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一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

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DAD1


海外で迎えるお正月も、今年で到々5回目になりました。


当ブログ管理人が只今滞在している国は、大半の国民がクリスチャンで、他に少数派ながらモスレムの人たちもいます。そういう訳で、やはり降誕祭の時が最もお祝いのムードが強く、その後に続くお正月は付け足しみたいな感じです。新年を迎えた瞬間も、その前後の時間からポンポンと花火の音が彼方此方から聞こえるばかり。日本でなら恒例の紅白歌合戦をテレビで観れるわけでもなく、静かなお正月を独りで迎えています。


それでも日本人ですから、少しくらいはお正月らしい気分を盛り上げようと、毎年電子レンジの上に鏡餅らしきものをお供えしています。本来ならば、奮発して立派なものを飾ってみたいのですが、今年は日本のスーパーで購入したミニチュアサイズの鏡餅をお供えしています。以前は切り餅を3つ重ね、それにオレンジを乗っけたこともありました。日本で暮らしていた時はミカンで済ませたこともあったくらいですから、それに比べれば少しは上等かなと思ったりして・・・。^_^;





管理人が小学生だった頃、作業員が20名余りで、それに事務員が4人程度という小さな町工場(塗装工場)の中で暮らしておりました。工場の建物の中に事務室と隣り合わせに6畳一間の和室と小さな台所だけがあって、そこに家族3人が夜間の警備を兼ねて従業員として住み込んでいたのです。冬の間子供の私に任された仕事は、毎朝作業場の達磨ストーブに、お水を一杯に満たしたヤカンを載せ、ストーブに点火することでした。午前8時の始業時間に合わせ、その前までに出勤した作業員らが暖を取れるようにしなければなりません。ストーブの内部が赤々と燃えるようになったら、学校に行く時間です。戦前から続いていた少々歴史のある町工場でしたから、工場の建物を始めとして設備がどれも古く、ストーブにくべる燃料も最初の内はなんと石炭!でした。後に石炭からコークスに変わったものの、僅かな紙くずや端切れの木くずから、石炭やコークスが燃えるまで火を熾(おこ)すって結構難しいのですよ。だから、今でもバーベキューなどで火を熾すのは得意です。


会社の敷地の一部にはひと冬分の石炭(コークス)が積み上がっている一画があり、そこから翌日分の石炭(コークス)を運んで来ることも、学校から帰ってからの仕事でした。もっとも点火することと夜に消火を確認すること以外は、ただストーブ際で飼い犬と一緒に火の加減を見ながら座っていればよく、良く言えば会社員らのマスコットとして、悪く言えば少々口の悪いオジサンたちのオモチャとして、作業の邪魔にならない程度に皆にかまってもらっていたことを、まるで昨日のことのように想い出します。


その会社の事務室にあった大きな金庫の上に、毎年お正月になるとこれも立派で大きな鏡餅が飾られました。子供時分の記憶ですから確実とは言いかねますが、下段の丸餅の直径は多分30 cmはあったのではないでしょうか。三方を使っていたか、そのまま直に四方紅(しほうべに)を敷いていたかどうかまでは記憶にありませんが、少なくとも裏白(うらじろ)や紅白の御幣(ごへい)があったことを確かに覚えています。そして何よりもお餅の天辺に、葉っぱが付いた大きな橙(だいだい)が鎮座していました。まるで夏ミカンのように大きな橙の存在は、小さな温州蜜柑しか知らない子供の私にはとても不可思議な存在で、お正月が終わったら何とか食べてみたいと思ったものでしたが、その願いはついぞ叶うことはありませんでした。






幸田露伴の娘で、同じく作家となる幸田文を実母とする青木玉さん(「たま」というお名前で、ご結婚されて青木姓となっています)という素敵な方がいらっしゃいます。青木さんは元々ごく普通の主婦であって、全く以って作家を志された訳ではなかったのですが、大分お年を召されてから、祖父幸田露伴や母幸田文の想い出話を求めに応じて出版したところ、(失礼ながら)思いの外!評判になったという異色の作家です。代表作は、祖父や実母との幼い頃の想い出を綴った随筆集『小石川の家』。


実は管理人、この青木さんのお書きになる文章が大好きです。折々に彼女の作品を読んでは、その流れるような文章の調子とそこはかとなく漂う上品さに感銘し、一体どれだけ精進したらそのような気品を身に付けることが出来るのかしらとため息が出るばかりです。もっとも青木さんご自身が完全無欠で近寄り難い人物かというと、全然そうではありません。むしろその反対に、御当人がお認めになる通り、どこか不器用なところがあって、祖父や母からはしばしばその粗忽さを叱られたようです。その様子がいじらしいばかりに可愛いらしく、また、どちらかと言えば能天気なお方のように思われます。ところが文章の方は、これが本当に美しい。この才能は、やはり祖父譲りの遺伝なのでしょうか。とにかく明晰でありながら、味わいがある、素晴らしい日本語の文章をお書きになります。


その青木玉さんが書かれた『上り坂下り坂』という随筆集の中で、「橙」という表題の短い作品があります。その一部を此処に抜粋してみましょう。

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「橙」の実を摘まずに枝に付けておくと、一度橙色に染まった実が、翌年の夏頃にはまた緑色に戻るのだそうだ。実は一年で落ちずに二年間木に生っているから、代々の名が付いたという話は、もっとも過ぎて首をかしげたくなるところだが、だいだいに回青橙の字を当てるのは、この性質を指したものと思われる。なぜ信号ではあるまいに、赤くなったり緑に戻ったりするのだろう。橙の木に聞いてみたい気がする。

橙は果汁を料理に使うが酸味が強くて蜜柑のように親しい果実とは言えないが、素人目にもはっきりした特徴を持っていた。枝と実をつなげているへたの周りに、橙色の皮と同質の五弁の星型の座が付いている。座橙という種類だそうだが、何でこういうものが付いたのか、木がまるで自分の実の上に花飾りを付けて、おしゃれをしたのを見て下さい、といっているように見える。橙はなかなか面白いことをする木である。

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このような一節を読むと、さもありなんと、こちらは至極納得です。いずれにせよ、「橙」がおめでたい植物であることがよく分かりますね。そして「橙」のお味ですが、上述の通り、果汁はポン酢などに使われるくらい酸味が強いとのこと。仮に直接食したとしても美味しいとは言い難いのだそうです。ミカンの王様みたいだから、さぞや美味に違いないと思っていたけれど、ひび割れたお餅こそ後で頂いたことがあるけれど、ついぞ「橙」を食したことが無かったのはそういう理由があったのかと、青木さんの作品を読んで改めて得心した次第です。






今日の音楽は、誰でも知っているあの童謡の調べに身を任せてみましょう。橙と同じく伊豆の名産「みかん」の歌です。
終戦直後の1946年、この曲が初めて世に出たレコード(1946年)の歌手、川田正子さんによる唄声で。
当ブログの読者の皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。





[管理人注. 青木玉さんのお嬢様になる青木奈緒さんもドイツ文学の翻訳などを手掛けながら、エッセイなどもお書きになります。正に「代々」作家の系譜が受け継がれていることになります。新年早々、縁起の良いお話でしょ。(^o^)]



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Comment

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お久しぶりです
RAMさんお久しぶりです!
お元気そうで何よりです。
私も今年は1日以外全部仕事でした~ww
家にいてても家事という仕事があるので、どっちにしてもゆっくりはできなかったのですが・・。(家事より子守りのほうが数倍大変です・・)
お身体にはお気をつけて、今年もお元気でいてくださいねww


hime | URL | 2015/01/07/Wed 16:32[EDIT]
これは、またお久し振り!
>himeさん

新年、最初に頂いたコメントがhimeさんからとは、とても嬉しいです!
あなたの方も元日からお仕事とは、お互いに忙しいようでご同慶の至りです。
私の方は、只今東南アジアのとある国に居ります。ええ、もちろん仕事です。でも食べものが美味しいので、楽しみながらやっています。
お子様は、今がすくすくと育ちざかりの時なのではないでしょうか。育児に家事に仕事、両立が大変でしょうけれど、頑張って下さい。そしてご主人、ちゃんと育児に参加されていますか? 
こんな感じで、このブログ続けています。また、いつでもお立ち寄り下さい。
RAM | URL | 2015/01/09/Fri 09:28[EDIT]
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