一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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去りゆく夏
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もう8月も残すところ僅かです。例年であれば、まだまだ続く筈の猛暑も、どうやら今年の日本は例外らしく、東日本などでは中秋の頃の涼しさが訪れているとのこと。この先、多少暑さがぶり返すかも知れませんが、夏の終わりがやって来たことは間違いないようです。


全く個人的な話で恐縮ですが、この季節、管理人にとって身近な人たちが他界した命日が何故か集中しており、複雑な心境になる日々が続きます。現実的な境遇と自然そのものが持つ去りゆく夏の寂しさが相俟って、本ブログの過去記事でもお分かりのように、管理人の記憶の中では8月下旬から9月初旬にかけてだけ、『残暑の厳しさ』という感覚がすっかり欠落しています。





去りゆく夏と言えば、そこはかとなくにじみ出る季節の寂寥感が心に沁みるディーリアスの音楽について触れないわけには行きません。
皆様はディーリアスの代表作と言ったら、何の曲を思い浮かべますでしょうか。おそらく彼の作品の聴き込み具合によって、答えはかなり分かれるように思います。好きな作品は○○だけれど、彼の最高傑作なら△△という風に答え方も多様になるような気が致します。ワーグナーばりの雄大な音楽も書けば、触れたら壊れてしまいそうなほど超繊細な作品まで、オーケストレーションも実に多彩で、彼の音楽を一口で言い表すのは至難です。


管理人も、気分によって聴きたい音楽が変わります。イギリス弦楽オーケストラ作品集によく取り上げられる定番の諸作品も勿論好きですが、ワーグナーばりの雄大な旋律に散りばめられた歌劇『村のロメオとジュリエット 』、その中の間奏曲『楽園への小路 Walk to the Paradise Garden』も良いし、案外『フロリダ組曲 』のような色彩と情感に溢れる管弦楽曲が好みだったりします。無論、管弦楽伴奏の独唱・合唱曲集『海流 Sea Drift』『日没の歌 Song of Sunset』『告別の歌 Song of Farewel』だって、どれも素敵です。


数ある傑作の中でも特質すべきは、管理人が10代の頃にLPレコードで知った弦楽四重奏曲「去りゆくつばめ」です。その曲を初めて聴いた時には、繊細なガラス細工で出来た、文字通り「割れ物あり取扱い注意」の音楽にびっくり仰天しました。管理人にとって、別れが重なった夏の終わりや、そうでなくても寂しさが募る晩秋の頃に聴いたりしたものなら、絶望の孤独感と憂鬱さに打ちひしがれて、一刻も早くこの世を去りたいと思ってしまう程に、傷ついた心に深く突き刺さる音楽です。





かなり以前のことですが、作曲家ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius, 1862-1934) の生涯を、若年時の奔放さが災いして梅毒に感染し、後年その病に苦しまされ、身体麻痺に加えて視力まで失った晩年のディーリアスを助け、幾つもの作品を口述筆記によって楽譜として完成・出版したエリック・フェンビー (Eric William Fenby, 1906-1997)の物語を英国BBCが1968年にドラマ化した『Song of Summer』を、何年か後になって確かNHKの教育番組で観たことがあります。このドラマ、YouTubeにアップされているのですね。お時間がありましたら、ちょっとご覧になってみて下さい。随所にディーリアスの作品が聞こえて、音楽的にも優れたドラマだと思います。この動画ではドラマが約15分ずつの5編に分かれていて、全編で約75分になります。字幕がないのが残念ですが、ちょっと英語の勉強のつもりで視聴されるのも良いかも。フェンビーと指揮者ビーチャムの存在が無かったら、今日認識されるほどにディーリアスの名前が知られ無かったことは確かでしょう。

















最後に、音楽作品としても、きちんとご紹介しておきましょう。フェンビーの協力が無ければ存在し得なかった、謂わば共作と呼んでもあながち嘘ではないディーリアス最晩年の作品『夏の歌 A Song of Summer』(1931年作)です。





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あれから2年・・・
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戦後70年・・・安保法制化・・・新国立競技場やエンブレムの問題・・・高校野球・・・その他様々な社会問題や事件など・・・。


語るべき時事問題や事件には枚挙の暇がありませんが、肝心の管理人に暇が無く、なかなかそれらについて書く余裕が生れません。


しかし、今日はあの驚くべき事件があって丁度2年(正確には2年前の昨日ですが)になりますので、ちょっとそれに関連して触れたいと思います。


あの事件って何? と皆様がいぶかしく思われるのも無理はありません。とにかく、未だもって全貌は明らかにされず。不思議な事件です。如何にせん、国が国だけにすべては謎に包まれています。ただまことしやかに言われていることは、ある違法行為をしたとの罪で某国のとある芸術関係の2つの団体に属する○人が逮○され、その3日後に裁判が行われること無く全員が銃によって公開○○されたらしいとのこと。明らかなことは、その後その団体が2つとも解散させられたらしく、それまでイベントがある度にYouTubeなどにアップされていた動画がその時期を境にすっかり影を潜めてしまったことでした。同時に、それまで同団体による様々な公演の動画が視聴可能であったのに、相当な数の動画が何らかの理由により削除されたのか、見られなくなってしまいました。


管理人は、政治的体制の問題はさておき、彼の国の音楽の純粋な愛好家の一人として、解散させられたらしい(?)2つの団体がその後どうなったのか気になって仕方がありません。結局、何ら新しいニュースは入らないままなのですが、最近、その内の一つの団体による2011年に行われた公演の様子を比較的高解像度で伝える動画がアップされていることに気が付きました。本日は、それをご紹介したいと思います。改めて拝見して、こういうエンターテインメント性豊かな映像がもう2度と見られないとは、非常に残念至極です。もう一つの団体の動画は比較的まだ多数ネット上に残っていますが、新しいものを見たいのに、その願いは適いそうにありません。





なお、最後におまけとして、事件後も唯一残された音楽団体による公演の一部をご参考までに。このような音楽だけに席巻させられるなら、この国の未来は危ぶまれるなあと何かと考えさせられる動画です。





この道
HNAB1


連日猛暑の日々が続いています。
当ブログ主、転勤と移動のストレスにより一度崩した体調からなかなか回復出来ず、にも拘わらず様々な仕事を抱えて多忙のため、なかなか記事をアップする時間が取れませんでした。新しい記事をお待ちの読者の皆様には、何かとご心配をおかけするばかりで恐縮至極ですが、ひとえにお詫びするしかありません。何とか合間を見つけて、ポチポチとやって行きたいと思っています。


そうこうする内に、またあの日がやって来ました。その日がいったい何の日であるのか、地元の人でも4割くらいの特に若者が知らなかったとの最近行われたある調査結果に、思わず唖然としてしまいました。


現政権は遮二無二、日本をいつか来た道へと駆り立てようと必死になっています。この背景には、近年日本をめぐる周辺事情が激変しており、急速に肥大化した経済力を盾にして、それまで一応の安定性を保っていた、ある意味ではタブーであった領域を含めて従来の暗黙の合意事項を次々と一方的に破り捨て、アグレッシブな行動を取り始めたことがその原因となっていることは明らかです。その意味で某国が取っている一連の対外政策には大いに首をかしげたくなるのですが、一方、我が国の側に問題なしとも言えません。リーダーのみならず、その側近や与党の一部議員から、現憲法の精神をあからさまに否定する、耳を疑わんばかりの発言がポンポンと飛び出して来ることを見ると、やむを得ず対抗措置を取っているというよりは、むしろこれを好機と捉え、それまで喉元に出かかっていながら発言を控えていた本音を(今ならば国民に歓迎されるかも知れないと)ほぼ確信犯的に連発しているようにも思えます。一部の政府要人らが、採決直前に敢えて異論を唱え、もしかすると見送りかと思わせながら、直後に強行採決を実行することなど、カモフラージュのパーフォーマンスまで演じているのではないかとさえ疑われます。


この道はいつか来た道。ああ、そうだよ・・・。


時代が戦前であったなら、あの時は軍部が一方的に進めた結果であって、一般庶民は官憲に逆らうことなど出来なかった・・・、との言い訳が通用するかも知れません。しかし、現代ではどうでしょうか。このブログでも、これまでに何度か警鐘を鳴らしましたが、現リーダーの真意は、今まさに推し進めようとしていることにあります。他のこと(たとえば新国立競技場の設計見直しのことなど)はカモフラージュであって、時に大衆に迎合することを戦略的に選択することを厭いません。大事なことはいつの間にか済ませるのです。どんなに議論がされ、反論があろうと、議会の多数を制している限り思うままに決定を下すことが出来ます。そのような状況を簡単に許したのは、他でもない(選挙という行為を通じて)私たち国民自身であったことを忘れてはなりません。


あやまちは二度と繰り返しません。


そう誓った筈の市民らが、いや彼らが選んだリーダーたちが、間違いを再び繰り返そうとしています。平和を脅かすものへの警戒だけは、たとえその可能性が低かろうと高かろうと、眼と耳と口を大にして呼びかけることが大事なのだと思います。










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