
ウジェーヌ・ドラクロワ (1798-1863) 『民衆を率いる自由の女神』
皆様、明けましておめでとうございます。
新年早々に血なまぐさい画像から申し訳ありませんが、イスラエルのガザ地区での戦闘を始めとして、アフガニスタンやイラク、その他大きく報道こそされませんが世界各地において戦争と残虐な殺戮行為は絶えることなく続いています。本当にいつになったら真の平和がやってくるのでしょうか。平和ボケの日本だからこそ、このような名画から新年のご挨拶とさせて頂きます。
さて、年末の音楽と言えばベートーヴェンの「第9交響曲」。合唱に参加された方も少なからずいらっしゃったのではないでしょうか。この曲の終楽章で歌われる歌詞がフリードリヒ・フォン・シラー (Johann Christoph Friedrich von Schiller、1759-1805)による『歓喜の歌』であることはあまりにも有名ですが、これがどのような理由から作られたかご存知でしょうか。
シラーはドイツ南西部で軍医の父の下に生まれましたが、幼少の頃より抜群の成績を示す秀才であり、その才能を買った領主カール・オイゲン公の命で強制的に陸軍軍人学校で法律を学ばさせられました。しかし、法律に興味が持てないシラーは16才の時には自らの意志で専門を医学に変更してしまいました。またゲーテらの新しい気風に溢れた作品等に触発され、18才になったシラーは権力に反抗する理想に燃える犯罪者を主人公とする処女作『群盗』を書き始め、21才になった1781年にそれを発表しました。
そうしたシラーの言動は当然の結果としてオイゲン公の不評を買い、事実上の幽閉状態に追い込まれますが、シラーはそれから逃れるために領地を出奔。しばらくはマンハイムなどで亡命生活を過ごし劇の台本を書くことで生活費を稼ごうとしますが、そうした仕事は長くは続かず、やがて生活が困窮します。そうした折、以前『群盗』に感激してファンレターをシラーに宛てて送った青年クリスティアン・ケルナー(後に生涯の親友となる)のことを想い出し、路頭に迷ったシラーはついに会ったこともないケルナーに無心の手紙をしたためました。
何度かの手紙のやり取りの後、ケルナーを頼るべくシラーは1785年とうとうライプツィッヒに向いますが、あいにくケルナーは不在。ところが幸いに、ケルナーの友人たちがシラーが到着したことを知るや彼を温かく迎え入れ助けました。この時の熱い友情に大感激して作ったのが、あの賛歌『歓喜の歌』なのです(出版は1786年)。
そのシラーが後の1799年に完成させた韻文作品『Das Lied von der Glocke (鐘の歌)』をテキストに、「第9交響曲」と同じく「4人の独唱者と合唱と管弦楽のため」の大作をブルッフ (Max Bruch, 1838-1920) が書き遺しています。曲名はそのまま『Das Lied von der Glock』 op.45 (1978年作)。全曲演奏約110分の2部からなる創作力旺盛な中期ブルッフの感動的な作品。スコットランド幻想曲とほぼ同時期の作品でありながら、彼に特有である旋律の甘さは極力抑え、「神の鐘の響き」に合わせて人間の崇高さを高らかに謳い上げる正統的ドイツ音楽です。2004年の大晦日から2005年の元旦にかけて、ドイツ・ワイマールにおいてジルベスター・コンサートとして演奏された実況録音(Jac van Steen指揮、Staatskapelle Weimar)がcpoから発売されています(cpo 777 130-2)。この記念碑的2枚組みCDをもって、新年の音楽紹介事始めと致しましょう。皆様、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。