一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

アイルランドの風景(5)
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アラン諸島と言えば、ファッションに多少とも関心のある方なら直ぐにあれでしょとピンと来る筈です。


そう、アラン(織り)・セーター発祥の地なのです。本土からのフェリーが発着するキルロランの港から数分のところに、壁に大きく「Aran Sweater Market」と書かれた発売所があります。


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お店の中に入ると、女性用・男性用を問わず実にたくさんの商品が並べられており、お土産には最適の品かも知れません。


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お値段は、勿論サイズやデザインによって多種多様ですが、おおよそ1着50ユーロから100ユーロくらいです。遥々ここまで来て購入したことを思えば、意外と安価なのではないでしょうか。


さて、アラン織りと言えば、ケルト文様のような網目の凹凸がくっきりと目立つ独特の編み方が有名です。都会から遠く離れた漁師たちの島で何故にアラン織りのような産業がこの地で生まれ、今日まで受け継がれて来たのかは、アラン諸島が何世紀もの間くぐり抜けて来た歴史(それはアイルランド辺境の地の多くの漁師町にも当てはまります)、即ち厳しい大自然との闘い、ほとんど農作物が収穫できない岩石だらけの荒れ地において、わずかに人々の生活を支える牧羊業、そして危険を伴うとは言え、唯一豊富な生物資源とも言える大西洋の恵み、それらが相俟って初めてほんの少しだけ理解されるような気が致します。次の動画は、その辺りを見事にまとめています。





島を離れる前に撮影したケルト十字。これは墓標ではなく、おそらく観光者向けの記念碑でしょう。とても印象的な風景に満ち溢れたアラン諸島。またいつの日か再び訪れたいと心から思いました。


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今日の音楽は、やはりアイルランドと言えばこの人の存在なくしてこの国のクラシック音楽は語れないSir Charles Villiers Stanford(1852-1924)の管弦楽用作品からアイリッシュ・ラプソディー第6番, Op.191。Stanfordについては、このブログで何度も取り上げていますので、特にここでは紹介を繰り返しません。





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アイルランドの風景(4)
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仕事のためとならば、世界の果てまでさえも出掛けることを厭わない(性格的に拒否できない?)当ブログの管理人。今回は、少々仕事のことは忘れて、普段滅多なことでは訪れるチャンスがない念願の地、アラン諸島にまで足を伸ばすことにしました。最初に行こうと予定していた日は、生憎の荒天のためフェリーが欠航。翌朝も雨模様で、半ば諦めつつも、ゴールウェイ市内のフェリーの切符発売所に行き運行状況を尋ねると、今日は出るよとの返事。間髪を入れずチケットを購入しました。


もっとも、後述する今回の旅で是非行ってみたかった目的地(の一つ)に辿り着くのは、そう容易なことではありません。先ずは、ゴールウェイの街からアラン諸島へのフェリーが発着する港の町ロッサビルまで、バスで1時間ほど。そしてフェリーは日に何本も出ていませんから、朝のバス1本を逃すと、事実上その日の内に島に行って帰って来ることが不可となりますので要注意です。バスの車窓から見えた海岸線の風景が冒頭の写真です。この時は潮が大きく引いていました。


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ロッサビルの港でAran Island Ferriesという会社の船に乗り換え、いよいよアラン諸島へ。諸島は大、中、小、3つの島から成っており、今回はその中で最も大きなイニシュモア (Inismore) 島に渡ります。アイルランド語(ゲール語)では Inis Mor と呼ばれており、アイルランドの伝説的ハーピスト、オカロラン (Turlough O'Carolan, 1670-1738) の出世品 「Sí Bheag, Sí Mhór (小さな妖精の丘と大きな丘)」(2008年8月1日の記事を参照のこと)をご存じであれば、島の名前もピンと来ます。


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小1時間の船旅を経て、いよいよイニシュモア島の玄関口、キルロランの村に到着です。島の面積は12平方マイル、人口は800人余りとのことですから、兎に角、最果ての島に来た感は半端でありません。


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島内を巡る手段としては、現地のマイクロバスによるツアーに参加、馬車の借り上げ、徒歩など何通りかありますが、管理人は何を血迷ったかレンタサイクルに乗ることに。安かったから(1日借りて10ユーロ、他にデポジットとして10ユーロですが、返却時に返してくれます)というのがその理由でしたが、なだらかなアップダウンとは言いながら、季節が未だ肌寒い時分で、しかも常時風が強いこともあり、漕ぐのが無茶苦茶しんどかったです。借りてから直ぐに大変後悔しました。とりわけ海岸線に沿った低い道を行けば良かったのに、丘の上を越える道を選択したのが大失敗。ヒーハー言いながら必死に漕ぎ続ける内に、やがて目的地の方向を示す標識がありました。


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どうです?読めますか? 左上に「Dun Aonghasa」とあるのが分かるでしょうか。


そして間もなく見晴らしが良い処に到着。


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ここまで来るのに、かれこれ2時間くらいはかかったのではないでしょうか。それにしても見渡す限りの石垣に囲まれた牧草地、牧草地・・・。島中が岩石で出来ているようなものですから、材料だけは豊富です。とは言え、これだけの石垣を積み上げた労苦のことを思うと、気が遠くなります(このことはアイルランド全土に言えます)。


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紀元前にケルト人が到来した時には、既に古代の先住民が居住していた痕跡として考えられたドンエンガスの遺跡と断崖。それが目的地の一つです。自転車や自動車(馬車)は、この遺跡の手前までしか入ることは許されず、ビジター・センターにレンタサイクルを置き、入場料?を払って、最後のアプローチは徒歩となります。この石積み城壁に空いた通り口を抜けて得られた眺望が次の写真です。


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高さ約100メートルの断崖が連なっています。


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反対方向にも延々と断崖が・・・。


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そして断崖の上から遥か沖合を眺めると、大西洋の大海原がどこまでも拡がっています。幸いに、朝には怪しかった空模様も、この時だけは嘘みたいに晴れ渡り、ここまで大変な思いをしながらもやって来たことを本当に良かったと思いました。遥か地平線の彼方には新展地となるアメリカ大陸があることを知ってか知らずか、18世紀半ばに突然遭遇したアイルランド大飢饉を契機に、アイルランド本島住民の多く(一説には数百万人とも)が母国を離れ、海を渡って未だ見ぬ新世界へと大移動しました。


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恐る恐る眼下の海面を撮影。断崖の縁には柵も何もありませんから、もしも強風が吹いていたら腹這いになって覗き込むことすら至難です。旅行後に自分が撮影した写真を眺めて、よくもこんな場所で自撮り棒も使わずに撮ったものだと、一人で感心。その時になって初めて足がガクガクと震えました。というか、これまで落下事故とか起きなかったのかしら?


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歩いて登って来た道を戻る時のスナップ写真です。


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来た道をもう一度自転車で引き返すのは、体力的にとても無理と判断。今度は海沿いの低い道をゆっくりと走ることにしたら、馬車とすれ違いました。英語でご挨拶したところ、何やら返事をされたのですが、何を仰っているのかまるでチンプンカンプンです。そう言えば、このアラン諸島の住民は、アイルランドが経験した近現代の社会的動きとは全く隔絶されたように、それまで祖先代々が築き上げた伝統的な生活・文化を受け継いでいます。従って住民同志が会話する言語は、ほぼ完全にアイルランド語(ゲール語)。会話が通じないのも無理はありません。(ただし島自体が観光地ですから、そうしたお客様相手の施設では問題ありません。)






さて本日の記事の最後は、ケルティック・ムード満点の音楽で締めくくりましょうか。作者名は動画の最後に現れて来ます。歴史的資料価値の高い写真も大変優れています。






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