一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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母というもの
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韓国映画『母なる証明(邦題)』(監督・原案ポン・ジュノ、2009年公開)という作品を最近観ました。もう数年以上も前の作品で、何を今更と言われるかも知れません。しかし、映画が公開された当時、管理人は多忙を極めており(結果的に国外転出することになりました)、その映画の存在も、どの程度評判になったのかも存じませんでした。しかし、冒頭のシーンからただならぬ雰囲気に惹き込まれ、意表を突く結末のシーンまで、良い意味で韓国映画の特色が良く出ており脱帽です。作曲の技法で「循環形式」というのがありますが、差し詰め「映像の循環形式」を駆使した作品と言えるかも知れません。何度か同じ映像シーンが現れますが、実は同じように見えて、最初のそれと後のものとは別撮りでほんの少し異なっています。メイキング映像を見れたら(あるかどうかは不明)面白いのではないでしょうか。


物語は、1人の中年女性が誰も居ない野原を彷徨い歩く内に、不思議なダンスを踊るシーンから始まります。このダンスは、(観終わってみれば)この後の物語の進行をそれとなく予言するものなのですが、この段階では全く意味が分かりません。次いで舞台は、とある小さな町に住む知的障害を持つ青年トジュンとその悪友ジンテが道路で犬と戯れているシーンへと移ります。そこへ突然1台のベンツが危うく彼らを轢きそうに走り去り、その瞬間を眼の前で目撃したトジュンの母親が驚いて裁断作業中の指を怪我しながらもトジュンの足元へと駆け寄ります。母の血を見たトジュンはてっきりひき逃げのせいと勘違いし、ベンツの車の持ち主が向かっていたゴルフ場で仕返ししようとする・・・。


やがて、この町でひとりの女子高校生が民家の屋上で殺されているのが発見され、事件の容疑者として青年トジュンが逮捕されてしまいます。死体発見の現場近くにトジュンがゴルフ場で拾っていたゴルフボールが見つかったからです。母親にとって、トジュンは何ものにも代えがたい最愛の息子。息子の性格から殺人など出来よう筈もなく、警察の力を借りずに自ら真犯人を突き止めようと必死に探る内に、思いもよらぬ真実に直面することに・・・という筋書きです。韓国では国民的女優の一人と言えるキム・ヘジャが母親役を熱演しています。


もしも、皆様既にご存じでしたら、何を今頃感心などしているのかと、管理人の時代遅れをご笑止下さいませ。ちょっと予告編を見てみましょうか。





なお全編をご覧になりたい方は、レンタルかビデオ・DVDショップなどで借りて観て下さい。ただし、観終わった後に簡単には拭い去れない澱(おり)のようなものが残る相当にインパクトの強い作品です。その点だけご注意申し上げておきます。


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中古CD
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CDであれレコードであれ、お気に入りの音楽は聴きたい時に直ぐに高音質で聴きたいですよね。当ブログ管理人は、コレクターと呼ばれる程熱心にCDを集めているわけではありません。しかし、塵も積もれば何とやら。結果的に相当数のCDを所有することになってしまいました。勿論、なるだけ新品で揃えるに越したことはありませんが、全てをそのようにしたらとんでもない金額になってしまいます。そこで御多聞に洩れず、お世話になるのは中古CDです。本日は、この中古CDに関した話題から。


とある地方都市に居住していた頃、職場があった或る大きな街のCDショップに時折立ち寄ったり、或いは直接CDを発売している会社(ほとんど海外メーカー)から直接ネット注文により新品の商品ばかりを購入しておりました。それがやがてブック○○というチェーン店が地方にも進出し、また東京など大都会に行けばディ○ク○○オンなどといった中古CDを専門に扱うお店があることを知り、定価の半額前後、場合によってはそのまた半額近くで入手が可能となり、一時期そうしたお店に足繁く通うこともありました。


しかし、あの膨大な数のCDからお目当てのものを探し求めるのは相当に至難。時間も掛かるだろうし、眼がかなり疲れるのでは・・・と誰でも思いますよね。ところが、管理人の場合、実は意外と簡単なのです。先ず、大概のお店では商品を並べる際に作曲家をアルファベット順に配置しています。そこで、有名作曲家が集中するB(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなど)、M(モーツァルト、マーラーなど)、S(シューベルト、シューマン、R&J・シュトラウスなど)、T(チャイコフスキー)、W(ワーグナーなど)の棚などは先ず見ることがありません。たとえ見るとしても、同じアルファベット文字から始まるマイナー作曲家のCDが置いてある棚の部分だけ。こうするだけで、お店に置いてある商品の約7割程度をスキップすることが出来ます。(メジャーな作曲家のCDを全く買わないわけではありませんよ。指揮者や楽団など演奏家をいろいろと替えて聴き比べることに、あまり関心がないのです。だから、いわゆる有名作品に関しては1組か2組しか持っていません。)


管理人が好んで購入するレーベルは、Chandos、hyperion、cpo、BIS、ONDINE、そしてNaxosなど。ご存じのようにレーベルによってCDジャケットの背表紙の色・デザインが違いますから、この色相いとアルファベットの組み合わせだけで、大概の作曲家名を瞬時に推測することが出来ます。後は手に取って確認するだけ。事前に欲しいものリストが頭の中に出来ていれば、眼をスキャナーのように横に走らせるだけで、ほぼ確実にゲットすることが出来ます。問題は、そのような管理人が欲しいと思うような商品が滅多に出回らないこと。ただでもマイナーな作曲家ですから、それを最初に手に入れた購入者は元来相当なクラヲタである可能性が高く、そう簡単に手放さないと考えられます。


管理人の現在の状況では、そうそう頻繁に日本の中古CD店に行くことが出来ません。うまく出張のついでに立ち寄ることが出来る機会を最大限に利用するしかありません。最近、そのようなチャンスがあり、以前から欲しかったhyperion romantic piano concetoシリーズの何枚かを入手することが出来ました。それも思ったよりもかなりの安価でした。つらつら思いますに、こうしたマイナー作曲家の作品のCDは、購入したご本人が売りに出されたのではなく、病気やその他の理由で故人となられて、そのご親族の方たちが遺品処分のために纏めてどっと売りに出し、巡り巡って中古CD屋さんのショーケースに並んだのではないかって。未開封のCDならば、ああ、これはきっとダブリ買いをしちゃって処分したのだなと分かります。しかし、開封済み、しかも多少とも使用感があるものであれば、どうしてこのCDが此処にあるのだろうと思わずにはいられません。ご本人がご存命ならば、(貴重なCDを)処分しようなどという心情が沸く筈がないのです(少なくとも自分がその立場であれば、きっとそのように思います)。安価で入手出来た喜びを味わいつつも、元の所有者の運命を慮り、やがて自分がそうした年齢になった時のことを想像すると、ちょっと複雑な気持ちになりました。皆さんは、そのような時どう思われますか?







最近購入したCDの中の1枚から、ごく一部を抜粋した動画がアップされています。ご参考までに。






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