一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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おいしいコーヒー(2)
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落ち着いた雰囲気の喫茶店で飲むコーヒー、自宅でゆったりした気分の中で豆から淹れたコーヒー。どちらも捨て難いけれど、管理人の場合、機内の食事の後で頂くコーヒーも楽しみのひとつです。


ちょうど只今、飛行機で移動中。エンジン音も最近はかなり静かになった機種もあり、上質のヘッドフォンを備えた航空会社の路線なら、意外と音楽も心おきなく楽しむことができます。


皆様は、コーヒーをどのようにしてお飲みになりますか? お砂糖もミルクも入れて? それともブラックで?


管理人の場合は、場所と状況によって様々。ヨーロッパではエスプレッソにお砂糖を一つの時が多いのですが、空港のラウンジなどではカプチーノを選ぶこともあります。日本にいた時は何故かブラックで頂くことがほとんどでした。コーヒーそのものの味の違いを楽しみたかったからでしょうか。米国は、管理人の個人的意見ですが、あまりコーヒーに拘る文化が無いように思われます。全世界的に拡がったあのチェーン店が発祥した国であることが如実に示しているように、そのお店でしか飲むことができない拘りのコーヒーを出している喫茶店というものがほとんどありません。歴史が短いせいかとも考えますが、そうすると西洋食文化を取り入れて更に歴史が短い日本のような国で、拘りのお店がたくさんあることは、どうやら物理的な時間だけがファクターでもなさそうです。






コーヒー嗜好と民族文化の関連性。何かそれだけで卒業論文が書けるような気がして来ました。


そんなことを考えていたせいでしょうか、今日はブラック・コーヒーを飲みたい気分です。





Peggy Leeのレコード・ジャケットが嫌が応にもムードを高めます。あっ、映像を見ていて気が付いたことですが、日本でブラックと言えば、お砂糖もミルクも入れないことを指しますが、欧米ではミルクを加えなければブラックなんです。ミルクを入れたらホワイト・コーヒー、あるいはカフェ・ラテとなります。ですから国際便でフライト・アテンダントさんにオーダーする時は、「No sugar, no milk, please.」と言った方がクリアです。


BCPGL






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おいしいコーヒー(1)
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ベトナムのとあるカフェにて注文したカフェ・ラテ



管理人はコーヒー大好き人間。お茶も良いけれど、仕事の合間の一服は、大概コーヒーです。出張先の休憩でも、やはりコーヒーかな。


以前、こちらで取り上げたことのある「かもめ食堂」(2008年6月10日の記事)の中で、小林聡美さんが演ずる主人公がおいしいコーヒーを淹れるため、あるおまじないの言葉を発するくだりがあったのを覚えていらっしゃるでしょうか。


熱いお湯を挽いた豆に注ぐ時、『「コピ・ルアック」ってつぶやくと、おいしいコーヒーが出来あがるのよ』というところです。この時、この言葉が何を意味するのか、映画でも原作の小説でも解説されていなかったので、気になりながらも敢えてそれ以上追及しませんでした。すぐにネットで調べれば、答えは分かったかも知れなかったのに。


それが、何年も経ってから、ふと本屋で見つけて読んだとあるミステリー小説から、その謎解きが分かりました。




小説のタイトルは、「珈琲店タレーランの事件簿」(岡崎琢磨著)。「このミス大賞」2012年の隠し玉として出版された作品です。(「隠し玉」というのは、惜しくも大賞は逃したけれど、多少改変を加えれば受賞作品に匹敵する筈の好作品として特別に出版されたものだそうです。)この本ですね。↓


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作品のタイトルからもご想像できますように、コーヒーに関する蘊蓄がたくさん出て来ます。


この作品の最後の方で、世界「幻の」三大コーヒーという話題が出ており、その一つが「コピ・ルアク」(撥音が有るか無いかは問題ではないので、作品通りに表記します)なのだそうです。ルアクとはマレー語で、東アジアの熱帯・亜熱帯地方に生息するジャコウネコ科の動物を意味します。ジャコウネコ科(ネコと名がついていますが、いわゆるネコではなく、むしろ見た目はイタチやタヌキに近い動物種一群の総称で、代表はハクビシン)の動物が完熟したコーヒーの豆を好んで食べ、その排泄された糞の中から未消化の状態で回収された豆から作ったコーヒーを「コピ・ルアク」と呼ぶのだそうです。同様にサルが食べた後に排泄された糞から回収された豆から作ったものは、「マンキ―・コーヒー」と呼ばれます。


ちょうどベトナム人の知り合いがいましたので、「コピ・ルアクって知ってる?」って訊いてみたら、発音が悪かったからか、その言葉自体は分からなかったけれど、「マンキ―・コーヒーのことなら知ってるよ」という返事でした。彼の祖国でも有名だそうです。ちなみにベトナムではコーヒーもたくさん生産されており、特に海南島南部が主産地なんだそうです。ハノイでコーヒー豆屋さんを見た時、もっとベトナムのコーヒーの話を聞いておけば良かったと思いました。(2010年12月30日の記事


さて、そのコピ・ルアックですが、元々動物が口にするくらいですから、完熟した豆が主体であることに加え、動物の身体の中で消化の過程を経て豆自体が微妙に酸化されたりなどして、独特の風味があるのだそうです。「コピ・ルア(ッ)ク」で検索するとヒットします。市販もされていますので、ご興味のある方は是非どうぞ。ただし、最高級コーヒーとして位置付けられており、通常のブランド品の数倍から10倍程度は高価ですから、そのおつもりで。





そうか、かもめ食堂の主人は、このことをおまじないとしてつぶやいていたのですね。何年も経ってから氷解する疑問ってあるものです。


本日は、(豆が)大変よく挽けました。(^o^)








コーヒーにちなんだ音楽と言えば、先ずは何といってもこの曲でしょうか。記事を書いている内に、管理人も熱いコーヒーが飲みたくなりました。今日はインスタントではなく、ちゃんと豆から挽いて淹れることに致しましょう。











百花譜
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九州から関東まで北の地方を除く大方の地域では、もはや花弁が散って樹上に無いところもありという程に狂い走った今年の桜前線。今では別の花々がここを盛りとばかりに栄華を迎えようとしているのではないでしょうか。


毎年、この時期になると想い出す記事と音楽があります。こちらをご覧ください。→2009年3月21日の記事


違いのわかる男


のキャッチコピーで有名な沢井忠夫(1937-1997)さん。コーヒーの香りと共に、今でも鮮明に記憶が蘇ります。沢井さんは、ともすると古い殻に閉じこもりがちな和楽器の世界に、春の嵐のように新風を吹き込んだ文字通りの逸材であったと思います。上の記事を書きました頃にはアップされておらず、言葉だけのご紹介で歯がゆかった琴と十七弦のための傑作「百花譜」の動画があることに、つい最近気がつきました。忠夫さんが一恵さんとご夫妻で録音された壮絶な演奏と比較するのはいささか酷として、これもなかなかの名演奏だと思います。ぜひお楽しみ下さい。







なごり雪
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猪苗代湖上空より


暖かくなったかと思えば、また急に冷え込んだり、くるくる変わるお天気の季節。せっかく咲いた桜の花も、突然の強風や雨、あるいはひょっとしたら季節外れの雪に見舞われる。そんな春の景色がとても懐かしいです。


管理人も日本を離れて3年あまりが経ちました。仕事の関係で時折行くことはありますが、もはや軸足は完全に祖国を遠く離れています。


そしてこのブログ、2007年の5月に立ち上げてから、かれこれ6年近くになろうとしているのですね。その間に音楽について語る場も、掲示板からブログへ、ブログからツィッターやフェイスブックへなどと次々に変化しています。立ち上げた当時覗いていた幾つかのブログも、今ではほとんど閉鎖されているか、更新が止まっています。時の経過は、人々の心と生活、そのどちらも変えて行きます。長く続ければよいというものでもありませんが、それでも以前から馴染んでいた場所が残っていて、しかも時折でも更新されているのを見ると、まるで懐かしい旧友にあったかのようにホッと安心致します。


ここも、もしかしたらそんな風に読まれているのかも知れません。時々仕事が猛烈に忙しくなったり、あるいはその反動で体調を崩したりして、何度か中断を余儀なくされたことはありましたが、それでも今日まで続けて来られたことに自分でも本当に驚いています。このブログが更新される限り、管理人は元気にやっていますよという、いわば生存の証みたいなものになっているのかも知れません。開設当時からご覧になっている方も、また途中からお出でになられた方も、今あのブログ作者はどうしてるかなと時々でも良いから覗いて頂けるような存在のブログになっていれば、管理人としては本望です。





今日は、この曲とこの映像などは如何でしょうか。







こじき王子
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管理人が確か小学2年生か3年生くらいのお話です。後頭部の一部に湿疹が現れ、お薬を塗るとどうしても髪型が乱れてみっともなくなってしまうため、泣く泣く数日間学校をお休みしてしまったことがありました。身体は至って元気でしたから、休んでいる間ひまそうにしていたら、母が近所のお店で本を一冊買ってくれたのです。それがフランシス・ホジソン・バーネット原作の「小公女」でした。


今なら「小公女セーラ」のDVDなどで誰もが知っている「小公女」のお話も、その当時は活字で読むしかない時代でした。ストーリーをざっとお話すると、主人公のセーラは資産家の父たちと一緒に何不自由なく暮らしていましたが、7才になった時、遠く親元を離れて父親の故郷にあるミンチン女学院に寄宿生となって入学することから物語は始まります。明るく聡明なセーラは毎日を楽しく過ごしていましたが、ある日突然、父の訃報と父の事業の破綻の知らせが飛び込んで来ました。セーラは一転屋根裏部屋をあてがわれ、使用人の身分になるという苦労を味わってしまいます。ところが、ある日、窓から迷い込んで来たサルを彼女が捕まえて飼い主に届けたところ、その飼い主こそが父親の親友で、父の事業は実は成功しており、その遺産を渡すべくセーラを探していたことが判明します。つまりは、一種のシンデレラ・ストーリーで最後はハッピー・エンドの夢物語です。


管理人はお友達からその本のウワサを聞いていましたし、また学校の図書館でも時折立ち読みしてほぼ内容を知っていましたから、せっかく母が買ってくれたその本を、「こんなものなんかいらない」と理由も言わずに突き返してしまいました。頭に何かを被せられていて、不機嫌だったのは致し方ないとして、今思えば母に申し訳ない事をしてしまったものです。結局、散々駄々をこねた挙句に、母と一緒に本屋に行き、本を替えてもらうことになりました。こちらはただでも不機嫌な上に、子供心にも一度買い上げた商品を替えてもらうということが恥ずかしく、その辺りの本棚にあった一冊を適当に掴んだら、まるで逃げるようにそのお店から飛び出したことを覚えています。その時あとさきも考えずに掴んだ本、それがマーク・トウェイン原作の「こじき王子」だったのです。(注. 最近は原題に忠実な「王子と乞食」というタイトルになっていることが通例のようですが、当時、その本の表題は確かに「こじき王子」でした。)


子供向けの本とはいえ漢字も多く、低学年であった子供時代の管理人にとってさぞや難しかったろうと今になって思うのですが、多少の意地もあって家に着くなり、この本にかぶりつくように読み始めました。本の中ほどに、乞食のトムに姿を変えたエドワード王子が街に出た時に、ちょうど罪人が火あぶりの刑に処される場面があって、挿絵にあったメラメラと燃える炎が白黒であったのに恐ろしくリアルに感じられたことを今でもよく覚えています。小さな子供にとって残忍すぎる光景で、あまりに怖かったので、そのくだりを書いた数ページだけは決して見ないように飛ばしながら、何度も繰り返しその本を読んだことを懐かしく思い出します。






本物と瓜二つの人物が互いに入れ替わるお話って、この「こじき王子」の他にも沢山ありますね。本物のような顔をして、実は真っ赤な偽物で、しかもどうしようもないことばかりをやらかしてくれるというお話なら、もっとそこら中にころがっているような気が致します。


そんな世相だからでしょうか、最近機内で観た映画の中から、次の2つのお話はなかなか感動的で、いっぱい考えさせるものがありました。嘘か真実か、嘘の方が真実味がある(と言うか、そうあって欲しいと願いたくなる)というのも不思議なことです。まだご覧になられていないようでしたら、ぜひ映画館に。











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