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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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味覚の秋とロマンティック・ピアノ協奏曲(1)
AOT1


味覚の秋ですねぇ。食べものが美味しいこと、美味しいこと。ウッカリしていると思わず体重計に乗るのが怖くなってしまいます。^_^;


日が短くなり、夜の長さが延びるに従って、音楽が一段と恋しくなります。管理人は、もちろん有名作品もよく聴くのですが、お口と同じようにお耳の聴覚も新鮮な味を求めるのか、聴きなれた曲よりは目新しい音楽に特に惹かれます。久し振りに「ロマンティック・ピアノ協奏曲」のシリーズをやってみたいと思います。


トップバッターとして、ポーランドの作曲家ストヨフスキ (Zigmund Stojowki, 1870-1946) のピアノ協奏曲第1番(1890年作)を取り上げましょう。

ところでポーランドの作曲家と言えば、誰もがご存知のショパンは勿論として、パデレフスキ、ヴィエニャフスキ、シマノフスキ、シャルヴェンカ、カルウォーヴィチ、モシュコフスキ、パヌフニク、タンスマン、ペンデレツキ、グレツキ、バダジェフスカ・・・なんて名前が挙がって来ますが、ここにいらっしゃる皆様なら大概1曲や2曲はご存知ですよね。何故かアキには、〇〇スキ、とか〇〇ツキみたいにカ行で終わる名前との馴染みが深いようです。そして管理人はポーランドの作曲家の作品が大スキ。(^o^)


で、今日の音楽は、ストヨフスキ。アキ、スキと来れば...「ふと酔う隙」にプロポーズ なんちゃったりして。


習うより慣れろ・・・じゃなかった、空腹をお待たせしても何ですから、へたな講釈より実際の音楽に致しましょう。
Piano Concerto No.1 F sharp minor, Op.3の第1楽章です。





もしもご興味を覚えられたら、Hyperionから出ていますよ。「The Romantic Piano Concerto」シリーズの中でも白眉の一枚です。


STJ1



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何かの間違いでは...
KLS1


このCD、ご記憶の方いらっしゃいますか?


そう、このブログを開設して早々にご紹介したCDの中の1枚です。(2007年5月20日の記事


Kalomirisの交響曲などが入っていて、元々希少な盤ですから滅多に市場に出ないこともあり、中古価格でもかなりの額をしていましたが、それが何と某サイトでこのようになっているではありませんか。↓


http://www.amazon.co.jp/Concerto-Groso-Wind-Timpani-Symphony/dp/B000003VCE/ref=sr_1_5?s=music&ie=UTF8&qid=1351038578&sr=1-5


これって、何かの間違い...?


新品価格で 999,999円 !!! 、中古価格でも 21,493円 !!! ですって。


新品のCD価格としては世界最高額なのではないでしょうか。もしかしたら、私って大金持ちになれてたかも。
しかし、これ本当なのかしら...。仮にもアマ〇〇でしょう。う~~む。

それにしてもビックリしました。








祈り
WLW01


時々日本の出来事をTVやラジオで聞いたり、ネットで見て、殺伐なニュースが多いことに愕然することがあります。
福島の残存放射能に脅えながらも、果敢に町に残って暮らしている人々を守るために必死で病院を死守している看護師さんたちのドキュメンタリーを拝見して、言葉を失ってしまいました。お洗濯も終え、本来なら週末のひととき、少しは身体を休めたいのですが、そんな事実を知ると、思わず祈らずにはいられません。


管理人は教会に行くのが好きです。機会があれば、ミサにも出るようにしています。そして、もしもオルガンの音色を聴くことが出来るなら、そこから暫くは足が離れがたくなります。


祈りと音楽。とても密接な関係があるようですが、案外それをきちんと説明すると、うまい言葉が出て来ずに不可能なような気がします。何か人間の手が届かない神様の領域なのでしょうね。





以前、こちらのブログでも取り上げたことがあるイギリスの作曲家William Lloyd Webber (1914-1982) (2007年6月18日の記事) は、父親が全国を仕事して回る時にオルガンの音色に魅せられている姿を見て育ったこともあって、大きくなったら自分もきっとその道に進みたいと心に決めたようです。彼の作品を聴いていると彼が心に画いた祈りの姿がそのまま見えるような気がしてなりません。以前記事を書いた頃はYouTubeにもアップされておらず、直接音楽を皆様にお伝えすることは出来ませんでしたが、昨今は本当に充実しています。まだまだ彼の名前は十分に認知されていないようですので、本日は彼の作品の一部を視聴出来る形でお届けしたいと思います。


William Lloyd Webberの誕生日は3月11日、そしてまもなく彼の命日10月29日がやって来ます。祈りの気持ちが美しい音楽作品として昇華した好例だと思います。














『月の山』伝説(3)
LVCT3
ヴィクトリア湖


眼下に見えるのは広大な湖面を誇るヴィクトリア湖です。最後に見えた陸地から行けども行けども大海原のような静かな湖面が続きます。


LVCT1


青い湖面と白い雲がまるで空を眺めているようです。ひょっとして逆立ち飛行中?
いえいえ、ちゃんと普通に飛んでいますよ。


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ほらッ、確かに小さな島がちょっとだけ見えるでしょ!
ヴィクトリア湖をジェット機で飛び越えるだけで、およそ30~分はかかります。それ程に巨大な湖です。






白ナイルの水源探索について、19世紀後半当時の如何なる交通手段をもったとしても川の本流を遡って探検することは不可能であったことは既に述べました。そこで取られたのが、東アフリカ側から西に向かって内陸部を探検するというルートです。


イギリスの軍人リチャード・フランシス・バートン(Richard Francis Burton, 1821-1890)は、インド駐屯軍の経験があり、その後に現エチオピアやソマリアなどにも足を伸ばし、この辺り一帯の地理には最も明るい人物となります。特にアラビア語に堪能で、「アラビアン・ナイト」をヨーロッパに紹介した人物としても知られています。


そのバートンが、1857年、友人のジョン・ハニング・スピーク(John Hanning Speke, 1827-1864)と共に(白)ナイル水源探索の旅を現タンザニアのザンジバル島から始めました。中世からその頃にかけて、インド洋北西部の沿岸地帯はアラブ商人が交易を一手に支配しており、東アフリカの大陸内部との交易の本拠地はザンジバル島にあったのです。ここから対岸のダルエスサラームに船で渡り、内陸のサバンナを突き抜けようという計画です。


苦難の末、タンザニア内陸の街Taboraの町に着いたところ、そのさらに奥の西方と北方に2つの大きな湖があると土地の者から聞かされます。一行は、先ずは西を目指し、やがて1858年、西洋人として初めてタンガニーカ湖を発見しました。バートンは湖を見た瞬間、あまりに大きなその湖面から、これこそがナイル川の水源に違いないと確信しますが、高度計などの観測機器が故障して確たる証拠を得ることは出来ませんでした。加えて、そこに至るまでのあまりに過酷な旅のため、バートン自身が体調をすっかり壊して探検を続けることが出来なくなってしまったのです。


バートンが静養する間に、スピークはもう一つの湖を目指して探検に出かけました。そこで見つけた巨大な湖。スピークは、これこそがナイルの水源だと確信し、当時大英帝国女王の名にちなみ「ヴィクトリア湖」と命名します。しかし、スピークはこの時、この湖から北に流れ出す川があるのかどうかを確かめることは出来ませんでした。


バートンは自らが病いのため眼にすることが出来なかったこともあり、スピークの説には賛同せず、やがて英国に戻る時も、湖発見の報告は2人で同時に発表するという約束を交わします。ところがイギリスへの帰途、バートンの身体は弱りに弱っていたため途中のアデン(イエメン)で休養を余儀なくされてしまい、ロンドンに到着したのはスピークより2週間も遅くなってしまいました。この間に大問題が生じてしまいます。なんとスピークが、王立地理学協会にナイル川の水源は自分が発見したヴィクトリア湖であると単独名で発表してしまったのです。


当然バートンは激しくスピークに反論。湖から流れ出している川を確認していないことを理由に猛然とスピークを攻撃しました。両者の言い分は真っ向から対立しますが、高度計のデータなど科学的根拠が乏しいため、なかなか論争の決着はつきません。この間にスピークは再度の探検を1862年に行い、ヴィクトリア湖の北に流れるリボン滝を発見、自説を補強して主張するも、当時はバートンの方が社会的知名度もあり、結局、1864年に開かれる英国学術教会の総会でその結論をつけることになりました。


ところが、あろうことかその総会の前日、スピークは銃の暴発により死亡するという謎の死を遂げてしまいます。そして彼が事切れた姿を早朝に発見したのは、なんとバートンその人。はたしてスピークの死は、事故か、自殺か、はたまた...。


この間2人に何があったのかを考察した見事なドキュメンタリー動画があります。これです。↓ 全編を視聴して約50分ですが、大変興味深いですよ。





スピークの突然の死はバートンに大きなショックを与えますが、やがて彼は南米ブラジルや中東シリアの領事を歴任。赴任先の周辺を探検するという生活を続け、晩年は「アラビアン・ナイト」の翻訳をしながら静かに暮らしました。そして1890年、最後は心臓発作で危篤となり、妻の勧めでキリスト教に改宗した直後に亡くなります。死亡日は10月20日。正に今日が彼の命日となるのですね...。






さて、これで『月の山』伝説のお話は完結となります。皆様、如何でしたでしょうか。上記の動画でもお分かりのように、バートン夫妻のお墓はアラブのテントを模しており、見るからに異様な雰囲気を醸し出しています。しかも棺を外からガラス窓越しに見ることができるという、不気味と言えば不気味な構造です。まもなくハロウィーンがやって来ますが、そういう意味でもピッタンコの話題ではないでしょうか....




『月の山』伝説(2)
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サハラ砂漠を貫くナイル川(スーダン上空より)


サハラ砂漠は実に広大で、見渡す限り砂に覆われた大地が続くだけ。そこに遥か彼方より一筋の川が滔々と流れて来る光景は、浮世を離れて夢想の世界へと誘う催眠術のようなものかも知れません。川筋は必ずしも真っすぐではなく、ゆるやかに蛇行しながら、時には川筋を変えることすらあります。川べりには乾いた大地への恵みの産物として緑の空間が出現しますから、幾ばくか昔の痕跡を残していることがよく分かります。


SNR2


水源探索を川の遡行から極めるのは至難と前の記事に書きましたが、場所によってはこのように入り組んだ様相を呈しますから、その意味がお分かりでしょう。加えて、もっと上流に至ると膨大な水量が大地の落差を一気に駆け下りる激流となっています。とてもボートやカヌーなどでは遡ることができないことも理由の一つとなります。


ナイル水源探索の旅のハイライトをこれから何本かの動画でご紹介することに致しましょう。


先ずは青ナイルの水源への旅から。英語によるナレーションしかないためヒアリングが不得意な方には恐縮ですが、映像と音楽だけでも楽しめますから、どうぞお気楽に。特に青ナイルの源エチオピアは遥か昔アビシニアとも呼ばれ、原始キリスト教が今も残る極めて特別な場所でもあります。全編を視聴して約40分弱です。文化的にも興味深い番組となっていますよ。











さて青ナイル水源への旅も刺激的ですが、いよいよ本題白ナイルの方はどうなっているのでしょうか。是非、次回の記事をお楽しみに。





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