一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

五重塔
TFS1

現在の東京都台東区谷中天王寺に、かつて聳え立っていた五重塔


青木玉さんの随筆集『上り坂下り坂』の最後に収められている作品では、祖父幸田露伴が弱冠25才の時に書き上げた傑作『五重塔』と初めて出会ったいきさつが述べられています。玉さんが幼かった時は、祖父が大事にしている蔵書に触わることなど無論のこと近くに寄ることさえ禁じられていました。やがて彼女が文字を覚え、書を読むことを覚えたある日のこと、祖父と母幸田文(あや)から、必ず事前に断わりを入れること、必ず一冊ずつにするという二つの約束を守ることを条件に、祖父の書斎にある古今東西の書物に触れても良いという許可が下りました。それが、玉さんが小学校に通い出してから数年した頃だそうです。


勿論、難しい漢字だらけの中国の書物や難解な和書に手を付けられる筈もなく、そうこうする内に、読みやすく、また面白可笑しいこともあり、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や式亭三馬の『浮世床』や『浮世風呂』など、いわゆる江戸時代の滑稽本にどんどん惹かれて行きます。そんな孫娘が書を手にして一心不乱に読む姿を見た祖父露伴は、文と相談して、次に当初は許していなかった自分の作品を読ませても良かろうということになりました。取っ掛かりとして先ず最初に与えられたのは、初期の作品『いさなとり』だったそうで、程無く読むことになった作品が『五重塔』でした。この時、玉さんは小学校の5、6年生であったとのこと。中学校入学以前に、こうした作品に触れ、理解の程度は別として曲りなりにも読むことが出来たのですから、ご本人は否定されるかも知れませんが、やはり特別な文才が無意識の内に育成されていたのでしょう。


幸田露伴の『五重塔』には、当ブログの管理人も忘れ難い想い出があります。高校に入学して間もなく、管理人が嵌っていたことの一つが、岩波文庫の青い帯が付いた日本文学作品を読むことでした。夏目漱石や芥川龍之介らの代表作などを始めとして、中間テストと期末試験の期間は除いて(正直に言えば、そうしたテスト期間中ですら)ほとんど1日に1冊に近いペースで読み終えて行ったように記憶しています。そういう毎日でしたから、ある日書店で購入した『五重塔』を前夜遅くから読み出したのはよいとして、クライマックスの嵐を描写した部分に到達した頃には登校時間となり、已む無くそのまま文庫本を学校に持って、(何の授業だったか忘れましたが)その教科書の内側に文庫本を隠して読み続けたのです。頭の中には、嵐の中を揉まれるように揺れる五重塔がありありと浮かび、次はいったいどうなるのかと、ハラハラドキドキ。運良くその授業中に教師から当てられたり、或いは誰かに邪魔されることは無く、結末まで一気に読み終えることが出来た時には、もう興奮の極みに達していたことを今でもよく覚えております。


『五重塔』のあらすじについて、此処で詳しく述べることは致しませんが、簡単に言えば、1791年に江戸の谷中にあった感応寺(後に天王寺と改称)に明和(1772年)の大火で焼失した五重塔が再建されたという実際に有った史実を元として、小説の上では、腕はあるけれど愚鈍な性格から世間から軽んじられる「のっそり」こと、大工の十兵衛と、本来であればその任に最もふさわしい感応寺の御用を務める大工職人の親方川越の源太の間で、そのどちらが仕事を請け負うか争いとなるというお話です。2人の職人の間に立って苦慮する住職の朗円上人と職人たちの家族を始めとする周囲の人たちの人物描写が特に優れており、嵐の場面における鬼気迫る臨場感と併せて、現代に読んでも通用する斬新さ溢れる傑作です。ましてや出版された明治25年という時代を考えるならば、日本近代文学の歴史的金字塔であることは疑いようもありません。


青空文庫に収録されていますので、未読の方は是非ご覧になってみて下さい。
後半の塔が完成した時の一節と、嵐の章からごく一部をここに抜粋してみましょう。(括弧内にほぼ原文に則した振り仮名を入れてあります。)


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時は一月の末つ方、のつそり十兵衞が辛苦経営むなしからで、感応寺生雲塔いよ/\物の見事に出来上り、段々足場を取り除けば次第に露るゝ一階一階また一階、五重巍然(ぎぜん)と聳えしさま、金剛力士が魔軍を睥睨(にら)んで十六丈の姿を現じ坤軸(こんぢく)動(ゆる)がす足ぶみして巌上(いはほ)に突立ちたるごとく、天晴立派に建つたる哉、あら快よき細工振りかな、希有ぢや未曾有ぢや再(また)あるまじと爲右衞門より門番までも、初手のつそりを軽しめたる事は忘れて讚歎すれば、圓道はじめ一山(いつさん)の僧徒も躍りあがつて歓喜(よろこ)び、これでこそ感応寺の五重塔なれ、あら嬉しや、我等が頼む師は当世に肩を比すべき人も無く、八宗九宗の碩徳達(せきとくたち)虎豹鶴鷺(こへうかくろ)と勝ぐれたまへる中にも絶類抜群にて、譬へば獅子王孔雀王、我等が頼む此寺の塔も絶類抜群にて、奈良や京都はいざ知らず上野浅草芝山内、江戸にて此塔(これ)に勝るものなし、・・・


(冒頭の写真を見るとお分かりのように、塔の姿はなかなか凛々しく、この塔が完成時に江戸の人々に与えた驚きと讃嘆の声が聞こえて来るようです。)


(そして、いよいよ完成後まもなく猛烈な嵐が江戸の町を襲います。)


長夜の夢を覚まされて江戸四里四方の老若男女、悪風来りと驚き騒ぎ、雨戸の横柄子(よこざる)緊乎(しつか)と挿せ、辛張棒を強く張れと家々ごとに狼狽(うろた)ゆるを、可愍(あはれ)とも見ぬ飛天夜叉王、怒号の声音たけ/″\しく、汝等人を憚るな、汝等人間(ひと)に憚られよ、人間は我等を軽んじたり、久しく我等を賤みたり、我等に捧ぐべき筈の定めの牲(にへ)を忘れたり、這ふ代りとして立つて行く狗、驕奢(おごり)の塒(ねぐら)巣作れる禽(とり)、尻尾(しりを)なき猿、物言ふ蛇、露誠実(まこと)なき狐の子、汚穢(けがれ)を知らざる豕(ゐのこ)の女(め)、彼等に長く侮られて遂に何時まで忍び得む、我等を長く侮らせて彼等を何時まで誇らすべき、忍ぶべきだけ忍びたり誇らすべきだけ誇らしたり、・・・

(途中略)

嬲らるゝだけ彼等を嬲れ、急に屠るな嬲り殺せ、活しながらに一枚々々皮を剥ぎ取れ、肉を剥ぎとれ、彼等が心臓(しん)を鞠として蹴よ、枳棘(からたち)をもて脊を鞭(う)てよ、歎息の呼吸涙の水、動悸の血の音悲鳴の声、其等をすべて人間(ひと)より取れ、残忍の外快楽なし、酷烈ならずば汝等疾く死ね、暴(あ)れよ進めよ、無法に住して放逸無慚無理無体に暴(あ)れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦へ仏(ぶつ)をも擲け、道理を壊(やぶ)つて壊りすてなば天下は我等がものなるぞと、叱咤する度土石を飛ばして丑の刻より寅の刻、卯となり辰となるまでも毫(ちつと)も止まず励ましたつれば、数万(すまん)の眷属(けんぞく)勇みをなし、水を渡るは波を蹴かへし、陸(をか)を走るは沙を蹴かへし、天地を塵埃(ほこり)に黄ばまして日の光をもほとほと掩ひ、斧を揮つて数寄者が手入れ怠りなき松を冷笑(あざわら)ひつゝほつきと斫るあり、矛を舞はして板屋根に忽ち穴を穿つもあり、ゆさ/\/\と怪力もてさも堅固なる家を動かし橋を揺がすものもあり。手ぬるし手ぬるし酷さが足らぬ、我に続けと憤怒の牙噛み鳴らしつゝ夜叉王の躍り上つて焦躁(いらだて)ば、虚空に充ち満ちたる眷属、をたけび鋭くをめき叫んで遮に無に暴威を揮ふほどに、神前寺内に立てる樹も富家の庭に養はれし樹も、声振り絞つて泣き悲み、見る/\大地の髪の毛は恐怖に一々竪立(じゆりつ)なし、柳は倒れ竹は割るゝ折しも、黒雲空に流れて樫の実よりも大きなる雨ばらり/\と降り出せば、得たりとます/\暴るゝ夜叉、垣を引き捨て塀を蹴倒し、門をも破(こは)し屋根をもめくり軒端の瓦を踏み砕き、唯一ト揉に屑屋を飛ばし二タ揉み揉んでは二階を捻ぢ取り、三たび揉んでは某寺(なにがしでら)を物の見事に潰つひやし崩し、どう/\どつと鬨(とき)をあぐる其度毎に心を冷し胸を騒がす人々の、彼に気づかひ此に案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さへも無くされて悲むものを見ては喜び、いよ/\図に乗り狼藉のあらむ限りを逞しうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。・・・


(そしていよいよ、野心と憎悪と嫉妬が渦巻き、確執を極めたのっそり十兵衛と源太の間に大団円の結末を迎えます。)


暴風雨のために準備(したく)狂ひし落成式もいよ/\済みし日、上人わざ/\源太を召(よ)び玉ひて十兵衞と共に塔に上られ、心あつて雛僧(こぞう)に持たせられし御筆に墨汁(すみ)したゝか含ませ、我此塔に銘じて得させむ、十兵衞も見よ源太も見よと宣(のたま)ひつゝ、江都(かうと)の住人十兵衞之を造り川越源太郎之を成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、満面に笑を湛へて振り顧り玉へば、両人ともに言葉なくたゞ平伏(ひれふ)して拝謝(をが)みけるが、それより宝塔長(とこしな)へに天に聳えて、西より瞻(み)れば飛檐(ひえん)或時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚(はなし)は活きて遺りける。


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如何ですか、この澱みなく流れる名調子の文章は。泉鏡花の『歌行燈』と並んで、管理人が今もって日本近現代文学の最高傑作の一つとして微塵も疑わない格調高い名文ではないでしょうか。読み返す度にゾクゾクと精神が奮い立てられ、私の心の中で格別の存在となっている文学作品です。


青木玉さんは、ご親族同士という特別の環境にいらしたとはいえ、この作品を小学生の時に触れられ、その作品の偉大さに既に心を動かされているのですから、その事実にも恐れ入るばかりです。






さて、その見事な雄姿を誇った谷中の「五重塔」が、1957年(昭和32年)7月6日の未明に突然の火事で消失してしまいます。いわゆる谷中五重塔放火心中事件です。午前3時45分頃に塔から火の手が上がり、瞬く間に塔全体が炎に包まれ、火の粉を周辺に50 m以上も飛ばしながら、夜が明ける頃までには心柱1本を残してほぼ全焼しました。消火後に現場検証したところ、心柱の根元付近にほとんど男女の区別も不可能となった2つの焼死体が発見されたとの由。僅かに残された遺留品の中に金の指抜きがあり、これを手掛かりに、その1対の遺体は都内の裁縫店に勤めていた48才の男性と21才の女性であることが判明したそうです。現場には、石油を詰めた一升瓶や睡眠薬なども見つかり、不倫関係を清算するために図った焼身自殺の結果と言われています。塔が炎に包まれて燃え盛っている生々しい写真が残されています。


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実は、この火災があったその夜、時の住職であった塩田某氏が丁度消防団の副団長でもあり、必死の消化活動の中で8ミリ撮影機を片手に当時最新鋭のカラーフィルムを使って、その塔が焼け落ちる様子を撮影していたことが後に明らかになりました。


このフィルムの現物を探し出すという活動プロジェクトの中で製作された、あるドキュメンタリー風の映画があります。2009年に公開された舩橋淳監督の映画『谷中暮色 Deep in the Valley』です。現在、何処に行けばこの映画を観ることが出来るのか、残念ながら分かりません。またDVDの発売リストなども調べたのですが、見当たりません。ですから、何とも無責任で申し訳ないのひと言ですが、その映画の予告編だけがYouTubeに残っていて見ることが出来ます。本日は、それをご紹介しておきましょう。塔が現存していた当時に書かれた幸田露伴の『五重塔』と、この『谷中暮色』という作品。芸術作品というものが持つ永遠の命と輝きについて、深く再認識させられるきっかけを青木玉さんの文章から得ることになった2015年初頭の読書体験です。




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