキも、実は作曲の方ではそれ程有名にはなりませんでした。ポーランドの作曲家と言えば、一にも二にもショパン。世界的に見て彼の名前が記憶されているとは言い難いのが実情です。しかし、最近パデレフスキの作品が少しずつ録音され始めており、それらを聴くと、本当はなかなか捨て難い良質の作品を書いていたことが明らかになって来ました。おそらく彼の作品として第一番にお薦めしたいのは、ピアノ協奏曲イ単調 Op.17です。これはhyperionのRomantic Piano Concertoシリーズで堂々シリーズ最初のCDに選ばれており、しかもその第一曲目となっていますから、彼の作品の中では比較的認知されている部類に入ります。そこで本日ご紹介するのは、もう一つの大曲、彼の交響曲ロ短調「ポローニア(ポーランド)」です。


この曲、元々はパデレフスキが、ポーランド民衆がかつての支配国ロシア対して蜂起したことを記念するためにその40周年目に当たる1903年に着手されましたが、すぐには筆は進まず、結局数年後の1908年に完成しています。作曲動機が動機なだけに、当然のことながら祖国に対する熱い想いが全編に漂っています。もしも、もう少しだけ簡潔に要所を仕上げていたのなら、きっともっと人口に膾炙したことでありましょう。それにしても、近年に至るまで、この曲が民族楽派の音楽としてあまり認識されなかったのは不思議でなりません。昨今のYouTubeの充実度は驚くばかりで、この全曲演奏に75分も要する名品をカットなしで聴くことが出来ます。





なお、ここでアップロードされている演奏はheliosから出ているCD (↓) から取られたものだと思われます。


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ツツジの季節
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風薫る五月も半ば。さぞや日本では、薄赤紫色のツツジが美しい季節なのではないでしょうか。


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そして日本からいらしたお客様からお土産として頂戴した○○堂のカステラ。どちらかと言えば和風のお菓子が好きな管理人ですが、これも大好物なんです。別な方から頂いたエチオピア原産の豆からドリップで淹れたコーヒーにとても合います。





こんな上品な雰囲気で聴く音楽は、やはりそれに相ふさわしい作曲家を選びたいもの。


イギリスの女性作曲家アリス・メアリー・スミス (Alice Mary Smith, 1839-1884) は、まだ女性が独立して職業を持つことが社会的に容認されなかったビクトリア女王の時代、ましてや男性優位の保守性が強固に根を張る音楽界に、その才能をもって例外的に認められた才媛です。弁護士であった夫と結婚し、家庭と作曲の仕事を両立する過労から45才という若さで亡くなってしまったこともあり、ただでもマイナーなイギリス作曲家の中でもマイナー中のマイナーに位置します。


では、ちょっと彼女の交響曲第2番イ短調 (1876年作)を聴いてみましょう。





如何でしょうか。とても上品な雰囲気が漂ってくるでしょう?


作風は、完全に古典的。シューベルトやメンデルスゾーンに近いでしょうか。しかし、いつもギスギスしているよりも、ChandosのCDジャケットのポートレートのように、こうして静かに横に寄り添うご婦人の姿の方が、特に殿方たちにはお好みなのではないでしょうか。(なおYouTubeの映像で交響曲第1番ハ短調とあるのは、2番イ短調の誤りです。1番は1863年作。)


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で、何で今日は Alice Mary Smith なのかって? 今日5月19日は、実は彼女の誕生日だったんですよ。(^_-)









葵祭
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もう数日過ぎてしまいましたが、毎年5月15日は葵祭の日。何気に数年前に見学した時の写真を取り出して見ていたら、とても日本のことが懐かしくなってしまいました。この日は確かお天気も良く、平安時代の色とりどりの衣装が大変美しく映えていたことを憶えています。


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行列は京都御所から出発して、途中下鴨神社を経て上賀茂神社まで。総勢およそ500名くらいの老若男女の人々と馬や牛、そして牛車などが、様々な平安時代の衣装を身に付けてしずしずと練り歩きます。要所では有料の観覧席も設けられますが、沿道での見学なら何処でも無料です。


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葵祭の起源は、何と平安遷都より以前の567年、その辺り一帯天候がすぐれず五穀が実らなかったそうです。占いに拠る、これは賀茂の神々の祟りであるということで、それを鎮めるために馬に鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)の被り物をして駈け比べをしたところ、再び五穀豊穣になったことが始まりだそうです。その後、平安初期の810年弘仁元年に伊勢神宮にならって賀茂の社に斎王(神社に奉仕した未婚の女性、いわば女王)が置かれ、今日の原型の行列が行なわれるようになりました。平安時代の中頃には京で祭りと言えば、この葵祭のことを意味したくらいで、途中応仁の乱から江戸の元禄時代頃まで約200年の間と第二次世界大戦終戦前後の数年間だけ中断された他は、ずっと絶えることなく続いていたというのですから、その歴史は祇園祭よりも長く、文字通り京都で最も伝統のあるお祭りです。


元々は「賀茂祭」と呼ばれていたものが、江戸時代に祭が復興した頃に「葵祭」と呼び名が変わったそうで、これは人や馬、牛などに葵の葉が飾られたからだそうです。また牛車には満開の藤の花が飾り付けられます。上賀茂神社に到着すると、古式ゆかしい儀式などがあって、それだけに見物客の人だかりが凄いです。しかし、途中の行列見物なら混雑もさほどではなく、ちょっと葵祭を見たい方にはこれで十分です。何処と言って派手な動きや仕草があるわけではなく、ただ行列を見物するだけなのですが、色彩が美しいからでしょうか、見ていて飽きません。ハイライトはお輿に乗って登場する斎王代。これには毎年民間から未婚の女性が一人だけ選ばれることになっており、選ばれた人は当日のお役目もさることながら、何かと新聞やテレビ等にも取り上げられ、人気の注目の的となります。さぞや競争率が高いのではと思います。


今年は平家物語が大河ドラマにもなっており、京都の葵祭もさぞかし盛り上がっていたのではと思っています。ああ、もう一度観たかったなぁ。






さて今日の音楽は、最近には珍しく邦楽から「敦盛~平家物語より~」。琵琶・語り・唄は坂田美子さん。大変迫力ある演奏です。







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