一度踏み入ったら出口の全く見えない音楽の深い森。森の中を彷徨い歩く内に出会った神々と妖精たちのお話です。

数奇な運命を辿った極東の歌姫とロシアの歌曲(1)
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今回とその次にアップするブログ記事では、極東で活躍したある2人の美しい歌姫をご紹介したいと存じます。


先ずは冒頭に掲げた写真のご麗人。言うまでもありません。第二次世界大戦の戦中から戦後のしばらくの間、『李 香蘭』の名前で中国・満州や台湾、そして日本において歌手・女優として活躍した山口淑子さんです。彼女は、南満州鉄道(満鉄)で日本語を教えることを仕事としていた日本人の父と同じく満州に渡っていた日本人の母の下、1920年、中国遼寧省の奉天(現瀋陽市)において生を受けました。生れた場所が満州ですから、彼女は中国語も日本語も堪能で、日中戦争が始まって間もなくの1938年、これも国策映画会社であった満州映画協会(満映)の中国人専属女優としてデビューします。『李 香蘭』の名前は、この時から使用されています。エキゾチックな容貌と流暢な中国語もあって、現地の人々を含めて当時の誰もが彼女は生粋の中国人に違いないと疑いませんでした。終戦を上海で迎え、一時は中国人として祖国を裏切った容疑により中華民国時代に軍事裁判に掛けられましたが、実際は日本人であることが明らかとなり、その罪科は問われずに国外追放処分され、結果、彼女は日本に帰って(渡って)来ることになりました。


勿論、管理人が山口淑子さんのことを知ったのは、遥か後に彼女が参議院議員として活躍した時代ですから、リアルタイムで芸能活動していた頃について全く知る由もなく、あくまで過去のスター時代を紹介したテレビの映像や週刊誌の記事で辛うじて知った次第です。もう既に相当なお年でいらしたと思いますが、それでも華がある容姿は変わらず、現役でいらした頃の彼女の美貌と人気はさぞや天井知らずであったろうと思われました(冒頭の写真を見てもそれが分かりますよね)。


実に数多くの作品に登場していますから、詳細については他に適当な記事を参考にして頂きたいと思います。ヒットした作品も数多く、戦後の『夜来香』など、ご年輩の読者であればきっとご記憶があることでしょう。




さて、この山口淑子さん。中国語が達者であったことは生まれが生まれですから当然ですが、当時の満州です。この辺りにはロシア人もかなり沢山いた筈で、彼女はロシア語もかなり話せたのではないかと思われます。実は、今回とその次に書く記事の主人公には、あるロシア人作曲家との関連という意味で共通の繋がりがあるのです。そのロシア人作曲家とは、アレクサンドル・アリャビエフ(Aleksandr Aleksandrovich Alyabiev, 1787-1851)。代表作は、歌曲『ナイチンゲール(小夜鳴鶯) Solovej 』。その歌詞(詩はアントン・デルヴィーク Anton Antonovich Delvig, 1798-1831)をちょっと此処にご紹介しましょう。


小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ
どこへ向かって飛んでいくの?
今夜はどこで歌を歌うの?
小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ

私のように不幸な娘が
今宵お前の歌を聴くのかしら
目を閉じることもできず
ただ涙を流しながら...
小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ

お前は飛ぶ、私の鳥よ
三十いくつの島を越え
青い海を越えて
見知らぬ国の岸辺へと
小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ

世界のすべての国を旅し
村々を、そして町を渡り歩いても
私以上に不幸な娘を
お前は決して見つけられないわ
小夜鳴鳥よ、私の鳥よ
優しい声の小夜鳴鳥よ



この、まるで主人公の若い娘がやがて数奇の運命を辿るであろうことを予言するような歌詞を持つ名歌曲は、元々コロラトゥーラ・ソプラノのために書かれています。何人もの名だたる歌手たちが唄っていますから、一度YouTubeなどで検索してみて下さい。この曲を知っていることを前提として、次の動画を観て頂くと、李香蘭こと山口淑子さんが戦前の未公開映画『私の鶯』の中で唄った歌の元歌が、実はこの曲であったことがよく分かります。





山口淑子さんが94年の天命を全うして他界されたのは、2014年9月7日。そう、丁度昨年の今日のことでした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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