一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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市松模様
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管理人は仕事の性質から、普通の方よりも飛行機に乗る機会がずっと多いと思います。日本国内や欧米の主要路線であれば、荷物の取扱いがとても丁寧ですから、スーツケースもそれ程傷みません。しかし、それ以外の地域となると、取扱いがお世辞にも丁寧とは言えず、足のローラーや取っ手が歪んだり、ひどい時には取れてしまったことすらあり、表面も直ぐに傷だらけとなって、結構頻繁に買い替えなければなりません。軽くて丈夫、かつ滑らかに転がせる製品となると、お値段も安からず、意外に大きな出費です。


そんなこんなで、つい先日スーツケースを新たに購入したばかりと思ったら、今度は旅券や携帯電話などの貴重品を入れる愛用のアクセサリー・バッグのジッパーがスムーズに動かなくなって来ました。そろそろ買い替え時とは思っていましたが、立て続けで頭が痛いです。とはいえ、一種の必需品、無しで済ますというわけにはいきません。見た目もさることながら、何よりも本体の作りがしっかりしていることが重要です。特に肩紐が丈夫であって欲しい。更に言えば、肩にかけた時に軽く感じれば言うことありません。


そんなわけで、いろいろとネットや実際のお店に寄って物色しているのですが、なかなか条件に合致するものに出会えませんねぇ。写真の某ブランド・メーカーのバッグが眼に留まりましたが、お値段が・・・。市松模様とか、タータンチェック(2007年6月21日の記事)の格子柄とか、大好きです。





ところで、日本政府が経済状況の好転化に向けて様々な政策を打ち出していますが、実質的な効果が目に見えて表れて来ません。マイナス金利まで導入して、2%の物価上昇を目指すと言いながら、その実現には程遠く、株価も一時の2万円台が嘘のように下がってしまいました。国債だけは湯水のごとくに発行して、次代へのつけとして、その責任は取らないつもりのようです。そろそろ国民は、アベノミックスという幻想の夢に期待することなど止めて、眼を覚ました方がよいのではないでしょうか。


政治家たちや芸能タレントたちの不祥事を連日報道する日本のテレビ番組を見ていて、あることに気が付きました。スポーツ選手の優勝の記者会見とか、新製品の発表の記者会見など、おめでたい内容の報道の背景には、いつも会社や所属する組織のロゴマークなどが入った市松模様が、そうでない、たとえば不祥事の会見時には、無地の背景となっていることに。これ、数年前から何で会見の時に背景が市松模様なの?と疑問に思っていたのですが、今回日本に居る間に、以前より遥かにその頻度が増加していると思ったわけです。


そしてネットで調べてみたら、そういう記事が既にあるんですねぇ。市松模様の宣伝効果について解説したりする記事が。当然、ビジネス・チャンスとして、そうした市松模様のバナー・スタンドを製作し、販売する会社も存在しています。管理人は、ちょっと凝り性です。では、何故会社や組織のロゴマークを配置するだけではなく、「市松模様」なのか? そもそも「市松」って何(誰)?


これも調べてみました。完全に疑問が氷解したわけではありませんが、白と有色のコントラストが図柄的にも目立つことは容易に理解できます。そして、このような模様自体、実は古代から存在しており、古くは「石畳」とか「霰(あられ)」と呼ばれていたとのこと。それが江戸中期、歌舞伎俳優佐野川市松が江戸・中村座での舞台「心中万年草」で小姓・粂之助に扮した際、白と紺の正方形を交互に配した袴を履いたことから大人気を博したそうです。この模様、最初は古くからの習わしで「石畳」と呼ばれていたけれど、やがて彼の名前をとって「市松模様」と称されるようになったのだそうです。実在の人物の名前から来ているのですね。皆さん、ご存知でしたか?


では、何時頃から記者会見の時に市松模様のバナーを使用するようになったのか。こちらは未だ明確な答えは分かりませんが、F1レースの優勝会見などで1970年代くらいから使用されたのが最初という記事があります。そう言えば、フィニッシュの時に振られるチェッカー・フラッグが市松模様でしたね。しかし、それまで一部であったものが、どうして猫も杓子ものトレンドとなったのか、未だ未だ分からない疑問が沢山あります。例のブランド・メーカーも市松氏の存在を知っていたのでしょうか。どなたか、もっとこの市松模様の正確な変遷の歴史を調べてみませんか。「ネットとメディアとデザインの進化」なんて、卒業論文のテーマとしても大変面白いと思うのですが・・・。




今日の音楽、イギリスの作曲家アーサー・ブリス (Sir Arthur Edward Drummond Bliss, 1891-1975)のバレエ作品「チェックメイト Checkmate」(1937年作)。理由は改めて申すまでもありませんね。1937年6月にパリのシャンゼリゼ劇場にて、Constant Lambertが指揮し、演奏はOrchestre Lamoureux、バレエはVic-Wells Ballet (直ぐにSadler's Wells Balletと改称)によって初演されました。黒のQueenの一団と赤のKingの一団の白熱の戦い。一旦は赤のKnightに追い詰められた筈のBlack Queenが思わぬ起死回生の反撃に出て、最後にとどめを刺したのは果たしてどちらであったのか。実際の舞台を見たら、さぞや面白いストーリーなのではないでしょうか。1910年代前半、ストラヴィンスキーの前衛的な作品を続々と紹介したシャンゼリゼ劇場としては、聴き易い仕上がりの音楽だと思いますが、それは多分現代の音楽を聞き慣れた耳から受ける印象であって、当時としては結構新鮮な音楽だったのではないでしょうか。




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紅白の競演−春はもう直ぐそこまで
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前の記事で書きました通り、一度崩した体調は一旦回復したものの、その後に更にハードなスケジュールで仕事を続けたため、帰国の飛行機に乗った頃から一気にその無理の影響が身体に出るようになってしまいました。機内食を出されても一向に食欲が涌かず、気分は落ち込むばかり。何とか職場に顔を出したものの、その日は直ぐに早退させて頂くことに。帰宅してベッドに転がった途端、猛烈な頭痛と発熱が始まり、意識は半ば朦朧となり、完全に寝たきり状態。途中で熱を測ったら、何と39℃を少し上回っていました。翌日も38℃台後半の熱が続き、当然その日はお休みに。筋肉痛もありましたが、咳や鼻水はなく、流行りのインフルエンザではなかったように思います。結局、熱が引けるまでに数日かかり、ある程度元気が出るまでには更に2週間ほどかかりました。


というわけで、またまた更新が遅れてしまいました。その間にも世間はめまぐるしく動いています。ついこの間、新春のご挨拶をしたばかりと思っていたのに、もはや春の訪れが感じられる季節と言ってよいでしょう。少し前から日本に来ています。冒頭の写真は、都内の湯島天神で撮影したものですが、蕾から次々と開いた白梅が見事です。丁度受験シーズンの真っ只中、合格祈願の絵馬が半端ない程、鈴なりに奉納されていました。


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東京の街中を散歩中に、驚きの光景を見つけました。これは桜の一種なのでしょうか。青空を背景に薄紅色の花びらが、これまた我が時を得たりと咲き誇っていたのです。


紅白の見事な対照で思い出しました。機会があれば、いつもお土産に買う例の京都の和菓子屋さん。今の季節なら、こんな商品を出しています。


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白梅をかたどった右の方ですが、外側は白いけれど中には桜色のあんが包んであり、それが透けて見えるのです。とても上品なお味で、管理人は大好きです。


東京に滞在している間に、知人が筑地の場外市場を案内してくれました。実は管理人、筑地って今まで行ったことが無かったのです。沢山の鮮魚屋さんやお寿司屋さんがギッシリと並んでいて、ビックリしました。外国人も日本人も観光のお客さんで店内だけでなく、周辺の道路まで一杯です。その中の一軒で頂いたお寿司。これまた紅白の色彩の対照を鮮やかに、春らしい彩が大変美しい盛り付けです。勿論お味の方も申し分なし。大変御馳走様でした。間もなく、またお寿司など到底食べることが出来ない国に出張しますので、良い記念(想い出)になりました。


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さて春を表題とする音楽、今日は何に致しましょうか。久し振りにSir Arnold Bax (1883-1953) の作品から、交響詩「春の火 Spring Fire」( 1913年作)などは如何でしょうか。





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