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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

数奇な運命を辿った極東の歌姫とロシアの歌曲(2)
SUH1


「極東の歌姫」 2人目のお話です。


写真だけでお名前を言い当てられたら、あなたは相当その道にお詳しいか、或いはきっと彼の国のご出身でしょう。
この記事を丹念にご覧になると、何処かでそれが見つかると思いますので、敢えてここでは記載しないことに致します。


前の記事の中でとあるロシアの作曲家と繋がっていますと書きました。この国には思いの外西洋のクラシック音楽が根付いており、現役および過去の名だたるオペラ歌手と比較したとしても、全く遜色のない、むしろそれを凌駕する素晴らしい歌姫が存在しています。先ずは次の動画をご覧下さい。曲は、アレクサンドル・アリャビエフの「小夜鳴鶯 Solovej」です。今日はロシア語の歌詞を付けておきましょう。和訳は前の記事にありますので、そちらをご参照下さい。





Solovej moj,solovej,
Golosistyj solovej!
Ty kuda,kuda letish,
Gde vsju nochku propojesh?
Solovej moj,solovej,
Golosistyj solovej!

Kto-to,bednaja,kak ja,
Noch proslushajet tebja,
Ne smykajuchi ochej,
Utopajuchi v slezakh?
Solovej moj,solovej,
Golosistyj solovej!

Ty leti,moj solovej,
Khot' za tridevjat' zemel',
Khot' za sinije morja,
Na chuzhije berega;
Solovej moj,solovej,
Golosistyj solovej!

Pobyvaj vo vsekh stranakh,
V derevnjakh i gorodakh:
Ne najti tebe nigde
Goremychneje menja.
Solovej moj,solovej,
Golosistyj solovej!


極東のある管弦楽団が西洋のある管弦楽団と合同して行われたコンサートから収録された動画ですが、同じ日に唄われたもう1曲もご紹介しておきます。





声の透明感、歌唱技術、声量、どれを取っても素晴らしいです。


これだけの素晴らしい音楽を奏で、歌った音楽家たちが、あの事件を境にすべての表舞台から消え去ってしまいました。
とりわけ、本日の主人公については、皮肉にも彼女の並外れたエキゾチックで西洋風の美貌が仇となって、●刑されたと専ら噂の人気歌手とあの人物が選んだ歌手、そして彼女の3人の間で複雑な関係があったとネットの一部では言われています。あの事件の真相がもしもそれであったなら、何をか況やです。彼女が現在どうしているのか、その後の運命が大変気になりますが、残念ながら全く情報は得られません。わずかに彼女の芸術と共演した音楽グループを偲んで、とあるサイトだけが非公式にアップされています。もしもお時間があれば、是非こちら↓をご覧になって下さい。サイトの開設者が誰であるかは不明です。


http://seounhyang.weebly.com/


そして最後に、もう1曲だけオーケストラの面々と共演した動画を挙げておきます。例の女性歌手と同時に●刑されたと言われているオーケストラのあるメンバーのお顔が見られます。それが事実であれば、謹んでお花を捧げたいと思います。





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数奇な運命を辿った極東の歌姫とロシアの歌曲(1)
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今回とその次にアップするブログ記事では、極東で活躍したある2人の美しい歌姫をご紹介したいと存じます。


先ずは冒頭に掲げた写真のご麗人。言うまでもありません。第二次世界大戦の戦中から戦後のしばらくの間、『李 香蘭』の名前で中国・満州や台湾、そして日本において歌手・女優として活躍した山口淑子さんです。彼女は、南満州鉄道(満鉄)で日本語を教えることを仕事としていた日本人の父と同じく満州に渡っていた日本人の母の下、1920年、中国遼寧省の奉天(現瀋陽市)において生を受けました。生れた場所が満州ですから、彼女は中国語も日本語も堪能で、日中戦争が始まって間もなくの1938年、これも国策映画会社であった満州映画協会(満映)の中国人専属女優としてデビューします。『李 香蘭』の名前は、この時から使用されています。エキゾチックな容貌と流暢な中国語もあって、現地の人々を含めて当時の誰もが彼女は生粋の中国人に違いないと疑いませんでした。終戦を上海で迎え、一時は中国人として祖国を裏切った容疑により中華民国時代に軍事裁判に掛けられましたが、実際は日本人であることが明らかとなり、その罪科は問われずに国外追放処分され、結果、彼女は日本に帰って(渡って)来ることになりました。


勿論、管理人が山口淑子さんのことを知ったのは、遥か後に彼女が参議院議員として活躍した時代ですから、リアルタイムで芸能活動していた頃について全く知る由もなく、あくまで過去のスター時代を紹介したテレビの映像や週刊誌の記事で辛うじて知った次第です。もう既に相当なお年でいらしたと思いますが、それでも華がある容姿は変わらず、現役でいらした頃の彼女の美貌と人気はさぞや天井知らずであったろうと思われました(冒頭の写真を見てもそれが分かりますよね)。


実に数多くの作品に登場していますから、詳細については他に適当な記事を参考にして頂きたいと思います。ヒットした作品も数多く、戦後の『夜来香』など、ご年輩の読者であればきっとご記憶があることでしょう。




さて、この山口淑子さん。中国語が達者であったことは生まれが生まれですから当然ですが、当時の満州です。この辺りにはロシア人もかなり沢山いた筈で、彼女はロシア語もかなり話せたのではないかと思われます。実は、今回とその次に書く記事の主人公には、あるロシア人作曲家との関連という意味で共通の繋がりがあるのです。そのロシア人作曲家とは、アレクサンドル・アリャビエフ(Aleksandr Aleksandrovich Alyabiev, 1787-1851)。代表作は、歌曲『ナイチンゲール(小夜鳴鶯) Solovej 』。その歌詞(詩はアントン・デルヴィーク Anton Antonovich Delvig, 1798-1831)をちょっと此処にご紹介しましょう。


小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ
どこへ向かって飛んでいくの?
今夜はどこで歌を歌うの?
小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ

私のように不幸な娘が
今宵お前の歌を聴くのかしら
目を閉じることもできず
ただ涙を流しながら...
小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ

お前は飛ぶ、私の鳥よ
三十いくつの島を越え
青い海を越えて
見知らぬ国の岸辺へと
小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ

世界のすべての国を旅し
村々を、そして町を渡り歩いても
私以上に不幸な娘を
お前は決して見つけられないわ
小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ



この、まるで主人公の若い娘がやがて数奇の運命を辿るであろうことを予言するような歌詞を持つ名歌曲は、元々コロラトゥーラ・ソプラノのために書かれています。何人もの名だたる歌手たちが唄っていますから、一度YouTubeなどで検索してみて下さい。この曲を知っていることを前提として、次の動画を観て頂くと、李香蘭こと山口淑子さんが戦前の未公開映画『私の鶯』の中で唄った歌の元歌が、実はこの曲であったことがよく分かります。





山口淑子さんが94年の天命を全うして他界されたのは、2014年9月7日。そう、丁度昨年の今日のことでした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


相似形
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「ミッフィー」ちゃんと「ハローキティ」ちゃんを並べてみました。
オランダのスキポール空港にはミッフィー・グッズが溢れています。
初めて見た時は、「あれッ? どこかで見たような・・・。」。

暫くして、ハローキティの印象が多分に被っていることに気が付きました。
ほぼ2頭身の大きくて、やや横長の頭部。点で表した目。丸っこい両足。各要素は非常に似ています。

しかし、それだけなら耳の形とか、おひげの有無など、明らかな相違点を挙げることができます。

では、こちらの場合はどうでしょうか。


HOV3


サンリオに拠れば「キティー」のお友達という設定のキャラクター「キャシー」ちゃんと「ミッフィー」ちゃんです。
さすがにこう並べられると、「うむむ・・・」と言わざるを得ません。どちらかのキャラクターが先に発表されていて、もう一つのものが後から出て来たのであれば、これは著作権侵害などの問題が発生しそうです。


事実、ミッフィーの発表者(オランダの作者ディック・ブルーナさんが1955年に制作刊行した絵本の中でミッフィーが登場した)側を代表するメルヒス社は、2010年、「キャシーがミッフィーに酷似している」として発売停止の処分を求めてオランダでサンリオ社を提訴しました。裁判所は、「キャシーはミッフィーに酷似している」として商標権侵害の仮処分命令を出し、これに対してサンリオ側は異議申し立てを行い、著作権侵害に関して裁判で争うことになりました。


さて、改めて両者を比較してみると、確かにおひげが無くなって、耳が完全にウサギのそれになり、どう見ても模倣としか言えない・・・という指摘がもっともかと思えますが、一方、口の形が違うし(「キャシー」のは鼻とのこと)、「キティ」と同じくリボンの有る無しが違う。また「キャシー」は頭部と胴体の割合が少し後者の方が大きく、「ミッフィー」よりも年が上で少女という設定なのだそうで、それは着ている服からも分かる・・・という反論が。実際にそのような応酬があったかどうかは定かではありませんが、いずれにせよ裁判は延々と長引きそうになりました。


そもそも「ミッフィー」と「ハローキティ」、どちらか先に発表されたか皆様はご存じですか?
日本に居るとサンリオのハローキティ・グッズが身の回りに多く見られるので、そちらが先なのではと思われる方が少なくないかも知れません。しかし、ミッフィーが生れたのは上記の通り1955年。他方、「ハローキティ」が生れたのはサンリオによると1974年。実際に本に登場したのが1975年で、明らかに「ミッフィー」の方に歴史があります。


裁判の行方が大いに気になるところでしたが、そうこうする内に大事件が起きてしまいました。そう、2011年3月に発生した東日本大地震による津波という大災害です。このニュースを知ったメルヒス、サンリオ、オリジナルの作者ブルーナ氏の3者が合意して取った決断が特筆すべきものでした。

『3月11日の東日本大震災の犠牲者の皆様に深く哀悼の意を表するとともに、被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。このような情況を鑑みメルシスとサンリオは訴訟を行うことにより費やす両社の諸費用をむしろ日本の復旧・復興のために寄付すべきであるという結論に至りました。』


この和解の後、サンリオ側は「キャシー」 の新製品を今後売らないことにしたそうです。実に爽やかな決着ではないでしょうか。





さて、何でこんな話題を持ち出したか、賢明な読者はお分かりですよね。この数日間で急展開した東京オリンピックのエンブレム問題。今、ここで誰が悪いとか、どれとどれが似ているとか違うとかいう検証をするつもりはありません。そもそも完全にオリジナルとは何かという本質的に難しい問題を孕んでいます。グラフィックデザインの世界では、従来の絵画や彫刻の世界とは異なり、コンピューターの力無くしてはその存在すら難しい特殊性があります。しかもネットが発展して、インスピレーションを触発されたのか、あるいは無意識の内に偶然似たものになってしまったのか、はたまたオリジナルなのか、その境界は不鮮明とならざるを得ません。そもそも「オリジナリティーとは何か」という定義自体が困難になっているように思えます。

ベルギーの某劇場のロゴを作案したデザイナー氏は、S氏の作品が自分のものを模倣したと認めたわけではないから、たとえオリンピック組織委員会がそのエンブレムの使用を中止することを決定したとしても訴訟は取り下げないと主張しています。「ミッフィー」と「キャシー」の間で見られた和解のように、皆が安心して納得できる心温まる解決策がないものでしょうかね。








本日の音楽、久し振りに覆面作曲家の作品をご紹介します。さて以下の画面から画面をYouTubeのページへ動かさずに作曲家名を当てられるでしょうか。余程の鑑識眼と言いますか、耳がないと分からないかと思います。




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