機上にて(2)−まどろみ
- 2008/04/21(Mon) -
Tamara1



冷戦時代の飛行機会社は、日本からヨーロッパへ飛ぶ際にソビエト連邦の領土を避けて、わざわざアラスカのアンカレッジを経由、北極海の上を飛ぶという回り道をしていました。今はそういう遠回りをすることもなく、ほぼ大圏航路を飛びますので格段に楽になりました。

と言っても片道12時間以上。日本海を超えハバロフスク上空に至ってからは、延々とシベリアの大地を眼下に眺めることになります。冬であれば雪と氷に覆われた真っ白な大地が、夏は夏で町はおろか人家らしき片鱗すら見えないツンドラの大地が、映画を1本あるいは2本見終えようとも、またひと寝入りしようともふた寝入りしようとも、その前と少しも変わらない景色のまま、足下1万メートルの奈落の底をゆっくりと流れて行くばかりです。世界第1位の国土面積を誇るロシアの大きさをまざまざと見せつけるヨーロッパ航路は、時の経過を完全に忘れてしまう「まどろみ」の世界に浸るにはもってこいの路線でしょう。


20世紀の初頭、はるばるロシアからヨーロッパの都にやって来て人々を驚かせたもの。それは美しい音楽と鮮烈なリズムに乗せて眼を瞠るばかりのダイナミックな動きを見せたロシア・バレエ団のダンサーたちでした。ストラヴィンスキーの「火の鳥」「ぺトルーシュカ」「春の祭典」など新作のバレエ作品は、こうして1910年代のヨーロッパで次々と発表されました。バレエ団の一行は、パリそしてロンドンで公演を行って喝采を浴びています。こうした大成功が、英仏の若い作曲者らの感性を刺激しない訳がありません。

イギリスの作曲家バックス(Sir Arnold Bax, 1883-1953)は、後年の作品の特徴としていずれも極端にメロディーラインが辿り憎く、いわゆる難解な作曲家の部類と一般には認知されていますが、まだ20代の頃にはロシア・バレエに魅了された大のロマンチストの一人でもありました。もっとぶっちゃけた言い方をすれば、大好きなバレエにあまりにのめり込み過ぎて、ロシア人名プリマドンナとも懇ろな関係にまでなったお人です。(後年、奥さんがありながら、ピアニストのハリエット・コーエンと愛人関係になっていますから、そういうことに活発なお人なのでしょう。)

そのバックスが、パリにおける「春の祭典」初演などを主宰したセルゲイ・ディアギレフにより委嘱されたバレエ作品「From Dusk to Dawn」(1917年)と「The Truth About the Russian Dancers」(1919年)をまとめて聴ける素晴らしいCDが、Chandosからつい先だって発売されました(CHAN 10457 X)。前者のストーリーを掻い摘んでご紹介致しましょう。


誰もが寝静まったある夏の夜のこと。時計の針が重なって真夜中の12時を打った時、柔らかな月の光が陶磁器で出来たドレスデン人形(注. このバレエでは男のお人形で、ドレスデン陶磁器については下の写真を参照のこと)と道化師と美しい踊り子の3人だけをほのかに照らし出します。周囲に飾られた花々のつぼみが、一つ、また一つと開く中、道化師とバレリーナの2人は抱き合いながら、やがて一緒に踊り始めます。

鐘が1つ鳴った時、花々が踊る中をそれまで動くことのなかったドレスデン人形が目覚めて、おもむろに道化師と踊り子の間に割って入ります。そして踊り子の気を、自分の方へ自分の方へと惹きつけるように熱烈な踊りを舞い始め、誘われた踊り子はその熱意についほだされて、とうとう人形と共に踊り始めてしまいました。

鐘が2つ鳴った時、興奮して喜びの極致に至ったドレスデン人形が、踊り子に突如接吻してしまいます。

驚いた踊り子は、人形の顔を邪険に振り払い、道化師の腕の中に倒れ込んですすり泣きますが、道化師は彼女を押し戻し、そして叱ります。彼ら2人が口論を始めるや、人形はここぞとばかりに道化師をけしかけた丁度その時。一陣の突風が舞い上がり、思わずよろめいた人形は転倒して粉々に砕け散ってしまいます。

つかの間とは言え心を浮わつかせたことを反省した踊り子が、しきりと道化師に媚を売るものの、彼はもはやそれを受け入れようとはしません。仕方なく人形の方はと顧みると、人形は壊れたまま、言葉すら発せそうにありません。途方に暮れた踊り子が、再び道化師の方へと熱い眼しを向けても、拒絶の姿勢に変わりはありません。やがて時計の針はゆっくりと動いて3時を告げる鐘の音が・・・。夜明けはもうすぐそこまでやって来ています。

すべてが静まり返る中、悲しい沈黙が辺りを支配したその瞬間、再び一陣の風が起きて踊り子が道化師のぎこちない腕の中へ舞い落ちたところで、幕がさっと下ります。果たして2人は首尾よく仲直りすることが出来たのでしょうか、あるいは出来なかったのでしょうか。終曲のモチーフから推測してみて下さいな。


Dresden1



バックスがバレエに付けた音楽は、これがあの難解なはずのバックスかと信じられない程に解り易く、また美しいメロディーを次々とふんだんに繰り出して、時の経過が知れぬ程にロマンティシズムに満ち満ちたまどろみの世界へと誘います。マトリョーシカ人形と深いオレンジ色と黒色のコントラストが際立って映える素敵なデザインのCDではありませんか。


Bax1



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