一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

名作曲家の故郷ウィーン(2)
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シューベルトの交響曲第9(7)番。


実は管理人が子供の頃、自分のおこずかいで買った2枚目のレコードがこの曲なんです。演奏は、オイゲン・ヨッフム指揮、バイエルン放送交響楽団。ちなみに一番最初に購入したのは、ドヴォルザークの「新世界交響曲」。 そして、3番目に手に入れたのはハイドンの交響曲第100番「軍隊」でした。


特に変わった曲の選択でもなく、ある意味で極めてオーソドックスな選曲と自分では思うのですが、ベートーヴェンやモーツァルトでなかったのは、大人になってからの片鱗が既にこの頃に現れていたのでしょうか。選曲の方はともかく、思わず苦笑いせざるを得ないのが、その当時我が家にはステレオ装置もプレーヤーも無かったということなんです。!!!


それなのに衝動的にレコードを買ってしまったのですから、余程欲しかったのでしょうね。買ってから暫くは、毎晩それらを胸に抱きかかえながら床に就いていたことをありありと記憶しています。


それで、ステレオ装置も無いのにそれらのレコードをどうしたかと申しますと、ステレオがあるお友達のお家に毎回持って行って、かけてくれるように頼んで聴いていたのです。多分その家のお母様には相当呆れられていたのではと、今になって赤面の想い出です。


シューベルトの銅像を前にして、そんなことを想い出しました。





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ウィーンの街中は緑も多く、散策にはもってこいです。東洋のある国では、交通渋滞の原因になると汚名を着せられて次々と廃止になった路面電車が、今も長閑に走っているのがとても嬉しいです。


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ミニトレインだって堂々と市内を走っています。そう言えば、それなりに車はたくさん走っていましたが、交通渋滞というものをほとんど見なかったように思います。(東京や大阪など)日本の大都市が異常なのでしょうか。


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以前このブログでベーゼンドルファーのお店についてご紹介したことがありますが(2013年5月27日の記事)、スタインウェイのお店もありました。名だたる演奏家たちが活躍する音楽のメッカなのですから、不思議はありません。


夏の旅行シーズン中は、ウィンナ・ワルツなどを定番メニューとしている(主に観光客を対象とする)演奏会を除いて、ウィーン国立歌劇場など本格的なオペラや演奏会はすべてオフシーズンとなってしまいます。ところが、秋から初夏にかけては、毎晩のように市内のどこかのホールで超一流の演奏家たちによる第一級の音楽が聴けるのですから、クラシック音楽好きにはたまりません。ついでに言えば、ここに長居すると貯金もたまりません・・・。






さて、本日の音楽ですが、シューベルトとほぼ同時代の作曲家ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェク (Jan Václav Voříšek, またはJohann Hugo Worzischek (Jan Václav は洗礼名で、本名はJan Hugo、そしてWozischekは独語表記の姓ということになります), 1791-1825) をご紹介しましょう。ヴォジーシェクはボヘミアの生まれで、1813年に音楽関係の定職を探すべくウィーンに移り、その後はこの街に居着いて活動を続けますが、なかなか職を見つけることはできず、1822年になってようやく第2宮廷オルガニストに、1824年に第1オルガニストに就任することが出来ました。しかし、そのわずか1年後の1825年には肺結核のためウィーンの街で没してしまいました。ウィーンではフンメルにピアノを師事し、同じ頃大活躍していた憧れのベートーヴェンとも知り合っています。主な作品は、ピアノ曲や室内楽曲、そして交響曲など。シューベルトの交響曲第9(7)が1825-26年の作品で、一方、1821年に作られたヴォジーシェクの交響曲ニ長調は、同じウィーンの空気の中で作曲されながらも、明らかにベートーヴェンの影響が作品に強く表れています。ヴォジーシェクはまたシューベルトの良き友人でもあり、この時代の錚々たる顔ぶれの天才たちが一堂に会していたということですね。いずれにしましても、彼の作品を聴いていると、この頃流行していた音楽がどのようなものであったかがよく分かり、大変面白いです。





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