一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

朝鮮の伝統楽器
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朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国および大韓民国)の伝統的民族楽器の代表的なものを2つご紹介しておきましょう。上の写真の左側がソヘグム(小奚琴、ハングル語では소해금)で、右側はカヤグム(伽耶琴、ハングル語では가야금)です。


ソヘグムは紀元前頃中国北部の遊牧民族「奚」が作り始めた楽器が元となっており、中国の二胡とは兄弟楽器の関係にあります。ただし二胡や大韓民国で使用されていた奚琴が2弦であるのに対して、こちらは4弦となっています。1960年代頃、北朝鮮で改良されたと言われていますが、詳しいことは分かりません。


またカヤグムの方は日本の和琴に形が似ていますが、これは3~6世紀頃、朝鮮半島の南部にあった百済と新羅の間に挟まれた小国「伽耶」で産み出され、後に半島全体に拡がった純粋に朝鮮生まれの楽器です。通常は12弦ですが、これも弦の数が多い大型のものも存在しています。


こうした伝統的楽器を使用した映像がYouTubeにありました。ちょっとした息抜きにお聴きになってみては如何でしょうか。なお、歌詞は将軍様が何とか…と謳っていますので無視して頂くとして、先ず芸術的な観点から素晴らしい音楽であることにご注目頂きたいと思います。政治的な壁は厚いものがありますが、芸術に国境は無いことがよく分かると思います。












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普天堡軽音楽団
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電子楽器というものを初めて聴いた時は、どうにもその人工的な音が気になって好きになれませんでした。しかし、日本の狭い住居環境の中で、ご近所に迷惑をかけないように、しかも楽器を練習したいという要望は確実にあって、メーカーは電子ピアノやギター、エレクトーンに止まらず、様々な楽器種についてもいろいろな製品を造り続けていることは皆様よくご存知だと思います。当然その過程で、少しでも良い音を出せるように工夫と努力を重ねたことは言うまでもなく、今日では弦楽器などの電子楽器がかなり市場に出回っています。価格が手頃で、しかも音量も自由に調節出来て、特に防音室が無くても練習できるという利点もあります。


この電子音楽を主体とした楽団があるのをご存知でしょうか。普天堡電子楽団(モランポンと発音します。正式名は普天堡軽音楽団)といいまして、お隣の国朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の楽団です。故金正日総書記の指示により1985年に設立され特に若年層から熱烈な人気を勝ち得るも、伝統的な朝鮮音楽をよしとする保守層からは渋い顔で見られたのか、銀河水管弦楽団とは異なり、国家的行事など表舞台に登場することは稀でした。一部には活動をほとんど停止しているのではとまで観測されていました。


ところが、現在の金正恩氏が金正日氏の後を継ぎ、大きな転機が訪れたようです。昨年頃より次々と表舞台に顔を出すようになり、今年の正月元旦には金正恩氏が出席するコンサートまで開かれています。昨年は、ディズニーのキャラにそっくりの着ぐるみたちを演奏会の途中で登場させ、パクリの常習犯であることを図らずも露呈しまいましたが、金正恩氏がこの楽団をかなり本気で気に入っていることは以上の経緯からも明らかです。


残念なことに、長距離弾道ロケットの発射実験の成功、第3回核実験の成功と、この国は確実に軍事力強化の方向へ進み始めており、ますます南北対話の可能性は遠のいてしまっています。この国の伝統的な音楽が大好きな管理人としては、この電子音楽団の突然の興盛が持つ意味に敏感にならざるを得ません。過去の歴史でもそうであったように、音楽形式の若返りを利用して若年層を中心として新たな政治的メッセージを送り続けることには大いなる危惧と疑問を表明したいと思います。仮に政治的な議論は別としても、ここに登場する女性演奏陣(上手であることには疑いはありませんが)や歌手たちの芸術性と、これまで本ブログで紹介して来た様々な北朝鮮音楽との違いにお気付きでしょうか。政治的利用もさることながら、それまで大事に守り続けていた音楽の心を失いかねない誤った方向に電子音楽が利用されることを心から憂います。百聞は一見(一聴)に如かず。ぜひ皆様ご自身の眼と耳でご確認下さいませ。







マリインスキー歌劇場管弦楽団
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Salle Pleyel


以前、ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団のコンサート・チケットを予約したことを、こちらのブログに書きました。大分時間が経ってしまいましたが、その時のことを書いてみたいと思います。コンサート会場はパリの「Salle Pleyel」で、先月初旬のことでした。


Salle Pleyelと言えば、ショパンが初めてパリに出て来て開いたコンサートの会場名として、またショパンが弾いていたピアノを生産して販売していた「プレイエル商会」がその経営母体であったことで、ピアノ演奏家たちやそれが趣味の方たちにはつとに有名かと思います。現在のホールは1927年の建設。1929年の世界大恐慌まで順調に成長するも、そこで破綻。20世紀末までピアノ生産は事実上ストップを余儀なくされ、今世紀に入っても年間10数台の受注生産のみという状況になっているらしいです。


しかし、コンサート・ホールとしてのSalle Pleyelは現在も活用されており、今回はこのホールでゲルギエフ氏が2夜連続でSchostakovichを振りました。管理人が聴きに行ったのは、その2日目の演奏です。


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演奏開始が20:00とあったので、その小一時間ほど前に会場に着いて待っていましたら、初めの内こそパラパラとした人だかりでしたが、やがてワラワラと人が集まり始め、会場を開いた時には狭い前ホールが立錐の余地も無いほどに。


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席はステージに向かってほぼ中央、前から8列目くらいでしたでしょうか。素晴らしい席でした。写真はその席から入場直後に撮影したものです。あっと言う間に会場は、文字通り満席になりました。前夜も売り切れでしたから、相当な人気であることが伺われます。






さて、肝心の演目ですが、何だと思われます?







オール・ショスタコーヴィッチ・プログラム

交響曲第3番「5月1日」

チェロ協奏曲第2番

交響曲第13番「バビ・ヤール」



ゲ、ゲ、ゲ、ゲルギエフさん、渋い...。と言いますか、この公演ではおよそ拍手喝采などは期待しておりませんと言わんばかりの渋い難曲ばかりの選曲です。


ちなみに前日の演目は、同じくショスタコーヴィッチの交響曲第1番と同第2番、ピアノ協奏曲第2番、それに交響曲第15番でしたから、連夜のショスタコ・オール・プログラムです。しかも、これまた渋い曲ばかり。一体ゲルギエフさん、どうしちゃったのでしょうか。きっと、何か思うことがあったに違いありません。


というわけで、管理人がネットで調べていたら、あまりの驚愕プログラムについポチッしちゃったわけです。まあ、その前後にガルニエにもバスチーユにも、これといっためぼしい公演が無かったという状況もありましたけれど...。





では、公演自体はどうであったかと言いますと...


ゲルギエフさん、颯爽と登場したかと思うと、すぐに演奏開始です。演奏は勿論手兵のマリインスキー歌劇場管弦楽団。選曲と同様、妙にもったいぶらずにストレートに切り込んで行くのが信条のような指揮ぶりです。交響曲第3番「5月1日」。いわゆるメーデーですね。ここでは政治的メッセージなどを伝えようなどというつもりは毛頭ないようです。実際、ショスタコーヴィッチ自身が曲名とは裏腹に、そのような意図が無かった筈ですから、当然と言えば当然です。キリリとした約30分間の演奏は、渋いながらもまとまりがあって大変良かったと思いました。


ステージ設定の入れ替えがあって、直ちに2曲目のチェロ協奏曲第2番の演奏へ。独奏はMario Brunello氏。初めて聴きました。先ず、これまた滅多に演奏されることがない珍曲であることが第一。第1番よりも遥かに演奏機会は少ないでしょう。これをBrunello氏は静かに、しかしその内面を堂々と弾きました。この曲の初演者ロストロポーヴィッチ氏の演奏(指揮はスベトラーノフ、USSR国立アカデミー交響楽団)がYouTubeにあるので、それをご参考までに。それにしても何と渋い曲と言いますか、敢えて意識的に華の部分をかなぐり捨てた作品なのでしょうか。Brunello氏の演奏もこのロストロ氏の熱演に引けを取らない見事な弾きぶりでしたから、演奏終了後の拍手はなかなか盛大で、アンコールに短い小品を弾いていました(管理人が初めて聴く曲で、曲名は残念ながら不明です)。





コンサートの開始が20:20頃。そしてチェロの演奏が終わったのが、21:40頃。そこで一旦休憩が入って、交響曲13番が始まったのが22:00頃。平日のコンサートです。日本でならコンサートはほぼ終了している時間です。流石に耳の肥えた筈のパリの聴衆も緊張感が続いたのは前半の休憩までだったのでしょうか。延々としたバス・バリトン(Mikhail Petrenko氏)の語りが続く交響曲13番では、管理人の周りで幾分か早く終わらないかと待ち兼ねるソワソワとした雰囲気が感じられたのは気のせいでしょうか。実際、演奏が終了したのが23時も大分回った時で、何度もカーテン・コールが続いたものの終電を気にして早々と席を立つ観衆も少なからず。無理もありません。平日にこの長時間の渋い演奏ですものねぇ。おそらく前日も演目から言って、同様以上の状態だったのではないでしょうか。


それにしてもゲルギエフさん、何という渋面のコンサートを冬のパリでやらかしたのでしょうか。寒さが肌を突き通す深夜の地下鉄で帰宅の途に就きながら、ハタと気が付きました。この苦渋こそ作曲当時のショスタコーヴィッチが冷え切ったソ連の音楽界の中で抱えていた苦悩の本質であったこと、そしてそれを現代に表現して見せることがゲルギエフさんの真意ではなかったかということに。





“カッチーニ”のアベ・マリア
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パリ市内Rivoli通りのSaint-Paul-Saint-Louis教会


このところいろいろとありまして、体調を崩し記事のアップが出来ませんでした。この間に何度も訪れて頂いた方、いらっしゃいましたら申し訳ありません。ようやく少し回復しましたので、久し振りの更新です。


冬のパリは心底寒いです。うっかり軽い冬の装いなどでお出でになると、ホテルがセントラル・ヒーティングなのは良いとして、お部屋の温度が消エネもあって20℃前後に設定されていますから、外出から戻ってもうすら寒い思いを強いられてしまいます。また街中を歩いても石造りの建造物ばかりで、暖かい空間がほとんどありませんから、厚いコートは手放せません。


それでも寒波に震えながら、パリの第4区辺りを散策してみました。


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とても立派な聖ポール聖ルイ教会です。


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この教会に据え付けられているオルガンは、実に堂々としています。


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ヨーロッパの教会に足を踏み入れますと、当たり前のことですが、本場ですから、歴史の重みというもの支えられて極めて敬虔な気持ちになります。聖母マリアの像の前に来ると、自然と手を合わせ跪かざるを得ません。







こんな寒い季節のさなか、よろこばしいニュースを知りました。ここからは、とある知人に向けたメッセージです。退院されるまでお読みになることはないかも知れませんが...。


無事に元気な赤ちゃんをご出産されたとのこと、まことにおめでとうございます。おそらくお母様に似て、とても可愛いお顔になるのではないでしょうか。ささやかながら、こんな音楽をお祝いとしてお届けしたいと思います。


“カッチーニ”のAve Maria。


本曲はイタリア・ルネッサンス期の作曲家カッチーニ (Giulio Caccini, 1545-1618) の作と一般には信じられていますが、実際はロシアの作曲家Vladimir Vavilov (1925-73)の手による作品です。楽曲の形式がルネッサンス期のバロック様式とも異なり、明らかにその時代の作品ではないと判断されますが、音楽的な完成度がそのようなことを忘れさせてくれる傑作です。2つのヴァージョンをお届け致します。








改めまして、

お子様のお誕生、おめでとうございます!



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