一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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ドナウの真珠−ブダペスト(2)
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英雄広場


市内のオペラハウスの前の道を真っ直ぐ東北に向かうと英雄広場に突き当たります。
この英雄広場は、マジャール人がハンガリーを建国してから1,000年を記念する碑として、1896年から工事が着手され、歴代の王や英雄など14体の像が弧を描いて屹立しています。向かって左端にあるのが896年にハンガリーを統一した聖イシュトヴァーンの像。


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聖イシュトヴァーン像


そして広場の中央には、ローマ法王の夢の中でイシュトヴァーンに王位を授けるよう告げたとされる大天使ガブリエル像が聳え立っています。


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大天使ガブリエル像


ブラームスがハンガリー舞曲を作曲し、バルトークやコダーイなどがハンガリー民謡などを収集したことなどから、何となくハンガリーと言えば、ヨーロッパの片田舎で、独特の異民族的なイメージが強いという先入観に捉われ勝ちですが、ブダペスト市内の建造物などを見る限り、ドイツやフランスの大都市と変わらない正にヨーロッパ伝統文化の担い手の一つである街だとの印象の方が強く残ります。


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西洋美術館


英雄広場のすぐ横に立つ西洋美術館は、広場の建設と共に工事が着手され1906年に完成。イタリア、スペイン、ドイツ、フランスなどロマン主義の時代の名画も数多く展示されており、美術館巡りの旅なら必見の場所の一つです。





さて、ハンガリー出身の作曲家は?と問われたら、皆様なら誰の名前が真っ先に浮かびますか?

バルトーク、それともコダーイ?

おそらく一番有名で、意外とえっ、そうなの?という反応が返りそうなのがフランツ・リストです。



さあ、それではその他には?と訊かれたら、どうでしょうか。


本日は、最近CDも数多く発売されるようになり、一部の人には結構人気も博しているエルネー・ドホナーニ (Ernő (Ernst von) Dohnanyi, 1877―1960)をご紹介することにしましょう。ドホナーニは、初めヨーロッパ各地でピアニストとして成功しますが、後にはブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者も務め、バルトークやコダーイの作品を世に広めたことでも知られています。作品を発表する時には生涯ドイツ名のErnst vonを名乗っていたため、Ernste von Dohnanyiの名前の方がより通用しているかも知れません。第2次世界大戦直後まで反ナチのスタンスを貫きつつ音楽活動を続けるも、種々のあつれきがあって最終的にはアメリカ合衆国に移住することになりました。お弟子さんたちに、有名なところではゲザ・アンダ、アニー・フィッシャー、ゲオルグ・ショルティ、フリッチャイなどがいます。


作風は、至ってドイツ・オーストリアの正統的な音楽を継承しており、ブラームスの影響が少なからず見られます。そこに幾分かハンガリーの隠し味とでも言うべき、彼独特の個性的な味わいがありますから、有名作曲家の作品しか聴いたことのないクラシック音楽好きの方が初めて聴かれたならば、この時代にはこんな作曲家もいたのかと驚かれるかと思います。ヨーロッパ文化も実に奥が深いと思います。大曲としては、交響曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲を共に各2曲ずつ残していますが、いずれも1番と2番の間に35年~50年という大きな時間的ギャップがあることが特徴で、それ故1番と2番では随分と印象が異なります。ここでは、気力・技量共に充実した1915年作のヴァイオリン協奏曲第1番を挙げておきましょう。他には室内楽も非常に優れた作品群だと思います。






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ドナウの真珠−ブダペスト(1)
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前の記事でナチス・ドイツがオーストリアを併合する頃のウィーンを追想する歌を挿入しました。そのウィーンから車でひと乗りするとハンガリーの首都ブダペストに到着します。冷戦時代の鉄のカーテンが引かれた頃は容易なことでは訪れることも難しかったのでしょうが、今は国境を超える時もフリーパス。便利になったものです。これから暫く、ドナウの真珠と呼ばれる美しいブダペストの街の話題を取り上げようかと思います。


先ずブダペストとウィーンの共通点はと言えば、どちらもドナウ河の岸辺に発展した街であること。そしてどちらもハプスブルグ家と深い縁があること。その必然として音楽と絵画、芸術が栄えた街であることです。そこに出来た大きな壁、それが東西を別けた鉄のカーテン。


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ドナウ河に右岸ゲッレールトの丘にそびえ立つ自由像。


ゲッレールトとは11世紀前半に異教徒によってドナウ河に投げ込まれたイタリア人伝道師で、この丘の名前はそれにちなんでいます。その丘の頂上には19世紀の半ばにオーストリア=ハンガリー帝国を支配するハプスブルグ家がブダペスト等の地域の反乱を監視するために作った要塞(ツィタデラ)があり、そのすぐ横にあるのがこの自由像。しかし建立したのはソビエト連邦赤軍だというのですから、ちょっと複雑な気持ちになります。


何と言ってもこの丘の見どころは、そこから眺めるブダペストの街並みです。それが冒頭の写真で、有名なドナウ川に架かるくさり橋から王宮、そして国会議事堂などが一望の下に見渡せます。


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クラシック音楽ファンとしては、必見の場所がここ1884年建造のハンガリー国立歌劇場(オペラハウス)。7,8月以外はほぼ毎日のようにオペラが上演されているらしいです。訪れた時は時間の関係で残念ながら公演は観れませんでしたが、いつかもう一度行ってみたいです。







そのハンガリーへの旅に触発されて、最近よく就寝前に聴く音楽としてお気に入りなのがフバイのヴァイオリン協奏曲などを収めた2枚組CDです。イェネー・フバイ(Jenő Hubay, 1858-1937)はハンガリーの作曲家で、ユダヤ系ドイツ人の父親(Karoly Huber, 1828-1885)がブダペスト音楽院の教授とハンガリー国立歌劇場のコンサートマスター兼指揮者を務めていたというのですから、生まれも育ちも生粋のハンガリーっ子で、正にヴァイオリン作品を産み出すために生まれたようなものです。フバイの名前のスペルは初めはHuberでしたが、後によりハンガリー人らしいHubayと変えています。


11才頃までにヴィオッティのヴァイオリン協奏曲を演奏するなどでデビュー。13才になるとベルリンに修行に出掛け、時の巨匠ヨアヒムの師事を受けることになりました。その他パリやロンドンまで演奏旅行に出掛ける内にヴュータンから絶賛されベルギーで暫く教鞭を取ったこともあるようですが、1886年には故郷のブダペストに戻り、以後演奏旅行として他に出掛けることはあるにしても基本的に生涯この街を活動拠点とします。弦楽四重奏団としてやがて名声を馳せるブダペスト四重奏団を初めに結成したのも他なるぬ彼でした。お弟子さんとしては、有名なところではヨーゼフ・シゲティや指揮者に転向したユージン・オーマンディなどがいます。


作風はメンデルスゾーンやシューマンらの流れを組むドイツ・ロマン派の音楽で、同じハンガリーの作曲家でもバルトークやコダーイらと異なって聊か保守的に過ぎる嫌いはあるものの、正統的な音楽がお好きな人ならば必ずやお気に入るであろうと思います。ヴァイオリン協奏曲は全部で4曲作曲しています。


本日はその内、21才のベルギー時代に作った青年の情熱がほとばしる第1番イ短調「Concerto Dramatique」Op.21 (1884年作)をお届け致します。これぞロマンチック・ヴァイオリン黄金時代の名にふさわしい美しい音楽作品だと思います。












なお上記の演奏はたぶんこのCDから取られたものかと思われます。↓


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Quartet
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エンディング・ロールが流れてから、その映画に対する評価が一変したということがあります。


1976年制作のイギリス映画『さすらいの航海 (Voyage of the Damned)』(スチュアート・ローゼンバーグ監督)は、完全版で約3時間近くもある長尺の作品で、第二次大戦開戦直前の1939年、ナチスが台頭したドイツから逃れるべくキューバに向けて出航した900余命の比較的富裕層のユダヤ人たちに関する実話に基づいた物語です。


無事、ドイツのハンブルグは出航したものの、向かった先のキューバではドイツからの工作により上陸を拒否され、頼みの綱の米国も沿岸警備隊が船の着岸を拒み、まさに「さすらいの航海」となります。そこまで差し迫っている状況とは気がつかない乗客たちが船上で催した仮面舞踏会の途中で歌われた「Wien, Wien」の調べに、それまで裕福に暮らしていた故郷のドイツやオーストリアを想う切ないシーンが記憶に残ります。





数々のエピソードは名優たちの全体に抑えた演技により、実に丁寧に描かれるのですが、如何にせん淡々と流れる3時間は長く、いったいいつ終わるのやらと思わないではありませんでした。米国に拒まれた乗客たちの運命がどうなるかハラハラする中で、最後の最後になって英仏が彼らの受け入れを表明したことが伝わり、全員が(船の乗客も映画を観ていた観客も)ホッと胸を撫で下ろすところで映画は長いエンディング・ロールに入ります。映画を観ていた観客たちは皆席を立ち、その大半が劇場から去った頃、この映画に登場した人物たちのその後がテロップとして流れ始めました。管理人が凍りついたのは、それを読み始めた時です。


船はベルギーのアントワープに最終的に着岸するのですが、そこはすでにナチスの影響下に入っており、乗客たちの多くがやがて拘束され、結局全乗客の内、600人余りがアウシュビッツなどに送り込まれ処刑されたことが一人一人の登場人物のプロフィールと共に紹介されるのです。この映画の真価は、正にこの部分にあり、それまでの長尺のシーンはいわば前奏曲と言ってよいものだったわけです。エンディング・ロールになったら映画は終わったものとして席を立たれた人たちは、その肝心な部分を見逃したということになります。








この『さすらいの航海』の体験と似たような衝撃を最近作のイギリス映画『Quartet』(ダスティン・ホフマン監督)で受けました。


物語は引退した音楽家たちが集団で暮らす一種の老人ホームを舞台にしています。(ちなみに、実際にヴェルディが引退したオペラ歌手たちのために1896年にミラノに建てた「Casa di Riposo per Musicisti」というものがあり、それがモデルになっています。)そのハウス(邸宅)では、既に現役時代から遥かに時も過ぎているため、技量は相当衰えていても、元プロの音楽家たちがそれぞれ昔馴染んだ楽器などを片手に子供達や若者を相手に音楽を教え、また語って暮らしています。


主人公である元オペラ歌手たち、RegとWilfとCissyの3人もそのように一緒に暮らしていたところに、ある日昔の仲間であったJeanが入居することになり波紋が広がります。Jeanは元はRegの妻であったが、Jeanの我儘な振る舞いに嫌気がさして2人は離別、その結果友人たちの結束が崩壊した苦い経験があり、RegはJeanを受け入れるのを拒みます。しかし、Jeanにしてみれば、この場所以外に行く先のあてはなく、そうした中、このハウス自体が経済的に困窮し、その存続が危ぶまれる事態となります。入居者の中から出た名案が、引退した人たちの演奏によるガラ・コンサートを開き、それで寄付金を募ることでした。RegにしてもJeanが本当に嫌いだったわけではなく、かつての彼女の自分勝手な振る舞いに腹を立て半ば意地からJeanに冷たくしていたわけで、そのコンサートでJeanを加えて4人で昔のように「四重唱」を歌うことを持ちかけることで歩み寄りを図ります。


ところが年老いて歌うことを完全に捨てたJeanにすれば、それは例えようもない苦痛でしかありません。再びJeanに歌うことを進めたCissyは愛くるしさを発散させながらも既に老人特有のボケが始まっており、時々妄想にかられます。そんな哀しい姿を見たJeanとReg。紆余曲折の上、最後に4人がステージに立ったところで映画はエンディング・ロールに入ります。もしも、映画がここで終わっていたならば、単なるB級という評価となっていたかも知れません。


ところが、ところがです。管理人はあの衝撃を再び味わうことになりました。最後のエンディング・ロールで登場した俳優さんたちが、かつて現役であった頃のプロフィール写真と並んで一人ひとり紹介されていくのです。ダスティン・ホフマン監督がこの映画を撮るに当たって付けた条件が、(全員ではないにしても)かつて本物の歌手や音楽家であった人たちをキャストに迎えることだったというのも頷けます。このエンディング・ロールで歌われる「四重唱」は絶品です。残念ながらYouTubeでは映画で歌われたものを見つけられなかったので、それとは異なりますが、VerdiのRigolettoから有名な四重唱「Bella Figlia Dell'Amore」をお届けしましょう。








私のお父さん
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間もなく父の日ですが、皆様、お父様のために何かプレゼントを考えていますか?
管理人ですか、ええ、考えていますとも。考えてはね...。


「終の信託」という映画を機内で見ました。周防正行監督、草刈民代、役所広司、大沢たかお、らが出演です。


管理人は新作映画のCMなどを見る機会が全くありませんから、作品についての予備情報は皆無。ただ初めの3人のお名前から「Shall we dance?」のようなラブ・ストーリーを期待して観たのですが、予想とは違ってこの作品はもっとシリアスなテーマを扱った非常に重厚な映画でした。もはや初公開から相当な時間が経っていますから、既に観られた方も多いでしょうし、ここで作品について詳細を語ることは省きます。手短かに言えば、末期の喘息患者江木秦三と彼の主治医折居綾乃との間に交わされた、いざその時が来た時の処置についての約束と、それが果たされた後に3年もしてからその医師綾乃が殺人罪で起訴されるという出来事を描いた作品です。


主演のお二人の演技は勿論素晴らしいものでしたが、とりわけ検事役を務めた大沢たかおさんの演技には驚きました。それまでどちらかと言えば、魅力的な好青年を演ずることが多かった大沢さんが冷酷な人間として豹変し、それがあまりにリアルなため、観ている自分がまるで取り調べを受けている被疑者になったかのように錯覚するほど恐ろしく震え上がりました。


観終わった後にネットで調べてみると、すぐにこの映画には原作があることが分かり、朔立木さんの小説を読みました。多少演出上の違いはあったものの、映画はかなり原作に忠実に作られたことも分かりました。どちらの作品も見事な出来栄えだと思います。


この作品で扱っているテーマが「安楽死」あるいは「尊厳死」の問題であることは瞭然ですが、それと同時に現代の司法システムと、そこに関与している人間性の善し悪しを同等以上に問題視しています。どちらも簡単に答えが出せる問題ではなく、それ故に観終わった(読み終わった)あとに感動感というよりは、ズシンと重いものを背負わされた感が強く残りました。






テーマの重さもさることながら、このブログとしては作品の中で使われた音楽が非常に重要な意味を持っていたことに注目したいです。プッチーニ作曲のオペラ「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」(O mio babbino caro) のアリアです。とても美しい旋律ですから、クラシック音楽ファンならば聴いたことがない筈はない有名アリアで、古来からそれこそ無数の歌手たちが歌っています。しかし、映画(小説)の中で奇しくも解説されているように、「恋人と一緒になれないのならば、身投げして死んでしまうから」と父スキッキ(実はかなりの悪党で詐欺師)に訴える名アリアが、実は亡くなったばかりの富豪ブオーゾの遺産相続で欲にかられた親族一同を騙すためにお芝居として歌っている唄であることは、この映画を観るまで(あるいは小説を読むまで)案外ご存知なかった方も多かったのではないでしょうか。


初めは乗り気ではなかったものの、娘に請われた悪党のスキッキは、死んだ富豪(遺書では全資産を修道院に寄付すると言い残していた)になりすまして、公証人を呼び寄せて遺書の書き換えを諮ります。そして遺産が自分にも何がしか来るものと期待していた親族一同の希望を叶えて上げる素振りを見せながら、財産の大半を自分のものにするよう遺言をすっかり変えてしまいます。最後は騙されてカンカンに怒った親族一同とスキッキとが大騒ぎとなってドタバタの内に幕が降りる、つまりはお話全体が喜劇なのです。


この音楽と映画(小説)の間には、共に死の間際に残すリヴィング・ウィル(遺言)にからんでいる話だという奇妙な共通点があります。しかし、片や偽の遺言を残すという喜劇で、片や自分の命の最後の時を信頼する医師に託すという厳粛な状況の中での最後の信託。何という大きな違いでしょうか。


綾乃が勤務していたある地方病院に、母校を同じくする将来が嘱望された妻ある外科医高井が着任します。綾乃は彼と不倫の関係を続けますが、それはいつか高井が妻と別れて自分と結婚してくれることを望んでいたため。ところが、ふとしたことから自分も単なる遊び相手の一人であることを知って、睡眠薬を飲んで自殺未遂を図ります。一命は取りとめたものの、病院中にその事実は知れ渡ってしまいます。綾乃が長年診ていた患者江木は、初めは取扱い難い患者であったが、自殺未遂事件があってから間もないある時、綾乃を呼びとめて病室で1枚のCDを取り出し、「その7番目のを、近頃よく聴いているのですが...聴いてみて下さい」と彼女に渡します。自分にとっては(失恋して自殺未遂をするような)悲劇でも、他人から見れば喜劇でしかないようなことだと、江木は暗に告げて慰めてくれていることを察し、綾乃はこの曲を繰り返し、繰り返し聴いて泣き続けます。このシーンは本当に胸にジーンと来て言葉を失います。この音楽なくして、この「終の信託」という作品は成立し得なかったことでしょう。




管理人が聴き馴染んでいてお気に入りなのは全盛期のデバルディが歌った録音のものですが、本日は映画(小説)でも使われたキリ・テ・カナワの「私のお父さん」を挙げることに致しましょう。







2槽式
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週末の朝は、先ずは洗濯から。週に2回する時もあるけれど、忙しい時は1回だけ。今日は洗濯を終えてベランダで乾していたら、昼過ぎに急に雲ゆきが怪しくなり、土砂降りの雨に。気がついて直ぐに取り込んだから良かったものの、ビショビショになるところでした。


管理人の部屋には洗濯機が付いています。それも最近ではほとんど見かけないレトロな2槽式の洗濯機が。前に使っていたものが全自動式でしたので、手間が掛かること掛かること。しかし、オーナーが親切心からか(あるいはこれが一番安いと思ったからか)こちらの意向も聞かずに先に買って据え付けたため、後から交換して下さいとも言いづらく、そのまま使い続けています。


初めは、すすぎや脱水の度毎にスイッチを回さねばならず、非効率なこと、この上ありません。洗濯のたびに独りブツブツ、ボヤいてました。ところが不思議なこともあるものです。一通りの行程が済むまでの合間に、キッチンで朝ご飯を作ったり何だり行き来していると、この面倒な作業が苦にならなくなり、今では(頭を使わない)この作業が一種の快感というか、少なくとも嫌ではなくなって来ているのです。


アイロン掛けもそうですが、家事って大変な一方で、余計な頭を使わずに済むだけ慣れると結構楽しいものです。





******


頭の中には、いつももう一人の自分の声が聞こえています。

そんなことではなく、もっと別なことをしたらいいんじゃないかって。

そんな取りすました顔をするのではなくて、もっと本当の顔を見せたらいいんじゃないかって。


*****





いつか、この動画をご紹介したいなと思いながら、アップしてもすぐに消えるのではないかと思って遠慮していました。

いろいろなヴァージョンがあると思いますが、この構成の映像のインパクトは半端ではありません。





なお上の動画の後半で歌われている元の曲「二隻の舟」の全曲はこちらです。中島みゆきさんって、本当に天才ですね。








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