
とある場所で、「クラシック検定」なる記事を見ました。音楽を聴いて楽しんだり、あるいは演奏する際に、そうした音楽に関する知識が有るか無いかは必ずしも重要ではありません。が、やはり知っているといないでは、その音楽に対する理解の程度が異なることがあります。
では突然、皆様に問題です。(^_^) できればネットで調べることなく回答してみて下さい。
[問] 次に挙げる20世紀の大指揮者と言われた人たちの内、交響曲を作曲したのは誰でしょうか。また何曲残したでしょうか。(一人とは限りません)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ブルーノ・ワルター オットー・クレンペラー セルジュ・チェリビダッケ
19世紀から20世紀の初頭にかけて起こった音楽界における大きな変化の一つとして、それまで作曲家が指揮もすることが当たり前だったのに対し、指揮を専業にする者が現われたことが挙げられます。19世紀末のマーラーやリヒャルト・シュトラウスが代表的ですが、作曲家でありながら指揮者でもあり、しかも相当洗練された腕前を発揮していたようです。これが世紀が変わりますと音楽がより複雑・緻密となり、作曲家自身でもうまく振れなくなるケースが出て来るようになりました。と同時に、むしろ指揮者として音楽表現することに才能を発揮し、作曲家との両立を断念、指揮に専念するというケースが多々現われるようになりました。
今日、大指揮者と認識されている人たちの中にも、実は若かった時には作曲をしていた者が少なくありません(もちろん例外はあります)。今ではほとんど作曲家としてその名が記憶されていないのは、大した作品を残せなかったとも言えますが、時代の変化を察知して自ら封印したことが大きな理由だったのかも知れません。
本日は、忘れ去られるには余りに惜しい非凡な作曲の才能を示した指揮者をご紹介したいと思います。もしも次の写真だけでその人の名前を言い当てられたら、あなたは相当なクラ通です。ウィキペディアでもほとんど情報が載っておりません。

彼の名前はエルンスト・ベーエ (Ernst Boehe, 1880-1938)。ミュンヘン生まれの生粋のドイツ人。ミュンヘンの他、北ヨーロッパ各地でコンサート指揮者として活躍しました。このベーエは若い頃Ludwig Thuille (1861-1907)らに作曲を学んでおり、しばらくは創作に精力を注ぎましたが、やがて指揮活動の多忙さの中で自ら筆を折ってしまいました。彼の代表作は「Aus Odysseus's Fahrten (オデュッセウスの航海から)」(1901-1905年作)。ギリシャ神話の英雄オデュッセウスの生涯を描いた、全4部から成る演奏時間1時間半近くも要する管弦楽のための超大作です。
第1部「出発と難破」、第2部「キルケ島」、第3部「ナウシカアの嘆き」と続き、第4部「オデュッセウスの帰還」で完結します。オデュッセウスはギリシャの英雄たちがトロイに集結して始まったトロイア戦争に参加しましたが、出征前に「トロイアに行ったら20年は戻ってこれないであろう」と予言され、10年間もの長い戦いを余儀なくされてしまいます。ようやく戦いに勝ちを治め、故郷イタケを目指して帰路に着くも、途中様々な苦難が次から次へと待ち受けて、最後には船も部下も全て失ってしまいます。ここまでされたら可哀相を通り越して、そうした試練を課した神々たちに憤慨すら感じさせる英雄の苦難の物語は、それだけでハラハラドキドキの大活劇・大ロマン。その壮大なストーリーのハイライト・シーンを音楽化した作品が、上記の「Aus Odysseus's Fahrten」です。ご興味のある方は、何か適当なギリシャ神話の本をお読み下さい。そんな本なんて面倒くさいという方には、こんなものもありますよ(笑)。↓

話は少し変わりますが、クラシック音楽と言いますかヨーロッパ文化に触れる時、ギリシャ神話は母体にいる時から聞かされる子守唄のように、知らず知らずにその根底に深く流れているものです。とりわけロマン派の時代になってからは、そうした基礎知識無くしては真の作品理解が出来ない程に深い意味を持って来ます。西洋の文化知識人たちがギリシャ神話に単なるお伽話を超えた何か特別なものを感じ、また事実そうした特別の普遍性を探し求めていたのでしょう。一例を挙げれば、「オデュッセウスの長い旅」は‘Odyssey’という修辞にもなり、あの有名なSF作家アーサー・C・クラークの作品「2001年宇宙の旅 (原題 A Space Odyssey)」に繋がっていることを知れば、ギリシャ神話が後世に与えたその文化的意味の大きさがお分かりになることでしょう。
さて、ベーエの「Aus Odysseus's Fahrten」。リストの交響詩やR. シュトラウスの管弦楽作品などドイツ・ロマン派系音楽がお好きな人なら、はまること疑いありません。R. シュトラウスともワーグナーとも異なった息の長い長い美しいメロディーに、いつまでも浸っていたいと思われるに違いないロマンティックな夢物語の音楽です。幸いにこの曲、cpoから発売された2枚のCDで聞くことが出来ます。ロマン派後期の名だたる諸作品に比べても決して引けを取ることなく、ベーエがもう少し作曲家として頑張ってくれたらと思わずにはいられません。


[なお冒頭に掲げた絵は、ドイツ・ロマン主義の代表的画家カスパー・ダーヴィト・フリードリッヒ (Caspar David Friedrich, 1774-1840) の作品「氷の海」です。]