一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

柘榴坂
CZS2


雪を冠った寒椿の写真を初めて掲載したのは、このブログを開始してから1年半余りを経過したとある冬の寒い日に、子供の時分に実際に起こったある出来事を想い出して書いた時でした。本日はそれ以来2度目になります。(2008年1月22日の記事参照)


雪景色の中にじっと耐えるように花弁を開くこの植物を再び取り上げたくなったのは、他でもありません、最近エミレーツ航空の機内で、『柘榴坂の仇討』(若松節朗・監督)という映画を観たからです。日本では9月下旬くらいから全国的ロードショーが展開中とのことですので、既にご覧になられた方々も沢山いらっしゃることでしょう。


この映画の原作は、ご存知のように安政7年(1860年)3月3日の朝、時の大老、井伊直弼を水戸脱藩浪士ら18名が暗殺した、いわゆる「桜田門外の変」とその後の史実に基づいて書かれた創作であり、浅田次郎短編集『五郎治殿御始末』の中に収録されています。主君の仇討を命じられ、13年間襲撃犯を追い続ける大老一行の警護責任者であった彦根藩士、志村金吾役を演じた中井貴一と、襲撃には成功した一党の浪士でありながら、その後そのことを後悔し、自害や自首することも出来ずに明治の時代まで生きながらえた脱藩浪士、佐橋十兵衛(明治以降、直吉と変名)役の阿部寛の好演は言うまでもありません。しかし、それと同時に井伊直弼役を演じた中村吉右衛門の存在感が素晴らしく、実に感動的な仕上がりの名時代劇作品だと思います。ちなみにそれぞれのモデルとなった実在の人物名は、伊井直弼を除いてすべて別ですので、ご興味がある方はご自分でお調べになって下さい。


映画の予告編はこちらです。





豪華な演技陣の方につい注目が行ってしまってあまり目立ちませんが、実はこの映画の音楽を担当しているのは久石譲氏です。抑えめの音楽がしんみりと心に伝わって来て、クライマックスの柘榴坂のシーンではその効果を最大限に発揮しています。





寒風吹きすさむ師走の中、アベノミクスという実体のない幻想で国民の目を眩ませようとする自民党による解散後の国政選挙が、只今、行われようとしています。真意は別にありながら、そこに争点が行かないようにわざと他の事柄を口に出して進めるのが現政府のやり方です。ひっそりと、しかし着々と進められている種々の改変にこそ真の狙いがあります。私たち国民は、一時の選挙の勝ち負けではなく、その後の活動に対しても継続して厳しい監視の眼をもって正しい評価を下すことによって、初めて本当の国政参加をしていると言えるのだと思います。現在の民主党が批判票の受け皿になり得ておらず、結果として自民党の大勝を許すのであれば、一度はチャンスを与えられながら、自らのおごりによる派閥争いと数々の失政で多くの国民の期待を裏切った大罪を心底から恥じねばならないと管理人は考えます。またマスコミに登場するジャーナリストや知識人たちは、皮相的に見える部分をただ繰り返すのではなく、一歩も二歩も踏み込んだ鋭い取材と正確な情報によって、新しい時代へと国民を導く篝火(かがりび)とあらねばなりません。


桜田門外の変は、歴史的に見れば時の流れに逆行した動乱の時代に有りがちな一事象に過ぎなかったのかも知れません。しかし、たとえ浪士たちの判断は間違っていたとしても、少なくとも命を賭して国の未来を憂えた彼らの気概はきっと本物だったことでしょう。襲撃犯の一味らが事件後に取った行動がそのことを如実に示しています。また時代が変わっていると頭では理解しつつも、時流に乗れず侍の心(それまで矜持としていた信念)を持ち続けることでしか生きられなかった旧幕臣や諸藩の侍たちの不器用なまでの生き方、これも真実だったと思います。幾度も押し寄せた戦争や大規模な自然災害といった激動の波を被りながら、そうした数々の真剣でひたむきな市井の人々の思いが連綿と続いたからこそ、今日の日本の繁栄があります。この映画『柘榴坂の仇討』は、まるで雪の日にじっと耐えながら咲く寒椿のように観る者の心に迫って来るように思えました。後世の歴史に照らした時に、少しも恥ずかしくない選択がこの選挙によって為されるであろうことを心から願っています。



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