一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

カタカナ語の氾濫に思ふこと・・・
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日本では未だ梅雨の真っ最中。各地で大雨が降ったりなどすると、川が急に増水し、子供が流されて溺れ死んだという悲しい事故が相次いで起きているとのニュースに心を痛めています。それに加え、昨日は何処其処で、今日は別の何処其処で、やれ女性や子供が行方不明だの、殺されただのと、殺伐なニュースが連日止まるところを知らず、いったい日本は何時からこんなにも狂った世の中になったのだろうと嘆かわしく思う毎日です。


そうした事件・事故の氾濫もそうですが、ふと気がつくと、今の世の中、それまでにあまり使われなかったカタカナ言葉が異常に氾濫しているように思います。英語(外国語)として使う分には少しも違和感の無い言葉が、カタカナ表記になって、しかも日本流に省略されたおかしな言葉として日常の会話に出て来ると、何かとてもそぐわない感じがするのは管理人だけでしょうか。「restructuring」と言われれば、すんなり耳にも入るし、頭でも理解できる普通の言葉が、「リストラ」と言われると、突然「首切り」などネガティブなイメージ(笑)だけがぐぐっと前面に出てきて、本来の意味とは異なっているような感じがしないでもありません。未だに二つ折の携帯電話(ガラ携とは意地でも呼びたくない)を現在も使用している管理人は、「スマホ」という言葉に何となく抵抗感を感じてしまいます。


省略しないまでも、「ユーザー」くらいならまだしも、「コンセンサス」、「カスタマー」、あるいは「デフォルト」などと言われたり、書かれたりすると、少々年令のいった方々や門外漢の人たちには意味がさっぱりチンプンカンプンなのではないでしょうか。もしも日本語に相当する言葉があるなら、それを使えば良いだけの話で、何でもかんでもカタカナ語にすれば恰好が良いと思うのはいささか変ではないかという主張に賛同する者はきっと多数いることでしょう。管理人もそういった意見の持ち主の一人でした。


ところが、ある時から、この考え方を少し改めた方が良いと思うようになりました。


企業にいらっしゃる方々には極めて常識的な「コンプライアンス」という言葉がありますね。なかなか本質が分かり難い言葉です。もちろん「法令順守」という意味だということくらいは直ぐに分かるのですが、それなら当たり前ではないですか。何故にわざわざカタカナ語で「コンプライアンス」と言うのかが、最近まで管理人にはよく分かっていませんでした。(恥)


確かにこの言葉を、仮に日本語訳するとすれば「法令順守」で良いと思います。ところが、実はこの言葉は単に法律や条例を順守すれば良いということではなく、もっと広い適用がされていることを知ったからです。たとえば「社内の就業規則・ルールを守る」というのも「コンプライアンス」に入るのだそうです。昨年公開された2004年に米国で実際に起きた事件を元に制作された次の映画は、そういうことを知ってから観るのと観ないのでは、理解の度合いが大きく違うように思えます。





もっとも「コンプライアンス」という言葉は、最近では更に一歩進めて「一社会人・人間としてやってはいけないこと、やるべきことを常に正しく判断しながら、それに則って行動する」という意味までもが含まれるのだそうです。つまり、言葉がどんどん進化しており、この新しい言葉の解釈を社員全体や特に新人たちに正しく伝えるか伝えられないかで、企業・団体のイメージのみならず、人間の大きな社会的成長まで促せるかも知れないのです。


こうして見ると、カタカナ言葉(外来語)がただただ増えたと嘆くよりも、原義に相当する日本語訳を超えた新しい意味あいが生まれているなら、即ち従来には存在しなかった新しいコンセプトが表現されているカタカナ言葉なら、一概に悪いと批判すべきではないと思うようになったのです。最近は、ついついこんなことを考えることが多くなりました。硬い話題で御免なさい。やはり、ちょっと疲れ過ぎなのでしょうね。


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