一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

忠臣蔵
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いよいよ命運を決する日がやって来ました。ええ、もちろん衆院選挙の日でもありますが、仇討の話続きで、赤穂浪士の討ち入りの日でもあるのです。今からおそよ310年ほど前、時は元禄15年12月14日の深夜、正に赤穂浪士ら吉良邸に討ち入った日なのであります(実際は15日の明け方の4時頃で、当時の慣例によって日が明けるまでは14日とされ、現在の暦で言えば1703年1月30日に当たります)。


管理人が中学校時代の音楽の先生が一風変わったと言いますか、有り体に言えば少々頭が狂っていると言ってもよい御仁であったことは、このブログでも何度か登場したことで、ご記憶の方もいらっしゃることでしょう。この先生(定年間近の男性、芸大卒)にまつわる逸話には事欠きませんが、ある時は教材に人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』のレコードを持ち出し、その中の七段目「祇園一力茶屋の段」を生徒に聞かせた上、日本の伝統芸能の素晴らしさを身振り手振りを交え、更には自ら唸り声を上げて熱く語るという破天荒な授業をされたことがあります。切腹の作法について実演しながら教えてくれた(?)のも、他ならぬこの先生でした。普通中学生に向かって切腹の仕方なんか教えますか?指導要領なぞ全くもって「糞喰らえ!」と言わんばかりの、今でなら完全に問題教師でした。お世辞にも清潔さも上品さのかけらもない野蛮な先生でしたが、背筋を真っ直ぐに歩く姿勢だけはいつも素晴らしく、何よりも管理人に音楽の奥ゆきの深さを教えてくれたという意味で、記憶に最も残る先生の一人でもありました。


討ち入りのこの時期に上記のトンデモ先生から忠臣蔵の話などを聞かされたこともあって、以来12月14日は管理人の心の中で一種特別な日になっております。もちろん数々の映画やドラマの題材となっていることは、皆様ご存知の通り。


『武士道とは、死ぬことと見つけたり』


こんな言葉も、この歴史的事件を冷静に眺め直してみた時に、より深く理解出来るような気がします。徳川幕府が始まって、およそ百年。戦国時代は遠い昔となり、武士が刀を差してはいるけれど、それを戦いに使用するということが無くなってかなりの時間が経過しています。一方、町人(特に商人)の暮らしは、主に上方を中心に益々豊かになり、庶民的で、かつ華やかさもある元禄文化が栄えたことになぞらえて、昭和中期のある時期の高度成長時代が「昭和元禄」と呼ばれていたことをご記憶の方もいらっしゃることでしょう。庶民にとっては実質的な暮らしぶりは何ら変わらないのに、円安・株高の効果で一見誰もがお金持ちになったかのような、そして景気が良くなったかのような錯覚に陥いらされている現在なども、差し詰め「平成元禄」とでも呼べるのではないかしら。


三百年昔の平穏な時代に起きた江戸城松之大廊下の刃傷事件(1701年3月14日)。時の将軍徳川綱吉は、東山天皇からの返礼として遣わされた勅使の饗応役として赤穂藩主の浅野長矩(内匠頭)を任じ、高家旗本・吉良義央(上野介)指南の下、万事恙無く事が終わろうとしていた矢先に起きた事件でもあり、綱吉は激怒。 長矩は即日切腹。赤穂藩は改易の処分となりました。


当時の武士階級における律法「武家諸法度」によれば、私闘を禁じており、「けんか両成敗」が原則。これでは赤穂藩の元藩士らは納得が行きません。かくして刃傷事件から1年10ヶ月後に吉良上野介の首を討ち取る行動に出たわけですが、この行為の処分が幕府にとっては大問題となりました。世間の声は圧倒的に赤穂義士たちの味方。武士の鑑として完全御赦免を支持し、幕臣たちも心情的には同意見の者が多数。しかし、側用人柳沢吉保などを始めとして、もう一つの法度「徒党などを組んで謀を目論むこと勿れ」に反するとして、極刑を出張する者もいました。御赦免とすれば、先の綱吉の裁可が誤りであったことを自ら認めることになるという論理が大きく作用し、結論は全員切腹と相成りました。しかし、切腹は打ち首とは異なり、武士としての身分を尊重された謂わば名誉の死ですから、結果としては城代家老大石内蔵助らの主張が通ったと言ってもよい結末を迎えたことになります。


今の世相、何やら元禄時代と似通っていなくもありませんが、このように自らの命を掛けてまで何事かを為そうという気概のある政治家は一体いるのでしょうか。


NHKの大河ドラマが今日のように定着する嚆矢となった「忠臣蔵」のテーマ音楽(芥川也寸志作曲、1964年)を今日は挙げておきましょう。1971年、NETテレビで1年間放映された「大忠臣蔵」のテーマ(富田勳作曲)もなかなか良いです。










最後に、コアなクラシック音楽ファンのために、管理人が独りで合点してほくそ笑んでいた極秘情報を一つ洩らしちゃいましょう。イギリスの作曲家アルウィン (William Alwyn, 1905-1985) の交響曲第4番第1楽章が、実は赤穂浪士の討ち入りの場面にピッタリなのです。本曲のその部分を聴く度に、雪の中を大石内蔵助以下四十七士が静々と登場して来る情景が目に浮かんで来ます。冒頭から1分半辺りのところですね。ただし、現在YouTubeにアップされている同曲の演奏はいまいちで、幾分かその感じがしなくはありませんが、出来ることなら作曲者本人による演奏か、またはChandosから出ているHickox指揮の演奏を是非聴いてみて下さい。


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