一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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この道は
TRO1


本格的な夏が始まりました。

毎年、この時期になると頭をよぎるあの話題を避けるわけにはいきません。

丁度、参議院選挙の結果も出たことですので、改めて皆さんに考えて頂きたいことです。




その前に、次の動画を見て頂けますでしょうか。32台のメトロノームを全くバラバラのタイミングで始動した後、何が起こったかを記録した興味深い映像です。





どうです? バラバラだったものが、次第に一斉に歩調を合わせるようになりましたね。本当に不思議な現象です。

特に一番右側の手前から2つ目のメトロノームだけが、いっときは完全に他とは反対方向に動いていたにも拘わらず、最後はこれも同調してしまいます。管理人は残念ながらこの現象を物理的に説明することはできませんが、それが暗示するものに恐怖の念を抱かざるを得ません。最後はまるで軍靴の響きのように聞こえるのは、管理人だけの空耳でしょうか。






本来、自分たちの未来を決める大事な国政選挙であったにも拘わらず、非常に多くの20~30才台の方々が投票所に足を運ばなかったそうです。前政権政党が残した数々の失政が国民からNoを突き付けられたのは当然の報いとして、あの政党が犯した最も大きな罪は国民の政治に対する信頼と関心を失わせてしまったこと、そして本当は最も避けなければならなかった筈のいつか来たあの道へ再び誘われることを許してしまったことだと思っています。


日本国全体が否応なく戦争へと駆り出されたあの日々。管理人はまだ生まれてもおらず、またその余波を体験した世代でもありませんが、多感な成長期から今日に至るまで、その時代のことを他人事と思うことはできません。近年、この感覚は増しこそすれ、決して薄らぐことがないのは、思うに管理人自身が日本国内にいた時よりも遥かに高い確率で生命の危険を意識せざるを得ない現在の仕事に携わっているからなのかも知れません。






本日は、次の動画をご紹介したいと思います。








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北の国から−ヴァルムランド狂詩曲
VLP3
スウェーデン上空にて


日本の皆様、猛暑の中、毎日御苦労さまです。おそらく音楽どころの話ではないかとお察ししますが、それでも日頃のストレスを少しでも音楽で解消したいという方がいらっしゃるならと、北の国から爽やかな涼風をお届けしたいと思います。


VLP1


スウェーデン南西部のヴァルムランドにある湖のほとりの風景から。ヴァルムランドがどの辺りかは、下の地図をご参照ください。↓


VLP2


北欧の国々は、森と湖がたくさんあってアウトドアの自然が大好きな人にとってはたまりません。


そうした豊かな自然に育まれるからなのでしょうか、この地域で紡ぎだされる音楽は、そうした自然と実に相性が良い作品が数多いように思われます。





本日の音楽は、スウェーデンの作曲家アッテルべり(Kurt Atterberg, 1887-1974)の管弦楽作品「ヴァルムランド狂詩曲 A Varmlands Rhapsody」Op.36 (1936年作)をご紹介したいと思います。眠れない猛暑の夜、もしもエアコンが完備されているオーディオルームをお持ちでしたら、いっそのこと一度起き上がって、北欧の広大な自然に漂うそこはかとない寂寥感とスウェーデン民謡が時折聞こえる不思議なコラボの、こんな音楽が最高なのではないでしょうか。きっと眠りにつきやすくなるのではと思いますよ。


なおアッテルべりは全9曲の交響曲の他、様々なジャンルで作品を残しています。オーケストレーションの名手で、イギリスで言えばブリッジ(Frank Bridge, 1879-1941)に相当する作曲家なのではないでしょうか。この2人は活躍した時代がほぼ重なっており、無調の音楽が勃興して耳目を集めていた独墺の現代音楽界の動向には脇目も振らず、保守的な作風を固持した点も共通しています。それ故に、あまり音楽史上では高く評価されていないことが残念でなりません。しかし、音楽をお聴きになれば分かる通り、耳に大変親しみやすい旋律に溢れており、それでいて少しも陳腐ではなく、管理人は大好きな作曲家の一人です。交響曲なら特に第6番までがお薦めで、過去にもこのブログでも取り上げたことがあります。(2007年6月13日の記事2008年4月26日の記事参照のこと)最近アマオケが彼の作品を取り上げる機会が多くなったことは嬉しい限りです。





CDとしては、こちらになります。↓


VLR1





ドナウの真珠−ブダペスト(4)
PDB16


何処を訪れるにしても、お土産物屋さんに立ち寄るのは楽しみです。この民族衣装のお人形さん、可愛いでしょう?


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エプロン? それとも単に前掛け?

呼び名がわからないのですが、前掛け部分に特徴があって全体に色彩豊かな衣装がいかにもハンガリーらしい。とっても可愛いので、どれを選んだらよいのか困ってしまうくらいです。





あちらこちらのお土産物屋さんを覗き見しながらブラブラ街中を歩いていたら、お腹が空いて来ました。何処かによいお店はないかしら? と見つけたのが、こちらのお店。↓


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場所は、くさり橋からドナウ川沿いに右岸を少し下ったところ。この辺りには、このようなお店がたくさんありました。屋外ですが、人通りがそれほど多くはないので落ち着いた感じです。


で、注文するのは、もちろんハンガリー名物の代表料理、グヤーシュ。パプリカがたっぷり入ったシチューですね。


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ハンガリー料理の特徴は、とにかくパプリカをふんだんに使うこと。ちょっと酸味があって、人によっては好き嫌いがあるかも知れませんが、管理人はパンと一緒にとても美味しく頂きました。ピクルスとのコンビネーションも相性がよく、何故かアクセントの扇子がテーブルに置かれていて、何となく中央アジアを髣髴とさせたのは偶然なのでしょうか。


そうそう、パプリカと言えば、ハンガリー出身で後にアメリカに移住した生化学・生理学者のセント=ジェルジ・アルベルトがビタミンCを発見したのは、彼が米国に渡る以前の1930年代で、地元から入手した大量のパプリカからだったことを想い出しました。パプリカって実はハンガリー語で、100g中にビタミンCが130mg近くも含まれており、これはオレンジの2倍以上、ミカンの5倍くらいも高い含有量なんですよ。(←豆知識)
皆さん、健康のためにパプリカを食べましょう!






さて、お土産も買ったし、お腹も満ち足りたし、大変満足のブタペスト旅行でした。また何時か来てみよっと!




あっ、そうだ。この「ドナウの真珠」シリーズを終える前に、前回の記事を書いた時に気になっていたことについて最後に書いておきましょう。


マーチャーシュ教会の片隅に無造作に置かれていた古いパート譜のこと。覚えていらっしゃいますか?
あの曲が一体なんだったのか、楽譜に書いてある旋律自体はシンプルでしたので、ちょっとくちずさんでみたのですが、聞いたことがないみたいで、何の曲か分かりませんでした。そこで、後でその楽譜の写真を拡大してみたのがこれ↓です。


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暗い画像をさらに拡大しているので少々見にくいですが、「NEMZETI HIMNUSZ」と書いてあるのが読めるでしょうか。これで謎が解決です。恥ずかしながら、この音楽だったのですね。これなら、この教会にパート譜として置かれている事情が理解できました。素晴らしい音楽だと思います。


Kölcsey Ferenc (1790-1838)作詞、Erkel Ferenc (1810-1893)作曲 ハンガリー国歌









ドナウの真珠−ブダペスト(3)
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下から眺めた王宮の丘に立つマーチャーシュ教会


現在のブダペストの街のそもそもの始まりは、9世紀末頃にアジア系遊牧民族であったマジャール人がやって来てドナウ川左岸のブダ地区(今で呼ばれるところのオーブダ地区)に定住するようになってから。それが13世紀にモンゴル軍が襲来し、街を徹底的に破壊。その後、そのやや南部に新しく出来た市街が現在のブダ地区で、それまでブダと呼ばれていた地域はオーブダ地区と名前を変え、一方ドナウ川右岸にはペスト地区が発展しており、それらが集合して現在のブダペストの街になっています。


その中心の丘には、13世紀にべーラ4世1206-1270)の命を受けて王宮と同時に建設されたマーチャーシュ教会が聳えています。もっとも建築当初は聖母マリア聖堂と呼ばれていたらしいです。現在の名前になったのは、15世紀後半に教会の南側に塔の増築を命じたマーチャーシュ1世(1443-1490)にちなんでとのこと。


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マーチャーシュ教会


ゴシック様式の教会建築で、いかにも歴史の風格を感じさせてくれます。屋根の文様が大変美しい。


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内部は思いの外広く、ミサが行われている間にも観光客が見て回れるという何とも長閑な大らかさです。


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往時であれば、金色に輝いていたであろうキリスト像だったのでしょうけれど、年月の積み重ねにより、このようにすっかりその輝きが失われています。そう言えば、日本の古代の仏像も、かつては金箔に覆われて眩しい程に輝いていた筈なのに、今日では黒ずんでいますね。そんなことを思い出しました。


PDB14


道内の片隅に何故か古い古いパート譜が残されていました。ヴァイオリンのようです。何の曲が演奏されたのでしょうか。


歴史というものは、真に底知れぬ深みのある領域のようで、時が過ぎ、時代の主、すなわち支配者が変わる毎に街も建物も、そしてその住人も入れ換わることがありますが、いっときの栄華が過ぎれば、まるで潮が引いたように去って行き、全くもって新しいものがそこに定着し、新たな歴史を刻み始めます。


ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず


昔の人は、実に的確にものごとを捉えていたと思います。


第2次世界大戦の直前にはナチスの席捲、そして戦後にはソ連による支配まで、この街がハンガリー動乱などを経て幾度も忍渋の試練を潜り抜けたことは、現在の美しい街並みを見ただけではとても想像が出来ません。


想うに、戦前から戦後にかけてハンガリー出身でありながら、やがて米国等に亡命、または移住した作曲家が少なからずいたことは、この国の歴史と無関係ではないのでしょう。






本日は、そのような運命を辿った代表的なハンガリー出身の作曲家、御大バルトーク・べーラ(Bartók Béla Viktor János, 1881-1945)の作品からConcerto for Orchestra (1943年作)を挙げたいと思います。超有名作品ですから、もはや解説は不要でしょう。一つだけ付け加えるとすれば、1940年に米国に移住したバルトークにとって、新しい土地は必ずしも快適ではなく、経済的にも困窮の一途と辿り、加えてその移住を決めた頃より健康状態を崩し始め、結局は白血病でその5年後に亡くなるという苦難の連続ばかりとなってしまいました。そうしたバルトークの苦境の真っ最中に、医療費を捻出できるようにと同じくハンガリー出身でアメリカに移住した指揮者フリッツ・ライナーが奔走したり、クーセヴィッキーが富豪であった夫人と共に設立した財団から援助できるようにと作品を委嘱した結果(参考2009年3月18日の記事)、書き上げることが出来た数少ない作品の一つがこの曲であったことを指摘しておきたいと思います。皆様よくご存知の筈の曲なので、ユージン・オーマンディによる演奏の最終楽章だけをお届け致します。この曲を得意としていたオーマンディ、ライナー、ショルティら、いずれもハンガリー出身の指揮者ですね。









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